第八話「見えて視えず負れられ触れず、落とし物は食べないように」
「少年のさ、人生で一番怖いものってなにかな?」
「……あのおじさん。です。筋肉凄くて。声が大きい」
「うん。それは正しい。だいぶ緊張も解けてきたのかな、私は今の少年の方が好きだよ」
尻を下ろして足をぶらぶらと揺らす女性とは真逆に、固い縁の上で正座する少年は顔を赤くして手をぎゅっと握っていた。
…………時刻は午後2時。
ちょうど噴水近くの露店でアップルパイが売ってあったので、子供と女性を座らして僕様は長い列に並んでやっている。
「二度言うけど君が言ってることは正しい。
でも歴史上、人を多く殺しているのはあの商人ではない。例えば馬車とか。
それほど身近なものは危ないんだけど、君はおじさんの方が怖いと思っている。それが何故だかわかるかな……?」
空は快晴。頭を撫でるような風は心地がいい。
が、さっさと購入したばかりのアップルパイを女性の口にぶち込みたくなった。
なんだってそんな意地悪な質問をするのだろうか。
「その。殴ってきたから?」
「うんうん。彼は君に実害を与えた。抵抗の意思すら許さない激痛と恐怖の経験だよ。今、それを思い返してどう思う?」
「…………怖い。です。震えるほど」
「でも動けるだろう?」
「……はい」
「ホンモノはね、生きながら死んでしまうんだよ。一生かけても触れられない場所に傷をつけられたら終わりだ。世の中には色んな代償があるけど、これに勝るものはないよ」
僕様は湯気をだすアップルパイを手に持ってきた後、容赦なく座った女性の口に差し込んだ。
が、息を詰まらせることもなく口から外した女性。涎を垂らした舌で僕様の指についたパイの屑を先に舐めてくる。
「………………お前、極限的な貧乏性なの?」
「………………さて、どうだろう。やり返しかな」
親指から人差し指が暖かい舌に汚されていく。まるで指先を舐めてくる猫のようだ。
流石の僕様も眉をひそませて財布を女性の頭にそっと乗せた。
「……………………お二人は恋人なんですか?」
「ふふっ、だいぶ緊張も解けてきたかな、ごほっけほ。私は今の少年の方が好きだよ。もっと頂戴」
「それはさっき言っただろう。あとコイツと恋人になるくらいなら、縁起悪い黒猫と話してた方がややマシだ」
三人でアップルパイをかじりつつも展望台を上がっていく。
少年が泣き崩れることはないのが助かったが、女性が話すテーマの意地悪さに眉が重たくなった。
原作でも幾つか耳にする厄災を指揮者のように語るのだ。
「この世界は経験によって、誕生日を境に天から授かりモノを受ける。珍しい例だと人が竜に化けたり、特別な刀を創れるようになったり。しかし、どうだ。長い人類史から見ても最強は今だ更新されていない」
「最強…………ですか?」
「うん。特筆すべきは、それを授かる故となった経験に宿る狂気性ともいえる」
言いえて妙だと階段を登りながら思考する僕様だ。
それは【厄災】のお話。
羨望を越えて崇拝され、その記録すら消去される存在まで。それらは善悪限らず、強大すぎる力は時代の変え目とされてきた。
「その代表的なのが勇者、魔王かな。島国の巫女も捨てがないね」
「………内容が出鱈目過ぎて存在しないものとされる代物もあるけどな」
「それで…最強っていうのは?」
階段を登る足の感覚が定着してきた頃、そんなことを少年は言った。
それが大層いい質問だったようでして。
ぶつぶつと女性がくだらない時間を愉しむように、世界にて名を馳せた厄災について話すのである。
配線の切れたスクリーンが鮮やかに蘇るようだ。
観客は僕様と女性と少年といったところか。
特定的な記憶が強固な形として駆け巡り、イメージ画像がじりじりとフラッシュアップしてくる。
歯車の勇者と虚空の魔王。
星に寵愛された巫女と星を反逆させる深淵の獣。
果てなく燃える灰の鯨と神都に潜む百眼のモグラ。
この世の法則を創造した古来の魔物たち、その十柱。
星の影から叡知を授かった月の魔女。
凶星にて主人を待つ災禍の魔眼。
「私が思うに”災禍の魔眼”だよ、少年。かつては数ある厄災たちの王とも称されたんだ。どんな時代でも、太刀打ちできる奇跡なんて唯一もない」
はいストップと心の中で劇場再生を停めた僕様。
床に落ちたポップコーンを拾った女性からの反論に、《《御伽話のものを語るな》》、と話の脱線を自覚させる。
しかし流れは今回の首席様のお気に召すままだ。
「お兄さんが思う最強ってなんですか?」
僕様はしばらく天井を向いて後ろに座った少年の事を考慮する。
最強という言葉に魅かれるのも解かるのだ。
そして後から作り話だと知れば、信じていた自分が馬鹿らしくなってしまうと言うもの。
「…………今もお月様で寝てる魔女だな。現代にいたっても使徒に力を与えてる。本人が来ることはないだろうが、もしそうなったら終わりだ」
なるほどねー、と席を立つ女性。
スクリーンには先ほど確認した『魔女の使徒』という団体名、僕様の指鳴りと共にイメージの世界はシャットダウンだ。
時刻は午後3時。
標高が高い展望台は都市中を上から見渡せるほど。
僕様はつい話に熱中した自分の頭に「いたぞ、ここから2分歩けば会える」現実という冷水をぶっかけた。
この少年がまた泣いたら面倒になる、と軽く息を止める。
「ほ、本当で、すか!?」
「っ、ああ。事前に伝えられていた両親の特徴と照らし合わせれば楽勝だ。ここは眺めがいいし、誰にもの言ってる」
「……お名前聞いてないです」
「そういえばそうだったな。僕様の名前……いや、僕様は通りすがりの冒険、」
すると、ぼそっと肩車した少年の何気ない呟きに汗がでてくる。
…………偽名考えてなかったな。依頼を受け取る際、下手に本名を語るとイレイナが殴り込んできそうだ。
「あーぼくさまはー、ぼくさまーのなまえはー」
いやまて。冷静になってないぞ。そもそもこんなガキにいう必要もないだろう。
「お前程度の奴に教えるほど軽くはない。通りすがりのB級冒険者だ。そして、お前の名前にも興味はない」
「は、はい…………すみません」
「君。名前は大事な概念だよ。呼ばれないだけで存在感がぽっかりなくなるんだから」
口を閉じて込みあがる怒りを押し下げる。
12歳だが背丈は168㎝の僕様。
そのことを自慢げに思ってたが、どうにも女性が馴れ馴れしくよたれかかって来るのには限界が来ていた。単純に重いし近い。
「あはは…………」
「…………そんなにしょぼくれるな。せっかくだから、誰も知らない最強の魔女について少し教えてやる」
隣を歩く女性の腕と僕様の腕が外套越しに擦れ合う。
無言の笑みでグイグイくるのが気味悪かったが、少年の方は首を軽く傾げていたのだ。
こめかみが痒くても話すのはやめられなかった。
「魔女は封印されてるんだ。好きで寝ているわけじゃない。それに昔も昔、その更に昔からだ。1万年くらい前からだ」
「いちまん…………? すごい」
「ああ。気が遠くなるだろ。だから最強なんだ」
天から授かるモノの質は、経験の過酷さに比例していく。
だから、その存在が儚いとも感じてしまうこと。それを誰かに話したことは初めてだったかもしれない。
「僕様はどうにも、一度魔女に会いに行ってやろうって思ったことがあるが。それも遠い話だな」
さて、そろそろ少年の両親と合流する頃だ。
晴天の奥底にぽつんと点在する青い月。
最後に肩の上でパチパチと瞬きをする少年に向かってこういった。
「今度は風邪に気を付けろよ。お前はもう車になんて弾かれんだろ?」
「はい、ひかれません」
「いい返事だ」
いずれ少年の視界に、ぼやける人ごみの中でさえ鮮明に映るモノが現れた。
肩から降ろした少年と離れていく僕様。
今更ながらここまでした事がこそばゆくて、見送ることなんてする気にはなれなくなったのですよ。
「君、耳が真っ赤だ」
「僕様は帰る。さっさと権利書を返せ」
「さて、依頼達成まであと一歩だ。流石、世に10人といないB級冒険者といっておこうか?」
「……!!!」
「ふふっ、君は見ていて飽きないね」
熱かった頬が急激に冷めていく感覚がした。
もう勘弁してー!と叫んでしまいそうな口を両手で閉じ、軽はずみな女性の注文に上がった肩が下がる。
………………嫌な予感も消えないままだった。
「私にこの都市を案内して欲しい」
何を思ったのか、僕様に背中を向けて展望台に立つ女性。
気遣って触れなかったフードが本人の手で軽々と外される。露わになった毒のようでも美しい紫の長髪がなびく。
その後ろ姿が振り返る前にフードはまた被さってしまった。
「もし君が嫌なら、」
また場を乱そうとする口より早くその手を取った僕様。
女性の細い手首を引っ張りながら走る。
階段も、人ごみも、路地裏も、橋も、後ろからやけに聞こえてくる女性の高揚した笑い声で我慢が限界点まで登って来るのだ。
「ああああああああ!!今日は厄日だ!!こんなことは過去にない!!」
「ぶッふわぁはははははははははははは!!いやあ人助けした後のご褒美は絶品だね!!初めての吉日だ!」
なんて人の目を気にせず叫ぶ僕様と女性。
夕焼けが沈んだ後、やっと一通り都市を駆け抜けた僕様たちは肩を揃えて壁によたれていた。
……………………はやく宿で一汗流したい。あ、お金ないんだった。ああどうしよう。マジでどうしよう。お風呂入りたいです。
「今日はありがとう! ほら望みの品だ!」
「やっとか! 本当だろうな!? よし!」
「もちろん、それにしても君はつれないね。もう帰ろうとするなんて…………まだ報酬払ってないよ。私」
思考を逆立てる汗と疲労がドシドシ来てるからか、権利書を手渡された瞬間に帰る足は速くなっている。
流石に額から青筋がピキリと走った僕様である。
また急に報酬だのなんだのと、そんな信用ならんこと言われてもマトモに返せる余裕はないのだ。
「報酬はね。私の首に噛み跡、残させてあげる」
魅惑的な笑みをした女性が鎖骨ごと首筋をさらけ出してそういった。
発言の途中で噛みついたのだが。
お望みどうりと、吸血鬼のように息を潜めて華奢な首元に歯を立てていく。
「エ”ッ?……ん”ッ…………」
汚い声と花のような良い匂いがより噛む力を強めていく。
一瞬、女性と溶け合うような錯覚がした。
ローブから漏れる女性の息は荒くなっていき、柔らかい胸がぎゅっと形を崩して押し付けられる。
「ちょっと、まって。早く。ないかな。だめ。だよ」
僕様の噛む力に比例して抱き締められる力も強まっていく。
そのまま路地裏の床へと引き込まれる僕様。
更に噛む力を強めて報酬を受け取ってやった後、ローブが右半分ずれた女性にこういった。
「はあ、…………これで依頼契約は終わりだ」
息が荒くなった女性が締めていた腕を解いて、見事にできた噛み跡を指先でなぞる。
紫髪の下に隠れる細長いまゆげ。
月の裏側みたいな暗い瞳。
つい僕様の目を奪うほどの美貌を向けてくる女性はこういった。
「君、もう少し、配慮ってものが。ないのかな」
「必要がないからな! じゃあな考えなしのノロマ!!だが今日は助かった!二度と会わないだろうがな!! ふはははははははははは!!!!」
どうにも奴と僕様は同じ時間で笑うことはないらしい。
僕様は立ち上がり全速で路地裏から出る。
そのまま五感センサーを張り巡らすも、心臓を鳴らしている女性の姿がなぜか脳裏に焼き付いた。




