第10話「月明かりの潜入、記憶の回廊」
数日後、私たちはついに王都に到着した。
辺境の町とは比べ物にならない、活気と喧騒。行き交う人々の言葉は、様々な色となって私の目に飛び込んできて、少しだけ眩暈がした。
「……すごい人の数ですね」
「王都だからな。だが、目立つのは避けたい。顔を隠せ」
アレンさんはそう言って、私に深いフードのついたマントを渡してくれた。彼自身も同じようなマントで顔を隠している。追放された身である彼が、王都にいることが知られれば、すぐに衛兵が飛んでくるだろう。
私たちは人目を避けながら、裏路地を縫うようにして、王立アルカディア図書館を目指した。
月が空高く昇った頃、私たちはついに、その巨大な建物の前にたどり着いた。白亜の壁、天を突く尖塔。それは、知識の殿堂と呼ぶにふさわしい、荘厳な姿だった。私がかつて、夢と希望を胸に働いていた場所。
「……懐かしいな」
アレンさんが、ぽつりとつぶやいた。彼の言葉は、過去を懐かしむセピア色に染まっている。彼もまた、この場所にはたくさんの思い出があるのだろう。
「警備の交代は、真夜中。それまで待つ」
私たちは建物の影に身を潜め、その時を待った。心臓が、どくどくと大きく脈打っている。怖い、というよりも、これから始まる戦いへの武者震いに近かった。
隣にいるアレンさんの横顔は、月明かりに照らされて、驚くほど落ち着いていた。彼の覚悟が、その静かな佇まいから伝わってくる。
やがて、時計塔が真夜中を告げる鐘を鳴らした。それを合図に、私たちは動き出す。
アレンさんは、私が知らなかった古い通用口の前に立つと、扉に手を触れ、何事か古代語で囁いた。すると、カチリ、と小さな音がして、厳重に閉ざされているはずの錠が、いとも簡単に開いてしまった。
「……すごい」
「昔、忍び込むために俺が作った裏口だ」
「えっ」
「……夜中に、調べものがしたくなることがあっただろう」
彼は悪びれもせずにそう言うと、私に「入れ」と目で合図した。
(元宮廷魔術師様は、意外とやんちゃだったらしい)
緊張感が、少しだけほぐれた。
図書館の中は、シンと静まり返っていた。月明かりが大きな窓から差し込み、巨大な書架の影を、床に長く伸ばしている。まるで、巨大な生き物の肋骨の中に迷い込んだようだ。
「地下書庫へは、この先の中央ホールを抜けるのが一番早い。だが、そこには警備の魔術師が必ずいるはずだ」
「どうするんですか?」
「俺が陽動する。その隙に、君は地下へ向かえ」
彼の言葉は、冷静な判断を示す青色だった。
「だめです! そんなの、アレンさんだけ危険じゃないですか!」
「他に方法がない。心配するな、今の俺でも、三十分くらいなら時間を稼げる」
そう言って、彼は私の肩をぽんと叩いた。
「地下書庫の鍵は、これを使え。第一特別書庫は、一番奥にある」
彼が私に手渡したのは、複雑な模様が刻まれた小さな金属の鍵だった。
「アレンさん……」
「いいか、リリアナ。必ず、真実の音晶を見つけ出すんだ。俺たちの未来は、それに懸かっている」
彼の言葉は、私への絶対的な信頼を示す、力強い金色だった。
私は、こくりと強く頷いた。
「……はい! 必ず!」
アレンさんは、私の返事を聞くと、満足そうに頷いた。そして、音もなく中央ホールへと姿を消す。
しばらくして、遠くから、閃光と共に何かが破壊される大きな音が響き渡った。警備の魔術師たちが、騒然となる声も聞こえる。陽動が、始まったのだ。
(行かなきゃ!)
私は、アレンさんが稼いでくれた時間を無駄にしないよう、必死で走り出した。目指すは、地下へと続く階段。
心臓が張り裂けそうだった。捕まることへの恐怖じゃない。アレンさんを一人残してきたことへの不安で、胸がいっぱいだった。
地下への扉を見つけ、彼から預かった鍵を差し込む。重い扉を開けると、ひんやりとした、黴の匂いが鼻をついた。
地下書庫は、迷路のように入り組んでいた。薄暗い通路の両脇に、ぎっしりと古書が並んでいる。ここは、図書館の中でも特に古い、忘れ去られたような本が眠る場所。
記憶の回廊。かつて、先輩司書がそう呼んでいたのを思い出す。
私は、目録に書かれていた場所の記憶を頼りに、一番奥を目指した。第一特別書庫。そこは、王家の歴史に関わる、最重要文献だけが保管されている場所だ。
やがて、私は一つの重々しい鉄の扉の前にたどり着いた。
『第一特別書庫』
プレートの文字が、月明かりにぼんやりと浮かび上がっている。
(ここだ……!)
息を整え、扉に手をかける。しかし、この扉には鍵穴がなかった。代わりに、中央に小さな水晶が埋め込まれている。
「これは……魔力認証?」
特定の魔力を持つ者しか開けられない、高度な魔法の錠だ。今の私には、どうすることもできない。
(どうしよう……。アレンさんがいないと、開けられない……!)
絶望が、冷たい霧のように私の心を包み込む。
その時だった。私の胸元で、アレンさんから出発前にお守りだと言って渡されたペンダントが、淡い光を放ち始めた。
『もしもの時は、これを使え』
彼の言葉が、脳裏に蘇る。
私は、祈るような気持ちで、そのペンダントを扉の水晶にそっと近づけた。
すると、ペンダントの光と水晶の光が共鳴し合い、キィン、と高く澄んだ音を立てた。そして、ゴゴゴ……という重い音と共に、鉄の扉が、ゆっくりと開き始めたのだ。
アレンさんは、こうなることまで予測していたんだ。私が一人でも扉を開けられるように、自分の魔力を込めたペンダントを、私に……。
胸が、熱くなる。
私は、彼の信頼に応えなければ。
扉の向こうは、完全な暗闇だった。でも、私は迷わなかった。一歩、また一歩と、その闇の中へ、足を踏み入れていく。
アレンさんが捕まる前に、必ず、真実の音晶を見つけ出す。
その強い決意だけが、暗闇の中の私を導く、唯一の光だった。




