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第三十三話「フレイヤの鳩」



 その23秒が駆け出すと同時、スターリーはタクトを振るっていた。

 穏やかな雪降るこの場には高所など存在しない。

 

 自分に残された時間すら曖昧な状況で、スターリーは現状にて最適解を探る。

 その答えは大きく7秒。

 最悪への備えをそこに注ぎ込む為、息を呑む。

 すると身を削るような思いで、世界各地にて名を馳せた戦士達へと向き合うのだ。


 ……………………死を孕んだ空が、やけに激しく鼓動していた。


 石床一面には頭をかかえてうずくまる人たちばかり。

 男女関係なく、どんな誰だろうと例外はない。

 ゆえに喉が千切れる覚悟を以って、強化した声帯でこう叫んだ。まるで暴力と音楽の街に流した演奏に負けない音量で。


「アナタたち!!何やってるの!!!」


 …………なんで皆が伏せているのかなんてわかっている。

 上のアレは今にも落ちてきそうな感じだ。

 すると、どうなるかなんて考えるだけで身の毛がよだつ。

 

 力が抜けてくる。

 活力なんて死んでいく。

 歯を食いしばらないと顎は震えてしまう。

 

 でもね。


 それでも動物みたいに叫ばないといけないの!!


「立ち上がりなさいッッ!!! 

  貴方たち、なんの為に力をつけたの!!? 自分たちの希望はなに!? 嫌なほど苦しい思いをしたのは何の為!!?」

 

 視界の端では大輪のごとく咲き誇る台風の刃。

 それを打ち砕くように、次々と皮膚すら焼き焦がしそうな熱が生じるのだ。

 …………みんな。

 戦ってる。

 あの少年だって、やるべきことがあると自分から駆け出していったのだ。

 

「最悪、ここは魔物で埋めつくされる!! このままじゃみんな死んじゃうわよ!! 貴方たちの大事な人たちを死なせていいの!!? 怖いのはわかる!! なにも見たくないのもわかる!! でも、」


 すると、私の演奏を退けるほどに吹かれたラッパの音だ。

 しかし音量は私の方が大きい。

 それに洗練された演奏なのは尚更である。聴者が抱いた希望を想起させる魔法さえも併用しているのだ。

 私は。

 何度もどんな地方でも音楽で、人々を立ち上がらせてきた。


 それでも、より深く人の心に呼びかけるような音を少年は響かせていた。


 あまりにも弱弱しくて今にも消えそうな感じ。

 しかし酸素が体から尽きても、何度だって聞こえるようにラッパを吹くのだ。

 ――――――人々の瞳に光が宿っていく。

 自分たちよりも弱くて小さな存在が、勇気を出して生きているのだから!!

 

「立ち上がりなさい!! そして武器を持て!!! 理不尽に対して怒れ!! 守るべきものを守るために戦いなさい!!!!」


 その瞬間、この町の至る所に転移された鉄の箱だ。

 武器が持ち主を待つように箱から飛び出す。

 古今東西で収集していた業物達が、重たい土煙を出していた。すると――――――――――ふっと止んだ雪である。


 考える限り最も芳しくないパターンだ。


 この魔法を使った術者の身に何かあったのか、それとも、状況に合わせて変化する類の魔法なのか。

 どちらにせよ泥のゲートから魔物たちはやってくる。

 すると最も魔力が爆ぜる感触がする方向へ、私は駆け出すのだ。


 …………………イレイナはおそらく闘技場方面にいる。この魔法はそこを中心に、円形で展開されていた。

 でも魔法が止まったということはそういうことだ。

 彼女は主の為に死ぬという覚悟がある。それでも、こんな所で見捨てるほど落ちぶれるつもりもない。


「退けッッ!!!」

 

 私は鼻血が出るほどタクトを振るいながら、魔物の河を強引に直進していった。

 ここは王都ではないから単純な魔力不足。

 容量残ってないのに魔法をバンバン使うから、私の脳みそが徐々に傷ついていく。

 口は鉄の味やら匂いで一杯である。

 それに魔法を使うたびにナイフで頭蓋が削られるような感じ。


「「「ああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!!」」」

 

 だからどうしたと叫び出すと同時に、人々の叫びが聞こえた。

 強靭な肉体をもつ戦士達が魔物を狩っていく。

 また町中に響きわたるクラシックの演奏は止めない。これは、行き先を見失う世界での綱となるから。

 

((((((((((((((((((((((((((((((((((


 アリスは震えた足で魔女へと進んだ。


 すると受け身も取らずに倒れる。


 そんなことを何千回と繰り返している感じ。


 月の魔女は少年と二人だけの世界を所望している。

 厄災の毒気を全身で浴びたアリスが意識を保てていること自体、何かの偶然か、狂気的な執念ともいえるのか。

 …………ただ、イモムシみたいに進むことしかできないが。


「           」


 あまりにも遠くで、白髪の少年と向き合った魔女は怒っている。

 激しく口論するような勢いで何かを話している。

 瞳を歪めて何かを噛み締めた表情は、いずれ前方を睨みつけるアリスと交差した。


「…………やあ、アリスという少女。君もたいがい狂ってるが、まったく、君のご主人はどこまで行っても天才だよ。

  甘ちゃんだ。

  どこまで行っても自己犠牲を辞めない馬鹿なんだ」


 …………どんな反応をすればいいのかなんて考えない。

 ただ前に進むのだ。

 獰猛な獣みたいに女の子らしくなくてもいいから。ただ出せる力の全てを全身に費やしていった。

 だが、その魔女の行動に静止する瞳である。


「アリス。君が少年のことをどう思っているかは知ってるよ。でも私が思うにね、感情っていうのは言葉にするよりも行動で示すものさ」


 死んだように脱力した白髪の少年は魔女に抱きしめられる。

 すると、その隙だらけの首筋へと彼女は噛みつくのだ。まるで惚れた男性にマーキングをするように。

 熱く、深く、蕩けるまでそれは続いていた。


 …………頭が、どこまでも真っ白になる。


 それは数秒の出来事にも満たない。

 けれども見ているだけの私にとっては、数時間にも匹敵した長すぎる拷問。ただ、少年に嚙み跡を残した魔女が憎たらしい。


 ぶっ殺したいという迷いのない瞳は瞬きを許さない。


 だが、それは向こうも同じなのか。

 涙を流しながらひとしきり少年を味わった後、異形の怪物をどこからともなく呼び出す。

 図鑑で見たアナゴに類似している化け物だ。

 そして、…………………………私なんかお菓子みたいにさくっと齧られて終わってしまうだろう。


 だが当たり前の危機感すら遠のいて、ただ崩れたように見る。


 心臓の音など彼方。それでも死は迫ってくる。

 冷静じゃないとはこのことか。

 しかし怒りだけでは窮地など脱しようもなく、その白い津波は私の体を喰らい尽くすのだった。


「……………………」


 その前に、肉を滅茶滅茶に切り裂いた音がした。

 バケツをぶちまけたみたいな血液の模様。

 瞬く間もなく誰かが立っていた。

 まるで最後の力を出し尽くしたように、剣を持った白髪の少年は立っていた。

 ………………あまりの衝撃に思考が固まってしまう。


 息すら忘れた。


 どうすればいいのかは置き去りにして、ただ少年を全力で抱きしめる。

 どこにも行かないように、ぎゅっと抱きしめる。

 すると――――――――――――――――刹那で襲ってくる浮遊感をトリガーに、こんなことを口にした魔女だ。


「またね。これから最悪が君を襲う。心しておくことだ」それが焼き印となるように、闘技場にて凍り付いたイレイナを囲っていた鈍器。

 

 その光景を瞳にとどめた人影は満身創痍だ。

 

 しかし、両腕がなくとも”心臓穿ちの剣”は死ぬまで止まらない。

 泥のゲート内部で待ち構えた魔物の群れに五秒、そこから通行を邪魔してくる壁を殺し尽くすので二秒。

 全身から爆ぜるように加速するライオットである。


 まるで我を見失った獣のごとき血に汚れた姿。

 

 しかしイレイナは俯いただけだ。

 こちらに迫るライオットでは既に間に合わない。手遅れ。

 そんなことを思っていた訳ではない。

 彼の土壇場における爆発力は、自身の軽はずみな予想なんて超えていくから。


 両目をただ集中に沈ませるのは一種の信頼。


 …………指を刺すわけでもない。助けを求めて振り返ることもない。

 その不動の覚悟がライオットを動かした。

 姉へと一目散に進路を定めていたライオットが、逆方向の厄災たちへと跳ぶのだ。


 ))))))))))))))))))))))))


 まるで胸に矢じりを突き入れられた感じ。

 私はぐるぐると下敷きになったまま、着地先で転がって立ち上がる。

 …………一秒ごとに明けていく視界。

 いや、この一瞬が一秒なのかすら危うい。だがそれは認識しなくてもいい。とにかくとにかくご主人様を安全な場所に逃がさなくては。


「はあ、はあ。はあ、ッ。は。あ」


 辺りはまさに戦場だった。

 目を剥いた大人たちが、命がけで魔物の群れを様々な武器で殺していく。普段なら怯えてしまう獣みたいな叫び声。

 闘技場から離れたここから、私はご主人様を抱えて駆け抜ける。


「はあ。ぁ。あああ。はあ。ァ」


 ひどい視界だ。

 ちゃんと寝たハズなのに、頭に綿が詰まったみたい。わからない。ご主人様の為にもっとできることがある筈なのに。


 そんなことを導き出す時間もない。


 ただ。ただ。


 こんなことになるくらいなら、少年への想いを言葉にすればよかった。


 そんな後悔すら足場にして、地面を強く蹴るのだ。

 すると、大人数十人分の力で一気に突き飛ばされたように飛んだ視界。


 この世の終わりみたいな光景が視界に過る。

 

 背後から何かに力いっぱい薙ぎ払われたのか、再び地面を転がっていたのだ。

 しかし勢いは段違いである。

 腕は変な方向に曲がって、衝撃を受けた背骨は体内で燃えているようだ。痛みとはこんな幻覚を覚えるほどだったのか。


「あ゛あ゛あ゛、ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛…………!! は。あ。ああ。ギ、ぁ。は。あ。ゥ。ァ」


 痛い。

 痛い。

 痛い。

 痛い。 

 何をしてもこの痛みから脱せれない。だがどうしてもこれを収めたいと顔が歪む。足は意味もなく何度も床を擦り引いては押していく。


「………………殺したつもりだったけど。いいネックレスをお持ちのようだ。いや、すまない。英雄の光に、つい酔ってしまっていてね」


 音もなく現れた泥の悪魔は手を伸ばしてくる。

 周囲に助けてくれる人なんていない。

 痛くて痛くて仕方ないけど、大きく開けた瞳が揺らぐことはない。


 だって。私はまだ生きている。


 ご主人様はきっとこんなの足元にも及ばないほど、痛くて辛い思いをしてきたのだ。

 泣いている場合じゃない。

 息を荒げるのも違う。


 ならば言葉にならない叫び声を活力に、ご主人様の前に立つのだ。


 絶対に、渡すな。

 痛みがこれ以上に悪化しようとも進めと心が叫ぶ。


「ふふ」


 すると、身の毛がよだつほどに深い笑みを張った悪魔。

 長すぎる沈黙の末に目的変更があったのか。

 フェンスに背中をもたれた少年ではなく、私の体を鷲掴みにして何処かに歩いていく。 

 ……………………理由はわからないが、幸いだ。


 わずかに口を動かした少年は眠るように沈んでいく。


 それでいい。


 それでいいんです。ご主人様。


「私、私のことは気にしないでくださいッ!! あと、えと、私、私…………………」


 ――――――最期なんていつになるかわからない。

 聞こえているかもわからないのに口は動く。そうなら、さよならの挨拶だって素直に考えておけば――――――

 

「いえ、ずっと。ありがとうございました!!」


 一番伝えたいことはそれじゃなかったけど、自然と言葉に出てきたのはそんなセリフだった。 

 もっとも、痛みで泣き出すところである。

 震える下唇をかみしめ、彼がいつもするような元気な笑みを浮かべるのだ。


)))))))))))))))))))))))))))


 …………イレイナの魔法には”階梯”がある。

 

 瞬時に、氷の姫に暴力をふるう愚物どもが凍てつくされた。

 彼ら姉弟の最期は瞳を合わせることもない。

 ただ下を向いた氷結の瞳。

 それだけが思考の余地なく姉の決意であると、ライオットは理解していた。

 

 …………より強力な魔法ほど、代償も膨れ上がる。

 

 さきほど展開された雪は前座。

 本番はここから。

 犠牲者をなくし、降りかかる邪魔の手を一掃する為の決め手。またイレイナの魔法充填まで二秒。

 しかしその間でも一手を間違えれば死ぬだろう。


 先の予測なんてもうできない。


 それは敵だろうと自分だろうと。

 

 ………………だからこそ、覚悟が道を切り開く。


 巫女と茶髪の男の攻防は際限なく地形を変えていた。

 生命としてのレベルを超越したそれは破壊の渦だ。また両者共、頭の何処かで直観している。

 ――――自分たちに残された時間は3秒ほど。

 その間にて、過去最高記録を撃ち出した自己を超える必要がある。


 お互いに勝利を決定づける奥義はない。


 故にここで作る。

 

 すると巫女の背後、そこで鉄板を振るう少女に斬りかかったライオット。

 まるで、凶器が躍るよう。

 四人は全身全霊を以って武具を打ち振るうのだ。しかし交えた戦士は力量の天秤に合わせて再選する。


 ――――茶髪の男は現在における覚醒状態を明確には知らない。


 能力向上の詳細や理論的な情報もない。

 だが、未知へと踏み込む勇気はライオットが教えてくれた。その戦果すらも。

 …………意識をいまだ知らぬ奥地へと吸い込んでいく。

 

 まるで崖から先へと踏み込むような所業。

 

 迎える先は死のみ。


 生半可な覚悟では後ろ髪を引っ張られて奇跡は起きない。


 だがしかし、ここには誰一人として正気なものなどいない!!


 茶髪の男の瞳が滾る。

 すると―――――――――――――側頭部を蹴られたように地面に激突する自分。

 すかさず風の刃がギロチンとして首に当たる。


 だが巫女の瞳に映りこんだのは、炎に塗りつぶされた妖刀だ。あまりの熱量に手の平と柄までもが焼け爛れる。

 …………何かを先に、掴まれたような悪寒が背筋を凍らした。


 男は地面を抉り取るように回転すると、その勢いのまま剣を振るってきたのだ。

 特筆すべきは召喚された数十の剣の渦である。

 まるで消えるような速度で手元へと溶け込み、その分の剣が爆ぜるように男の体を撃ち出したのだ。

 

 そして…………全身の皮膚から骨髄まで氷結したイレイナ。

 犠牲を経て、詠唱は輝く。

 その間に死者は多数でているが、全滅していないのは奇跡の中の奇跡だ。

 まるで三つの世界が同時に混じったよう。

 ――――イレイナが天を仰いだと同時、巫女と男は距離を取った。


 すると、天照のように並んでいく幾百の炎の剣。

 

 先端だけで地盤を喰い荒らすほどの台風が、巫女の鞘へと収束していく。


 …………無論。それは振動する刃を素手で持つ所作。

 身体強化は右上腕と下半身に集中させた。

 だが風の柄を握り締めた後は、台風が収束していくほど抑え蓋(右手)は喰われていく。


 また地表から撃ち出された鉄の杭をかいくぐるライオット。


 冷汗を流して、茶髪の男へと跳躍するのだ。

 出ない言葉の代わりに心がやめろと警鐘を鳴らしている。

 ――――君じゃまだ勝てない。

 子供だった自分の頭を撫でるほどの柔い奴でも、その奥に潜んだ殺戮能力は果てしないのだ。


 奴はただ身体と技術を鍛え、敵を殺してきた。


 身体強化のその先へ。


 また更にと。


 一年。一年。ただ奴は自分を愚直に凌駕するために、その長い年月を費やしてきたのだ。

 なにか、逆転の一手がいる。

 

 辺り一面を輝かせた氷瀑の雪景色は、対象を魔物と建物に絞っている。

 

 ”一《亡者》対(厄災)だ!! こい!!”と茶髪の男は滾るように構えた。

 石欠などを弾丸のように周囲を吹き飛ばす嵐。

 それを天体のごとくドーム状にまとめ、そのできる限りを鞘へと更に収束。手の平を超えて、肘が激痛で割れていくよう。

 

 だが止めていい理由などない。


 人生が決まる感覚が巫女の後を崩す。


 これはあの少年に決定打を与えた一閃だ。

 負ける理由はない。

 少女は静かに構えたまま、たった一人の目標のみを世界に映していた。すると――――――――詠唱を起点として両者、踏み込む。

 

 第十一階梯・”灼”(セーマ アルディオス)

 

 臨海した雪景色は砕け、太陽とすら見間違える鉱光を空間に張り付ける。

 その中で、男の援護をするべく駆けていた金髪の少女だ。


 しかし突如として体から生えていた角。


 訳もわからない痛みが、一瞬爆ぜる。


 複数人から突き立てた剣で突進されたような。

 ………………少女の耳は聞こえない。

 故に背後に駆け付けた戦士の剣は、容易に死を決定づけていたのだ。


 予想だにしなかった状況に焦燥が沸き立つ。


 だが反射的に生み出した鉄の部位は、背後の戦士たちを串刺しにした。もっとも、それが為されるのは事が終わった後。

 ――――だが問題はない。

 なぜなら、抉るような熱の一閃は見事に厄災を破っていた。幾千の剣の同化による渦巻いた反動も完璧に制御する男。


 一撃が終われば、今度はすり足を軸にトドメが弾ける。


 巫女の青空めいた瞳が硬直していた。 

 どくん、と一度だけ心臓が躍る。

 これまでの全てを懸けた抜刀、それが圧倒的なまでに塗り替えされたのだ。また一度。逃れられない死がじっくりと迫る感じ。


「――――――」

 

 だが、肉薄した距離で放たれた必殺は軌道を変えた。

 ありえない乱入者に茶髪の男が口を開く。

 声なんてでない閃光めいた驚きと激痛が――――生き生きしすぎだァ!!暗殺者ァ!!――――心臓穿ちの剣を抉り塗っていた。


 またどくん、と左手の剣が跳ねる。

 

 触れれば即死。それを防いだ代償。だが召喚してみせる。指のない右手だろうが、このまま少女を殺して見せる。

 そうすれば―――――証明できるのだ。

 俺が世界の規律になる。

 二度と、あんな悲劇が生まれないように、俺は――――――――!!!





 この世は中途半端な奴から死んでいく。




 

 右手に召喚した剣を巫女に突き立てる直前、金髪の少女が瞳に映った。

 小さな体には数本もの鉄の剣が刺さっている。

 そのまま背中から倒れれば、痛々しく内臓が張り裂けてしまうだろう。そんなことを思うより早く――――――――少女の元に転移していた。


 体を繋ぎとめた熱威が、根こそぎ解かれた感覚。


 転移によって使い果たした魔力は、立ち上がる力すら許してくれなかった。

 神経の通らない体は少女を抱えるので目一杯。

 俺はゆっくりと口を開けたまま、誰かが倒れる音を聞いていた。


 ………………あー。なにやってんだか、俺は。

 膝がすとんと落ちる。

 少女が腕からこぼれないように無力でも込めた。でもこれはもう助からない。魔女様でも無理だろう。

 俺はそんなことを笑いながら思っていた。


「…………なんで?」


 震える声がした。

 泣きそうな声がしたんだ。

 これが最後なら、こいつにそんな感情のまま消えてほしくないと思う。


 だが不意に、帰る家も、居場所も、生まれては、消えていく光景を思い出す。

 そりゃ戦争孤児だったんだ、仕方ない。

 断絶していく意識だろうと消えないものは叫んでくる。

 

『ひれ伏せー!ものどもー!! 戦は終わりだーー! みんな帰れー! さもなくば、我が剣のさびとしてくれるー!!』


 ふと昔、兄貴とサラさんに夢を説いたことがある。

 ブンブンと木剣をかざして、戦争を終わらせる救世主を気取っていた。

 

『帰るべき家があるのならばそこに帰り、恋人がいるものは恋人のもとに帰れー!!』

 

 俺によくしてくれた傭兵たちに演じたことがある。

 人として成長した形跡が当然のように残る世界に、俺が変えてみせると。

 

 でも誰も、彼も、中途半端な奴から死んでいく。


 だから俺だけはそうならないようにした。


 いつしか俺の後ろには誰もいなくなっていた。

 

 そんでもって、たった一人で戦争を止めようとした傲慢さが死期を招いたのだ。

 血だらけになってなんとなく入った喫茶店。

 …………そこで、金髪の少女と出会った。カウンターに顎を載せて、雑誌片手にのんびりとしていたっけ。


『すまんな。お嬢さん、紅茶でもなんでもいいんで貰えるかい? お金は俺の懐からぜんぶとっていいから』

『…………………ッ』

『?』


 なんでか息を詰まらせて紙とペンを走らせる金髪の少女。

 …………まだ耳が聞こえないなんて知らなかったから、筆談を持ちかけてくる少女と話すのに苦労した。

 理由は簡単。

 あの時、俺の対戦相手は死に際の意識だったのだ。


 結局、出された紅茶に対しての感想は言えなかった。


 俺が会話に割いた時間が多かったせいだ。


 けれども収穫はあった。

 少女が筆談するのは”あやふやな口調”を卑下する客がいるとか、なんとか。

 そんなこといいと俺が一蹴してからは、目を見て話してくれた。

 

 まあ、メニューを頼んだ時は沈黙が長すぎて意識が遠のきかけたな。

 頭の中で俺が綴った言葉を整理していたらしい。

 事実、少女の一挙手一投足より時計の針の方が早く動いていた。

 

『……………………………………こうちゃでイいの?』


『お願い。あと、お嬢さん。それとね、』


『………………なに?』


『大人は嘘つきなんだ。だから、お前は悪くない。みんな悪戯してるだけなんだよ。仕方ないことはある。自分の声が聞こえないなら、喋るのも難しいもん。

  でもお前はちゃんと目を見て話してくれた。俺はそれだけで、すげー嬉しいんだ』


 ゆっくりと、子供を寝かしつける女性のようにそう言った。

 でも、やっぱり咀嚼には時間がかかるらしい。

 少女的にはそれがネックだ。そうならこうすればいいとつい、言ってしまった俺である。


『人の口を見て、何を言ってるかわかるようにすればいいんだ。俺がその訓練、手伝ってやるよ』


 …………強くあらねばならぬと誓ったのはいつだったか。

 なぜそう思ったのか。

 それすら、あの時の俺は忘れていた。ただ周りの人に死んでほしくなかった。不幸になって欲しくなかった。


 でも、あそこで振り返ることができたのだと思う。

 

 …………あと少女は紅茶の作り方すら知らなかった。


 でも作り方を全力で調べて、瞬きもせず全力で作ってくれたのだ。

 いつかの大切な人みたい。

 そんな暖かいものを、誰かから受け取るのは久しぶりだった。


「どうぞ」

「ああ」


 俺はカウンターに置かれた紅茶を飲むと、体全体から力をぬいて息を吐いた。

 つい笑みがあふれて、意識を手放してしまう。

 そこで男は死んでいた。

 ――――――――――――そこで終わるはずだった、のだ。


 少女曰く、死人が蘇る代償は三つ。


 一つは名前。

 過去、未来、現在において名前を呼ばれた痕跡すら意味を為さない。

 それに連なり、天からは見放されることになる。


 もう一つは肉体的な成長は著しく低下すること。


 残りの一つは、生前、幸せを与えてくれたものに関連する五感のうちどれかを亡くすこと。

 ――――――――少女は、耳が聞こえなかった。


 …………これが最後の言葉になる。


 昔からずっと言いたかった救世主の台詞は引っ込んでいた。


 左手の手袋を口で外すと、涙をこぼした金髪の少女の目元を拭う。


 兄貴、サラさん。


 この名前を、教えてください。


 何かが違うんだろうか。

 家族愛なんだろうか。

 石ころみたいなものなんだろうか。

 

 どこもかしこもバチバチ燃えるように痛くて、心臓は冷たくなっていく。


 …………いや、それこそ簡単だ。


 この少女が傷つくのを見ていられなかった。


 何年、何十年、百年の生涯を懸けた戦いより体が動いていた。


 …………ああ、なんだ。


 俺の方が誰よりも、最後の最後まで中途半端な野郎だったな。


「……………お前の紅茶、美味かった」


 さんざん悩んで、かすれた言葉がそれだった。

 …………聞こえてないだろうに。

 なのに、指先は少女の涙を拭ったり鼻水をとったり、きっと笑えていて、意識は欠片ほどもなく崩れていく。


「…………」


 金髪の少女は、その枯れ葉のような手を両手で包む。


 なんでが生まれて、溶けていく。


 ちゃんと聞こえているのだ。


 聞こえているよ。貴方が、私に言葉をくれたんだよ。


 私をちゃんと見てくれた。


 嘘が嫌いなのに、あの喫茶店で嘘をついてくれた貴方が。

 

 私は、ずっと――――――――

 

 …………栓が一度取れれば心に閉じ込めていた感情なんて、留めなく溢れてくる。

 それでもこの人とはもう会えないのだ。

 死とはそういうものである。それだけは、よく、よく、わかっている。


 最後に掠れた声でその言葉を口にする。


 ”私に暖かみをくれて、ありがとう”


 こちらを押し潰す人と魔物の波で、それは搔き消されてしまった。

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