7 裏
皆さんは、
魔法を信じますか?
魔法がある世界を、信じますか?
魔法の世界に生きている人がいることを、信じますか?
そして、前世を信じますか?
沙羅さんと共に、誰もいない病院の待合室の使い込まれた風体のソファに、どすんと座った。
「ねえ、龍斗。あの2人、会えてよかったね」
隣に同じように座った沙羅さんがポツリと呟いた。
「……はい。やっと、でしたね」
俺は沙羅さんに向きあい、跪きたい気を抑えて、そっと頭を下げた。
「沙羅さん……いえ、アンリシャール妃殿下。格別なご配慮賜り、心より感謝申し上げます」
沙羅さんは大きな目で一回瞬きして、大きく破顔した。
「とんでもないですわ。私の大切な夫と近衛の為ですもの。当たり前でしてよ」
そしてツンと澄ましたお顔でそのように仰った。まるであの時に戻ったようだ。
俺もそっと笑う。
そう、あの時。
俺たちの前世、だと思う。
この日本とは違う世界で生きていた。
沙羅さんは四季が巡る花の国、アジュール王国の第一王女、アンリシャール姫。
俺はアンリシャール姫の近衛騎士、クラウス。
そして、今の世界で兄にあたる仁は、精霊が集う銀の砂漠の国、イスファン帝国の第二皇子、スザク殿下。
そして都子。彼女はスザク殿下の『奴隷』、マリルーシャ。
兄さんと沙羅さん、そして分不相応にも俺と都子を含めたこの4人は、揃ってITテクノロジー溢れるこの世界に、なぜか生まれ変わったのだ。しかも魔法の世界で生きた記憶を持ったまま。
まあ、都子は先ほど記憶を思い出したのだろうけど。
俺たちは先ほど2人が互いに抱き合い、都子が号泣しているのをみて、そっと退室してきたのだ。多分あの様子だと、都子は兄さんに記憶を思い出したことを伝えたのだろう。
「まさかのショック療法だったね。都子ちゃんが思い出したの」
そういえばという感じで沙羅さんが話を続けた。俺もああ、と思い出す。
「兄さんが色々と風景とか、音楽とか、さりげなく試していましたけど、無駄でしたね」
まさかトラックが突っ込んでくるとは思わなかったが。偶然とはいえ荒療治すぎる。
「都子ちゃん、仁に会えて嬉しいでしょうね。仁もだろうけど。……あ、ねえ龍斗」
「はい?」
「都子ちゃん、私たちのことは思い出したのかな。あの事故してから目が覚めた後に、仁より先に私たちに会ってたけど、何も言われなかったよね」
……。
「思い出して、いると思いますよ」
でも、彼女はいつもスザク殿下最優先だった。何があっても、いつだってスザク殿下を気にしていた。俺と2人きりで過ごしていた時も。
「私たちのこと思い出さなくても仕方ないけど……。龍斗はそれじゃ嫌よね?だって好きなんでしょ?」
「え」
固まった。
「えっ……なん……え?……しって……?」
なんで知ってるんですか。
「え?」
俺の慌てた反応に、沙羅さんも驚いた顔をしている。自分の顔が熱くなっていくのが分かった。
「いや、あの、そんなんじゃなくて。気になってるだけで。どうしても目に付くことが多かったので、それだけで」
「え、ごめん。仁と絶対気にしてるよねっていう話はしてたんだけど、龍斗、どこかで言ってなかったっけ?」
「……いえ……誰にも言ってないはずです……。ということは俺の態度が悪かった……?態度に出ていたということか……?」
「だからごめんって。隠してたの?大丈夫だよ。マリルーシャ、気づいてなかったみたいだし。スザクが何かの時に言ってた」
「あっ、へえ……。そうだったんですか……」
……もう何も言わないでおこう。
「……あの、話変えたいんですけど。沙羅さん、兄さんが都子のこと探していた理由、ご存知ですか?俺は会いたいからって聞いたんですけど」
「私にもそう言ってたよ?それしか言ってなかったし、私もそれ以上聞かなかったし」
「……俺はそれだけじゃない気がするんですよね」
「案外本当に会いたかったから、だけかもよ。だってあんな別れ方だったもの。……それに私も、仁の立場だったら龍斗を探してたな。会いたかったから……、会って、お礼を言いたいと思うはず」
「……沙羅さん……あの、俺今とても感動してます……」
顔の熱も違う意味でまた火照ってきた。思いがけずジーンと胸に来る。仕えた甲斐があるというものだ。だがたとえそう言われなくても、アンリシャール姫は俺の唯一の主人だ。
「やだ。そんなに顔赤くしないでよ。当たり前でしょ?」
「沙羅さん、俺もあなたを、」
言いかけた時、待合室の外の廊下から誰かが来る足音がした。言いかけた言葉を止め入り口を見ると、そこから顔を覗かせたのは自分の父だった。
「ああ、龍斗、沙羅ちゃん。お母さんからここにいるって聞いて。もう遅いし帰ろうか。沙羅ちゃんもお家に送るよ」
「父さん、いつ来たの?兄さんに会った?仕事は終わった?」
「会った会った。さっき着いて、直接病室に行ったんだ。思ったより元気そうで安心したから、あとはお母さんに任せてきたよ。仕事も区切りがついてるし、このまま一緒に帰ろう。沙羅ちゃんもおじさんの車で送るから、お家に連絡いれておいで」
「分かった」
「おじさま、ありがとうございます。おじさまのお車で今から帰ると、連絡入れてきます」
「うん。待ってるね。……龍斗、びっくりしたね。お母さんから連絡が入る前に、お父さんの職場の人が知らせてくれたんだよ。灯籠川の校門前で交通事故があって生徒が巻き込まれたって。まさか仁とは思わなかったけど」
父はネクタイを緩めながら大きなため息をついた。父は警察官だ。部署はどこだと小さい頃に聞いたがはぐらかされて、いまだによく知らないが。
「俺も……。大きな音がしたと思ったら沙羅さんが兄さんと都子の名前叫んでて……、本当に驚いた」
「……ところで、その『都子ちゃん』って誰?一緒に事故にあった子だよね?さっき仁に泣きついてたけど。仁もその都子ちゃん?を抱きしめてたけど。……ねえ、仁って沙羅ちゃんと付き合ってるんだよね?そうだよね?じゃないとお父さん、安曇さんとこに顔向け出来ないんだけど」
「――はぁ?父さん、兄さんと都子が付き合ってるって言いたいんですか?馬鹿なこと言わないでください」
つい拳を握ってしまった。
「そんなの、沙羅さんに失礼でしょ」
「え?どういうこと?」
「すみません。お待たせしました。家に連絡つきました。おじさまにどうぞよろしくと」
「――大丈夫です。待ってません。沙羅さん、カバン持ちますね。帰りましょう」
後ろで混乱する父をよそに、俺は沙羅さんの学生カバンを持った。
「父さん、車どこに止めたの?早く行こう。それと金輪際そのことは口に出さないでくださいね」
「え?どういうこと?ねえ、龍斗。龍ちゃん。教えて?」
「おじさま、どうかされたんですか?」
「あ、あのね、沙羅ちゃん。龍斗にね、」
「父さん。それ以上沙羅さんにその話題言ったら怒りますよ」
あの2人の前世は『主人と奴隷』。それ以上でもそれ以下でもない。だが誰も、2人の間に立ち入ることは出来ない。なぜなら、あの魔法の世界における『主人と奴隷』は、スザク殿下の妻であったアンリシャール姫にも口出し出来ないほどの、強固な『絆』で結ばれている。
というより『呪い』だと、俺は密かに思っている。