3話 ゾンビ
俺の目に映ったのは、紛れもなく銀髪の幼女の死体だった。
鏡に映るその姿は確かに俺と同じ動きをしている、が、やはりどう見ても俺の体だとは思えない。
自分の手を見つめても、それが誰か他人のものであるように感じるのに、動きだけは自分の意志に従っている。
だが、よく観察してみると皮膚の色は薄灰色に変色している。
まるで、本当の死体のようだ。
ゾンビ
その言葉が脳裏によぎる。
死者が歩き出すなんてフィクションの中だけの話だと思っていたが、鏡の中の姿を見れば、それ以外の説明がつかない。
思考を巡らせていると、視界の端に何かきらりと赤黒く光るものが映る。
それは徐々にこちらに近づいてきているように見える。
「……あぅぅ?」
"誰かいのるか?"と口に出そうとするもそれは言葉にはならずただのよく分からない声となって廃屋に響き渡る。
そういえば映画とかのゾンビもぁぅぁぅ言っていて言葉を喋っていなかったなぁ。
俺は就職前の学生時代の記憶を呼び起こしながらそんな事を考えた。
悠長に考えている間にもその光は少しづつ近づいてきていた。
俺は反射的に身構えたが、この体は非力そのもので、まともに戦えそうもない。
しばらくするとその光が何かの目だということが分かる。
その影は少しづつ大きくなっていきそして、ついにはその姿を現した。
…………影がひとつ、暗がりから這い出てきた。
それは、一匹の小さなネズミだった。
………なんだ、ネズミか。
また何か意味のわからないことが起こったのかとでも思ってドキドキしていたが、とんだ杞憂だったようだな。
ネズミくらいなら俺は何匹も追い払ってきた。
なんなら会社に出た時は放置していたくらいだ。
はぁ、こんなネズミごときに構っている暇は無いんだ。
俺はため息をついて他の作業に移ろうとした。
その時だった。
なんと、ネズミは突然、信じられない速さでこちらに向かって飛びかかってきた。
牙を剥き、まるで獰猛な肉食獣のように唸り声を上げながらだ。
俺は慌てて身を引こうとしたが、この体の動きは鈍く、咄嗟に避けきれない。
そのままネズミが俺の肩に飛びかかり、牙を突き立ててきた。
「………あぅ?」
俺は痛みを覚悟してグッと体を強ばらせた。
しかし、一向に痛みが来ることは無い。
ネズミが噛みついているはずなのに、俺の肩には何の感覚も無かった。
肩に目をやると、ネズミは必死に牙を立て俺の肩に容赦なく傷をつけていた。
………あぁ、そうか、ゾンビだから、感覚が無いのか。
よく考えたらさっきも痛覚が無かったしそういう事なのだろう。
これでまたひとつ俺がゾンビになったという証拠が集まってしまった。
そんな冷静な思考が浮かんだ瞬間、俺は無意識に手を動かし、ネズミをつかんで投げ捨てた。
それほど力も入っていなかったし、ネズミにそこまでのダメージはあたえられていなかったが、ネズミは予想外の行動だったのか狐につままれたような顔をしながらどこかへと走り去って行った。
俺は無意識に手のひらを見つめた。
………やっぱりこれは現実なのだろうか?
俺は再び自分の体を確かめるようにゆっくりと歩き出した。廃屋の中の薄暗い光景は変わらず、重苦しい静けさが広がっていた。
もし本当に自分がゾンビのような存在であれば、これからどうすればいいんだろう?
あの時、あの幻聴………いや、フィクションとかでよくあるのは神様の声的なものなのかな?
あの声は俺の働きたくないという願いを叶えてくれると言っていた。
その結果がこれだって言うのか?
確かに働かなくても死にはしないだろう。
ずーっとゴロゴロして生きていくということも出来るだろう。
だけど……なんか違くないか?
これは本当に俺が望んでいたことなのか……?
………いや、そうだな。
うん、割と俺が望んでたのってこういう事だわ。
俺は先程よりもゆっくりと周りの部屋を周り、ベットを見つけ、その上にダイブする。
フカフカはしてないと思う、というか感覚がないから分からない。
だけど、この明らかに体の筋肉を使っていない感覚。
最高だ。
うん、このまま惰眠を貪り続けるのが俺の望みだな。
目を閉じ、体をベットと一体化させるようにして体の力の一切を抜く。
そうそう、これだよこれ。
3大欲求の中でやっぱり睡眠っていうのは大きいものなんだ。
これを永遠に取り続ける事が出来るなんて最高じゃないか。
神様ありがとう、この体、最高です。
俺は神様へ感謝の言葉を心に浮かべ、そのまま、眠りにつこうとする………。
………さて、前言撤回だ、あの神様ぶち殺す。
何があったかって? 決まってるだろう。
寝れねぇんだよ。
俺はムスッとした顔をして起き上がった。
最悪の気分だ。
確かに寝っ転がることは出来た。
体は動かさなくても良かった。
だけどな。
寝れないなら意味が無いんだよ!
俺はベットから飛び起き、外へと向かっていく。
絶対に、ダラダラとした俺のスローライフを手に入れてやる、そう心に誓って。