表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
没落王族は鍛えあげた剣で名声を欲しいままにするつもりだったのに何か思ってたのと違う  作者: 白雪ユキミ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/5

第2話 前日

 出立の朝、雪はやんでいた。

 屋敷の屋根の縁に残った白が、鈍い光を返している。踏みしめれば凍った地面が乾いた音を立て、息を吸い込むたび胸の奥がひりついた。空気は薄く、どこか金属の匂いがした。


 レオンハルトは庭に立ち、しばらく自分の手を見ていた。

 指の節は硬く盛り上がり、皮膚は裂け、薄い布の下で血が乾いて黒ずんでいる。子どもだった頃の柔らかさはもうない。


 背もかなり伸びた。

 それでも“図体が大きい”という種類の迫力ではなく、冬の空気の中でも姿勢が崩れないせいで、立っているだけで周囲の目を引く。無駄のない肩と背、細い腰――鍛えたというより、削り落として残った形だ。

 金髪は乱れたまま結われ、額に落ちる数本が目の上に影を作っている。冷たい光を含んだ髪色は、雪の白と相性が悪いはずなのに、妙に馴染んで見えた。目は灰に近い暗色で、光を受けても温度が上がらない。貴族らしい整った顔立ちは残っているのに、頬の線は痩せ、幼さだけが削がれていた。


 昨夜の言葉が、まだ喉に引っかかっている。


 ――逃げない。


 口にした瞬間から、それは引き返せない刃だった。

 後悔はない。ないはずだ。だが胸の奥のどこかが、ずっと小さく震えている。硬い鐘の音みたいに、止まらない。

 

 扉が開く音がした。

 父が出てきた。外套を羽織り、帯に何も差していない。玉座の間と同じだ。余計な飾りなどせず、必要なものだけを残した姿。

 父はもともと大柄ではないが骨格が太い。剣士の体だ。それでも今は、肩の角が僅かに落ちている。髭は剃りきれず、目の下が青い。昨夜の怒りと焦りがそのまま皮膚に残っていた。

 父はレオンハルトの腰元へ視線を落とし、短く言った。


「……抜くな」


 命令というより、祈りに近い。


 「この国は剣を恐れない。だが、剣を抜いたという“事実”には目敏い」


 父はそれ以上言わず、視線を逸らした。

 母が遅れて出てくる。小さな荷を抱えていた。粗い布の袋だ。昔なら侍女が何人もかりで整えたものを、母は黙って自分で縫い直している。

 白い指先は赤く荒れ、髪はきちんと結われているのに、頬は青い。目だけがやたらと静かで、そこに涙の居場所がない。


 「これ……」


 母は袋を差し出し、途中で言葉が途切れた。

 説明した瞬間、それが“最後”の荷になる気がして。

 レオンハルトは受け取る。中は軽い。乾いた布の擦れる音が小さく鳴った。

 母は笑おうとして、笑えなかった。

 代わりに、声だけを整える。


 「……行ってらっしゃい、レオン」


 帰ってこい、とは言えなかった。

 父は少し間を置いて、レオンハルトの肩に手を置いた。硬い掌。剣を握る者の手。


 「どんな形でもいい。……生きてくれ」


 それだけだった。

 レオンハルトは頷き、背を向ける。

 歩き出してから、自分の足がわずかに浮ついているのに気づく。寒さのせいにしたかったが、浮つきは体の奥から来ていた。


 ◇


 徴兵の集合地点は、王都外れの臨時詰所だった。

 粗末な柵、乱雑な帳簿、乾いた怒号。ここには王家の影すらない。泥の上を踏み固めただけの地面に、靴底が吸い付く。吐く息は白いのに、場の空気は妙に湿っている。

 列に並ぶ男たちの顔は硬い。貧しさに慣れた者、罪を隠す者、怯えを飲み込む者。

 誰もが、他人の不幸を見て自分を落ち着かせようとしている目をしていた。頬骨が尖り、目の下に影が落ち、口元が乾いている――飢えと不安は、人の顔を同じ形にする。

 レオンハルトが列に混じった瞬間、視線が刺さる。


 「おい、見ろよ」


 背後で声がした。


 「……あれ、元王族じゃねえか?」


 笑いではない。興味と悪意が混ざった湿った声だ。

 視線が背中に貼りつく。指がさされる気配が、皮膚の上を這う。

 レオンハルトは振り返らない。振り返った瞬間、相手の土俵に立つ。

 代わりに、顎を僅かに上げ、呼吸を整える。目を伏せない。それだけで十分だった。

 係官が名を呼び、レオンハルトの前に来た。

 脂の浮いた前髪、擦り切れた制服、喉仏の目立つ細い首。紙を扱う手だけがやけに白く、剣も血も知らない指だ。


「レオンハルト・――」


 途中で止まる。

 続く家名は、もう“公的には”存在しない。

 係官は咳払いをして、声の温度を下げた。


 「北方魔獣防衛線、前線補充」


 ──前線補充。つまるところ最前線。

 列の中で空気がわずかに沈む。

 誰も声を上げない。ただ、何人かの喉が鳴る。唾を飲む音だけが妙に大きい。背中の汗が冷え、首筋を伝う感覚が生々しい。

 係官は気にすることなく印章を押した。紙に押し付ける音が乾いている。レオンハルトは受領の印を押した。指が汗で僅かに滑る。


 ――逃げない、と言った。


 だから、ここで目を逸らすな。


 ◇


 北方へ向かう輸送隊は馬車の列だった。

 冬の道はぬかるみ、車輪が泥を噛むたび鈍い衝撃が背骨まで伝わる。荷台には人が詰め込まれ、息と汗と不安の匂いが混ざり合う。

 揺れで肩がぶつかるたび、誰かが小さく舌打ちをした。苛立ちではない。怖さの置き場所がないだけだ。


 隣に座った若い男が、レオンハルトの腰元をちらりと見て露骨に顔をしかめた。

 赤茶の髪。そばかすの散った頬。まだ肉のついた口元が、怖さを隠すために軽口を選んでいる。目は落ち着かず、頻繁に瞬きをする。腰には短い杖。先端の金具が新品の光をしていた。


 「……剣? マジで?」


 声は軽いが、目は笑っていない。

 自分の価値を守るために他人を下げる、そういう類の目だ。


 「今どき、魔法なしで生き残れると思ってんのか?」


 レオンハルトは視線を向けた。相手はそれだけで少し得意になる。怯えが薄まるからだ。


 「……杖を持ってるんだな」


 レオンハルトがそう返すと、男は胸を張った。


「おうよ。第二位階魔法までなら使える。詠唱短縮もできるぜ?」


 誇らしげな声。

 それがこの時代の通貨だ。金貨よりも、名よりも、価値を持つ。

 男は、わざとらしく息を吐いた。


 「元王族って、魔法使えねぇんだろ? じゃあさ、最前線って――」

 「黙れ」


 向かいに座っていた年配の兵が、低い声で遮った。

 髪と髭に白が混じり、頬に古い裂傷が走っている。右手の小指が短い。斬られたのだろう。

 目だけが澄んでいて、荷台の空気と噛み合っていない。戦場を知っている目だ。


 「ここは軍だ。身分の話は不要だ」


 若い男は舌打ちし、視線を逸らす。それでも小声で吐き捨てた。


 「……剣振り回して終わりだろ」


 レオンハルトは言い返さなかった。言い返せば争いが生まれる。争いは消耗だ。

 彼は布の下の指をゆっくり曲げ伸ばしし、痛みで頭を冷やす。自分の中の熱が暴れないように、呼吸の回数を数える。

 今さら考えても仕方がないことは、考えないようにした。


 ◇


 日が傾きかけた頃、列の外側を別の部隊が追い抜いていった。


 魔導兵団。

 発光する術式板、胸当ての刻印、腰に提げた魔力石。彼らが行軍するだけで、周囲の空気の粘度が変わる気がした。温度ではなく圧だ。存在感の圧。

 隊列の先頭にいた青年将校が、荷台の徴兵兵を一瞥した。

 同情も嫌悪もない。道端の石を見るような無関心――そう見えたのは最初だけだった。


 将校の視線が、ふっと“ほどける”瞬間がある。

 荷台を流す眼差しが、剣のところで止まった。

 ほんの一瞬。

 だが、止まり方が違う。

 珍品を見る目でもない。嘲る目でもない。

 将校は馬上から身をわずかに乗り出し、レオンハルトの手元を見た。剣そのものではなく、姿勢。肩の落とし方。肘と手首の角度。重心。

 そこだけを、無駄なく抜き取るように。


「剣か」


 独り言のような声。

 しかし、その声には微かな熱があった。


 隣を走る副官が、軽く鼻で言う。


 「今どき、剣を持ち込むとは。怖いもの知らずか、ただの――」

 「違うな」


 将校は被せるように短く言った。

 副官が言葉を止める。

 将校は表情を変えないまま、視線を外さず続けた。


 「……あれは、剣を持っているんじゃない。剣を捨てていないだけだ」


 意味を噛み砕く説明はしない。

 だが副官の背筋が、わずかに伸びた。

 将校は最後に、レオンハルトの顔まで確かめるように見てから、ふっと口元を動かした。笑みではない。

 読めない、何かの確認を終えた顔だ。


 「面白い」


 それだけ言って、すぐ前を向く。

 魔導兵団は淡い光を揺らしながら遠ざかった。

 残された荷台には、言葉にならない感情だけが沈殿する。


 「あいつらが本命だ」


 誰かが呻くように言う。


 「俺らは……」


 続きは言えない。言えば現実になる。

 代わりに短い吐息が落ちた。笑いではない。逃げ場のない吐息。

 レオンハルトは目を閉じる。父の取り乱した顔が浮かぶ。母の震える声が浮かぶ。

 胸の奥が軋む。それを、自分の中で静かに折り畳む。折り畳めなければ、進めないから。


 ◇


 夜、野営。

 焚き火は少なく、火の周りには人が群がった。熱を奪い合うように肩を寄せる。空は深く暗く、星が刺すように冷たい。

 火の粉が舞うたび、誰かが反射で肩をすくめる。落ち着かない夜だ。

 レオンハルトは焚き火から少し離れた場所に座り、膝に剣を横たえた。鞘の冷たさが布越しに伝わる。

 眠れる気がしない。眠れば、夢に玉座の間が出る。父の背中が出る。


 背後で足音がした。


 昼に絡んできた若い男が、酒臭い息を吐きながら立っている。頬が赤く、瞳の焦点が甘い。怖さを酒で溶かし、余った分を他人にぶつけに来た顔だ。


「なあ、元王族」


 声は軽いが、芯が湿っている。


 「お前さ、なんで参加したんだ?」


 レオンハルトは答えない。

 答える義務がない。それでも、男は勝手に続けた。


 「逃げりゃよかったじゃん。コネとか……あー、ねぇか。元だもんな」


 下卑た笑い声が静かに響く。

 周囲の視線が遠巻きに集まる。誰も止めない。止めれば自分が標的になる。

 戦場へ向かう前の人間は、自分の恐怖を他人に押し付けたがる。

 レオンハルトは立ち上がった。

 剣は抜かない。父の言葉が脳裏をよぎる。


 「……退け」


 低い声。

 男の口が一瞬止まる。

 それでも虚勢で一歩近づく。顔が近い。酒の匂いが鼻を刺す。


 「剣で脅す? 抜けよ。抜いたら――」


 レオンハルトは動かない。

 抜かない。だが、退かない。

 それだけで空気が張り詰めた。火のはぜる音が、やけに大きい。男の瞳の奥に、僅かな揺らぎが生まれる。


 ――何だ、こいつ。


 自分より弱いはずの相手が、微塵も崩れない。

 それが、途轍もなく不気味だ。


 「やめとけ」


 横から年配兵が入った。


 「明日から地獄だ。今ここで削り合うな」


 男は舌打ちし、肩をぶつけるように去っていった。

 焚き火の音だけが残る。レオンハルトは息を吐き、膝の力が抜けそうになるのを堪えた。

 剣を抜かずに済んだ。

 だが胸の奥がざらつく。皮膚の内側を砂で擦られたように。


 ――こういうものから、目を逸らさずに歩く。


 それが、生きるということ。

 レオンハルトは布の下の掌を確かめた。

 血が滲み、鈍い痛みがじんわりと広がった。


 ◇


 数日後、北方戦線の前哨基地が見えた。

 木柵。見張り塔。泥と血の匂い。

 空には灰色の雲が垂れ込み、風が冷たい針のように肌を刺す。


 門をくぐった瞬間、怒号が飛び交った。


 「担架を運べ!」

 「弾薬を! 魔力石が足りん!」

 「補充兵! こっちだ!」


 兵士たちの目は虚ろだが、手は止まらない。

 ここでは命が安い。安いから回転が速い。

 レオンハルトたちは整列させられ、担当官の前に立たされた。

 担当官は背が低く、顔色が悪い。鎧は整っているのに泥がこびりつき、指先は常に震えている。長く前線にいるが、慣れたのではない。すり減っただけだ。


 「第一波、前線補充。歩兵に編入。武器は各自。魔法適性なしは――」


 言葉が切れ、担当官の目がレオンハルトの剣で止まる。

 ほんの一瞬、口角が動いた。笑みではない。計算だ。


 「……魔法適正なしは前へ。前へ出れば役に立つ」


 その場に短い沈黙が落ちた。

 誰も笑わない。笑える余裕がない。ただ、数人が視線を逸らす。別の数人が唇を噛む。理解は共有されている――前へ出る者の意味が。

 レオンハルトは表情を動かさなかった。

 担当官は続ける。


 「明朝、出撃」

 「生き残りたいなら、祈れ。魔導兵団が間に合うことをな」


 それで解散だった。

 レオンハルトは基地の空を見上げた。

 雲の向こうに太陽はあるはずなのに、光は届かない。この場所は空まで重い。

 彼は腰の位置を確かめるように帯を押さえ、呼吸をひとつ深く落とした。


 ――俺は剣しかない。


 それは弱さの告白ではない。確認だ。

 自分がどこまで落ちても、手の中に残るものの確認。

 そして、ほんの小さく思う。


 ――だったら、剣に全てを懸けるしかない。


 風が吹く。木柵が軋む。

 遠くで、魔獣の咆哮のような音がした。

 明日が来る。その事実だけが、やけに鮮明だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ