第二十七話「ライオットランウェイ!!」
残った片腕がどさりと音をたてて床に落ちる。
粗々と吹き出していく血の飛沫。
ライオットは憤怒に呑まれたまま遅れて感じ取った。
幻肢痛というやつか、それとも、今まで両腕がずっと繋がっていた故の違和感か。
ここで這いずり回ってしまいたいほどに、痛みはひどく体を侵食している。
それを長い沈黙で制しているのは流石といえよう。
「ライオットよぉ、お前もう気づいてんだろ? ありゃバケモンだ。さっさと魔法の瓶に詰めたり、跡形もなく消滅させなきゃ世界が終わる」
この魔法が蔓延る世界にて人間は比較的に生命力が高い。
身体強化で出血を止めることができる。
回復薬を常備していれば傷は癒える。
戦争において人間の戦死者は、夏目宗介がいた世界よりも遙かに少ない。
だが、戦争関連の死者の総数的には同列なのだ。
それはどういうことか。
理由は至ってシンプル。
…………………………………痛み。死に対抗するほど、心身を蝕む人間の性。
それに立ち向かえた者は一握りだ。
擬似的な死を受け入れられず自ら喉を貫いた者もいれば、痛みを打ち消す魔物に誘惑されて行方不明となった者もいる。
無論、戦士たちがそういう事実を耳にしない訳ではない。
だが。
知っていても避けることなどできないものだ、痛みとは。
それを他者に与えてきたことをライオットは理解している。
…………静寂が何かを噛む音で破られた。
痛みに悶え苦しむライオットは“心臓破りの剣”を口に咥えるのだ。
振り返るも地面に転がりなどしない。
これ以上の痛みが走っても構わない。
ただ、敵を喰らうように確実に殺すことだけに専心する。
…………痛みが多くの死者を生み出してきたならば。
その痛みすら殺していく憤怒とは、どれほどのものなのだろう。
(((((((((((
「ライオット。お前、自分のこと好きか?」
「え?」
体操座りとやらをするご主人様はそんなことをいった。
目の前にはとある狩人の墓石。
“自分は山で生き、山で死ぬ“から放っておけと毎年何を言っても首を曲げない人だった。
四年ほどのたまにある付き合いだった気がする。
一緒にご飯も食べたり酒を飲んだりもしたけど、今年になって魔物に喰われて死んでいたらしいのだ。
遺体は魚の骨と皮が残されたみたいな感じ。
そこで、ご主人様は彼の墓石を立てていた。
無惨な遺体は見慣れたもの。
人は山で死ねばこうなるのだと俺の予想はついていた。それはいい。彼もが決めたことだ。
ただ、ご主人様は俺に遺体を運ぶことを命令しなかった。
自分で運んで山を登って、狩人の家に墓石立てて、しばらく座り込んだ時。
剣を抜いて魔物を警戒していた俺にそんなことを言ったのだ。
”自分が好きか”なんて今まで、誰からも聞かれたことなんてなかった気がする。
「…………そりゃ、好きなんじゃないっすか? 腹減ったら飯を食っちまうし。痛いのは嫌っすから」
どれだけ自分が嫌いでも、進んで死のうとは思えない。
ご主人様が八歳になった今でも変わらない。
ただ俺は多くの人々をこの手で殺めた。
本を読むにつれて自分のしてきたことに辟易してくる。
誰かの恋人。
誰かの親。
誰かの子供。
きっと魔女の使徒にとって障害となる人物を片っ端から始末していたのだろう。
『ライオット!! 助けてよぉ!!ライオット!!!』
いつも、涎を撒き散らすほど痛みを拒絶していた友達が意識から離れない。
聞いたこともない喉を裂く悲鳴は、手のひらを震えさせてくる。
あのとき鎖で縛られていた俺の手。
向けられた両親の不気味な笑み。
そして…………いつまでも俺に助けを求めて、最後まで裏切られた友達の獣じみた顔。
俺が友達を殺した訳じゃない。
でもこんな自分はもう好きになれない。あれは、俺が結果的に殺したものだ。
死ぬように生きていく毎日、というのだろうか。
それなのに自分から死にたくはない。
いつまでたってもそのジレンマが何より苦しかった。
「当たり前だ。人間だからな。生きてる限り、それはしょうがない。
だからお前は、いい加減自分を見てみろ」
座ったままの黒髪の少年は顔をこちらに向けることなく、そういったのだ。
どんな返事をしたのかは覚えていない。それかきっと適当なことを返したのだろう。
ただ決して笑う気のないご主人様は、この時だけだった気がする。
それからというものだ。
俺の誕生日には“破いたら口を聞かん“と書いた封筒を渡してくれた。
中には何かの紙が一枚入っているのだ。
なぜだか、その日のバースデーケーキの味は曖昧だった気がする。
何を願って蝋燭を消したかとか、誰と何を話していたとか。何を最初に食べたとかも。
思い出せるのはご主人様との会話と初めてみた表情だけだ。
「それを毎年やる。でも書くのは十数個だけだ。あとは自分で探せ」
すると舌をべーっとだして、閉じた瞼先が俺に向けられることはなかった。
あと視界の端に映ったアリスちゃんが「照れてる?」なんて意外そうに口を開けていた気がする。
ただ封筒が下手に潰れないように、じっと片手で持っていたのは覚えている。
夜になって開いた時には指が紙にひっついていて、破れないようにと冷や汗をかいていた。
それは雨がよく降っていた夜。
蝋燭に照らされた封筒を開く。
それは自分でも気づかなかった日常のふとしたことを、十八個と書かれた紙だった。
“ライオットのすごいところ”。
筆跡から丁寧だとわかるような綺麗な文字。肌触りのいい紙が頭を机に下ろさせる。
それから、力が抜けたように両手で頭をがしがしと掻き回すと体は麻痺してくる。
泣いてなどいない。
でも痛みすら我慢できていた体が、勝手に動き出したのは久しぶりだったと思う。
それから四年ほど経てば、嫌いな自分を勝手に思い出すことは少なくなっていた。
ご主人様は毎年、毎年と手紙をくれたのだ。というかたまに半年に一枚くれることもある。
他人のことをよく見ている少年は本当になんなんだと思った。
凄いという言葉で片付けたくはない。
誰しもがしようとしてすることではないし、忙しい自分よりも他人を優先するのだ。
ただ、同時に頬がこそばゆくもなる。
気づけば机の中は“ライオットのすごいところ”集でいっぱいだ。
毎晩それを読み返せばまた机に項垂れてしまう。
…………そう。
気づけば雨なんてただの雨。
蝋燭の火は、交換まであとどれくらいか悩むくらいになった。
悪夢を打ち消すために飲んでいた酒は趣味として嗜む。
ただ、瞼の裏に染みついた映像もたまに思い出している。
それでも心が下を向くことはなくなった。
死ぬように生きていく日々はいつの間にか、忘れ去られていた。
重かった心身はなんだか軽い。
悪夢をみることはなくなって、ご主人様と木漏れ日の下で昼寝することが増えた。
開かれた瞳が静かに佇むほどの心地よさである。
それを当たり前として変えてくれたのだ。隣で鼻ちょうちんを作った少年は。
…………まじで悪夢なんてみなくなったし、無闇に自分を蔑むことはなくなった。
心の中で“信じられない“と言葉にはしなかったけど、そのことの重大さは胸に抱いている。
すると呑気な鳥の囀りや暖かな日差しで瞼が重くなってきた。
…………なんか、いいなと思う。
また寝てはならぬと抵抗しながらも鼻で息をして昼寝を再開してしまうのだ。
これからもこんな日々が続けばいいと思いながら。
今にして思えば。
“お前はこうならないようになれ“とまるで自分よりも多くのものを見たように。
“自分はもう戻れないから“と。
何かを隠すように、少年はあんなことを言ってくれたのかもしれない。
でも、初めて手紙をくれた当日。
その翌朝にあったご主人様はマジのマジで不機嫌そうだった。満を辞して理由を問うと。
「別になんでもない! 乳歯が痛いの? とか、母上とアリスにも言われたがな!! 違うからな!」
「あ。ぬ、抜くっすか?」
「ふざけんな!! い、いや、僕様は天才だぞ!! 乳歯程度に恐すなんて、ありえなーい。超ありえなーい」
そんなことを言っても結局、歯が取れると人一倍にご飯を平らげていたご主人様。
歯が取れば、食事中でもぴょんぴょんと部屋の隅で飛び跳ねていたものだ。
たまに俺の仕える人は、こんな人なんだぞってつい自慢したくなる。
剣ではあっという間に俺を負かして、困っている子供がいれば何かと助けてあげる優しい人。
………………だからこそ。
「ライオット」
だから、こそ。
「大丈夫か?」
いつの日か路地裏にて死体に囲まれていたご主人様。
ぽたぽたと血が水溜まりをつくっている。
あまりの凄惨な遺体に、初めて胃が逆流しそうになった。
いつか言っていたことを思い出す。
魔物でも命あるものを斬るのは抵抗感がすこしある。
だから肉を切ってくれる人には感謝してる。
父上のことも、お前のことも、尊敬してる。
人をなんて考えることも嫌だ。
切った感触。
血の匂い。
悲鳴。
それは、たとえ、自分を殺しにかかってきていた暗殺者でも。なんでも。ご主人様は誰かを殺すことは絶対にしなかった。
それでも、しなくちゃいけない時はくると知っていたのだ。
かといって一歩踏み出せないほどそれは。
怖かったんだろう。
「ライオット」
スイッチがあったんだと思う。
慣れもあったんだと思う。
いつか。
買い物ではぐれたご主人様は、ペンキをぶちまけたような路地裏の陰にいた。
そばには見慣れない服装をした大人たちが倒れている。
別れた半身が枝のような線で結ばれた者。
水球の中でボールみたいに圧縮された者。頭部が砕けるまで殴りつけられた者。
ご主人様の手は、べったりと汚れていた。
一つだけわかるのはご主人様が生き物を死に送ることに、恐怖を覚えなくなったこと。
震えなんてない。
それが本当に嘔吐しかけたほどの衝撃だった。
なぜ、ひとが死を怖がるのかをむかし両親に教えてもらった気がする。
死とは未知だ。
死が何を意味するのかなんて、曖昧なことしか誰も知らない。
価値なんてなおさらだ。
戦場では人を殺した分だけ褒められる。でも平和な場所で人を殺せば罰則をくらう。
ただ、わかるのは人は死にたくないという思いで生きている。
死ぬことはなによりも恐ろしいのだと。
でも、なぜだかご主人様は死の実態を理解しているような気がした。
人を殺せば、少年が辿るのは発狂だろう。
手は震える。
笑みなんてだす気力もなくなる。立つことも難しくなって、息も絶え絶えになってくる。
だがご主人様はああと息を吐いて、すぐさまに視界を揺らしていた俺に気づいた。
「疲れたのか、まったく。まぁ…………腹が減ってきたしな。途中で昼飯にしてやろう。ああ、いや。吐きそうなのか? もう帰るか?」
秋山で死体を抱いた日。
ベットで一睡もできなかった少年がそう言ったのだ。
まるで、やっぱりこんなもんだったよなと思い出すような顔で。
……………感覚的なものなのかわからない。
だがいずれは、こうなっていたのも時間の問題だったのかもしれないとも思う。
けれど、そのスイッチは俺が押させたのだ。
あそこで俺が守れていれば、平穏な世界観をまだ少年は保てていたかもしれない。
ご主人様を守ると誓いながらも、守りきれなかった。
いつだって、怒り、恨みを向けるのは自分自身。
全てを賭しても護衛は遂行する。
例え両腕が千切れようとも残った口で剣を咥えればいい。
体が速度に吸い込まれていくような感じ。
かつてない未体験の初速は、繰り出された赤い剣の主を震えさせる。
「いいないいな、どした!!?やべぇなぁおいどうしたんだよ!! 速ぇなやるか!? いいぜ……後先考えんのは無しだ!!」
「……ぅぅぅあああ!!」
「くくく、ははははこうなりゃぁぁぁ殺し合おうぜぇぇぇぇぇぇぇぇライオットーーー!!」
興奮で笑みをはっちゃけた茶髪の男は、それすらを超える勢いで加速していくのだ。
両者がすれ違うことはあっても、退くことなんてありえない。
フェイントをかける隙も与えない。
いずれ、剣と剣が火花を打ち合わない刹那などなくなってくる。
ライオットの一挙手ごとに剣戟の速度は越していく。
しかし激痛の渦に擦り切れていく心身。
まるで獣がごとき斬撃はさらに精度を高めて体のブレを躾けていった。
今ある理解の外へ踏み出せ。
もっと体を扱い尽くせ、もっと遠くへと至れ。
やがて屋敷の下に爆弾があったのではと思うほど、燃え盛った剣戟が散らしていく。
壁を、家具を、柱を。
またイレイナの背後から吹き抜けたその瓦礫が、無差別に戦場を掻き乱していた。




