第十七話「神罰鳩ガール、いざ駆け抜けろ!!」
「………………」
もし意志を持たない台風が急に黙ればどうなるだろうか。
それは今、目の前で起こっていた。
会場では口から涎を垂らしても、瞬きさえしない人たち。
原作においても厄災たちは世界を淀ませる。
この場の誰一人として正しい息遣いを忘れていた。
巫女の首が揺れれば、華が咲く。
「お前は生まれつき与えられた運命に縛られ、自分にはこの生き方しかないと区切りをつけたのか?」
一点だけを見つめて、目をこれでもかと見開いている彼女は世界をどう歪ませるのだろう。
からくり人形のように全身の筋肉を強張らせた巫女。
その事前に編まれていた魔力が途切れて、更に数えきれないほどの密度で重ね掛けられていく。
すると――――――氷気を込めた指先が脳裏を過る。
「っ、あ。待て。手を出すな――――――聞こえないのかイレイナ!!!」
僕様は一人でになびく冬の風を肌で感じ取った後、そう言った。
だが号令に従わない魔法の発動。
ここ一帯を埋め尽くすほどの氷雪が、存在する権利を失ったように消え失せた。
幻として生えている桜並木が、罪人を刑罰に処すべく刀を垂らす。
血が垂れていた。
使用人の靴がぶら下がる。
見知った指先が力なく。
はんにゃの仮面が、からからからと笑うように跳ねていた。
「ばっ、――か」
これは飽くまでも幻である。
しかし起こり得た出来事でもある。
観客席のイレイナは席から落ちた後にとめどなく嘔吐していた。
今だに意識はここに囚われたままである。
まるで魂を抜き取ったように――――――前世で聞いたかごめの歌に合わせて、桜並木の枝から血を滴らせていく妖怪たち。
「……」
手のひらに隠した瞳を開けば、串刺しにされていたイレイナを救出する僕様だ。
銀髪のエルフがそこにいなかったような光景をイメージすると、喉を金切るように息をする音が聞こえた。
イレイナには喉がない為、通常とは異なった器官で呼吸をする。
「勘弁してくれ。アイツはしゃべることも今は難しい。わかるか?」
――――巨穴のごとき瞳を向ける巫女。
何をする気なのかは検討つくも、血と歌が世界を占める中で何かを溜めるように弦が弾かれる。
おまけに僕様を中心に歌舞伎が始まる始末。
桜が舞い落ちた。
――――――その刹那、円が収束する。
化粧を施した女方が円に沿って“くるり“と踊り出す。
――――――次第に血の匂いが濃くなっていた。
巫女の少女が折れた木剣を地面に下ろすと、先ほどまであったように展開される骸湖。
まるで乾いた夕焼けに包まれているみたい。
「……」
それに巫女の手平で痛々しく血豆が破けていた。
相当、実践を想定し勝利を掴むために尽力してきたのだろう。ただし、
「お前は“弱きを助け強きを挫く”という生き方に甘んじ己の勝負から逃げているつもりだな。貴族こそが正しいと勘違いしてるわけだ。
自分で考え。新しい道を照らすことのないお前に、万に一つもなく巫女なんて名は過ぎたものだ」
死んだようにぼうっとして、まるで自分が世界一の不幸ものだと堕落しているよう。
才能は呪いの鎖だ、と彼女の師は言った。
どの世界でも望まず力を与えられた者には望まぬレールが敷かれる。
代償がない力などないと。
故に三つだ。
僕がわからないのは彼女が自分の生き方に対して幸福を見出せないのか、はたまた、自身を理解してくれない周囲の人間に対する切実な絶望か。
あるいは。
「本当は頑張る自分を褒めて欲しかったんだろう? 悲劇の少女として、白馬の王子様にでも助けて欲しかったのか。中途半端に頑張って、毎日毎日周囲の期待に押しつぶされる悲劇の巫女を演じるしか希望なんて掴めなかった哀れな妄想主義者が貴様だったのか? ならばさぞ。周りを騙す毎日は楽しかっただろうな」
欠けがえのない使用人であるイレイナが処されたからか、それとも別の理由があるからか。
僕様の声は一言一言に力が入っていてどことなく早口だった。
凛と冷たく凍りついていた世界の空気。
そして、青い空を背にこちらの頭を撫でる女性の姿が脳裏をよぎる。
映像越しにて焼きついた彼女の師が、形となって蘇る。
少女は無言のまま体を振るわせることもなく、ましては眉を動かすこともなく、ただ肌が粟立つような殺気をこちらに向けていた。
清く。
しゃりんと。
血から這い出る骸から。
分厚い豪奢な衣を羽織らされた巫女が、鈴の剣を向けてくる。
「お前を育てた師匠とやらも大したものではなかったのだろう!」
心の誰かが、黙れと言う。
「ここまでくれば偽善者と呼ぶこともおこがましい!」
舞子が降るように踊る。彼岸まで音を届ける笛がある。
「やはり負け犬で十分だよ、御嬢さんは!!」
言いたくもない言葉を並べたからか、更に加速して思考が落ちていく。奈落に叩きつけられるボールはこんな気分なんだろうか。
だからといって、このまま落ちるわけにもいかない。
しゃりんと鈴の音が鳴り響くほどに、歌舞伎の円が縮小していくのだ。
まるで何かのカウントダウン。
それは巫女に殺されたであろう最強の妖怪たちがいい例である。
息を止めて全意識を目の前の少女に集中させた。
不意に朝焼けの青空が駆け巡る。
幼い巫女の視点から――――――――剣の師匠の腕が優しく自分の手に伸びていた。
青天刃彩流は絶滅寸前の殺人剣。
通例の剣術は武装に対して己の魔力を流し、属性を付与することにより爆発的な力を生むことを流儀とする。
彼女の師が提唱した構えはその星々ある中でも異質。
初動による特殊な揺らぎにより、他を寄せ付けない予測不可の初速を生み出す。
原理はムチのようでも実際は大きく異なる。
それは身にしみて理解した。
恐らくは三度ほど、初速を殺さぬまま加速を乗せている。
一ミリの誤差さえ許さない局所的な強化だ。
身体と刀を一対一で強化しなければ、片方の力に振り回され体勢は瓦解してしまう。
五十年やちょっとじゃうまくいかない。
原作にて、常人では一生かけても習得できないとされた所以。
だが。
真髄はここから。
刀が分解を始めるまで己の魔力を込め続け、霞のようでありながら刃として閃く。
かつての師すら安定して技を放つことは困難だった。
両者、構え。
脈動する黒の気迫。それを感じるより早く、敵の刃が自分の首に到達していた。
「…………」
「…………」
が。既にそれは対策済みだ。
斬られたのは薄皮一枚。
僕様は殺気に似た怒りをひしひしと肌で感じながら身を翻し、地面が爆ぜるような攻防が渦巻く。
天然ものの優れた五感を更に底上げした“掴み”で、大体理解した。
刀を振う足腰の動作、握り方、インパクト時の魔力出力の調整、剣技と呼ばれるものの趣旨。
それを防御として活用するにはこの数秒では十分である。
閉じている目がじんじんと熱を帯びる。
鈍く空気を裂いて横から迫る木刀。
直撃すらばこちらの武器はおろか、腕さえ切断されるという予感がある。
「……………足りないな」
限界まで圧縮した一拍の剣先を爆ぜさせ、――――――――少女を置き去りにする僕様。
木製では鳴くはずもない金属音が満ちる。
その絶好の勝利の隙をくだらないと「こんなもんじゃないだろ。もっと本気を出せ」本性を曝け出せるように笑うのだ。
血が滴り落ちるほど刀を握りしめる巫女。
すると、桜葉の群れが境界となり――――――また線として薙ぎ払う剣先である。
――――――さて、試合開始だ。
同じ木刀とは思えない形状である。
建物すら容易に塵に帰す嵐でありながら、鳥が甲高い声で鳴く音が聞こえるのが面白い。
規模はやや三尺。
おそらく物理的に破壊することは難しい。
………………だが、まだ伸び代はある。
剣先を打ち払われた巫女は即座に腰を下げる。
刀心を地面につけたまま出力を上げ、その反動により距離を1秒にも見たない速度で詰めてきた。
無駄な動きのない所作。
静かな怒りを瞳に宿した少女がスローに映り、弾けた。
3秒に15回ほど腕が軋むほどの斬撃が合う。
だが向こうは台風そのもの。
僕様は刀が決壊しないように魔力で補うので精一杯、なにより刀芯があるのだ。
間に差し込んだ足払いや体術は簡単にいなされ、指先を巧みに使った変則的な剣技も――――圧倒的な力と練度には敵わない。
れも全て弾かれるか紙一重で交わされる。
踏み出すのが遅れれば体が吹き飛びそうになる。
ジリ貧だ。
無双的な嵐を伴った木刀から数歩だけ距離を保ちつつ、相手の視界を桜で埋め尽くす。
相手の不自由な視界を利用した戦法だ。
一度地面に攻撃を反らせ、桜の塵を旋回させた後には背後を取っていた。
少女が目を見開く。
その隙。致命的だったのはどちらだったのか。
それは速さを極め、
それは重さを超え、
それは硬さを纏う。
流派の祖が最強であると提唱した構えを“魔”によって実現させ、現代に至るまで師範されてきた流派は数知れず。
その星の数ある中で彼女の剣は異質中の異質。
しゃりんと“おわり“が定まる感覚。
すると、僕様の頭からつま先までに密着した舞子たち。
和楽器が止む。
檻の如く、八本の赤い糸が舞い落ちてくる。
油断は、どちらか。
殺人剣は初見殺しの類いが多く、数多の才覚をもつ覇者であろうと首が飛ぶ。
その本筋は形状変化。
鋼鉄の台風を”糸状”になるまで凝縮し、針を引くような動作で対象を瓦解させる。
その名も。
「縫噛」
瞬きの間もなく、一呼吸するスペースもなく、少女が詠唱した瞬間。
万物を切り裂く疾風が中庭の会場を7つに当分した。
あまりの突風でチリが跪く。
観客の声は凍りついたまま、ゆらりと立ち尽くす少女は一人地面を見ていた。
「あ」また息を吐いて気づいたときには手遅れ。
彼を殺すための世界は役目を終えたように幕を下ろしている。
…………殺してしまった?
いやあの少年のことだ。
でも無事なはずがない。あれは大妖怪すら瞬殺した奥義だ。防ぐなんて尚更、
「…………っ」
初めの動揺。機械的だった少女が初めて人間らしい口を開く。
少年が、いた。
気絶もしていないしどこの肉も落ちてない。
海を隔てても切れ味を落とさない烈風を放ったはずだ。
木刀とはいえ強化した。
あたりところが悪ければ。いや少年なら弾くだろうと思って。なぜ無傷なのかわからない。ステージが裁断されているということは確かに攻撃したのだ。
息が上がる。
理解できない。
頭が真っ白になって、とにかくとにかくとにかく攻撃を。なにか見逃したのだ。なんて。
「準備運動は終わりだな。やっと目を覚ましたな、ばーか」
地面に木刀を突き刺して仁王たちする少年はそう言った。
上がる息をのんで思考を停止する。
自分の顔を触った。
不思議な形をした口。頬はやや熱くてポカポカする。
体が妙に軽くてびっくりした。
まるでステップを踏みたくなるような、そんな感じ。
でも、これはダメだ。
笑うなと言われたし、私は巫女として……いやでも。
こんな胸の高鳴りなんて、一体、このままじゃ胸が爆発しそうだ。動悸がどんどん上り詰めてくる。
すると………………………………ありがとうより、ごめんなさいを先に出してしまいそうになる声。
『刃物大好きな泣き虫小娘よ、どうして自分だけの人生と考えん。何故、自分の衝動を愛せんのだ』
血染めと桜の世界が消え去って、青い空が瞳を照らす。
いつかのあの人の声が頭に響く。
『愛せよ、己を。
アンタはどうしようもない奴だけど、どんだけでも自分を殺すことができる。私にはその覚悟を殺すことはできなかったが』
あまりにも無気力でカラカラだった瞳が、青空で潤っていく。
『もしも、自分が目覚めちまうほどの出会いがあったらこう言いな』
感情を正しく扱えない、不器用なアンタが死ぬ瞬間だよ。
そんなことを言いながら頭をぐしぐしと撫でてきた師匠。
まるでチリチリと焼けるような青い空。
熱でおかしくなってしまったのか、私の体は彼だけを求めてこう言うのだ。
「すごい」
そうだ。
そう。
すごい。すごい!すごい!!すごい!!!すごい!!!! なんで死んでないの!!? ありえない!! 初めて!! 初めて!!!!
そんな、かつてないほどの嬉々が心の栓をぶっ飛ばしていた。




