第三十四話「ハニーマスタードみたいな足跡」
彼らの最期を見届けると同時、一息つくことなくライオットは倒れこんでいた。
顎にすら力は入らない。
でも地震が起きるほどの足音は視界まで響いている。巫女も同様だ。魔力を使い果たした後は、気絶するようにピクリとも動かない。
…………いや、いやいやいやいや立て俺!! なんで魔物がいる!? なんで死なない!?
なぜ姉貴の魔法が効いてないのか。
いやたしかに、数秒は展開されたゲートからの増援を無力化していたのだ。
まるで空間にそういう”意味”が固定された様だった。
姉貴がその場しのぎの魔法を使う訳がない。
だからこそ、彼女は残ったすべてを賭した筈である。なのに、なのに――――――――
ふと、目の前に誰かが立っていた。
ローブを被った女性。
こちらに視線を向けることはない。
ただ、首元に触れているだけだ。
身の毛がよだつほどの暗い瞳。
…………それが特に理由もなく、この現象の犯人なのだと感じ取った。なぜなら俺からの角度ではそこまで見えるハズはない。
この感覚を、俺は知っている。
だが血を流しすぎたのか耳鳴りはおさまらない。
それでも虐殺が始まっているのはわかる。
地面にひれ伏していても、爛爛と人間の血液が絨毯を作っているのだから。
))))))))))))))))))))))))))))
「おじさん!!!」
ラッパを手にした少年は力なく道を駆け抜ける。
散々、探した末に見つけた大きめの馬車。そこで頭から血を流した男を、少年は嫌というほど知っている。
………恐怖を際限なく灯す数日前の跡。
見えない傷は心を蝕み、しかして故に少年をここに連れてきたのである。
「お前、あの時のクソガキか…………なんの用だ!! 今は忙し、」
「一緒にきて!! お兄ちゃんがいたんだ!! 綺麗な女の人に抱えられてたけど、今は動けない!!」
「ッ…………なら違う大人のとこにいけえ!! まずなんで俺のところにくる!!」
すると、背後から勢いよく落下してきた魔物だ。
覚悟があろうとできることは限られている。
少年は目をぎゅっと瞑った後、受け身も取らずに飛び込んだ。目の前のおじさんが容赦なく大剣を振っていたからだ。
「ッ、おじさんは怖いけど、いま僕の知る中で一番強いんだ!! だから来てほしいんだ!!」
「黙れ!!消えろクソガキ!」
「ッ~~~~~~あ、あの時はごめんなさい!! 僕が悪かった! 泣いて、どこかを歩いていれば、誰かに助けて貰えるんじゃないかって甘えてたんだ!!」
勢いよく両断された魔物からは灰が噴き出していく。
だがぷるぷると震えていた大人の手。
かつて殴られた頬に手を当てながら見上げれば、眉をひそめて瞳をぐらぐらと揺らしていた男だ。
「僕がおじさんの人生を滅茶苦茶にしかけた!! でも、頼むよ…………おじさん!!」
「…………てめえでなんとかしろ!!」
「どれだけ頑張っても、僕じゃ、どうしようもないんだ…………。お父さんもお母さんも、僕だけじゃ守れなかった。僕は、弱い。弱いんだ!! きっと僕だけでいっても途方に暮れる!! だから!!」
「………………………ッ」
大剣を担いだ男は馬に跨り「全員、お前のせいで立ち上がっちまったんだ!」顎をくいっと動かして餓鬼の乗車を許可する。
………………王都の連中が丸々ここにいる訳じゃねえ。
それにビビッて頭に酸素回んねえんだ、人を轢き殺すことはないようにしねえと。
「お前は胸張ってりゃいいんだよ!!」
「わ、分かった!!」
「はやく乗れ!!」
「うん!!」
俺は息を目いっぱいすうと、思いっきり馬を鞭で叩く。
こうでもしないと馬は動かない。
おまけに死神から鎌を向けられている状況だ。前方いるのが何だろうと、馬は減速なんてしてくれないのだ。
(((((((((((((((((((((((((((
泥のゲートに放り込まれたアリスの瞳にそれが映る。
処刑場ともいえる地獄だった。
外周から迫ってくる穴は、恐らく外の世界に繋がっているのだろう。しかし、
「おお、おいいいい! ここは安全じゃねえのかよおおおおッッ!」
「せ、迫ってくる! お前がいけよ!」
「死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!!」
「だれか助けて!!!」
「邪魔なんだよ!! はやく退け!!」
「うちの子供、うちの子を知りませんか!!?」
刻々と迫ってくるその穴からは血液が噴水のように溢れていた。
…………考えるまでもない。
これは生存競争だ。
民衆が密室に閉じ込められれば、こうなることは目に見えていた。少なくとも、あの悪魔はこれを見越していたのか。
ろくに歩けないどころか、傷に漬け込むように人間の体が刺さる。
周りの阿鼻叫喚に紛れて叫びを上げそうになる。
痛みなんて、すぐに落ち着くのだと甘く考えていた。
だが逆に収まることなく、頭がグチャグチャになるほど燃え盛る痛み。
もう我慢するなと心が頭を鈍器で叩いてくるよう。
でも、それでも、出来ることをするのだ。
例えなんていらない。
思いついたことを片っ端につなげて、結果を編み出すしかない。
『転移魔法で飛んでもよかったんだけど、話たいことがあって…………貴方…………いつも頭の片隅で、何を考えてるのかしら?』
それは馬車でスターリー様と話していた時のことだ。
まるで悪魔にも負けないくらいの瞳だった。
気が付いたら後部座席で抑え込まれた私は、そのぎゅるりと曲がる瞳を覗いていた。
…………スターリー様か、瞳の中の自分を。
『――――ご主人様です』
『…………そう。貴方…………恋をしてる。でもそれはね、過剰なのよ。十分、狂ってる。普通の人はそんなすぐに答えられないわ』
『…………そうなんですか?』
『ええ、なんでこうなってるんだろうとか、なにかしたかなとか。まず考える余白が空くの。でもあなたの場合は違う』
急にごめんなさいね、と席に腰を下ろしたスターリー様。
…………この方の言っていることはよくわからない。だって、ただ譲れない者があるだけではないか。
ご主人様を常に思っているのは変ではない筈だ。
『方向をずらせなんて野暮言わない。私はもう思いっきりね、貴方の歪んだ恋を奏でてほしいの』
『…………それは、勿論です?』
『ええ。あと貴方にはこの三日間で色んな景色を見てほしい。私の転移魔法は便利でね、世界の色んな場所を飛べるの』
なんというかまさかの特別な訓練である。
今だ世界の壮大さをイメージできない私とは、もうお別れしなさいという告知。
…………………その理由は今になってわかった。
土壇場での大きな戸惑いは思考を鈍らせる。予想外とか、こんなの知らないとか。
それが膨張し続けて、自分を飲み込むような重たい枷となる。
『私から、貴方にちょっとした世界への戸惑いをプレゼントするわ。貴方や彼が、どんな場所でだって、挫けても立ち上がれる確率を上げるために』
…………なんでここでご主人様が名指しされるのか。
四大貴族の中で、音楽を司るスターリー・A・フェスタは”もしも”の話をしていたのか。
私に何かを期待していたのか。
わからない。
わかる必要もない。
頭の中にはずっとご主人様がいる。ずっと。ずっと。考えなかったことはない。
私はただ、彼の為にできることを――――――成す!!
人の波からアリスはそのバイオリンを召喚した。
大人に殴られようと、押しのかれて血が滲んでも。姿勢は絶対に崩さない。譲れない。
それは怒りではなく胸を焦がすほどの執着心。
『本番では、彼に聞こえるくらいに自分の気持ちを曝け出すの。天使みたいな姿に隠されたそれをね』
((((((((((((((((((((((((
…………その胎児はある意識を以って主と因果を結ぶ。
災禍の魔眼との意思疎通は済んだ。
我らが王に入れ込まれた魔女の因子、それを取り除くように自らの成分を流し込んでいく。
すると、魔眼を介して再生されていく過去の惨劇だ。
二度とこのような事があってはならないと、王に警告を繰り返しているのだ。
………………彼に深く関わる者だろうと、いつか必ず裏切る。
なぜなら現実がそう証拠づけた。
暗闇の底から救われた従者は王の闇へと踏み込まなかった。死んだ息子の名前を王に被せ、真実に蓋をしていた肉親もそうだ。
人間は卑しすぎる。
一度、光を浴びてしまえば闇を覗くようなことは避ける。
それすら、王は陰ながら許容するから。
人一人に合わせて、自らの傷を完全に悟らせないように笑顔を振り撒くのだ。
それに依存する人間はいた。
強制する人間だって、前世にもごまんといたのだ。
だから、このままでいい。
もう王は頑張ったのだ。
もう休んでいいのだ。
すると誰からにも甘言に惑わされないように、白髪の主へと追加でイメージを送り込む。
彼がいずれ想像し得る世界の終わり。
重力は反転し、空は一つに染まり。
月すら紅光による崩壊を奏で。
すべての音は消え失せる。
匂いも、感触も、何もない。
それに破壊の後に創造を為せばいいのだから。
王の為の世界へと進むワンステップは、滞りなく成功している。
しかし魔女の小細工が”発動条件”を戻していた。
…………忌々しいが問題はない。
処理までの刹那、瞼を開かない主は心象世界に囚われている。問題なく無気力に直立しているだけだ。
「起きやがれ、くそ!! おら、起きろってんだよ!!」
「ちょっ、顔は殴っちゃダメだよ!」
「ああ!? なら腹か!?」
「く、首絞めるとか?」
「いやそれは死ぬだろ…………」
しかし現実世界で男から殴られた反動、その揺れで王の手元に日記が落ちる。
だが王からすれば携帯していた物が落ちてきた程度。
多少の違和感も生まれることなく、気まぐれに日記のページを捲っていくのだ。
いずれ――――――――――――――――途中で挟でいた一枚の紙が、ひらひらと舞い落ちた。
………………それが何故、こんな状況を引き出したのか。
「あ」何かに気づくような王の呟きは、
世界を白紙のように果てしなく空っぽにしていった。
それは、数日前にシュレイドから渡された手紙。
…………死んだ意識が僅かに蘇ったのか。
水面のような白い地表から拾いあげると、それに目を通すのである。何気ない日常を振り返るように。
”悲しいほど優しい坊ちゃんへ”
”先んじて失礼します。この度の無礼をお許し頂けると幸いです”
”手始めに、貴方は嘘をつくのがうまい”
”それか本当に忘れているのでしょう”
”でも、一緒に暮らしていると判ることもある”
”まず貴方が疲れている時も活発的でいるのは、きっと屋敷にいる僕らの目線が気になるから”
”いつ見捨てられるのか貴方は恐怖している”
”自分の知らない内に見限られるより、自分のタイミングでそれを察して動きたいんだよね?”
”それは、君はこの屋敷に住む人たちを大切に想っているから”
”僕たちは貴方の心に潜むそれを知ることはできない”
”貴方は僕らの知らない昔に、ずっと怖い思いをしている”
”自分から吐き出す日はないのだろう”
”でも貴方は自分で自分を悪霊だと告げてくれた”
”貴方が悪霊たる理由も何も知らないことは多く、不気味に思うことも正直ある”
”けれども、それだけで見捨てる理由にはなりません”
”貴方が悪霊なら悪霊でいい。今に認識を改めても何一つ態度は変わりませんよ”
”それほどに。僕を含めて皆、貴方にゾッコンだ”
”だから、怖がらないで自由に生きて”
”貴方の光も闇も含めて、皆は貴方を家族みたいに大事に想って、一緒にご飯を食べて、笑顔に溢れた暮らしをしているんだよ”
”だから、大丈夫”
”みんな貴方が大好きだ”
”それはこの騒がしい生活が証明してくれる”
”僕を含めて、皆は貴方を呼ぶたびに心が温まっているんだよ”
”だから、助けを求めてください”
”いつでもいい”
”思い出した瞬間でもいい”
”絶対に貴方が何者だろうと見捨てません”
”そして、その時は本当の名前を教えてください”
”シュレイドより”
………………初めて、この手紙を読んだときは全く意味がわからなかった。
だって、僕にトラウマなんてないし。
怖いものだってないし。
けどそれは災害みたいな昔のことを、自分から忘れてしまっていたから。
多くの人を傷つけて、多くの人を助けてきた。
たくさんの感情を受け取った。
綺麗な花みたいに心地よいものがあれば、心臓を蝕む刃のようなものまである。
僕はそれからもずっと、逃げていたんだ。
この世界に生まれ落ちた瞬間からずっと。
でも。
今ならわかる。
ああ。
そうだ。
シュレイドからも、アリスからも、屋敷のみんなから言われた通りだ。
大人になれたらどれだけ良かっただろう。
僕は怖かった。
また、母さんみたいな人に捨てられるのが。
怖かったんだ。
どうしようもなく怖かったんだよ。
死への恐怖よりも。
ずっと、誰かにまた。
捨てられるのが。
怖かったんだ。
――――――――その瞬間、災禍の魔眼が目の前に現れる。
まるで、これまでの失敗と教訓を思い出せというように。
これまでの足跡が白紙の世界を彩っていくのだ。
それは前世と今世の両方とも。
死んでいた意識が再起したからか、超人的な五感は世界を脳に吹き込んでくる――――――――




