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アングラード王国の北東に位置するカーマイン公爵領。
北部全域は王族が統治している王領で、その領境の隙間から東部まで広がる領地がカーマイン公爵領だ。この国一番の敷地面積を持っている。
そもそもカーマイン公爵家は、建国から続いている由緒正しい家柄。
始祖は初代国王陛下の王弟殿下で、その血は脈々と続いている。おまけに数代毎に王女の婚家先となっているので、カーマイン公爵家が王族である事は間違いない。
そんな由緒正しき名家のカーマイン公爵邸で、私は侍女として採用された。
これは私の父が見つけてきた仕事である。
カーマイン公爵領にある本邸で、ヴィオレーヌ・カーマイン夫人の侍女として働くこと。いざカーマイン公爵領へ向かう際に、メイドに採用されたマリアンヌ・ジリアン伯爵令嬢と同行した。
彼女はデビュタントの時に婚約者が見つからず、両親から家を出て働きなさいと言われたらしい。そこで商業ギルドで働き口を問い合わせたら、公爵家のメイドの仕事があると言われて飛びついたようだ。
貴族学校の時に先輩ーーラインハルト様に一目ぼれをしたが破局。
それでも忘れられなかったらしい。
不思議と先輩に想いを寄せるタイプは、危険な香りのする女性が多い気がする。
私は縁故の扱いで侍女は本採用だけど、彼女は三か月の間は研修期間で本採用ではない。勤務態度や休憩時間の様子をチェックされた上に、実務試験を受けた後に不合格を言い渡される。
恋愛体質はともかく、彼女の普段の行いと勤務態度によっては、正式採用に受かる可能性もアリという事か。
私はヴィオレーヌ・カーマイン夫人の直属の侍女になるので、メイドの彼女とは仕事内容が違う。
メイドは下働きに下級メイド、それと上級メイドと格差がある。
下働きはランドリーや厨房の下ごしらえが主な業務で、平民と元貴族籍の令嬢が多い。下級メイドは雑用係や清掃といった業務だろうか。上級メイドになると部屋付きになるので、メイドとして働く女性の目指す地位だ。
侍女は主人に付き従うのが仕事。
私がカーマイン公爵家に到着した日、案内されたのは豪華な客室だった。部屋に案内してくれたのは、テレーズさんという名の家政婦長である。彼女は邸内にいる侍女とメイドを含める、全ての女性従業員の責任者という立場らしい。
そんな彼女が部屋を間違えるはずはないと思うが、私は此処へは仕事で来ているので客ではないはずだ。
テレーズさんに訴えたが「ここで合っております」と、私を置き去りにして去って行ったのである。
私が案内された部屋は、客室としても疑問に思うくらい広いのだ。
内装や家具は落ち着いた雰囲気で良いのだが、私が立ち尽くしている室内にベッドがない。
ソファとテーブルのセットに、読書をする為のテーブルとイス。更にロッキングチェアが二つ。そして化粧台に文机と本棚。
この部屋と続いている小部屋には、湯を沸かす給湯室まで備えている。部屋の入口の正面は大きな窓にテラスまで完備していた。足元には花柄の入った絨毯が敷かれている。
そして部屋の左側に扉が二つ、右側に扉が一つ。
まず先に左側にある二つの扉を確認すると、片方は浴室とトイレ。もう片方の扉は男女の衣装がズラリと並んだクローゼットだった。ますます分からない。
右側の扉はベッドがあるだけの部屋だ。
部屋の中央に大きな天蓋つきのベッドが置かれ、家具と呼べるのは水差しを置くミニテーブルと、三人掛けのソファとテーブルのみ。
寝る場所があった事にホッとするが、私は侍女として雇われたはずだ。一般的に侍女は使用人部屋か、主人の隣の部屋を利用する。
クローゼットの中を一瞬だけ見たけれど、侍女服が一着も見当たらなかったのは気のせいだろうか。それに男性用の衣類まで。部屋着から正装用まで揃っていた。
この部屋は賓客用か女主人の部屋に近い。
私が使うべき部屋じゃないのは分かる。
部屋を出て扉の前に立ち尽くしていると、ミリアンさんというメイド長が近づいて来た。
「何か問題がございましたか?」
「問題大ありです」
私の言葉にミリアンさんが首を傾げる。
「私の部屋が間違っているようなのです」
使用人の立場で立派な部屋は間違ていると訴えるも、更に彼女は首を傾げるのだ。
「いいえ、間違いではありません。ここは間違いなくローレンス伯爵令嬢のお部屋でございます」
ミリアンさんが事務的に話す。
この部屋が私の職場だと言うのだ。
ーー侍女の仕事は主人に寄り添って動くものじゃないの?
「此処へは侍女の仕事として来たのですが?」
「侍女? 旦那様専用ですから似たようなものでございますね」
「ちょと待って、旦那様? カーマイン夫人の侍女として来たと思うのだけど」
「大奥様の侍女は間に合っております。それにローレンス伯爵令嬢の為に、あの旦那様がご用意した部屋ですので、間違いなく貴方様は旦那様専用です」
この部屋を用意したのはカーマイン公爵らしい。
それも約二年も前から準備していたと言うのだから驚きだ。部屋の内装もクローゼットの中も全て、カーマイン公爵が自ら指示を出したという。
普段は別邸に引きこもって仕事をしているのに、いきなり本邸に現れて「先に婚姻届けを出してきた」と、部屋の準備を始めたらしい。
更に生後三か月くらいの赤子を連れて来て、「予定より早く生まれて困っていた」と乳母に渡したようだ。髪色で間違いないと判断したようだが、どこから連れてきたのか説明がなかったらしい。
婚姻届けを出したと言われても、相手の女性の名すら告げないのだから、その言葉を信じられるはずがなかった。
再び戻らない日が続いて詳細は不明のまま。
また彼が姿を現した時に、今度は「妻に懐妊の兆しがあるから式は延期」と宣言したらしい。。
「……」
ミリアンさんの話の内容が理解できず、その場で硬直してしまった。
「テレーズ様が改めて邸内を案内するようですので、それを伝えに来ました。部屋に異常がなければ、テレーズ様が来るまでお寛ぎ下さい」
黙ってしまった私に構わず、ミリアンさんは要件だけを告げて去ってしまう。
私は立ち尽くしたまま。
ーーどういう事?
父はカーマイン夫人の侍女と言っていたはずだ。
そもそも父が知り合いに相談すると言っていたではないか。悪評の高い家で働かせたくないとか、色々と理由を言われたような気もする。私が結婚する気がない事を知っていたはずなのに。
王宮の仕事で父が失態を犯して、その見返りに娘を差し出す状況になったというのも考えられる。
ーー私はもしかして生贄?
カーマイン公爵令息とは顔見知りだが、父親のカーマイン公爵は私と面識はなかったはずだ。
それに女性不振なら、私を自分の世話係に選ぶのはおかしい。部屋の準備も二年前から始めていたなら、他の女性と間違えられている可能性もある。
私と同じ年ごろの伯爵令嬢で、髪も金色の女性なら溢れているのだ。
ーーこれは本人に確かめるしかない。
使用人じゃ間違いに気づかないだろう。
相手が伯爵家なら下手に逆らえない。
彼らは忠実に従っているだけで、疑問にすら思わないのだろう。
「ローレンス伯爵令嬢、お部屋でお待ち頂いても宜しかったのですよ」
いつの間にかテレーズさんが目の前に立っていた。
「ちょっと広すぎて落ち着かず……」
「そうでございましたか。いずれ慣れるかと思います。それでは改めまして、わたくしはテレーズ・バトン。この邸を取り締まる家政婦長の座におります。それでは邸の中をご案内させて頂きます」
「宜しくお願い致します」
私はテレーズさんの後ろについて歩き始める。
この邸というより城は五階建てで、旧舘と別館に本館の三つに分かれているらしい。外観を見た時は驚いた。王宮の城より規模は小さいが、それでも立派な城として成り立つ。
現在いる場所は本館でカーマイン公爵の住む場という事だ。旧舘はカーマイン公爵令息の住む場で、別館は前当主カーマイン老公爵夫婦の住む場所だという。全て通路で繋がっている為、行き来は可能のようだ。
私と同行して一緒に来たジリアン伯爵令嬢は、どこの場所へ配属になったのだろうか。本採用になっていれば、そのうち会えるはずだ。
この本館は主に、一階部分は来客用の場として造られたらしい。商談に使う大小の応接室に、夜会を主催した際に解放する大小のホールといったもの。更に温室とサンルームも茶会用に造られたものだろう。
二階が使用人エリアと客室。この客室は夜会を開催した時に、休憩所として使用するようだ。
三階部分が一般客用の客室と、賓客用の豪華な客室があるらしい。四階以降は家族以外は立ち入り禁止エリアのようだ。家族以外と言っても専属侍女と侍従、そして執事は例外に当たる。
おそらく上級メイド以上の立場の者しか入れないのだろう。
お世話役の侍従や侍女がいなければ、一人では何も出来ない貴族は多い。
四階は当主の執務室や資料室に保管庫等があって、五階がプライベートエリアだろう。当主夫妻の部屋に子供用の部屋まである。家族団らんのサロンもあるようだ。
ダイニングルームの説明がなかったが、食事はどこで食べるのだろう。
一通りの説明を聞きながら城の中を動き回ったせいか、歩き疲れてしまった。
「ローレンス伯爵令嬢には、マリンナが侍女として付きます。後の事は彼女に尋ねるように」
私を元の部屋へ案内すると、テレーズさんは仕事に戻って行く。
それにしても侍女として働きに来たのに、その私に侍女が付くのは不可解すぎるだろう。部屋の中は広くて落ち着かないし、何をすれば良いのか分からない。
図書室は四階にあると聞いたけど、足が疲れて動きたくなかった。
「眠い……」
無性に眠くて瞼が落ちそう。
私は隣に続く扉を開けてベッドへ直行した。このベッドが誰の物なのか分からないが、他にベッドがないので使わせて貰う事にする。服の皺など気にせず、そのまま布団の上に転がった。
どのくらい寝ていたのだろうか。
鼻孔をくすぐる懐かしい香りに意識が浮上する。
「……旦那様?」
私の体を包み込む温かな抱擁。
室内は既に暗い。
「起こしたか?」
目の前には二度と会えないと思っていた旦那様がいる。
暗闇なのに彼の姿が見えるのが不思議だ。じっと見つめていると、彼の手が私の頬を優しく撫でる。夢の中のはずなのに、しっかりと体温を感じる事に違和感を抱く。
「夢……よね?」
「夢じゃない」
彼がそう呟くと、私に口付けてきた。
長い口付けに意識が溶けていくのが分かる。呼吸が乱れ始めると、彼の手が私の体に落ちてきた。服を着たまま寝ていたはずなのに、私は裸体に剥かれていたらしい。
道理で体温がリアルに感じるはずだ。服を着ていないのだから、互いの体温が触れ合うのは当然だろう。彼の手が私に触れるのは、あの日以来だ。
「湯あみ……してない」
歩き疲れて寝落ちしたから汗をかいたまま。
あの邸では常に湯あみの後に行為が始まったので、私も気にしなかったけれど。さすがに汗をかいている状態で密着するのは無理。旦那様が気にしなくても私が無理だ。
私の僅かな抵抗すら動じない。
「どうせ汗をかくのは一緒だ」
そうして彼は私の体を簡単に陥落させる。
あの日々が蘇ったようだ。旦那様を待ちベッドの上で淫らに悶える甘い夜。彼の与える快楽に身を委ね、はしたなく声を上げながら闇に落ちていく。
ーーそんな夢を見た。
パッと目を開くと、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。
「ーー?」
身を起こすと自分の裸体が視界に飛び込む。
ーー夢じゃない?
体から感じる充足感に顔から火が出そう。
「ローレンス伯爵令嬢、お目覚めですか?」
扉をノックする音にびくりと身が震える。
彼女が私につけられた侍女のマリンナだろうか。おそらく初対面であろう侍女に、こんな姿を見られたくない。私が無言でいると、扉の向こうから小さな話し声が聞こえる。
扉が音を遮って良く聞こえない。
「旦那様、ご無体はなさらなかったでしょうね?」
「食事を置いたら、お前は出ろ」
途中から声が響いてきて、そんな言い合いの声が漏れて来た。
まだ顔を合わせていない侍女に、私はどんな顔をすれば良いのだろう。この部屋に入って来なさそうだが、私は布団を頭から被った。少しでも身を隠したい。
私が現実逃避をしている間に、旦那様が寝室に戻ってくる。寝起きに湯あみをしていたのか、石鹸の香りが布団の中まで漂ってきた。
ベッドに腰を降ろす気配に羞恥と混乱が入り交ざる。
「リリアーナ」
「……」
「まんま」
ーー小さな子供の声?
「ーー!」
もぞもぞと布団の上を蠢くもの。
そろりと顔を出すと旦那様と目が合った。私と目が合った瞬間、彼が眉間に皺を寄せる。旦那様は私と目を合わせたくなかったのだろうか。そんな不安な気持ちを抱いていたら、彼の手が私の目元を軽く拭う。
「なぜ泣いている?」
「ーーえ?」
はらりと涙が零れ落ち、私の頬を濡らす。
私は泣いていたらしい。これは悲しい涙ではなく、感動の涙だろう。ずっと顔が分からなかった旦那様は、漆黒の短い髪に青紫色の瞳。
そしてーーとても端正な顔をした魅惑的な大人の男性だった。
「旦那様と初めてお会いしたので……」
「そうか」
旦那様に布団ごと抱き寄せられ、その態勢のまま唇を奪われる。
寝起きに口づけられるのは初めてだ。明るい場所で口づけるのは、照れるよりも恥ずかしさの方が強い。何よりも昨夜の事が、脳内でフラッシュバックするのだ。
旦那様の腕から逃れようともがくが、余計に強くホールドされてしまう。私の息が絶え絶えになる頃に、ようやく旦那様の腕が緩くなった。
「まんま」
そういえばーーこの子の顔も初めて知る。
漆黒の髪に青紫色の瞳ーー旦那様のミニチュア。
私と旦那様の間に小さな体が入り込んできた。
「アリスティド」
「この子の名前ですか?」
「母上が勝手に名付けて提出したようだ」
旦那様が溜息交じりに言葉を漏らす。
彼は私が懐妊した頃、自分の両親に妊娠を報告したのだと言う。
旦那様の子供が先輩しかいなかった為、厳しい教育を無理に詰め込ませてしまった事。更に先輩は女性に言い寄られてアレルギー反応を起こすほど、女性不振の悪化が進んでいたらしい。
旦那様は先輩に対して、家督の重責と心の病に気づいてあげられなかった事を悔いているようだ。
そこで新たに子を儲ける事を考えるが、適当な女性では子は生まれない。ある程度の魔力量を保持している貴族女性でなければ無理な話だった。実家が借金を抱えて大金が必要な令嬢であれば、この計画は上手くいくだろう。
ある一つの賭けに出る事にする。
貴族学校の図書館に条件を満たす者が現れたら、紙切れが目の前に現れる仕掛けをした。条件は十六歳以上の年齢で純潔である事と、体内の魔力量は必須。補足で相手の本質ーー善悪の区別が判断できる者。
それをクリアしないと紙切れは現れない。
先輩が貴族学校へ入学した時に、旦那様が図書室へ入って紙切れに細工した。その細工は何年も稼働しなかったが、私に反応した事で実行に移せると、旦那様たちは動いたらしい。
本来は子を出産した後は、二度と接触するつもりがなかったようだ。
しかし途中で計画が崩れてしまう。旦那様は私を手放したくなくなり、私との結婚を考えるようになった。外堀を埋めて私が逃げないように囲い込む。
私の家の借金も悪徳業者の仕業で、本来なら完済済みになっていたと言うのだ。国から監査官を間に挟んで悪徳業者を取り締まり、返済の過剰払い分と規定の倍以上の慰謝料まで請求したらしい。
そして王都の邸も取り戻し、その時に父へ私との結婚話を持ち掛ける。婚前交渉をした後だった為、あまり良い顔をしなかったようだが、父は婚姻届けにサインをしてくれたと言う。
カーマイン老公爵夫妻に婚姻届けを提出したと打ち明けると、二人は息子が結婚してくれたと喜んだそうだ。
それよりも孫の誕生を待ちわびて、あれこれとベビー用品を買い漁る始末。
私が出産した当日に、旦那様はカーマイン老公爵夫妻に孫の誕生を報告。
母体が魔力欠乏症で弱っているから、落ち着いた後に名前を申請するとだけ伝えたはずが、カーマイン夫人が名前を考えて提出してしまったようだ。
そういった経緯で新たに増えた孫に、カーマイン夫人はメロメロになっているらしい。
普段はカーマイン夫人が面倒を見ているとか。
そしてカーマイン老公爵夫妻と、カーマイン公爵親子が話し合った結果、先輩は嫡男の座から降りる事が決定となった。元から先輩は公爵家から出たがっていたから、弟が出来てホッとしたのだと思う。
先日の舞踏会で正式に発表したようだ。
それにしてもーー私の知らない所で勝手に話が進んで、知らないうちに既婚者になっていたんですけど!?




