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「よう。来てくれたんだ」
次の日の授業後の部活見学時間、私とゆりちゃんと、今日は一緒に来てくれた彩月は剣道部に来ていた。
「堂坂先輩。昨日はすみませんでした。迷惑かけて」
「なんのことだ?今日はゆっくり見ていって。で、後ろの2人は友達?」
「はい!」
「見ていってね。そんでよかったら入部してね。女子って少ないんだよな」
それだけ言って堂坂先輩は練習に戻っていったが、見学後も話しかけてくれた。ゆりちゃんと彩月は他の部員の人から竹刀を貸してもらい、初心者のごとく素振りをしている。
隣に座る堂坂先輩が私の方をじっと見つめてくる。この先輩の兄弟たちは人を見るのが癖なのだ。きっと。そうじゃないと耐えられない。私が。でも昨日よりは慣れてきていた。
「ねえ、中学どこ?」
「中央第三中です」
「へえ、遠くない?そこ。何で来てるの?どのくらいかかる?」
「自転車と電車と歩きで、大体1時間くらいです」
「やっぱり遠い。なんで灯籠川?」
「……大学附属なので……あと偏差値です……」
「ああ、合格すれば全員大学入学出来るもんなー。そういうやつ多いよ。ここ」
「やっぱりそうなんですね……。あの」
「なあに?」
「……なんで、そんなに、構ってくれてるんですか……?昨日も、聞こうと、したんですけど、聞けなくて……」
「ああ」
隣に座る堂坂先輩はにこりと笑った。
「君さ、入学式の日、別館の芸術棟の写真展にずっといたよね。龍斗が教えてくれて」
「……はい、いました……。えっ、まさか」
「あそこの写真展の写真で君がずっと眺めていたやつ、俺が撮ったんだよ。まさか別館まで来てる新入生は、あの日珍しいし、ずーっと動かなかったから、立ったまま寝てるんじゃないかと思うくらいだったらしい」
「……えっと、あの、王宮と、夕焼けのやつが、気になって……あああ……」
「恥ずかしがってるの?俺は嬉しいなー。見に来てくれる奴、ほとんどいないし。」
ねえ、よかったら今度芸術棟に行かない?龍斗と沙羅も誘うし。他の飾ってない写真も見せてあげる。
先輩からのお誘いを、一昨日入学したばかりの私が断れるはずもない。
「あっ、この写真です。とても綺麗で……、ずっと見てました」
「あーこれね。ありがとう」
「仁って器用なんだよね」
「器用貧乏の間違いじゃないですか?なんでも器用にこなすけど突出してるものないですもんね」
1週間後、部活の見学期間も終わった時期。この3人の先輩たちにマンモス校の象徴とも言える別館の芸術棟に案内してもらった。
「あの、この写真、大会で賞を取ったものなんですか?」
写真の下には、撮影者の堂坂仁という名前。そしてタイトルと、コンクール名と賞の名前も記載してあった。
「あーそうだっけ?」
「去年トルコに行った時の写真よね。龍斗と私が出したの。そうしたら優秀賞取っちゃって。仁のおじ様もおば様もびっくりしていらしたわ」
『ブルーモスクと陽射し』というタイトルだった。夕焼けを背景に綺麗な宮殿が写っている。隣に続くのはブルーモスクだけではない、トルコの雑踏の写真だったり、市場だろうか、綺麗なランプが並んでいる写真だったり、色んな景色が映し出されている。そしてそれは机の上に出された分厚い現像されたアルバムにも載せられていた。
「……堂坂先輩はトルコが好きなんですか?」
「好きだよ」
即答だった。
「雰囲気がね。トルコの街並みとか、このブルーモスクの内装、見たことある?タイルが貼られていて、ステンドグラスもたくさんある。」
そう言って先輩は携帯を操作して写真を見せてくれた。
「きっと君も好きになる」
一瞬、息が詰まったような、緊張感のある空白の時間があった。
堂坂龍斗先輩とアズミ先輩が目を交わす。私には訳が分からなかった。
「ねえ、ところで」
堂坂龍斗先輩が声を上げた。
「森山さん、写真好きなの?」
「えっと、別に、そういうのじゃないんですけど…。」
そうなのだ。私は別に写真を見るのが趣味ではない。むしろ趣味はかろうじて読書というくらい、無趣味と言ってもいいほど、趣味はないのだ。
「入学式の日の、両親との待ち合わせ時間まで時間があって、たまたまここに入ったんですけど、この王宮の写真のモザイクの細かい模様が、気になって……。どんな模様なんだろうってずっと見てたら、時間が経ってて。だから」
「へええ。そうだったのね。残念だったね、仁。なかなかこの年齢で写真見るのが趣味の人、いないから、話しかけたがりなんだよ」
「悪かったな。話したがりで。おれはこの夕陽とモスクが重なる時間を計算していちばん綺麗に見える瞬間を撮ったんだぞ。何日かかったか」
「撮り鉄ですか、あなたは」
そうして話しながら、全ての写真を周り終えて芸術棟を出た。
「ね、そういえば」
アズミ先輩が私に話しかけてくる。
「どこの部活に入るの?」
「えと、部活じゃなくて読書クラブに入ろうかなって、思ってます……。あの、弓道部も、剣道部も、せっかくあんなに誘ってくれたのに、すみません……」
「あら、そんなことないよ。人にはスポーツの向き不向きがあるし。読書クラブかー」
そうなのだ。見学を押し付けられ……もとい、勧められた弓道部と剣道部はやめて、読書クラブに入ることにした。ただ集まって本を読むだけのクラブだ。無趣味の私の、唯一の趣味。
「……もし、興味が出てきたら、またおいで。いつでも歓迎だから」
「はい。ありがとうございます」
そう言うと、堂坂仁先輩は微笑んだ。
こうして、私に構ってくれる不思議な先輩たちとの交流は一旦終わりを迎えた。
――――
「マリルーシャ。失態だな」
「……」
「同じ奴隷のよしみで、申し開きだけ聞こうか」
手のひらがヒリヒリする。お辞儀を揃えなきゃいけない場面を間違えて、先程神官たちに叱られ手のひらに鞭打ちを受けたばかりなのに、ここでも叱られている。
「……申し訳ありません」
「ハァ?」
謝ったら余計怒られた。
「お前ら、いい加減にしろよー。もうマリルーシャも反省してるだろうし、いいだろう?お付き部屋に戻れ。俺もナディアのところに戻らなきゃいけないし、アーキル、マニラさまがまた癇癪起こしてるらしいぞ」
「またですか、あの方は!あっランセ、またあなたは主人を呼び捨てにして!いい加減にわきまえて下さい!それにこういうのはきちんと反省させないと、このぼんやりまた繰り返しますよ!じゃあ僕は行くんで!」
アーキルは嵐のようにキリキリしながら足早に去っていった。
「ただいま戻りました」
「おかえり。たくさん怒られた?」
「はい。……スザク様にもご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「別に迷惑はかけられていない。手のひらを見せて。で、なんでよそ見してた?」
絨毯の真ん中に2人で座り込む。スザク様は擦られて赤くなっている私の手のひらに軟膏を擦り付けてくれた。
「……陽がタイルに差し込んでいて綺麗で、……見惚れていました」
「……それだけ?」
「……それだけです」
「……綺麗だからな、あの宮殿。俺も好みだ。あまり入る機会がないから、余計に。でもそれでお前が怒られるのは本末転倒だ」
そうして苦笑いしていたのを覚えている。