36話 過去5
男の人はくるりと振り返ってママに向き直る。
手に握られていた物はどこかに隠されていた。
「…………どうかしましたか?」
お爺さんは笑顔でママにそう聞いた。
「どうしたって……そこの男が手にしてたのって、封魔の首輪じゃ…………」
「…………いえ、そんなの持ってるわけないじゃないですか」
「いや、私は確かに見たわ」
ママが焦った様子でこちらに走ってくる。
「お母さん、落ち着いてください、大丈夫ですから」
「大丈夫なわけないじゃない! 私の子に何する気なの!? 封魔の首輪なんて魔族や半魔にとっては拷問道具みたいなものよ!? そんなものを持ってるなんて…………」
ママはその首輪を持っていた男に掴みかかる。
「あー…………どうします? 親父さん」
「はぁ…………世間体もあるからそこまで強行手段は取るつもりは無かったが…………もう、良いか、魔族と交わった女等どうしたところで罪には問われまい」
「何言って…………」
その瞬間、ママの体が宙に浮いた。
「ママッ!?」
僕はママへと駆け寄ろうとする、しかし、それは僕を連れていこうとしていた男によって止められる。
先程までは僕を傷つけないようにしていたのかそこまで強く握られたりはしなかったが、今は腕に激しい痛みを伴うほど強く握られている。
「痛いっ! やめてっ!」
「リリンッ!」
ママはそんな僕を助けようと駆け寄ってくるが、その身体をお爺さんが蹴飛ばす。
「ふむ…………もう使い物にはならないとはいえ中々の上物だ……物好きには売れるか」
「っ!?」
「おい、こいつは眠らせておけ」
お爺さんがそう言うと気持ちの悪い笑みを浮かべながら一人の男の人がママに詰め寄った。
「こ、来ないで!」
「ははは、大人しくしてればあんたは何も無かったのに…………気の毒だな」
「や、やめて、ママに何をするつもりなの?」
男の人は逃げようとするママの首を掴み、動けないようにした。
「ぁ………や、やめて、苦し………ぁ………」
暴れ回っていたママの体から次第に力が抜け、徐々に抵抗が無くなっていく。
「ママッ!!!!」
僕はただ叫ぶ事しか出来なかった。
しかし、それすらも男の人によって止められる。
「はぁ、流石にこんなに泣き叫ばれちゃ変な正義を持った奴らから止められそうだ……黙らせろ」
「あいよ」
僕の口の中に何か布の様なものを詰められる。
苦しかった。
何とか取ろうとするも男の人に押さえつけられてそれは出来なかった。
「お爺さん、もう付けちゃって良いですよね? これ以上暴れられたらうっかり傷をつけちまうかもしれないんで」
「あぁ、そうだな、傷なんか付けたら何を言われるか…………くれぐれも気をつけて付けるんだぞ?」
「分かってますよ」
男の人は先程隠した首輪を手に持った。
あれはやばい、そう本能が告げている。
しかし、この状況ではそれを回避する方法はどこにもない。
僕はただ暴れ回ることしか出来なかった。
目の前ではママが床に倒れ、レインが首輪をつけられぐったりとしている。
僕の幸せが、終わろうとしている。
そう思うと、何かが心の底から湧き上がってきた。
「あ、やべぇ、急ぐぞ!」
僕の様子を見た男の人は焦った様に首輪を僕に着けた。
「う、うぅ…………」
その瞬間、身体中から力が抜け、抵抗することが出来なくなる。
「はぁ、手間取らせやがって…………親父さん、これで大丈夫ですよね?」
「あぁ、問題ない」
「あとはこれを運べばいいんですよね、それで、あの女はどうします?」
「うーむ、流石に人族は危険だが、それでもあの人なら買ってくれるだろう、持っていくぞ」
会話を聞き、これから起こるであろうことを想像する。
僕達は、売られるのだ。
一応この国では奴隷というものは禁止されている。
それが例え魔族や半魔であったとしてもだ。
だが、特にそれを取り締まる機関などは無い。
だからこそ魔族や半魔の売買は少なくとも行われている。
つまり、魔族との関係をそんなことで悪くしてはいけないからとりあえず言っているだけなのである。
だとしても、人族に保護されている魔族を奪って売買するなど普通は無い。
ましてや人族をそういったことにするなど裁かれてもおかしくない。
…………つまり、こいつらはそういうことをしても大丈夫な程大きな組織というわけだ。
これ以上抵抗したところで、どうにもならない。
運良く逃げられたとしてもまたあの時のような幸せが巡り合わせてくることは無い。
僕は、心から絶望した。
ママの笑顔が無くなっても、僕が何とか頑張ればまたみんな楽しく暮らせると考えていた。
しかし、その夢はこのお爺さん達によって破壊された。
いや、お爺さんだけじゃない、その裏にいる僕たちを買おうとしている人、そしてそれを取り締まらない、取り締まらなくてもいいと考える人族たちのせいだ。
怒りに身が包まれるが、体は動く気配が無い。
…………僕がこの姿のママを見たのはこの時が最後だった。
 




