第27話 忘却の水面
最初に消えたのは、名前だった。
「……お前、誰だ?」
東京ダンジョン・中層。
探索者の一人が、仲間を指さしてそう言った。
「は? ふざけんな、さっきまで――」
言葉が、続かない。
“さっきまで何だったか”を、思い出せない。
「待て……俺たち、同じパーティーだったよな?」
「知らねぇよ。近づくな」
空気が、急速に荒れる。
【SYSTEM LOG】
【Memory Data:Fragmented】
「……記憶消去バグですね」
少し離れた場所で、
カイ・シノハラは静かに状況を見ていた。
「対象は個人ではなく、
関係性の記憶」
仲間と過ごした時間。
背中を預けた感覚。
それだけが、抜け落ちている。
「だから……」
探索者たちは、互いを“敵”と認識し始めた。
「武器を下ろせ!」
「信用できるか!」
剣が抜かれ、
パーティーは、内側から壊れ始める。
「やめなさい!!」
リサ・カミシロが前に出た。
「記憶なくしたくらいで疑心暗鬼になってんじゃないわよ!」
「……あんたも誰だ?」
一瞬、リサの目が細くなる。
「……はぁ」
舌打ち一つ。
「カイ、早くして。
これ以上見てると、蹴りたくなる」
「了解しました」
カイはバケツに水を汲み、
静かに床へ置いた。
揺れのない水面。
「水は……」
そっと、手をかざす。
「記憶の鏡です」
水面に、映像が滲み出す。
笑い合う探索者たち。
焚き火を囲み、
怪我を手当てし、
勝利を分け合った過去。
「……あ」
一人が、膝をつく。
「俺……思い出した」
「こいつ、いつも無茶して……」
水面を見るたび、
失われた“関係”が戻っていく。
【SYSTEM LOG】
【Memory Reference:Restored】
数分後。
探索者たちは、呆然と立ち尽くしていた。
「……俺たち、何してたんだ」
「……最悪だ」
沈黙の中、
全員が、同じ方向を向く。
カイと――
腕を組んで仁王立ちしているリサ。
次の瞬間。
探索者たちは、揃って床に伏せた。
「すみませんでした!!」
額を床につけ、
完全な土下寝。
「……え?」
カイが、少しだけ首を傾げる。
「そ、そこまでしなくても」
「当たり前でしょ!!」
リサが叫ぶ。
「記憶なくしたせいで仲間疑った
挙句、私に剣向けようとしたのよ!?
謝るなら全力でやりなさい!!」
探索者たちは、さらに深く伏せる。
「申し訳ありませんでした!!」
リサは腕を組んだまま、ふん、と鼻を鳴らす。
「……まあ」
「ちゃんと戻ってよかったわね」
視線を逸らし、小さく付け足す。
「……にゃん」
誰も聞かなかったことにした。
カイはバケツの水を流し、立ち上がる。
「記憶は……失うと怖いですね」
「でも」
探索者たちを見る。
「戻ったなら、大切にしてください」
「次忘れたら、
水じゃなくて拳で思い出させるから覚悟しなさい!」
探索者たちは、全力でうなずいた。
清掃――完了。




