第二十話「目覚めよ、泥忍コピードール!」
『初めまして坊ちゃん。実は俺、泥から生まれてきたんです』
朝焼けの光に照らされた影は形を失う。
初めて聞いた少年の声は、震えた腹底がよじれたようなかんじ。
思ったよりも良いイメージを持たれたことに最初はビックリしたっけ。
『…………は? は!? ふ、ふははははははは!!! 変態だ!!意味不明者だ!!』
『すみません。ただ貴方のおかげで今の俺があるから。これは言っておこうと思いまして』
もしも泥が明確な意思を持っていて。
『そうか。わけわからんが、なら僕様の背中を見届け、メチャクチャにありがたむとよい!!』
人間に羨望を抱いたとして。
『坊ちゃんは、変な言葉を使いますね』
『天才だからな!! それで! お前はなんだ!!』
その果てに。
真っ当な生命の形となり得るのだろうか。
『今日から衛兵を務めてさせて頂きます。僕はシュレイドといいます。坊ちゃんの名前は?』
((((((((((
生まれながらに、人は親から名前を与えられる。
そして、生きていく。
当たり前のことだが、ならばなぜ他人と自分には決定的なまでの差が生まれるのだろうか。
例えば自分は決まって二つのことしか考えることができない。
一つはシュレイドとして生きてきた模範に従った回路。
もう一つは、戦争で培った血生臭い回路。
これは鍛え直せない絶対的な性質であり、誰かれ構わずシュレイドは全身を鎧で包まないと怖くてやってけないのである。
しかし恐怖なんてのは結局、見ないふりをすることしかできない。
「…………」
ふと話を振り返って、なぜ他人と自己は異なるのかを考えてしまっていた。
多分、それは生まれながらの環境に左右されるのだ。
とはいえ環境といっても一括りにはできない。
親から紡いだ遺伝子。
空の容器に刻まれた教育。
自分は何として生まれてきたのか。
何が悪で何を善とするか。
生まれながら、はたまた、成長する過程にて定めた法則から人は幾千もの道筋を辿っていくものだ。
例え、強制された道だとしても同義である。
だが生きることは他者に干渉されること。
故にその敷かれたレールから外れることも多々ある。
今更、なんでこんなことを考えるんだと思った。
きっと理由はこの先にある。
もし人が運命というものを信じるのならば、その積み上げられた足跡さえ意味はないのか。
お前はそうであれ、と縛りつける見えない鎖があったのだろうか。
では、目の前の光景も壊れた運命というやつなのだろうか。
…………あの夜から、この世界の全てが変わった。
死に対して敏感になる第六感を模した魔法を発動したのが三時間前。
…………魔女に関するもの、いや、厄災に関するものは言葉にしないだけで“それ“を知っている。
全方位に果てのない暗闇が満ちているからだろう。
進んでいるのか、落ちているのか。
次第にわからなくなってくる。
ただスターリー様の屋敷の階段下で、底なしに沈んでいく泥のゲートを発見したのだ。
…………僕は坊ちゃんに、定められた宿命から救われた。
だが再三と。
久しぶりに尖った目をした旦那様から、数秒真っ直ぐ刺された言葉を思い出す。
『使用人の皆は■■■■の為に頑張りすぎるところがあるから、何かあればまず僕を呼ぶこと。特にシュレイド、君の場合はね…………これは命令だ』
わかっていた。
その先がなんであるかなんて。
重たい胸に落ちるような懐かしい道が、かつて放り捨てられた肉塊だった頃の記憶を呼び起こすのだから。
同時に、あそこで引くわけにもいかなかったのだ。
閉じかけていたあれはゲートに近い。
閉じれば終わりの片道切符。現場の証拠から照らし合わせ、黒騎士単体にはゲートを作り出す力がない事は判明済み。
…………それと現場に残されたほのかに懐かしい魔力の痕跡を思い出す。
皆、当然ながら、この魔法を習得した者は別にいるのだろうと推測があった。
…………すみません、旦那様と心の中で謝罪する。
正直、ここで尻尾すら逃しておくには危険すぎるのだ。
転移系の魔法は極めて稀少だからこそ、不意の暗殺に使われれば対処は困難だ。
なにより向こうの狙いは高確率で坊ちゃんである。
十二年前の夜に襲撃を仕掛け、尚、幾度も刺客を送り込んできては失敗の連続であった。
その理由は多くある。
確かに屋敷のみんなは例外なく粒揃いだ。
それでも。
その絶対的な所以とは。
坊ちゃんに勝てる者はいない、という事実。
どんな魔法を授かった暗殺者だろうと接敵する前に死体となっている。
もう現実的な突破は不可能だ。
それに罠を貼られようが人質を取られても、坊ちゃんは被害ゼロで返り討ちにする。
まるで片手間のように。
他者と坊ちゃんには絶対的な窪みがある。
それは力においても、精神性においても、だからこそ一番の懸念は……………………。
いや、やめよう。
僕はここで何かしらの打撃を与えて、泥のゲートを授かった術者を封じ込めるか、また用途を絞らせるかすればいい。
特に、あの黒騎士だ。
あれの作り方や触媒となる道具があれば破壊するに限る。
僕は体から漏れ出る音を最小限に止めるために、目をぎゅっとつむり歯を食いしばってから鎧を脱いだ。
真っ当な泥の中らしく酸欠に近い状態。
靴と靴下まで、コケの感触がする端の床に放置していく。
灯りが視界を照らすわけでもないが、もしここの化け物と遭遇すれば一瞬で終わりなのである。
「は…………あ。は、ぁ」
普段着用していた鎧がないせいか、首元に剣を向けられたようだ。
全身に巡り上がった魔力を指先に集中すると、手持ちのナイフで血液と共になるべく体外に滴らせる僕。
…………結構痛いな。ああでも、それより早くここから抜け出したいと震える脚。これを抑えるのが一番しんどいぞ。
僕のような人並み以下の魔力ならば、こんな動作でも限りなく無機物として扱われる。
坊ちゃんを除けば、どんな魔法使いからでも遠隔で察知されることはない。
また第六感の魔法はこの先必要はない。
なぜなら、死を感じる時点で終わったも同然である。
索敵に引っかからない為の下処理を終えた後、額に手を当てて戦場でのルールを思い出す。
決して人を殺してもためらわないこと、敵を殺しても自分は殺す側になれたのだと安堵しないこと。
そうなれば乱戦に紛れて首が跳んでいくのだと、お前は生き残ってきただろう。
「……」
一歩、また一歩と振り返らずに進んでいく。
全身の産毛が逆立った。
視界すら揺らしかねないほど高鳴った心臓が喉元まで上り詰める感じ。
鼻筋の中が重たくズキズキと痛くなって、もう本当に引き返せない場所なんだと実感する。
だが、それすら掻き消された。
光のない通路を抜けた先にそれは現れた。
ここ術者は夜天さえ巧妙に作り上げるのか、広々とした平野に樹立した血の柱。
それが視界に入った中でも50を超える。
まるで人の手が行き届けるように隙間を開けて、視界の彼方まで配置されていたのだ。
とにかく一点に目を奪われないように歩き出す。
祈りを彷彿とさせる暖かな光が、全身の輪郭を露わにしてくる。
龍の骸に抱きしめられた血柱が脳震盪を引き起こす。
いや、あまりの壮絶さに見間違えた。
抱きしめられているのではない。
ぽこぽこと酸素を供給された血袋の中に閉じ込められており、台座に埋め込められた何かが治癒の魔法を行っているのだ。
……何を。しているのだろう。
それを考える前に聞こえてきた、自分以外の布擦れ音。
焦って下手に位置を悟らせることなく、聞こえてきた位置から相手の視覚許容範囲を想定。
…………月だけが辺りを照らした星のない夜は、やけに現実感を奪ってくる。
「…………」
息を止めると筋肉で心拍を無理矢理に押さえ込んだ。
覚悟を注いで手のひらにナイフを固定。
三秒経てば、自分がどこにいるのか忘れそうになる。
まるで鏡合わせの路上だ。
一応、ここは先ほど通っていた通路から抜け出た広場なのだが、別に移動なんてした気にならない。
…………。
半径二メートル内。
かすかに足音が聞こえる。
一人だ。
月まで続いてそうな血の柱に触れているのか、殻から落ちた卵の中身みたいに揺れているソレ。
まだ僕が死んでないということは気づかれてない。
歩く力さえなくなるほど生物特有のエネルギーがなくなった後、ようやく聞こえてきた相手の息を吐く音。
それを合図として飛び出した。
気づかれることはない。
こちらも力はない。
故に、倒れるように柱の影から身を乗り出すと………………そのまま。
「 あ」
女性らしい声ごと背から心臓を穿ち抜いた。
ぴたとも動かない女性の手。
一秒間で体に残った全ての活力を燃やし尽くす。
相手が振り返るまでにナイフに体重をフルで乗せるのだ。
豪華なローブから皮膚へ、皮膚から内臓へとナイフが貫いた感触が手に残る。
柔らかな心臓から胴体を流れるように袈裟斬りにした。
びしゃりと、地面に倒れる音が二つ。
次に来る吐き気に備えて指を噛めば、呼吸の乱れは立ち上がっても起きなかった。
「…………」
赤いペンキを被ったような上着を脱ぐ。
廃れた水道の如く散らばった血液の匂いだけがその場を支配する。
………………増援はいないだろうな。
そんなことを考える中で、ふと後ろから両肩を掴まれた気がした。
「ビックリした〜、やるね君」
瞬時にナイフを薙る。
無駄は捨てろ。
かつてない速度で女性の両手を切り飛ばし、血が全身を浴びようと追撃は止めない。
詠唱に必要な舌。
頸動脈。
心臓。
それらを切り刻み、向けられた攻撃のターンを発動させず死へと相手を落とし込んだ。
が。
どこからか掴まれる殺しに徹した手首。
切り飛ばした筈の女性の指先が、いともたやすくナイフを握った力を解いていた。
…………何が。
鼓膜ではなく心に、かつての暖かな声が響く。
『衛兵だからって怠けるのは許さんぞ。ちゃんと僕様の雄姿を近くで見届けるんだ』
故にここで死ぬわけにはいかないと。
…………何が。起きているのか。
全細胞が騒ぎ出す。
とにかく一歩も引かず殴殺しろと全走した途端、体はぴたと動かなくなっていた。
「たまには、魔女らしいことを言おうかな…………」
するとローブから流れ落ちる紫色の長髪だ。
その女性は虚空から大剣を持ち出して、俺の手に握らせてくる。まるで殺したければ殺せるよと囁くように。
ふと何かが軋む音がした。
時間でも巻き戻されたのか、ナイフで滅茶苦茶に刻まれた筈の体でこんなことを口にするのだ。
変な感覚に汗が出てくる。
実際、時間を巻き戻されたわけでもない。だが戦場でもこんな感覚は教えられてない。
「ひと昔前、歯車の勇者が極めた魔法を作ろうとしたんだけどね。
現実には失敗さ。
十ある道ならその中で一つ、千ある道ならその一つと、彼は七歳の頃から世界線を自在に行き来できたり固定できたのに」
指さきはおろか瞳すらまともな感覚がない。
立っているのか。
逆さになっているのか。
この女性が話しているうちに自分の知る限りの動作は済ませたが、何も変わらない。
「私は秒数的にその数を増やすことしかできないんだ。
量子コンピュータとコンピュータの違いといえば…………ああそっか。君たち少年から何も聞いてないんだっけ。ごめんね」
こんなおしゃべりをつむぐ女性は、あまりにも脳を蕩けさせる容姿をしている。
多くの夜を知ってきたような大人びた雰囲気でも、整った顔立ちは淫婦に見えない。
むしろ神秘的で穢れなどないような感じ。
豪奢なローブから張った豊かな胸。
歯跡のついた甘い匂いのする首元。
何気ない動作でも思考は奪われていく。
彼女の声ならば人を弾くほどの暴牛だって、性根の腐った盗賊だって服従してしまうのだろう。
「おやおや、どうしたんだい? 頭が働かないかな……?」
すらりとしたボディーラインを見せてしまうほどに締まったローブから、どんな男でも魅了されそうな色気があった。
ローブからは底のない光なき瞳。
紫色の髪に隠れてこちらを覗いている、底なしの闇。
こちらをまるで実験動物だと言うように。
みる。
みる。
みる。
みる。
信じられない。彼女の瞳に入っただけで、魔法か何かを使われたような感覚。
“おとす“。
という言葉は彼女の為にあるのではないかと思うほど。
まるで、魔女。
厄災という文字が頭の中を反芻する。
この女性が何を言っているのか点で見当もつかないが
…………君の主人にも、と口にしたのは確か。
正体はなんにせよ、坊ちゃんに何かしらの目的を抱いているのはわかる。
それがよくないことなんてのは尚更だ。
今だってナイフで傷つけた指先はジクジクと痛む。
これ以上の怪我ならいくらでもしたことあるけど、痛みの恐怖はぬぐえない。
頭がクラクラしていうことを効いてくれなくなる。
……それでもここは引けない。
ぐちゃぐちゃになって死に絶える坊ちゃんの姿を、ふとイメージしてしまった。
そんなのはダメだ。
絶対に、認めない。
例え今。
坊ちゃんに害をなす敵を殺せるのなら、全神経がズタズタになってもいい!!
その瞬間に聞こえた、がたん、と歯車が回る音。
これが恐らく合図だ。
方法を探せ。
歯車の勇者をモチーフにしたのだと、この女性は口にした。嘘偽りはない。その必要がない。ではどこだ。出口。探せ探せ探せ探せ。
「知ってる? 今の魔王軍って魔王がいないんだよ。勇者を支持する聖騎士団も、密かに逃亡した勇者を捜索してる。
深淵の獣は知らないけどね。あいつは冥府からやってくる存在らしいから」
…………勇者が逃亡?魔王がいない?
――――――ただ形を変えろ。
「でも本当はさ、君も死ぬ定めだったんだ」
骨格は位置を変えて無数の触手として突き出す。
それに比例して首からぶら下がるダックタグ、まるで戦争の帰還者としての姿を。
「この世界に舞い降りた少年は、手始めに何を奪ったと思う?それを何に使ったと思う?」
人間の原型などなくとも光は絶やさない。
壊れかけの魔道具みたいに振動する意識に負けるな。
坊ちゃんの衛兵として。
踏ん張れ。
世界に反抗しろ。復活の糸口なんて詳細はいい。立ち塞がる万物全てに適応すればいいのだから。
「勇者。
魔王。
巫女。
獣。
鯨とモグラ。
星の礎となった魔物。
そして私や魔眼でさえ、みんな螺旋状のレールから何をしようとも抜け出せなかった。
これは厄災だけに当てはまるんだと思ったけど、もしかしたら君のようなモノにも影響があるのかな?」
ただ敵を殺せ。
「気にならないかい? 本来は一度として現れることのない瞳の主。
凶星の“主人”として選ばれた彼のこと。
その正体がなんなのか。私なら教えてあげられるけど、どうする?」
返事を出すことはなく全速で異形と化した体をしならせた。
死した戦友たちのドックタグが真相を映す。
答えは既に決まっている。
あの屋敷で渡したろくでもない一枚の手紙を『シュレイド!! なんであんなこと書いたんだ!お前も僕様を子供だと思ってるのか!?』あんなに正直に受け取ってくれた。
毎年、誕生日を盛大に祝ってくれた。
ずっと密かに、人とはかけ離れた俺を知っていながら歩み寄ってくれた。
彼が悪霊でもなんでも、既に関係ない。
悲しいほど、優しい坊ちゃん。
きっと、将来は誰よりも大人で辛いことをしなくちゃいけなくなるんでしょう。
だから。
だから…………ここで死ぬわけにはいかないのに。
ぴたぴたと血液が地面に滴り落ちる。
誰かが前に立っている気がした。
重なり合うのは火花が燃え盛る音と何かを切りつけた太刀音。
何が起きているのか、正直、降りかかる重みで息すらできない。
「………ふは! お前動けんのな!」
目の前の魔女から振るわれた“未知の音”。
また俺が繰り出した触手の槍。
それらを一身に引き受けた誰かは、心底気の抜けたように俺の体を支えているのだ。
「いゃー、アイツの髪伸びたらこんな感じになんのね」
「なんのつもりかな?」
まさに危機一髪であると茶髪の男はニヤリと笑う。
シュレイドとローブの女性が放った一撃は相目見えることなく、一振りの赤剣によって軌道をずらされていた。
…………”力の一端だけで俺ごと殺すつもりだったかな、魔女様は”と剣の感触をぎゅむぎゅむと確かめる男。
まったく、恐ろしいものだ。
しかし後ろからやってくる金髪の少女に、肩をびくんと跳ねさせる。
「い、いやですね、魔女様と一回ぐらい剣を交えてみたいなーと。興が削がれたならばわたくしめが処理を致しますが…………」
「「…………」」
「あー、てなわけでしてコイツ連れてってもよろしいでしょうか」また指輪をかざした魔女に向かってゴマを擦る茶髪の男だ。
目上の人に対する態度がなんたるか、金髪の少女から絵本で教え込まれたのである。
「…………いいよ。君たち二人に任せる」
「あざっす! 失礼します!!」
「……失礼します」
生き物一人もいない星空の静寂。
そんな空気をぶち壊して、折れた大剣を握りしめるシュレイドを楽々と引きずっていく。
すると…………浮き足が立ってしまう男だ。
夜空をそのまま映し取るような鎌の軌跡、それでこの場所を半壊させたのが魔女だ。
今にでも崩れかけそうな空間は、まあ容易そうに本人の指スナップで修復された。
血柱の間を縫うような斬撃もない。
空間ごとひび割れた事実もパー。
しかし、そんな魔女の首を文字どうりコイツは落としかけた。
事実、魔女は首から僅かに血を流している。
…………阻害しているのだ、再生を。軌道をずらされたコイツの骨の刺突がだ。
「大抵の奴は渡された大剣を振って死んじまうからなー。選択肢与えといて全部が罠だなんて魔女様は質が悪い。
その分、お前はもしかしたら本当に相打ちになったかもな!! それはないか!?」
「…………どうするの、この子?」
茶髪の男はまっすぐに見つめてくる少女に、しばらく立ち止まる。
せわしなく視線を泳がせながら頬を舌で動かす。
…………魔女様に楯突いたことに怒っちゃったかな。少女にほっぺたつねられるの痛いんだよな。
「まずはうちのシェフに見つからない場所だな!
コイツは一度捨てたものだ。バレたらめんどくさそーうにゴミ箱にぺってすてるだろうよ」
「…………なら、私も引っ張る」
「まじ? じゃあ足持ってくれ。俺は腕持つわ!!」
うん、と頷いた金髪の少女と運んでいく。
それにしても本当に世界は変わったんだなーと思う。
神様が降ってきた影響ってのはすごいのだ。
「にしてもよ、お前シュレイドだっけ!? 泥に五感があるってすげえなおい! もう人間じゃねえか!!
俺には味覚ねえから食うもんぜーんぶ粘土みたいなもんなのに!」
あの災禍と巫女が観客を吹き飛ばすほどのショーを見せてくれたおかげか、テンションは現在爆上げ中。
だが後ろからどたんと音がして「…………飲み物も?」なんてポケットからカップの取っ手を取り出した少女である。
「あ? ああ…………」
「…………そっか」
少女の身には重たかったのか、シュレイドの足は地面とキスしていた。
「あー重たかったか? んじゃあつま先だけ待っててくれ。俺は腰ごと背負うから」
「…………わかった」
「それとよ。アイツ今どこにいんだ? まさか屋敷じゃねえだろうな」
「…………明日が本戦だから。多分、どこかの街で調味料を揃えてる」
「ああ。にしても、最後までバレなかったな」
魔女の使徒である幹部たちが共同で事を為すのは稀。
だからこそ注意は払っておくのが吉、との一点張りのシェフだったが【災禍】の少年はこちらに気づくことはなかった。
………………やはり、魔女様のご推察は正しいようだ。
「本気で弱ってんな、災禍」
「……12年。ちょっとずつ待ち続けたから」
「だな。あと気になってたんだけどよ、本来の俺たちはどこで何してたと思う?」
「…………貴方は、旅してたでしょ。剣を片手に」
「だわな!!ははははははは!!」
全ての始まりは12年前。
まるで星そのものが生まれ変わったような感じ。
それがたった一人の赤ん坊が起こしたものと、誰が決めつけることができようか。
しかし、誰が何と言おうとも断言できる。
空いた口が塞がらないほどの天変地異が起こった夜、”本来の世界”は崩壊を迎えた。
凶星がやってきたのだ。
まるで王を歓迎するように、まるで世界中が形を変えて隷属するように。
何をしようとも手の届かぬ悠久の星々が地にひれ伏し、絶対的な運命という鎖は彼の望むものを縛り付けている。
当時の光景ときたら瞼の裏にこびりついて離れない。
大空を埋めつくすほどの天体を背に、浮遊した赤ん坊がゆっくりと目を覚ますのだ。
その時の心臓の高鳴りといったら、もう。
【災禍の魔眼】に選ばれた奴が歴史上存在しない理由がわかった気がした。
「うちのシェフが言う下味は済んだ。シュレイドくんはもう休め。無茶したせいでほとんど死にかけだし、今更動いても結果は変わんねえぞ」




