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正直に言うと、あの後すぐ、病室から連れ出された。
あの腕の隙間からちらりと見えた白衣を着た女の人から、血圧が……出血が……との声が聞こえた。それにおかあさんが謝っている声も聞こえた。その場でおかあさんからとても怒られ、そして泣かれた。おかあさんが泣く姿を見たことなかったから、私はあっけに取られて、ごめんなさい。と言ってしまい、すぐさま病室から連れ出された。
そして戻った病室で、彼とはどんな関係か?ともちらりと言われた。
でもそれに対して私は何も答えられなかった。
7月。
夏休みだ。夏期講習だ。夏だ。勉強だ。夏期講習だ。
あんな事故にあったのに、時間は無常にも過ぎていく。あっという間に夏休みがやってきた。
私の打撲も、気味の悪い紫色から同じように気味の悪い黄土色を経て、元の肌に近づいていき、大袈裟な足の包帯も絆創膏に変わった。
終業式の日はすでに病院を退院していたが、しばらくは休養を、と言うことで、登校することが出来ず、今日が初めての登校となった。
彩月からはわあわあと多分一生分の大丈夫か、怪我の調子はと聞かれた。若干最後の方で彩月の声を聞き飽きてきたのは仕方ないことだと思う。夏期講習は昼で終わるので、部活がない生徒は帰っていくのがほとんどだ。部活がある生徒は昼食を食べた後部活をしていく。ちなみに私が所属している読書クラブは夏休みは自由参加だし、出席なんか取らない。と言うことで私は彩月と別れて剣道部に来ていた。
奇声もとい、掛け声が聞こえる。中に入る勇気がなくて、入り口をウロウロしてしまった。やっぱり、彩月かゆりちゃんに着いてきてもらうんだった。いや、来てもあの人と会った後、なんて言って帰ってもらえばいいかわからないから、来なくていい。そしてとうとう、ウロウロする私を見つけた剣道部のジャージを着たマネージャーさん…かな、声を掛けてくれた。
「どうしたの?何か用?」
「あ、えっと。……すみません。堂坂先輩……、いらっしゃいますか」
口の中が緊張して乾き、声が震え、ついでにカバンを握りしめている手も震えた。
そんな私に気付いたのか気付いていないのか、マネージャーさんは、困った顔をした。
「堂坂先輩ね、怪我で部活禁止なの。だから来てないよ」
「今日、学校は来てました……か?……」
「ごめんね。それも私知らなくて。同じ3年の先輩なら知ってると思うから、まだ稽古中だから待ってもらうことになるんだけど」
「あ、いえ、それでしたら、大丈夫です……。ありがとうございました」
ぺこりとお辞儀をして武道場から足早に去る。私にはもう一つ当てがあった。
とすん、と音がする。弓道場だ。武道場と距離がたいして変わらない場所に弓道場がある。
歩いていくと的が見え、そこに突き刺さる矢も見えた。
弓を引く板場に目が入る場所までそのまま歩いていくと、目当ての人がいた。
もう一度、元来た道を歩き、弓道場の入り口へ向かう。私が戸を叩く前に、ガラリと戸が開いた。
「――森山さん」
顔を出したのは安曇先輩だった。
「久しぶり。怪我、大丈夫?今日はどうしたの?」
落ち着いた声。泣きそうになった。
「……仁先輩、学校に来ていらっしゃいますか」
「来てるよ。夏期講習終わった後は図書室に行くって言ってた。そこに行けば、会えるんじゃないかな」
「ありがとう、ございます。……行ってみます」
「森山さん」
安曇先輩は微笑んだ。
「仁と、ゆっくり話をしておいでね。そのあとでいいから、私たちとも改めて、お話ししてほしいな」
優しく話す安曇先輩の後ろから、龍斗先輩が現れた。安曇先輩とは対照的に笑顔もなく、緊張した面持ちをしている。
「……もちろんでございます。この、長い間、お二人にはご迷惑をおかけし、……お詫びのしようもございません」
「いいのよ、それは。今度話が出来たら、それでチャラ!あ、でも待って?」
連絡先、教えて?
輝くような笑顔で安曇先輩は言った。その後ろで龍斗先輩が困ったように笑っていた。
SNSを安曇先輩と龍斗先輩と交換してから、私は図書室へ向かった。
図書室へ繋がる階段をゆっくり上がる。誰にも会わなかった。
蒸し暑い階段では私のスリッパの音だけが響いた。
退院してからこんなに歩くことがなかったから、疲れで少し足が震えている。それでも階段を登った。階段から廊下に面した窓が見える。そこから夏特有の晴れ上がった青空が見えた。
綺麗だ。とても。まるで、あの、景色。
あともう少しというところで、ふと、視界の端に人影が映った。でも逆光でよく見えない。つい目を細めるが、すぐに誰なのか分かった。
仁先輩だった。
生え際に近い額には大きな絆創膏が貼ってある。それ以外、変わらない。7月に校門前で会ったときのままだ。
仁先輩はずっと口を噤んでいる。だから私が口を開いた。
「……仁先輩」
彼は何も言わない。会えたら何を話そう。何を言おう。ずっと考えていたはずなのに、言葉が続かない。
――いや、自分の思うままに伝えよう。伝えれば良い。お顔をちゃんと見て、前を向いて。
「私はあなたの奴隷なのに、長く……お側を、離れてしまい、申し訳ございませんでした。――スザクさま」
さあ、もう一度。
「今一度、スザクさまにお会い出来て、とても、とても、嬉しく思います」
「――俺もだよ」
言い切った後に俯いた私の前に立った、知っているようで知らない人は、やっと表情を崩した。
「もう一度、お前に会いたかった。アンとクラウスがいたから、絶対にお前もいると思っていたのに、今までどうして会わなかったんだろうな。あの2人に会わなかったとしても、俺がいるのに、お前がいないのは筋が通らない。なのにやっと見つけたと思ったら、記憶がない、覚えてない。写真とか、音楽とか、見せたけど、思い出さない。しまいにはトラック。お前のせいじゃないとは分かってるけど、死ぬところだったんだぞ」
スザクさまは階段下にいる私の横まで降りてきた。
「……すみません」
「もう思い出したんだから、泣くな」
「止まらないんです」
「目が腫れるぞ」
「止める努力をしていますけど、止まらないです」
「……なら、仕方ないな」
私の頬を軽く撫でるざらついた手が、ひんやりとしていて心地よかった。
「なぜこの世界に、イスファンの記憶を持って生まれてきたのか、分からない。でも、お前に会えたら、ずっと言おうと思ってたことがある」
「何をですか……」
「お前に、謝りたかった」
「謝る……?私に、スザクさまが、ですか?」
「そう。だって」
「俺がお前を殺したんだ」
――――
夕焼けから夜に変わる時間。バルコニーの欄干に腰掛け、手遊びのように揺れるスザク様の手のひらには炎が巻くように出現している。私は室内からその様子をじっと見ていた。みじろぐと、腹部の傷が痛んだ。私の衣擦れの音にスザクさまがこちらを向き、慌てて欄干から降りて室内に入ってきた。
「マリルーシャ。痛むのか。痛み止め、飲むか」
「いえ、大丈夫です。少しだけなので」
「……お前、今日の夕食の時、控えるのよせ。他の、姉上たちの奴隷に任せて、神殿の方で休ませてもらえ」
「いえ、本当に大丈夫です。行きます。医官からもらった痛み止めも追加で飲みますし、包帯と帯で固定すれば、それほど傷まないので」
「……無理しないで」
スザクさまはそのまま私を抱きしめた。
「……悪かった。痛かっただろう」
もっと、俺が強かったら。お前は傷を受けずに済んだのに。
スザクさまの心の声が聞こえるようだ。いいえ。どうか、気にしないでください。私はあなたの半身ですから。




