第32話 オーバーフロー
最初に壊れたのは、水道だった。
東京ダンジョン管理区域外縁。
歩道のマンホールから、炎が噴き出した。
「うわああ!」
通行人が逃げ惑う。
直後、電線から水が流れ落ち、街灯がじゅっと音を立てて消えた。
火と水。
上下も因果も、めちゃくちゃだった。
【SYSTEM LOG】
【Infrastructure Status:Corrupted】
【Overflow Detected】
「……インフラが反転していますね」
カイ・シノハラは静かに周囲を見回した。
「オーバーフローです」
リサ・カミシロが舌打ちする。
「街まるごとバグってんじゃない!」
道路は割れ、信号は狂い、建物の空調から冷風ではなく熱風が吹き出していた。
人々は混乱し、避難誘導もまともに機能していない。
カイはしゃがみ込み、地面に手を当てた。
【SYSTEM LOG】
【World Data Type:Exceeded Limit】
「世界のデータ型が限界を超えています」
「数値が反転して、本来あり得ない値になっています」
リサが腕を組む。
「つまり?」
「容量不足です」
カイは掃除機《虚無を喰らう竜》を背負い直した。
「小さい器に、大きすぎる現実を詰め込んでいます」
吸引口を、噴き上がる炎へ向ける。
ゴォォォ……。
炎が吸い込まれた。
続けて、水を吐き出す電線、暴走する変圧設備、意味不明な熱波。
すべてが掃除機の中へ流れ込んでいく。
「ちょっと、それ平気なの!?」
リサが叫ぶ。
「壊れるでしょ!」
「いえ」
カイは首を振る。
「この掃除機は、バグ核対応仕様です」
内部制御を開く。
【SYSTEM LOG】
【Cleaner Admin Access:Granted】
「データ型変更」
「int から long へ」
空気が一瞬、歪んだ。
街のエネルギー構造が再計算される。
限界で反転していた数値が、正しい範囲に押し戻されていく。
炎は消え、水は水道へ戻り、電線は静かに唸りを収めた。
信号が青になる。
ビルの空調が、ようやく普通の風を吐き出した。
【SYSTEM LOG】
【Infrastructure Status:Normalized】
「……戻った」
誰かが呟いた。
リサが大きく息を吐く。
「まったく」
「都市丸ごとオーバーフローとか、笑えないわ」
カイは掃除機の状態を確認する。
内部には膨大なエネルギーが、安定した形で蓄積されていた。
【SYSTEM LOG】
【Infinite Energy Buffer:Active】
「……無限供給モードに入りました」
リサが睨む。
「なにそれ」
「世界の余剰エネルギーが、ここに集約されています」
「しばらくは電源不要ですね」
リサは額を押さえる。
「便利すぎでしょ」
一瞬ため息をつき、カイを見る。
「でもさ」
「その力、調子に乗って使うんじゃないわよ」
カイは小さく頷いた。
「掃除にしか使いません」
リサは鼻で笑う。
「でしょうね」
街は救われた。
だが誰も、清掃員のことなど気にしていない。
それでいい。
カイは掃除機を背負い直す。
【SYSTEM LOG】
【Cleaning Complete】
清掃は終わった。
そして作業は、まだ続く。




