< 2 >
私が次に目覚めた時は、宿屋の部屋ではなく別の部屋だった。
「ここは?」
寝かされていたのは大きな天蓋つきのベッド。
天蓋のカーテンの見事な刺繍に目を奪われそうになる。
布団カバーにも見事な刺繍が誂えており、職人技と呼べる至高のものだ。それに枕カバーやシーツに至っても、高級素材だと分かる。
身を起こして室内を見回すも、人の気配を感じない。
ベッドから降りて部屋の様子を伺う。窓から垂れ下がっているカーテンは青紫色のベルベット素材。こちらも目が飛び出るほどの高級品である。床に敷かれている絨毯も美しい模様が描かれ、この一枚の絨毯で王都の邸が買えるはずだ。
全体的にアイボリーと青紫色でまとめられた部屋らしい。
家具も必要最低限の数に収められ、ここにあるのは大きなベッドとサイドボード。窓際に花瓶を置くミニテーブル、部屋の中央にはソファとテーブルセットが置かれている。
「あ! 私の荷物」
きょろきょろと室内を見回すも、私の荷物が見当たらない。
「お嬢様、お目覚めでしたか」
背後から声をかけられ振り向いたら、黒いワンピースに白いエプロン姿の女性。
淡い金色の髪を後ろで高く結い上げ乱れ髪の一本もない。背筋を伸ばし物腰がとても上品な様子から、上級メイドか侍女といった感じだろうか。
ーー彼女の年齢は二十代後半から三十代あたり?
「あの……」
「これは失礼致しました。わたくしは家政婦長のルセと申します」
「ルセ…さん?」
「お嬢様、呼び捨てで結構でございます」
「分かりました。ルセ、私はリリアーナと申します」
「リリアーナお嬢様ですね」
「ええ、それで私の荷物が見当たらなくて……それと、どうしてここにいるのかも分からないの」
私は王都にある宿屋で紳士と一緒にいて、彼と話をしている途中から記憶がない事を告げた。
「左様でございましたか。リリアーナお嬢様は、ぐっすりとお休みになられていたようです。よく眠られておいでの様子で、彼も起こすのが忍びなかったのでしょう」
「それは……迷惑をかけてしまったのね」
「お嬢様がお気になさらずとも大丈夫ですよ。それとーーお嬢様のお荷物はクローゼットの中へ片づけております。ここへ滞在している間は不要かと思いましたので」
ルセの言葉に首を傾げてしまう。
あの中には着替えも下着も全て入っているのだ。
他には学校で使用した教科書と辞書に、お気に入りの裁縫箱が入っている。
「着替えや裁縫箱は必要だわ」
「裁縫箱が必要でしたら、この邸にもございますよ。こちらのクローゼットの中は、全てリリアーナお嬢様の為にご用意したものでございます」
ルセに案内されてクローゼットの中を確認すると、そこには華美ではないが動きやすそうなワンピースや、上品なデザインのドレスが季節に合わせて数十着も揃っていた。
どれも仕立ての良い高級品である。
「うそ……こんなに? 私は雇われている立場のはずよ?」
雇われている立場で高級品を身に纏う勇気はない。
「ほとんどの物は普段着用ですので、お気になさらずとも大丈夫ですよ」
子供の頃は身に纏っていたが、五年前の災害以降は新しい服を仕立てられなかった。
母の娘時代のドレスやワンピースを仕立て直し、兄が結婚した後は義理姉のお下がりをリメイクして、何度も着回す事に慣れてしまったせいかもしれない。
「良いのかしら」
「謙虚なのですね」
「どうかしら? 自分では貧乏性だと思っているのだけど」
「リリアーナお嬢様、お食事はどうなさいますか?」
そういえば夕刻だった。
午後は紅茶を一杯飲んだだけで、何も口にしていない。
ただーー色々ありすぎて空腹を感じていないのだ。
「あまり空腹を感じてないの。そうね、スープだけ頂ければ嬉しいわ」
「かしこまりました。それと後程、裁縫箱をお持ち致しますね」
「あ!」
「リリアーナお嬢様?」
「図書室の場所を教えて貰える?」
「勿論でございます」
私はルセの後に続いて部屋を出る。
あの部屋は主寝室だったらしい。
大きなベッドにソファセットくらいしか家具がなかったので、そうだろうとは思っていたが。
寝室の隣にある部屋は邸の主のもので、普段は隣の部屋で執務をする事が多いらしい。
邸全体は二階建てのこじんまりとしたもので、ここの使用人はルセと執事、そして料理人が一人のみ。侍従と護衛は主に付き従っているので不在のようだが、邸全体に結界魔法がかけられているので不法侵入者は弾かれるらしい。
使用人の数が少ないのも納得である。
部屋数も必要最低限だった。
二階は先ほどの寝室と主のプライベートルームに執務室のみ。一階には晩餐用のダイニングルームと応接室、午後のお茶を飲む為のサンルーム。
そして図書室は一階にあった。
その他は厨房とルセたちの使用人部屋があるだけ。
玄関ホールも大きくはないが、さすがにルセ一人だけで管理するのは難しいと思う。
「わたくしは生活魔法の上級者なのです。このようにーー旦那様は大勢の者に傅かれるのを厭うので、この邸には三名しかいないのです」
ルセは魔法一つで管理しているようだ。
「凄いわ!」
私も魔法を使うのは好きだが、属性魔法より付与魔法を得意としている。
「リリアーナお嬢様、図書室はこちらですが……ご使用は明日以降にお願い致します」
「そうね、分かったわ」
夕食の時間の後はーー多分そうなのだろう。
家に仕送りするのが目的で仕事を引き付けたのだ。
今更後戻りは出来ない。
そして私はルセに促されてダイニングルームへ向かう。
テーブルは四人掛けのもので、あまり大きくはない。この邸の主人は一人で暮らしているのだろう。二階の部屋が一人分のものしかないのが決定打だ。
大勢の使用人に傅かれるのを厭うなら、この邸を拠点にしている可能性は高い。
そんなプライベートな空間に私がいて大丈夫なのか?
頭の中で考えるが全くまとまらなかった。
夕食を終えた後、ルセに浴室へ案内されて体を洗われた。
ほぼ生活魔法で成し遂げる。
体や髪を洗うのは大変な作業だ。そして長い髪を乾かすのも同様である。私の髪は巻き毛の金髪なので、手入れが本当に面倒臭い。寝起きが特に最悪とも言える。
巻き毛な上に寝癖が加わるのだから、朝は髪の手入れに時間を取られるのだ。
それなのにルセの魔法はスムーズに仕上げる。
私の実家では自分の事は自分でするのが当たり前で、こうして誰かに世話をして貰うのはくすぐったい。
「リリアーナお嬢様は、旦那様を待たず先にお休みになっても大丈夫ですよ」
「それでは仕事放棄になってしまうわ」
「今夜も遅くなると思いますのでーー旦那様がご帰宅されたら、ご本人がリリアーナお嬢様を起こされるでしょう。それまで休んでいた方が宜しいかと存じます」
「そう……」
寝室のベッドの上に横になる。
この邸の主人とはどんな方なのか。
子を欲しているという事は、私が産んだ子が嫡男ーー女児だったら婿養子を取る形だ。確実に私の実家の伯爵家よりも格上の身分だろう。
妻を娶らずに子だけを欲しているのは、女性が苦手なのかもしれない。
考えたくないがーー悪い趣向の持ち主だったら最悪だ。でも、それはないと断言する。使用人の数が少ないのは女性不振の線が濃いだろう。しかも女性はルセ一人しかいないのだ。
頭の中でぐるぐると考えているうちに、うとうととしてくる。
意識が夢の中へ沈む頃、人の気配を感じた。
「とても勇気のあるお嬢さんだ」
静寂な室内にベッドが軋む音が響く。
私の頬を撫でる感触に意識が浮上する。
ぼんやりとした視界に映ったのは、顔の認識がはっきりしない男性の姿。
髪の色は暗い室内では判別するのが難しい。
こげ茶か赤毛といった濃い髪色だろう。顔の認識が出来ないので瞳の色すら分からない。私を下に組み敷いた形で見下ろしている男性。湯あみから出たばかりなのか、バスローブを羽織っただけで前がはだけている。
均整の取れた引き締まった体に、おそらく長身なのだろう。
このベッドが大きいのは長身に合わせて作られたもの。
「お嬢さんは身を任せるだけで良い」
「……」
「怖いか?」
「少し……」
「無体な真似はしないと誓おう」
そう男性が告げると同時に、私が身に着けていた夜着をゆっくりと脱がせていく。
手つきがとても優しい。裸に剥かれた自分の姿を自覚すると、顔から火が出そうなほど恥ずかしくて。ぎゅっと固く目を閉じると、あまり育たなかった私の貧相な胸に彼の手が触れる。
「……」
どうしよう。
とても恥ずかしくて、このまま死ねる!
男性の大きな手が私の胸を覆い、軽く揉み回す。自分でも滅多に触らない場所に他人の手が触れる感触は、言い表せないほど不思議な感覚だった。
不意に濡れた感触が胸の先端に感じ、小さな声が漏れる。
ーーな、舐められてる!?
じわじわと不思議な感覚が体中に走っていく。
どのくらい時間が過ぎたのかーー自分の体が他人の手によって暴かれている。これまで体験した事がない、まさに未知な領域。次第に恥ずかしさも忘れて熱に浮かされた状態になっていく。
そしてーー男性の手が私の下半身を弄る。
何か液体のようなものを塗り込んでいるようだ。それが塗られた場所は熱を持ってむず痒くなっている。濡れた水音を自分が出しているなんて恥ずかしい。
男性が私の下半身に塗っているのは、媚薬の一種なのだろう。
意識が甘く溶けていく。
ゆっくりと時間をかけて液体を塗り込む。
「……っ」
吐き出す息も熱い。
「体から力を抜いてーー」
男性がそう囁くと同時に私の中に何かが入ってきた。
もしかして、これが誰かと一つになるという行為なのか。恋愛小説の知識しかないが、確かにその表現は間違いじゃないだろう。二つの体が一つに溶け合い、静かな室内にはシーツの擦れる音と二人の荒い呼吸のみ。
どのくらい続いていたのか、私は途中で意識を失って眠ってしまったようだ。
ルセの声で目覚めると、既に窓の外から明るい日差しが差し込んでいる。陽が高い所を見ると、ギリギリ午前中か午後に差し掛かる頃合いか。
「おはようございます、リリアーナお嬢様」
「……」
声が掠れている。
「お水をどうぞ」
水差しから注いだものを受け取り、こくりと水を口に含んで喉を潤す。
「寝坊してしまってごめんなさい」
「旦那様からゆっくり休ませておくように申し付けられておりますので、リリアーナお嬢様がお気に召す必要はございません。ですがーー湯あみをなさった方が宜しいかと判断し、お嬢様を起こしてしまいました」
昨夜の出来事が夢だと思いたいが、体の奥に感じる鈍痛。
そして関節や下半身に走る筋肉痛は、私に現実の出来事だったのだと教えているようだ。閨の行為があんなに濃密で恥ずかしいとは思いもせずーーそして自分の知らない姿を知って居たたまれない。
ルセに体を洗って貰いスッキリした所で、遅い朝食を頂く。
「本日はどうなさいますか?」
ルセに問われて思案する。
足腰に力が入らないので歩き回るのは無理そうだ。
ましてや階段を降りるのは自殺行為に近いだろう。油断したら足に力が入らず、階段を踏み外すのが目に見えるようだ。基本的に痛い事は避けたい。
「部屋でおとなしくレース編みか刺繍をして過ごすわ」
「裁縫箱をお持ち致しましょう」
私が過ごせる場所は限られている。
この寝室か一階にあるサロンと図書室のみ。
そもそも部屋数がないのだから、その中でゆっくり寛げる場所は寝室しかない。サロンはお茶を飲む為の場所であり、寛ぐ場所ではないからだ。
私の場合、大好きな本が詰まった図書室で寛げるタイプであるが、生憎と動ける状態ではない。
ここに滞在する期間は一年。
時間はたっぷりあるので、今日一日くらいのんびり過ごさせて貰う。
ルセが豪華な裁縫箱をテーブルの上に置く。
中を覗いてみると真新しい刺繍用の生地と、数十種類の刺繍糸と針。手前にある刺繍糸に触れると、私が使い慣れている糸と感触が違う。
ーーまさか絹糸?
刺繍糸は素材も種類がある。
用途によって糸を使い分けるが、ここにあるのは全て絹だろう。
私に差し出してきたのだから自由に使えという意味だ。
「どういったモチーフが良いかしら?」
「リリアーナお嬢様は、普段どういった物をモチーフにされますか?」
ルセに言われて思い出す。
「そうね……いつも草花といった植物が多いかしら? たまに家紋も刺繍するわ」
「わたくしからの提案ですが、青紫色の薔薇を中心に蔦と葉を縁で囲うデザインは如何です?」
「青紫色の薔薇……植物図鑑で見た事があるわ。イラストで描かれたものだけど、本当に美しい花だったのは覚えてる。残念ながら本物は見た事がないのよ」
この国の王族の人が趣味で交配を重ね、ようやく青紫色の薔薇を咲かせたと本で読んだ記憶がある。薔薇の交配を趣味にするなんて、まるで植物研究者のようだ。きっと何年もかかって咲かせたのだろう。
王宮の庭園に青紫色の薔薇が咲いていると思うが、王宮に近づいた事はおろか中に入った事すらない。貴族子女は八歳以上の年齢になったら、子供同士のお茶会に招待されるものだが、私は招待を受けても行く機会がなかったのだ。
母は私を産んだ後から体調を崩す事が多く、ほとんどベッドの上で過ごしている。
ーーそして、ドレスを用意出来ないのが一番の理由。
子供同士のお茶会は王妃か王太子妃が主催するものだ。
王族が主催する場に見すぼらしい姿で参加すると不敬に当たる。
女性のドレスは子供用でも高額なのだ。
そのドレス一枚で食費が二か月以上は賄えると思う。我が家では贅沢品はご法度。ドレスで着飾るのが好きなタイプには、我が家の暮らしは耐えられない環境である。
私はドレスで大金を使うより、本や刺繍糸やレース編みの糸を買う方が良い。
「リリアーナお嬢様は、魔法に興味はおありですか?」
「魔法書や魔導書を読むのは好きよ。私は属性魔法を使うより、付与魔法の方が得意なの」
「付与魔法ですか?」
「ええ、練習がてらに刺してみるわね」
私は練習用の布を手にすると、それを枠にはめ込んで小さな花を刺繍糸で描く。指先に魔力を流して癒しの付与を糸に注ぐのだ。僅か十五分で練習用の生地に刺繍の花が彩られる。
枠から生地を外してルセに手渡す。
「これは癒しの付与をつけたものよ」
「まあ!」
ルセが驚いた表情を浮かべる。
そして自分の腰を手で触って確認していた。
一通り確認し終わったルセは、私の手を握って感動したように声を漏らす。
「物凄い効果がありますね。わたくしの腰痛が和らぎました」
ルセの握る手に力が入る。
私はルセの言葉にきょとんとしてしまった。
「腰痛?」
「ええ、かなり前に痛めたもので慢性化していたのです」
「それならルセの為にハンカチを贈るわ」
裁縫箱から新たにハンカチ用の生地を探して手に取る。
「薔薇のモチーフは諦めるのですか?」
「時間はたっぷりあるから同時に仕上げるわ」
「楽しみにしております」
ルセの言葉に頷き、私は寝室にあるソファに座って刺繍に専念したのだった。
その頃、私を雇った男性は事務仕事に専念していたらしい。まさか同じ二階で過ごしているなんて思いもしていなかった。それだけ邸の中は静まり返っているという事だろう。




