第36話 無限複製
最初に異変が出たのは、両替所だった。
「……え?」
窓口の女性が、手元の端末を二度見する。
表示されている残高が、一秒ごとに増えていく。
十万。百万。千万。
止まらない。
直後、街中で同じ現象が発生した。
ATMから紙幣が吐き出され、電子マネーの残高は無限に跳ね上がる。
人々は歓声を上げた。
「やったぞ!」 「俺、億万長者だ!」
だが数分後。
商品棚は空になり、価格表示は意味を失い、店は次々と閉鎖された。
貨幣価値が崩壊したのだ。
【SYSTEM LOG】
【Economic System:Overflow】
【Money Data:Infinite Duplication Detected】
東京ダンジョン管理区域。
カイ・シノハラは、地面に散らばる紙幣を拾いながら状況を確認していた。
「……金銭データが、コピー&ペーストされています」
リサ・カミシロが鼻で笑う。
「アホね。金が増えても、物は増えないでしょ」
街はすでに混乱状態だった。
争奪戦。略奪。暴動。
富が無限になった瞬間、人の理性は有限だと証明された。
カイはしゃがみ込み、掌を地面に当てる。
【SYSTEM LOG】
【World Financial Reference:Corrupted】
「原因はここです」
「金銭データの複製フラグが立っています」
リサが腕を組む。
「つまり?」
「世界そのものが、お金をコピペしてます」
カイは掃除機《虚無を喰らう竜》を下ろした。
吸引口を、街の中心に発生している不可視のデータ渦へ向ける。
ゴォォォ……。
紙幣でも金塊でもない。
“価値そのもの”が吸い込まれていく感覚。
【SYSTEM LOG】
【Duplicate Money Data:Collecting】
周囲の電子看板が次々とブラックアウトする。
銀行サーバの負荷が落ちていく。
リサが周囲を警戒しながら言った。
「ねぇカイ」
「もしさ」
「これ全部自分のものにできたら、どうする?」
カイは首を振った。
「使い切れません」
「それに……」
吸引を続けながら、淡々と告げる。
「富は、掃除の対象です」
数秒後。
空気が軽くなった。
【SYSTEM LOG】
【Money Duplication Flag:Disabled】
【Economic System:Stabilizing】
街の喧騒が、徐々に静まっていく。
残高は正常値へ戻り、紙幣は消え、商品価格が再同期される。
人々は呆然と立ち尽くしていた。
「……金、消えた」 「夢だったのか?」
リサが肩をすくめる。
「現実よ」
カイは掃除機の内部ログを確認する。
【SYSTEM LOG】
【World Wealth Access:Unlocked】
一瞬だけ、異常な表示が走った。
世界規模の資産データに、直接アクセスできる権限。
つまり。
カイは今、世界の富を自由に操作できる状態だった。
リサが横目で見る。
「……見えた?」
「はい」
「使う?」
カイは即答した。
「使いません」
スイッチを切る。
権限は自動破棄された。
【SYSTEM LOG】
【Admin Financial Access:Released】
リサは小さく笑う。
「相変わらずね」
少し間を置いて、ぼそっと。
「……バカ正直」
カイは落ちていた最後の紙幣を拾い、ゴミ箱に入れた。
「富は増えても」
「信頼は増えません」
リサは鼻で笑う。
「深いこと言うじゃない」
街は救われた。
だが誰も、清掃員の名前を知らない。
それでいい。
【SYSTEM LOG】
【Cleaning Complete】
清掃は終わった。
世界はまた、少しだけ現実に戻った。




