35話 過去4
「いや! やめて!」
男の人が僕の腕を掴んで連れていこうとしたため、僕はそれに必死に抵抗した。
「ちっ、親父さん、やっていいですよね?」
「…………駄目だ、手荒なことはしない約束だ」
お爺さんはちらりとママの方を向いてそう言った。
ママは気まずそうに僕達から目線を外している。
「レインも、この人達について行ったらもうママとは会えなくなるんだよ!?」
「そぉなの!? いやっ!」
この事を理解したレインはすぐさま僕と同じように抵抗を始めた。
レインは僕ほど人族に警戒心がないとはいえ、ママへの愛は僕と同じくらいのものだ、ママと離れ離れになるというのは僕同様嫌なのだ。
「ふむ、子供とはいえ半魔か、力が強いな…………」
「はい、ちょっとこれ、このままじゃ持ってくのに手間取りますよ」
「そうだな…………」
そいつらを完全に敵だと認識した僕はすぐさま警戒態勢に入った。
流石に僕達では大人の男の人の力には太刀打ちできない、だけど、このまま引き下がる訳にも行かない。
「リリン、レイン、お願い、言うことを聞いて…………」
ママは悲痛そうな顔でそう繰り返した。
ママの言うことを聞かないなんて初めてのことだけど、こればっかりは駄目だ。
「それじゃあ…………お母さん、お願いしますよ」
「分かり……ました」
その苦虫を噛み潰したような表情を見ると、僕も心が苦しくなる。
ママは僕たちのためを思って本当は絶対に離れたくないのに、僕たちを魔族の人の元へと送ろうとしているのだ。
涙が溢れた。
悔しさと、寂しさと、嬉しさと、様々な感情がごっちゃになって濁流となり流れ出す。
「っ! ………ごめんね、本当に、ごめん」
ママは僕とレインを抱きしめた。
ママは見たことがない顔をしていた。
そこで、僕も流石に気がついた。
僕はママとレインと一緒にいる生活が大好きだった。
それさえあれば何もいらなかった。
だけど、それは僕の話だ。
ママの立場に立ってみればどうだろうか?
思い返せばママは僕たちに常に笑顔を見せ続けていた。
最近になってそれが消えてしまった為とても心配していたが、よく考えてみればその前までがずっと笑顔で僕たちに接しられていたのもおかしな話だ。
傍から見ればママは魔族に襲われてその子を産んだ哀れで穢れた人間だ、普通だったら堕胎をしたりする。
しかし、ママはそれでも僕達のことをしっかりと産み、ここまで飢餓を知ることもなく育ててくれた。
これがどれだけ辛いことかというのは流石に僕でも理解していた。
僕はママがゆっくりと休んでいるところをほとんど見たことがない。
なんなら寝ているところだってあまり見ない。
それなのに僕たちに笑顔を見せ続けたというのはつまり僕達の為にかなりの無理をしていたということだ。
例えそれが愛ゆえのことでママがやりたいことだったとしてもその事実は変わらない。
「ねぇ、ママ、僕達が魔族の人の所へ行ったら、ママは楽になる?」
僕は声の震えを抑えてそう聞いた。
ママはハッとしたような顔をして、すぐに目を逸らす。
「…………ごめんね」
ママはそう一言呟いた。
やっぱり……やっぱりそうなんだね。
僕は悲しかった。
ママと離れ離れになった方がママの幸せにはなるのかもしれない、その事実は幼い僕の心にはまるで鋭利な刃で滅多刺しにする様な鋭い痛みを与えた。
「…………うん、分かった、行くよ」
僕は抵抗を辞めた。
お爺さん達が気持ちの悪い笑みを浮かべたような気がした。
「…………やっと行く気になりましたか、ありがとうございます」
「いえ、子供たちを連れて行って頂けるだけでありがたいので…………」
ママは少し安心したような表情を浮かべてそう言った。
僕は突然の別れとなってしまう事に心を痛めつつも、何とかその気持ちを飲み込もうとする。
しかし、それは涙となって溢れ出てしまう。
「…………ママァ……大好き、大好きだよ」
「っ! ……私も、愛しているわ、リリン、レイン」
ママはもう一度強く抱きしめる。
レインはまだ状況をわかっていないのか、抱きしめられて嬉しそうにしていた。
………多分、そっちの方がママも喜ぶと思う。
だから、僕もレインにならって涙を流しながらもにこりと笑って見せた。
「お母さん、そろそろ」
「…………もう少しだけ……お願いします」
「はぁ……親父さん、どうします?」
「まぁ、少しぐらいなら良いじゃないか」
時間が迫っているのか、お爺さんが連れてきた男の人が苛立ったようにそう言った。
ママもそれに気づいたのか、名残惜しそうに僕達から手を離した。
「二人とも、あっちに行っても元気でね…………ママも何とか頑張って生きるからね」
「うん……またね」
僕はママと別れを済ませると、お爺さん達に連れられて外に出ようとした。
…………しかし、その時、後ろからママの声が聞こえた。
「ちょっと待ってください、あなた……その手に持ってるのはなんですか?」
ママは震えた声でこちらを指さしていた。
その先は、僕を連れていく男の人の手にあった。




