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意識を失っていた時間は少しだったと思う。何回も声を掛けてきた沙羅も、途中から駆けつけて来た龍斗にも、自らの無事を伝えることが出来たし、救急車が来て色々と質問されたけど、確実に答えていたと思う。
だが腕の中にいた都子は、俺から少し離れた先に倒れており、ぴくりとも動いていなかった。俺や沙羅、龍斗の呼びかけにも反応せず、俺とは違う救急車に乗せられていった。そういえば、俺も都子も、横たわっていた場所が立っていた場所と違った。吹っ飛ばされたのか。
俺はといえば視界の半分が血に染まっており、自分で立とうとしても立てず、動こうとすると全身が傷んだので、都子と同じように速やかに救急車に乗せられて病院へ運ばれた。この感じはどこもかしこも打ち身をしているだろうな。
「いや、落馬の時の方が痛かった……」
「……らくば……?」
「あっ、らくばさん!らくばさんと試合した時の方が痛かったんですよねぇぇ!!兄さん、ぼこぼこにされてたから!」
「……記憶、混乱してる?何があって救急車で病院に来たのか、覚えてる?頭打っただろうから検査したけど、異常はなかったし、一時的な混乱かな」
「なんともないよ。全部覚えてるし大丈夫」
母が俺の寝ているベッドの頭もとで心配そうに言った。俺が救急車で運ばれた先は母の勤め先の病院だった。比較的この地域では大きな病院の救急科に勤めている母さんは、学校から連絡があったとしても、まさか息子と初療室で会うとは思いもよらなかったらしい。
俺がそう言っても、母はうーんと唸りながら足元にある電子カルテのパソコンを触りに行った。
「兄さん、変な言動は慎んで下さい。フォローする俺の身にもなって。まさか本当に混乱してるんですか」
母がいた反対側では龍斗がボソボソと俺に囁いた。
「あれでそんなことになるはずないだろ。龍斗、都子はどうした?怪我の具合は?都子に会ったか?」
「俺も会ってないです。でも沙羅さんが森山さんの荷物持ってたので、少しでも会えないか聞いてみるとは言ってましたけど……」
「ねえ母さん、俺と一緒に運ばれてきた子、いたよね。森山さん。その子の怪我は?」
「……え?ああ、あの子も大丈夫。仁、あの女の子を庇ったんでしょ?あの女の子も検査してるから心配しないで。今は自分のことだけ考えて」
「会える?」
「今は会えない」
「なんで」
「今は2人とも安静が大事。それに今会う必要ないでしょう」
「じゃあ母さんは会ったの。眼は覚めてる?都子の怪我はどんな感じ」
「運ばれて来た時に少しね。仁ほどの怪我じゃなかったし、他の先生が処置してくれてるから、心配しないで」
「……ところで龍斗、俺の荷物は?スマホは、どこにある?」
「あー、そう言えば……。兄さんの荷物も沙羅さんが持ってた気がします。取りに行ってきますね。また戻ってきます」
龍斗がさっと席を立って病室の外へ出た。
「もう一回言うけど、仁、頭打って血が出てたんだよ。そんな人を動かせません。今は2人とも安静です」
「分かった。分かったから」
母の言う通り俺は頭に包帯を巻いている。頭を打ち切ったのか、目が覚めた時に視界が赤く染まっていたのはそのせいだ。
「まあ、後で聞けばいいか……」
眼を閉じながら呟く。早く龍斗が戻ってこればいい。
遠くで扉を叩く音が聞こえる。おかあさんが席を立ち、対応してくれていた。私はベッドに寝転がったままぼんやりとそのやりとりを聞いていたところ、母が私に話しかけてきた。
「都子、学校のお友達がカバンを持ってきてくれたよ」
「森山さん!よかった。会えて。怪我はどう?カバンを渡したかったの。中身が散らばっていたから集めたんだけど、足りないものないかな」
来ていたのは安曇さんと龍斗さんだった。
「……ありがとうございます」
起き上がって安曇さんから通学カバンを受け取った。声が震えた。
「あの。堂坂先輩に、会えますか」
「……今?」
「都子、今はやめておきなさい。また学校で会えるでしょ?お礼とかならお母さんが言うから」
「待っていてください。聞いてみます」
おかあさんはそう言ったけど、龍斗さんがさっと身を翻して病室から出ていった。
おかあさんが何か言っている。それを受けて安曇さんが何かを話している。でも何を言っているのか、分からない。 私の心を占めていることはひとつだった。
しばらくすると龍斗さんがまた病室に来た。その後ろに看護師さんもいる。
「会えるって。でも、森山さんが兄さんの病室へ行ってもらう形になるんだけど、大丈夫?」
「会えるなら、大丈夫です」
看護師さんに手伝ってもらって、車椅子に座った。今になって初めて、自分の怪我の具合を把握した。足に包帯が巻かれており、動かすと痛んだ。さりげなく頭を触るが、包帯などはしていない。他は腕に何箇所も擦り傷と打ち身をしている。でもそれだけだ。
そう、それだけ。
もうすぐ、会える。
「……仁。特別に、だよ。会ったらすぐ相手の子も病室に戻るんだからね」
「分かってる。ありがとう、母さん」
ベッドから母の助けを借りて身体を起こした。
不意にノックの後にドアを開ける音がした。入り口を見ると、車椅子に座った都子がいた。
俺は床に足を下ろし、ベッドに座り直した。動かすと全身が鈍く痛んだけど、気にしなかった。
車椅子が押され、都子が俺のいるベッドに近づいてきた。
都子はずっと俺の顔を見つめている。
まるで俺の顔を通り越した先にある何かを見るような。笑顔もない。
それは俺もだった。重なる。都子の顔が。あの顔に。やっぱり似ているようで、似ていないんだな。
俺の座る斜め前に車椅子が停められる。俺は都子と向き合った。都子の頭に、包帯は巻かれていない。
俺はゆっくりと、都子の顔から目線を外し、彼女の膝の上に目線を向けた。そして自分の両手で都子の両手を掬い、両の親指で、ゆっくりと都子の手の甲を撫でる。俺とは違う場所に擦り傷がある。打ち身で皮膚が変色したところはずいぶん痛そうだ。それを認識した途端、口からするりと言葉が出た。
「悪かった。痛かっただろう」
都子が眼を見開く。その口がわなないた。くしゃりと顔を歪め、吐息のような声で小さく何かを呟く。
それを合図に都子が俺を抱きしめた。俺も都子を受けとめる。
泣き出した彼女の嗚咽に混じり、途切れ途切れに返事が聞こえた。まるであの頃に戻ったような。
そして、今度は俺が小さく呟いた。
「ずっと、もう一度会いたかった。マリルーシャ」
途端、泣き声がもっと大きくなったのは言うまでもない。
――――
スザクさま。
いいえ。私はあなたの半身ですから、どうか気にしないでください。