45話 過去14
僕が一歩踏み出すと、その瞬間、ロイの顔が悪魔の笑みのようになった。
「あぁあ、リリン、動いちゃったね、俺言ったよな、動くなって」
「っ、うるさい、ママを離せっ!」
僕は痛む体を無理やり動かして、ロイへと攻撃をしようと試みる。
「…………まぁいいさ、どの道その様子じゃ逃げたりはできないだろう………試してみようじゃないか」
ロイが狂気じみた笑みを浮かべたその瞬間、聞きたくなかった音が響きわった。
重苦しい音が空気を裂く。
ロイの手に握られたナイフが、一瞬のうちにママの喉元を横に走る。
「ぁっ!?」
母の目が驚愕に見開かれ、口がぱくぱくと意味をなさない言葉を紡ごうとする。
しかし、声は出ない。
赤黒い液体が喉から溢れ出し、ママの体が崩れ落ちる。
「マ……ママ……?」
リリンの手が震えながら母へと伸びるが、その指先が触れる前に、母の体はぐったりと倒れ込んだ。
床に広がる鮮血。
辺りに漂う鉄の臭い。
あの時の、レインの部屋ととても似ていた。
「ははっ、やっぱり綺麗だなぁ!」
ロイがナイフを振り、血飛沫が床に散る。
悪魔のような笑みを浮かべたまま、ゆっくりとリリンを見下ろした。
「なあ、動くなって言っただろ? お前が悪いんだぜ?」
その言葉が決定的だった。
リリンの中で、何かが……いや、何もかもが、弾け飛んだ。
「ロイィィィィィィィ!!!!」
絶叫と共に、リリンの視界は真紅に染まった。
理性も、恐怖も、痛みすらも吹き飛んだ。あるのはただひとつ、ロイを引き裂くという純粋な殺意のみだ。
力のコントロールは依然として出来ない。
それどころか更にコントロールが出来なくなった。
だけど、炎と僕の意思は一致しているのか、その勢いはロイへと向かっていかんと強烈になってゆく。
「………は、はは、これは予想外だ、こんなにも大成功するなんて!」
「コロスコロスコロスコロス…………」
「怖いな、今まで良い暮らしをさせてやったじゃないか、少しは恩返しをしてもいいんじゃないのか?」
「……コロスッ!!!」
僕はその手をロイの方向へ向けて振りかざす。
もうそこにロイが居るのかなんて関係ない、ただ、殺すだけだ。
ロイは少し大袈裟に飛び跳ね、僕の攻撃を避ける。
「この距離でこの威力…………くく、最高じゃぁないか、もっと、もっと見せてくれ!」
「ッ!!!」
何度も何度もがむしゃらに腕を振り続ける。
しかし、それは一向に当たる気配は無い。
それでも、この炎の熱はロイにも届いているのか、次第にロイの顔から余裕が失われていった。
「…………そろそろ終わりにしたいところだが、困ったな、このままじゃこの俺でも倒し切ることは出来ないな……くそっ、こんな事になるならもっとちゃんと準備しておけば……」
ロイは僕の攻撃を避けながらまた懐の中からものを出す。
「…………これが効くかは分からないが、とりあえずはやってみるか」
ロイがそう言うと、僕の知覚出来る速度ギリギリで胸元にナイフが迫ってきた。
慌てて手を前に出し、そのナイフを防ごうとする。
「ははっ、やっぱり無理だったか!」
ナイフは僕の炎によって瞬時に融解した。
僕はその報復として瞬時に拳を振り上げる。
攻撃後すぐの奇襲だったからかロイでも流石に避けきれないようだった。
ロイの体が弾かれたように吹き飛ぶ。
「がっ……!」
拳が捉えた瞬間、強烈な熱が爆発するように弾けた。
ロイの体が空中で回転し、背中から床に叩きつけられる。
火花が舞い、焦げた衣服の切れ端が空中に散る。
「はぁっ、はぁっ……!」
僕は荒々しく呼吸をした。
目の前のロイを、殺す。殺す以外の選択肢はない。
リリンの手が、ロイに向かって勢いよく振り下ろされる。
「くく、もう潮時か!」
ロイは床を転がるように避け、懐から何かを取り出した。
それは、小さな歪な黒い宝玉であった。
「こんなもん……使うつもりはなかったんだがなぁ……!」
ロイが宝玉を地面に叩きつけると、黒い霧が爆発的に広がる。
「逃がさないッ……!」
僕はその霧を焼き払おうとするが、霧はまるで生き物のように渦を巻き、ロイの体を包み込む。
「じゃあな、次はちゃんと戦おうぜ」
そういった瞬間、ロイの姿が消えた。
「……ッ!!?」
僕の拳が、虚空を叩く。
霧は一瞬で消え、そこにはもうロイの姿はなかった。
「逃げた……!?」
僕は荒い息を吐きながら、その場に立ち尽くす。
拳を握りしめる。
殺せなかった。
ロイは逃げた。
目の前に居たはずの敵が居なくなったからか、行き場のなくなってしまった怒りがどんどんと体から溢れ出ていく。
それは僕の手の炎となって僕の体を蝕んだ。
「ああ゛っ!!! 」
痛みが全身を襲う。
身体中の皮膚が張り裂けてしまうような痛みに僕は耐えられなくなってゆく。
僕の意識は段々と消えそうになってゆく。
だが、そんな中、思考の中に一筋の光が現れる。
ママとレインだ。
そうだ、僕はこの2人と逃げるんだ!
ロイはもう居ない、逃げるなら今しかない。
そうだ、ママとレインはどこに…………。
僕は床に目をやった。




