第三十五話「お姫様という品種」
生まれついてのお姫様。
無人の城。
彼女にはただ冬がある。
冬に愛されているだけ。
見慣れた雪景色は子宮のよう。
ならば私は養分か。
膨大な時間を糧に、何かが生まれ落ちる準備は整っていく。
それは何かの言い訳みたい。
諦めの果てとしか言いようがない。
しかし元からそういう風にできているので、城の窓へと夢を捨てましょう。
私は生まれた時から此処のお姫様。
ブドウの木がリンゴを生まないように。
種が限界を超えて、別の何かになることはないのだから。
)))))))))))))))))))))))))
――――人の一生は短い。
瞬きするような体感で成長は重なり合い、気づけば赤ん坊は幼児になった。
きっと人にとっては長いものなのだろう。
例え人間に仕えると誓っても、それだけはどうしようもないと思っていた。
そんな――とある日のことだ。
ご主人様が、屋敷から突如としていなくなった。
当時は魔王軍との戦争が活発化しており、まるで統率者が変わったようだと世間では噂になっていた。
とはいえ厄災たる魔王が代替わりなどするはずもない。
まあ、とにかく。
貴重な魔法を扱える鈴鹿様、英雄たりえる力を保有したクロウル様は留守だったのだ。
屋敷の部屋を探せば見つかると思っていた。
だがそんな楽観的な思考は冷汗が出るほどに逆転する。
いないのだ。どこにも、影も形もない。
しかし夜になれば屋敷近くの野原にて姿を現しやがったのである。
全身を泥だらけにした幼児が。
しかし、こちらが駆けるとまた何処かに消えてしまう。流石に幻覚だったかと顎に手を当てるも――――――――
「お前、僕様のこと嫌いだな~~?」
蜃気楼がごとく、背後から幼児の声が聞こえたのだ。
振り返ればふふ~と笑みを深めるのである。
…………こんなに、時間がしつこく流れていたのは久しぶりだった。おかげで怒りは有頂天である。
「ほら、これ知ってるだろ?」
だからきっと、その花が差し出さなければ”おしかり”をするところだった。
「お前、定期的に心拍が落ち着かなくてそわそわしてるからな。まだ屋敷を自分の家として認識できない感じか」
「…………」
本当に、不思議な人だと思った。
まるで自身が経験してきたように言葉を綴るのだ。とはいえ、数百年は無人の城でお姫様をやっていた私。
…………人の真偽など簡単に見分ける自信なんてない。
「だからほら、これだ」
でも、いつもどうり証拠なんて揃っている。
赤ん坊だった頃から仕えているのだ。
しかし頭にかかった氷塊のような話題を沈めても、いやでも本当に、なんて再び浮上させられてしまう。
それはいつも見る星空の下。
走り回って心臓が小鳥に突かれているような感じ。
本当に、戦慄したのを覚えている。
………………どれくらいかというと、あの夜よりもちょっぴり上くらい。
幼児が手に持っていたのは北国の花だった。
生きとし生きる者たちがヘビースモーカーみたいに、息が白くなる場所。
そんな北の地に年がら年中咲いている花だ。
「お前、本を読めばすぐこれだからな。別に遠征くらい願えばいいのに。僕様からも許可してやるぞ」
全身の汗がぜんぶ肌に戻っていくような感じ。
心配を超えて怒りが沸いたことなんて、逆光するように忘れていく。
ただ。
ぼんやりと空いた胸の穴が手に取るように浮き出てきた気がした。
それはホームシックというやつなのだろう。
あんなに城から抜け出したいと思っていたのに、今になって少し恋しくなっていたらしい。
――――それから瞬きするごとに年が重なることはなくなった。
二か月分が瞬きと一緒に終わっていく。
ご主人様はよく私に話しかけるようになった。
また不思議なことに、私の少年に対する心情が読み取られているのだ。
嫌な時は決まって深々と笑う。
よくわからない感情の時は、すこし眉を下げて笑う。
ご主人様との思い出はそれからも増えていった。
「イレイナよ、僕様に向かって永遠に無口とはいい度胸と思ったら、喋れないのね?」
「………………」
先ほどまで読んでいた本を机におけば、そんなことを聞いてきた。
とにかく無難に頷いた私だ。
すると、何かを思いついたように笑って立ち上がるご主人さま。
「そうだな。じゃあ待ってろ」
……………………エルフは人ではない。
どちらかといえば魔物。
ゆえに天は授かりモノを私に与えない。
そういう風にできている。
だから、仕方ない。
私はジェスチャーで自分と少年に指を刺して、ふりふりと手の平を振るった。
これもちゃんと伝わっているだろうか。
「イレイナと僕様は違うと? ん? ああ、そうか。天はエルフには誕生日プレゼントを上げないのか。ほー、そこもなのか」
伝わっているらしい。
いや、当たり前だ。
なら私は今、何を気にしているのか。
これから、この幼児が蔑みの瞳を向けてくるのが怖いのか。
が。
そんなことが浮かんでも、この少年は瞼なんぞを開けずに笑ったのだ。
「当たり前だ! 種族も違う! 容姿も違う!そして、僕様は神!! だから大いに待つといい! どーんとな! ふへははははははははははは!!」
「………………」
すると、その日の夜は本当にどーんと部屋が爆ぜたのだ。
色に溢れた紙吹雪が銀の瞳を彩る。
クラッカーを全員に配っていたらしいご主人様は、私が食堂に入ってきた瞬間にこういった。
「誕生日おめでとう、イレイナ!!」
遅れて「「おめでとう!!」」と屋敷の人達が笑顔で迎えてくれた。
まるで初めてこういった事をするような空気。
ただ少年だけが迷いなく動いていた。こういったことをするのを、夢見ていたように。
――――その時に渡されたのが”板”だった。
魔道具の一種で、所有者の意図に応じて手元に現れるらしい。まるで召喚獣との契約だ。
…………どの文献にもこのような術式は刻まれていない。
これを学園に所属した魔道具師が一目見れば、血相を抱えて何を捨てても強奪しようとするだろう。
「最近はずっと筆談の練習をしてたろ? ふふふ、僕様にはわかるぞ。天才だからな!! こいつは召喚の度に白紙になる! お前の喉の、第一の代わりだ!! いつか、僕様がその呪いも解いてやろう!」
気が付けば、白いまな板を隠すように体で覆っていた私である。
…………脳裏にいつしかの記憶が光り出す。
北国の街中で、両親に手を引かれる子供のはしゃいだ姿。親子とは、人間とは、ああいうものなのかと思わされた日。
もっとも、文化的にも悪と決めつけられた私だ。
一度となくそんな機会は巡ってこないと思っていた。
「阿保な天の代わりに僕様が毎年、お前にプレゼントやる!! 毎年毎年! 素晴らしく! お前の為になるものだ!!」
魔女の使徒につれられた私は、そんな光景を事あるごとに想起していた。
だって、そんなことしてくれる人はいない。
それに人間がエルフに誕生日プレゼントを上げるということは、本来、他の同種に盾突くようなことで。
「なぁんだその顔は……ふっ安心しろ! 敵は僕様がすべて薙ぎ払ってやる!! いやあ、さすが僕様!天才!そうは思わんか!?思うだろう! ふははははははははははは…………………あは?」
まてまてまてまて泣くなと、とご主人様は焦り出す。
…………この日から、屋敷では誕生日プレゼントをお互いに送りあうようになった。
ご主人様は、いつだって自分を曲げずにぶち貫いていく。
見えない鎖を壊して、新しく繋げていく。
だが、わからない。
なぜかぱくぱくと自然と口を動かしていた自分である。
ずっと、氷の城にいたのだ。
喉がないから話せなくて、それを相談したり思いやってくれる人もいなかった。
自分の感情が積りに積もっていくだけの一生だった。
「た、頼むから泣くな。そうだ! よしよししてやろう! 抱きしめてもやるぞ! ほら、ぎゅーだ。ぎゅーーーー。はは、よしーし……」
――――もしも太陽が人として生まれ変わったならば。
降り積もった雪が溶けるように涙が零れ落ちていた。
――――目の前の少年なのではないかと、思うほど。
息ができなくて、ぐしゃぐしゃに空いた口が塞がらない。
――――少年の体は心まで響くほど暖かった。
それから、まばたきは人と同じ尺度になっていく。
少年の成長は依然、相変わらずだ。
昨日までにできないことが、どんどん少なくなっていく。いや、これまで見落としていたのだろう。
一日。
六時間。
三時間。
一時間。
三十分。
一分。
一秒。
貴方と話すたびに、触れるたびに。
凍った私は貴方に溶かされていく。
たくさんの贈り物を貰いました。
日々の生活と。誕生日に。
でも、あっという間に夜になったりする。布団もふかふかになって、時計のアラームが鬱陶しいことも増えた。
毎晩、夜更かしをしていた貴方を起こしに行く私。
まだアリスが寝坊助だったころだ。
密かに夜の庭に出かけていた彼女。
日々の成長も最近になって感じ取れる。
それもご主人様のおかげで、実弟らしいライオットと話をすることも増えた。
ご主人様のことをどう思っているとか。
どんな女性がタイプなんだろうとか。
振り返った時の笑顔は電撃みたいな衝撃を放ってくる事とか。
お風呂入った後の濡れ方に目を引かれてしまうとか。
ライオットはライオットで、話についてきて、これからの夢とか、たまに雑学的なくだらない話をする。
だいぶ、仲は進展したと思う。
言いたいことを気にせず言い合えるのは良好だ。
それとも私を舐め腐っているのか、「姉貴って、大人しそうに見えて割とスケベっすね」なんてつい凍らせてしまうことも言ってくるが。
…………私をあの城に放置した母親がその類だったらしいのだ。
その女から生まれてきたコンプレックスはない。
本当にない。
でも一時は、両親からの血を継いでいるならと腰を下ろして考えていた。
”この世でもっとも濃い液体は血である”
そんな言葉を吐いた誰かさんは死んでしまったから。
もう聞き出すことはできない。
その人は、血に抗えたんだろうか。種という限界から抜け出せたんだろうか。
…………………私が怖いのはその一点だった。
いや、怖いのは、そこから伝播するように少年が消えていくことだ。
だって少年は”人の好きを恐れている”。
立派に成長していくご主人様は、私が触れるたびに離れていってしまう。
それが一時期続いて、というかずっとですねハイ。
最初は、30分ほど棒たちしてしまうくらいの衝撃だったと思う。
「あんまりべたべたするんじゃない!! イレイナお前、僕様のことをなんだと思っているんだ!!?」
それで、あまりにも寂しかったものだから何時か早朝に忍び込んだのです。
何処へと聞かれればご主人様の部屋だ。
何も考えずにそのまま布団にダーイブ…………と。
もう起こしてきたていを装って、良い匂いのする体に肉薄してしまったのでした。
ウサギは寂しさで死ぬという。
ならば私はウサギ以上にその性質を持っているといえる。
……………………殺してくれと、書かれた紙を思い出す。
僕様は悪霊だと告げてくれた声が過る。
ずっと出会った頃から、ご主人様は何かに後ろめたさがあったのだろうか。
まるで私に嫌われていた方がよかったみたいに。
その生き方しか、知らないみたいに。
…………それを確認しようとすると頭の血管が詰まる。何も聞こえなくなって、動くことすらぼんやりと消える。
でも。
いつしかある廊下で[ご主人様が言う”お母さん”って誰ですか?]今日の朝食はなんでしょうね、なんて調子で声を書いていた。
クロウル様とも、鈴鹿様ともこれからの話をやっとできた頃。
貴方の枕は湿っていて、目元が腫れていた。
何に対しての何なのか。
誰に対してのお願いなのか。
ただ、貴方の心は何かを掴もうとしている。既にないものを欲しがっている。
――――太陽はみんなを照らす存在だ。
世界を明るくして、幸せを気づかせてくれる。
でも、太陽が求める物は誰か叶えるのだろう。
これはたんなる例え話だ。
わかってる。
「…………お母さん? 母上のことならお前も知ってるだろ?」
[い、いえ。そうではなく。その]
しばしの沈黙。的外れなことを言った気はない。ただいつも貴方は、泣いていた。
本人は起きればいつもどうり、何事もなかったように顔を洗う。
太陽の生まれ変わりみたいな人。
魔法でも、神都の技術でも、触れていても、話していても、その奥までは踏み込めない。
だって貴方自身が忘れようとしている。
それも貴方は気づいてない。
どれだけ話しても、何の夢を見ていたのかとか、いつも枕を涙で濡らしていたとか言っても。
すぐに貴方ははぐらかす。
ずっと貴方は泣いている。
笑った陰で泣いている。
…………本当に、貴方が笑っているのはいつだろうと思う。
” に ならないで、いいから…………なんで たんだ”
私は。
ただ照らされていただけで、貴方の光になれていなかった。
”なんで。僕を閉じ込めたんだ…………”
朝起きた後は本人ですら知らないような感じ。
だけど成長するにつれて違和感も増えたのか。
ベッドから起きれば眉を潜めて、首を傾げればどこか上を剥いたり。体を伸ばして顔に触れたりしている。
”誰も、いなかったんだ…………ずっと、一人だったんだよ。抱きしめてほしかった。名前を呼んでほしかった”
流れる涙は、瞳の代わりに感情を代弁していた。
故に抱きしめるのだ。
肌触りのいい布団の中で、太陽みたいな体を抱きしめるのだ。それしかできないから。
…………ご主人様。
ご主人様。
貴方に会いたい。
会って、話がしたいです。
扉を開けていく手を掴んで。
夜が明けるまで語り尽くしたい。
貴方は何なのか。
何を、してほしいのか。
誰の幻想を見ていたのか。
私は。
貴方でさえ忘れた影を。
誰もが知らない貴方を。
照らす光になりたい。
――――凍り付いた肉体が空気に消える最中、魔物の影が消えた。
行き過ぎた意志が己が限界を超えていく。
手の平から打ち上げられた氷の天体は、ローブを着た女性の攻撃意識をコンマ数秒奪っていた。
…………だが、霧散していく冬から授けられた王冠。
すると魔物たちがつくる影が小さくなって、曇った空が晴れ模様になる。
天へと見えない力で運ばれていく化け物たち。
それに私の体を繋ぎとめ、再生を促していく黄昏色の天気雨。
――――神様を讃える歌を思い出した。
人の喉が楽器みたいに、どこまでも響き渡っていく。
奏でたそれは祈りのよう。重低音が大地を響かせ、視界は斑点に埋め尽くされていく。
その中で。
太陽を背にするガラスの羽根を見た気がした。




