第11話「その言葉の、本当の色」
第一特別書庫の中は、想像を絶する空間だった。
壁一面に、無数の水晶が、まるで蜂の巣のように埋め込まれている。一つ一つの水晶が、様々な色の光を、まるで呼吸をするかのように明滅させていた。
これが、真実の音晶……。
この国で交わされてきた、数え切れないほどの重要な言葉たちが、ここで眠っているんだ。
私は、その幻想的で、どこか神聖ささえ感じる光景に、しばし言葉を失った。
(でも、感心している時間はない!)
私は気を取り直し、目的の音晶を探し始めた。壁には、年代と場所を示すプレートが取り付けられている。私は記憶を頼りに、アレンさんが失言をしたとされる日付の棚を探した。
あった!『王宮・謁見の間』と記された一角。そこには、同じ日付が刻印された水晶が、いくつも並んでいる。この中の一つが、アレンさんの運命を決めた、あの会話を記録しているはずだ。
でも、どれだろう。一つ一つに触れて、確かめていくしかない。
私は、一番手前の水晶に、そっと指先で触れた。
瞬間、私の頭の中に、膨大な情報が流れ込んできた。
知らない貴族たちの会話。政治に関する退屈なやり取り。その言葉の色は、建前を示す薄っぺらい白や、自己保身のための濁った茶色ばかりだった。
「……っ、これじゃない」
私はすぐに手を離し、次の水晶に触れる。また違う会話。次も、違う。
焦りが、じわじわと胸を締め付ける。アレンさんが稼いでくれている時間は、無限じゃない。早く見つけないと。
私は、片っ端から水晶に触れていった。触れるたびに、他人の感情が濁流のように流れ込んできて、頭が割れるように痛い。気分が悪くなってきた。
(でも、ここで諦めるわけにはいかない……!)
私は、アレンさんの顔を思い浮かべた。彼の不器用な優しさを、閉ざされた心の中に隠された、あの小さな金色の光を。
私が、彼を救うんだ。
その一心で、痛む頭を叱咤し、次の水晶に手を伸ばした。
その時だった。
水晶に触れた瞬間、今までとは比較にならないほど、強烈な光景が私の脳裏に広がった。
そこは、豪華絢爛な謁見の間。
若き日のアルフォンス王子と、その隣に立つヴァルガス公爵。そして、彼らと対峙するように立つ、宮廷魔術師の礼装に身を包んだアレンさんの姿が見えた。
(……これだ!)
私は、流れ込んでくる映像と感情に、意識を集中させた。
アレンさんが、口を開く。
『殿下、熟しすぎた果実は、地に落ちる前に自ら腐り落ちるものです。そして、その腐臭は、最も近くにいる者から漂い始めるものですよ』
彼の言葉が、私の目にははっきりと見えた。
それは、彼が話してくれた通りの、燃え盛る炎のような、力強い金色だった。国と主君を憂い、身を挺してでも守り抜こうとする、絶対的な忠誠の色。一切の曇りも、私欲もない、純粋な光。
次に、ヴァルガス公爵が、わざとらしく驚いたような声を上げる。
『王子、クロフォード卿は、あなた様の治世を腐り落ちる果実に例えたのです。これは明らかなる反逆の意思表示!』
その言葉の色は、ヘドロのようにどす黒く、粘りつくような紫色だった。計算され尽くした悪意、己の野心のためなら他者を陥れることも厭わない、醜い欲望の色。その言葉に同調する他の貴族たちの言葉も、嫉妬や保身からくる、汚く濁った色をしていた。
そして、アルフォンス王子。
彼の心からは、信頼していたアレンさんへの失望と、悲しみを示す、ひび割れた青色の言葉が生まれていた。
『……アレン。真か? そなたは、余を裏切るのか』
その言葉には、ヴァルガス公爵の言葉を信じてしまったことへの、ほんのわずかな後悔を示す、小さな灰色の斑点が混じっていた。王子もまた、この状況に苦しんでいたのだ。
(……見つけた。これが、真実)
私は、確信した。この水晶こそが、アレンさんの無実を証明する、唯一無二の証拠だ。
私は、その水晶を壁から、力を込めて引き抜いた。ずしりと重い。これが、アレンさんがずっと一人で背負ってきた、言葉の重さなんだ。
その時、書庫の入り口から、複数の足音が聞こえてきた。
「侵入者はこの奥だ! 囲め!」
衛兵たちだ。ついに、見つかってしまった。
(もう、逃げられない……)
私は、音晶を胸に強く抱きしめた。絶体絶命。
だが、私の心は不思議と落ち着いていた。
「そこまでだ、小娘! 大事に、その水晶をこちらへ渡してもらおうか」
暗闇の中から現れたのは、温厚そうな笑みを浮かべた、初老の男。その顔には見覚えがあった。彼こそが、ヴァルガス公爵。
彼の言葉は、勝利を確信した、醜い深緑色をしていた。
「……全て、お見通しというわけですか」
私が静かに言うと、公爵は満足そうに頷いた。
「元宮廷魔術師様が、おかしな動きをしているという報告を受けてな。まさか、こんな小娘と組んで、過去の亡霊を掘り起こしに来るとは。愚かなことよ」
彼の後ろには、捕らえられたアレンさんが、悔しそうな顔で立っていた。彼の魔力は完全に封じられているようで、抵抗もできないようだ。
「リリアナ……! すまない……!」
アレンさんの言葉は、自分を責める、痛々しいほどの赤黒い色だった。
「いいえ、アレンさんは悪くありません。私が、来たかったから来たんです」
私は、彼に微笑みかけた。そして、ヴァルガス公爵に向き直る。
「この水晶には、全ての真実が記録されています。あなたの陰謀も、全て」
私の言葉は、揺るぎない、鋼の色。
すると、公爵はくつくつと喉を鳴らして笑った。
「それがどうした? ここにいるのは、全て私の手の者。その水晶を奪い、砕いてしまえば、真実など闇の中。そしてお前たちは、反逆者として静かに処刑される。それだけのことだ」
絶望的な状況。まさに、彼の言う通りだ。
だが、私は諦めなかった。
「……本当に、そうでしょうか?」
私が不敵に微笑むと、公爵は訝しげに眉をひそめた。
その瞬間、書庫の入り口から、凛とした声が響き渡った。
「――そこまでだ、ヴァルガス公爵」
その声と共に現れたのは、月光を背に受け、威厳に満ちた佇まいの一人の青年。
その姿を見て、ヴァルガス公爵の顔から、血の気が引いていくのが分かった。
「……で、殿下!? なぜ、ここに……」
そこに立っていたのは、この国の若き指導者、アルフォンス王子、その人だった。
彼の言葉は、王族だけが持つことを許される、気高く、そして力強い、太陽のような黄金色をしていた。
私の、最後の賭けが、始まったのだ。




