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この城へ来てから約八か月くらい経っただろうか。
あと半年で私も十九歳になる。
貴族学校を自主退学してから、怒涛のような勢いで時間が流れている感じだ。
私は普段この部屋にいるか、下の階にある図書室に引き籠る事が多いと思う。
そんな私に新たに追加されたのは、旦那様の執務室で執務の補佐ーーというには烏滸がましいが、書類の選別と翻訳された手紙の清書といった作業。
公爵家と取引している他国の商家から渡される書類は、相手の国の言語で書かれている事が多く、秘書官たちでは翻訳するのに時間がかかるらしい。他国語の読み書きは可能なので引き受けた。
それと義理母となった絶世の美女ヴィオレーヌ・カーマイン夫人による、公爵夫人としての教育。初めて義理母に呼ばれた時は緊張した。
私が現当主の妻で公爵夫人だと言われても、いまだに信じられずにいる。
公爵夫人としての教育は、特に何もなかった。お茶を飲みながら義理母の話に付き合うのみ。
この城の家政は家政婦長が取り仕切っているので、当主夫人は最終チェックをするだけで良いらしい。家政婦長が持参する侍女とメイドの出勤表、使用人たちの給料明細、備品や食品の仕入れ伝票や帳簿がソレだった。
夜会や茶会は準備や費用を考えると煩わしいという理由で、義理母の代から必要最低限しか主催していないらしい。
その必要最低限というのは、嫡男の誕生や結婚のお披露目。
私はそれすらも行っていない。
義理母は孫が可愛い過ぎて心配だから、お披露目はしなくても良いと言ってくれた。
これはーーおそらく義理母にとって、息子と孫の過去を思っての事なのか。私にとってはお披露目が免除されるのは有難い。
社交を広げるのは大切な事だが、ゆくゆくは全寮制の貴族学校へ入学するだろうし、次期当主の発表と成人の儀は王宮で済ませば良い話だ。
義理息子となった先輩が顔を出してくれるが、彼は旧舘で生活や仕事をしているので、気まぐれに弟へ会いに来た時に会話を楽しんでいる。
年の離れた弟が可愛いようで、会いに来る時は必ずと言って良いほどオモチャを持参して来るのだ。
そして、とても良い顔で爆弾を落としたのである。
「王宮の庭園で会った時、父上の魔力を浴びていたから。貴方が義理母となるなら、公爵家に残って弟の指導や補佐をするのも悪くないと思ったんだ。それと新たな兄弟の息吹も感じていたからね。私も兄弟が増えるのは嬉しい。ずっと一人だったからね。今だから言えるけど、兄弟に憧れていたんだよ」
ーーと、あの時に私が妊娠していた事に気づいていたと、義理息子になった先輩は笑顔付きで告げたのだ。
「父上の執着を初めて知った。まるでマーキングのように父上の魔力が纏っているから。きっと魔力が多い人間には気づかれていたと思うよ」
「それって……」
「義理母上……って、なんだか不思議な気分だ。今もマーキングのように義理母上を包んでいるよ。私は父上の血があるから目に見えているけど、他の人には雰囲気が変わった認識じゃないかな?」
「あ! 雰囲気が変わったと言われました」
ーーそう、ヴァネッサ・ホルン伯爵令嬢に。
「義理母上は学生の時から不思議な人だった。私が普通に女性と会話が出来るのは、祖母と義理母上だけなんだ。本当に女性がダメでね……いや、女性だけじゃないな。人間そのものという本質が受け付けない」
「先輩……」
「もう先輩じゃないでしょう? 貴方は義理の母になったのだから、私の事はラインハルトで構わない」
ーーずっと先輩で通していたので、先輩の名前呼びは難しい。
「……ハードルが高いですよ。先輩って意地悪でした?」
「意地悪か……良いね」
くすくす笑う素の先輩の姿。
ここが学校ではなく自宅内だからなのか、他人を寄せ付けない空気を纏っていない。
「私はね……自分の心を守る為にリックに縋ったんだ。彼には悪い事をした自覚はあるけどね。それでも手放せない。私とリックは二人で一つなんだ。私とリックは男女の夫婦が営む事をする仲なんだけど、これを聞いて気持ち悪いと思うかい?」
ーー先輩がブリュレ伯爵令息と深い仲だったとは初耳!
そもそも先輩の見た目が男性に見えないから、違和感すら感じない。
ブリュレ伯爵令息は先輩の心だけじゃなく、外敵から身を挺して守ってくれていたのだろう。侍従と護衛も兼ねているから、ブリュレ伯爵令息は剣術と魔法の腕を上げる努力をした。
ーー相手の為に努力するって素晴らしい!
「そっか……お二人は仲良しなんですね」
「これを聞いても変わらないんだね。父上の方は、かなり前から気づいていたと思う。だから私を解放する為に結婚を選んだ。その相手が貴方で良かった」
「先輩……長男として弟たちを宜しくね」
「勿論さ」
先輩が心穏やかに過ごせるなら、私も旦那様も力を尽くそうと思う。
今は自由に動く事は難しいのだ。
実は私ーー二か月前に男児を出産した事が理由で、周りが過保護になって自由に動けないのである。この城に来た目的は侍女として働く事だったのに、私の知らない所で色々な人が動いていたらしい。
城へ来て二週間後に体に異変を感じて医師に診断して貰ったら、なんと妊娠五か月!
これは確実に最後のアレである。
義理母は生まれたばかりの三人目の孫に夢中だ。
名前はラファエル、生後二か月。
この子も旦那様のミニチュアで、次男のアリスティドと瓜二つである。
私がラファエルを無事に出産したので、ようやく結婚式が出来ると私の両親と義理の両親が張り切っていた。旦那様が入籍を済ませているので、私はそれだけで良いと思うけど。
やはり公爵家としては、現当主の結婚を盛大に行いたいらしい。
ーー旦那様は初婚だし、当然と言えば当然か?
私の両親も一人娘の花嫁姿が見たいと言っている。
暇を持て余して刺繍をしていたが、余計な事を考えていたら手が全く動いてなかった。作業中の刺繍はベビー用のブランケットで、ラファエルの為に刺しているもの。
私が刺した刺繍があれば、子供はぐずらないらしい。刺繍を刺す時に魔力を流しているから、付与魔法の癒し効果が出ているのだろう。気を取り直して作業を続ける。
午後に差し掛かった頃、扉の向こうが騒がしくなった。
私がいる部屋は城の最上階であり、当主一家のプライベートな場所である。この場所まで足を運べるのは、公爵家の人間と執事、そして限定された侍従と侍女しか立ち入れない区域だ。
「ちょっと! レイモンド、いるのでしょう!?」
声が近づいてきている。
「お止め下さい。此処への立ち入りは禁止されております」
侍女と家政婦長が止めているのだろう。
「あたくしは公爵家の分家の人間よ?」
「ボワイエ伯爵夫人は部外者でございます」
侵入者がボワイエ伯爵夫人と判明したので、義理母に「またボワイエ伯爵夫人がお越しになったようです」と、手近にあったカードに記入して送った。
このボワイエ伯爵夫人というのは、何かと理由をつけて押しかけくる迷惑な人物。
彼女を初めて目撃したのは、私が城へ来た三日後。
先輩とお茶をするのに旧舘へ出向いていたので、その帰りの出来事だった。
その時は鉄壁なガードで玄関ホールから動く事はなかったけれど、その後は隙をついて部屋の前まで来たり、中庭を堂々と闊歩しているのだから唖然とする。
彼女は公爵家の人間みたいな振る舞い方をするのだ。
女性の名はサビーヌ・ボワイエ伯爵夫人、旦那様と同じ年齢で赤毛の髪に水色の目をしている。どう見ても公爵家の色をしていない。
カーマイン公爵家の血筋は、漆黒の髪色か青紫色の瞳を受け継ぐ。
ーー明らかに公爵家の血が一滴も入っていない、無関係な血筋の人間。
彼女は公爵家の分家だと言っているが、旦那様の説明では「数代前の当主に仕えていた侍従の家系だ。忠実な使用人に対する褒賞として、当時の当主が持っていた爵位の一つを譲ったにすぎない」らしい。
それが何故か自分たちは分家と勘違いしている。
旦那様も義理母も疑問に思っているようだった。
「レイモンド!」
いきなり部屋の扉が開いて、ボワイエ伯爵夫人と目が合う。
「あんた誰よ? ここはレイモンドの部屋だわ」
ずかずかと部屋の中まで入り込み、私が座っているソファの傍までやってきた。赤毛を緩く結い上げた髪型に胸が大きく開いた真っ赤なドレス、そして水色の宝飾品をゴテゴテと飾り立てーーまるで場末の娼婦。
ーー趣味が悪い。
この一言に尽きる。
私の私室を旦那様の部屋と勘違いしているのは想定内だ。
実際この部屋は旦那様の私室で、私の為に模様替えをしたに過ぎないのだから。本来は夫婦の寝室を中央にして、互いのプライベートエリアを分ける為に私室を儲ける。
旦那様は夫側の私室を私の部屋に作り替え、夫人の部屋をダイニングルームにしてしまったのだ。
私の部屋を彼の私室としても兼用しているので、旦那様が仕事で部屋を空けている時間以外は、ずっと一緒に過ごしている。
それよりもボワイエ伯爵夫人は、公爵当主である旦那様を呼び捨てで呼ぶのか。
一般常識でも有り得ない事だ。
私も旦那様に名を呼ぶように言われたけれど、ずっと「旦那様」と呼んでいた事と、名前呼びをするのが恥ずかしくて呼べていない。義理息子になった先輩の名前も呼べないというのに無理な話だ。
「ええと……ごきげんよう、ボワイエ伯爵夫人。他人の部屋の中へズカズカ入って来る方に、本心では挨拶はしたくないのですが。生憎と旦那様は不在ですのでお引き取りを」
「ーーは?」
「御覧の通り旦那様は不在です」
「あんた、レイモンドの世話係りなの?」
私が告げた「旦那様」を、城の「主」の意味を持つものだと勘違いしているようだ。
言葉の意味を間違える事は多々あるけど、当主が不在の部屋に私がいる意味を理解して欲しい。世話係りであるなら部屋の主がいなければ、待機室か別の仕事についているはずだろう。
主が不在中の部屋に使用人が勝手にソファへ腰を降ろし、優雅にお茶を飲みながら刺繍しているなら即刻クビだ。
彼女の言動やこれまでの武勇伝を耳にして、短絡思考で自分の感情に忠実なタイプなのは間違いない。きゃんきゃん吠える躾のなっていない犬のようだ。
旦那様みたいに冷静な判断が出来る者以外、上に立つ資格がないのだ。
目の前の事だけじゃなく、更にその先を見通す能力も重要である。これは父と長兄の受け売りではあるが、確かに必要な事だと思う。
「リリィちゃん」
そこへ義理母が駆け付けてくれて、私をぎゅっと抱きしめる。
絶世の美女に抱きしめられるなんて光栄の極み。
「義理母様、いらして下さったのですね」
「当たり前じゃない。リリィちゃんは、わたくしの義理娘よ」
ーー美女の義理娘になれて光栄です!
義理母とほんわかしていた所へ、ボワイエ伯爵夫人が水を差す。
「伯母様、その女は何ですの? レイモンドの部屋にいるなんて図々しいにも程があるわ! その女をクビにして下さいませ。あたくしのレイモンドの傍に侍るなんて許さないわ!」
ーー旦那様は何時から貴方のものに?
それに義理母を「伯母様」と呼ぶのは無礼過ぎる。
ボワイエ伯爵夫人が身振り手振りで動くものだから、大きく開いたドレスの胸元から立派なお胸がぽろりと零れそう。此処はそういった場ではないのに。
義理母も彼女の動きに眉を顰める。
「ボワイエ伯爵夫人、貴方に伯母様と呼ばれるのは不愉快だわ。それにレイモンドは既に妻帯者なのよ。二年前に結婚した事は知らせたはずよ。それに子供もいるわ。ああ、勿論ラインハルトの弟よ。貴方もご立派な夫君と娘が二人もいるじゃない。下の娘は聡明だと聞いているわ。貴方も鼻が高いわね」
「嘘よ! レイモンドが結婚するはずないわ。おまけに彼が子を作るなんて無理よ。ラインハルトだって、レイモンドの結婚に賛成するはずがないわ。この城に伯母様以外の女性が増えるなんて、あってはならない事よ! あたくしの夫はうだつの上がらない役立たずだし、下の娘はあたくしではなく夫に似て地味で陰湿な娘だわ。上の娘はあたくしに似て、殿方の目を惹く華やかで美しいのが自慢なの」
ーーボワイエ伯爵夫人は美醜で物事を判断するタイプか。
相手の容姿でしか判断が出来ないという事は、ボワイエ伯爵夫人の頭の中身は花畑に違いない。それに自分の装いを棚に上げて、自身の夫と下の娘に対して酷い言い草だ。
「はあ……」
義理母は深い溜息を漏らす。
そしてパチンと指を鳴らすと、パッと一瞬で二人の子供が現れた。
「まま?」
昼寝をしていたらしいアリスティドが、私の膝の上にいた事に驚いて目を瞬く。
ラファエルは義理母の腕にしっかりと抱かれている。
ボワイエ伯爵夫人は目の前に現れた、一歳と生後二か月の黒い髪色を持つ子供に声が出ないようだ。
「カーマイン公爵家の次男と三男よ。とても可愛いでしょう? わたくしの夫とレイモンドだけじゃなく、ラインハルトも可愛がっているのよ。この子たちが産まれて公爵家が賑やかになったの」
ボワイエ伯爵夫人はアリスティドを凝視している。
アリスティドの漆黒の髪色、そして青紫色の澄んだ瞳ーーその二つはカーマイン公爵家の正統な血筋の証だ。
髪と目の色だけじゃなく、旦那様の面影を持つアリスティドの顔。まだアリスティドは一歳を過ぎたばかりなので、幼児特有のあどけない顔ではあるが。
そして義理母が抱いている赤子も漆黒の髪色。寝ているので瞳の色は分からないが、髪色で公爵家の血筋だと判別できるだろう。二人とも比べるまでもなく、酷似している顔だ。
「レイモンドが父親? まさか……信じられないわ」
ボワイエ伯爵夫人は愕然とした表情で呟く。
そんなに旦那様の事が好きだったのか?
ーーいや、違う。
私の勘では彼女の態度は演技だ。
表面的には旦那様の事が好きで追い回している姿に見えるが、どちらかと言えば旦那様の立場に擦り寄っているとしか思えない。
旦那様の事が本当に好きなら、彼の立場を考えて行動するだろう。
「ーーそれで? ボワイエ伯爵夫人は此処へは何をしにいらしたの?」
義理母の冷静な声が室内に響く。
その声にハッと我に返ったボワイエ伯爵夫人は、自分が此処へ来た目的を思い出したようだ。
「レイモンドに融資の話をしに来たのよ。あたくしの資金の流れが止まってしまって、このままだと厳しいから……ほんの少しだけでも融通して貰えたら助かるわ」
先ほどとは比べ物にならないくらい謙虚な口調で告げる。
この様子だと経営が上手くいっていないのだろう。この城の近距離にある酪農業地帯がボワイエ伯爵領と呼ぶ土地だ。領地の位置から見ても、公爵領の一部を分け与えたものと分かる。
酪農業は家畜の餌や手入れに手間とお金がかかるものだ。
賢い領主なら投資や事業を立ち上げ、万が一の為に備えるものだが。ボワイエ伯爵家は投資はおろか、個人事業すら立ち上げていないらしい。
元は侍従が与えられた爵位と領地だから、領主としての勉強や経験がなかったのだろう。
領主から与えられた領地を繁栄させる為に、普通は勉強したり同じ酪農業をしている人に教えて乞うのが一般的だ。侍従なら元は貴族籍の末端だろうから、探せば伝手はあったと思う。
私なら本を読み漁って試行錯誤して繁栄させる。
それをしなかったから、水面下で悪徳商法や法を犯す事に手を染めた。
自業自得すぎて同情すら出来ない。




