27話 渇望
理性を必死に働かせ、この手の動きを止めようとするが、それは叶わなかった。
俺の意思とは関係なく、私の手はネロの喉元を捉えている。
私は非力なはずなので、何か出来るはずがない。
…………はずだった。
「…………え……ネムちゃん、なんで……?」
後ろからリリンの震えた声が聞こえてくる。
私の手には確かな熱が伝わってきていた。
飛び散った鮮血が私の数少ない露出している肌の部分に飛び散り、そこがじんわりと暖かくなる。
口角は愉悦のために歪に歪んでいる。
…………私は、この手でネロを殺した。
リリンが騙されていたかもしれないとか何とかというのはこの行動には一切関係がない。
ただ、本能が私を突き動かした。
ネロは元々瀕死だったのもあるのか、苦痛による叫び声などはあげず、ただ喉から小さく空気と液体が吹き出す、人間からはあまり出るような音では無い音を出しながら絶命した。
喉元からは大量の血液がだくだくと流れ出ている。
どう考えてもグロテスクなその光景に私は、綺麗、とそう思ってしまった。
抉れた肉の中に爪を突き立て、その部分を更に大きく開く。
手が震え、脳が次の行動を急かす。
食え、という命令が身体中を駆け巡る。
私はその喉元に頭を近づけ、そして歯を突き立てた。
美味い。
美味すぎる。
この姿になる前、つまり転生前にも高い和牛や魚などは食べたことがあった。
その時はこんなに美味しいものがこの世にあるのかと感動したものだ。
…………だが、これは次元が違う。
決して今まで食べたことのあるものよりも食感が良い訳ではなく、味も良くない。
なんなら硬いし生臭い。
だが、美味い。
肉を噛み切る食感が、血の熱が、その全てが私を魅了する。
先程は美味いという言葉で形容したが、そんなレベルじゃあない。
心が、体が、魂が、全ての力を使ってそれを手に入れようとしている。
私の全てがそれを渇望しているのだ。
私は一心不乱に食べ進めた。
支えを失った頭がゴロンと地面に落ちる。
後ろからはリリンのであろう嗚咽のような音が聞こえてくる。
リリンにとっては見たくなかった光景だったと思う。
出来ればこんな姿見て欲しくなかった。
だが、やめられない。
理性が行動を何とか止めようにも、本能はそれを遥かに上回ってきた。
皮膚を裂き、肉を千切り、血を啜る。
この目の前にある最高の食材を余す所なく私のモノにしていく。
時間はあっという間に過ぎていった。
明らかに私の体よりも大きなネロの体はみるみるうちに私に収まっていく。
そして、どれくらいの時間が経ったのだろうか。
あれだけあった目の前の食材は跡形もなく無くなってしまっている。
俺は地面に残った血を残らず舐めとる。
「…………ぁ……」
そこで俺という存在に意識が戻ってきた。
その瞬間、気持ちの悪さが身体中を駆け巡る。
口に残る感触も、今まで無かったはずの鉄臭い匂いや味も、それを美味しいと思ってしまった自分も、全てが気持ち悪い。
いっその事全て吐きたいとまで考えたが、あいにくそういった生理現象は俺の体では一切起こってくれない。
ただ、呆然と立ち尽くすしか無かった。
「…………ネムちゃん?」
背後で声が聞こえる。
そうだ、リリンだ。
俺は慌てて後ろを振り向く。
そこには、先程のネロのように青白い肌色をしながらも、笑みを浮かべるリリンの姿があった。
「…………どうだった? 美味しかった?」
「…………え」
美味しかったと聞かれれば美味しかった。
しかし、思っていた反応とは全く違う反応だったため思考が停止する。
何故、俺は味の感想を求められているのか、さっぱり理解ができなかった。
そうやって困惑していると、リリンはニコリと更に笑みを深める。
「大丈夫大丈夫、ネムちゃんはアンデッドなんだからさ、人間を食べたくなっちゃうのはしょうがないよ! だって、そういう魔物なんだもん」
「あぅ…………だ、だけど」
「あっ! それよりさ、おじさんが言ってたお金を回収しに行こうよ! もしかしたらそれでエリクサーを作ることが出来るかも!」
リリンはそう言って2階へと続く階段を駆け上がって行った。
…………リリンは気を使ってくれているのだろうか?
明らかに俺がおかしな事をしたというのはわかっている。
それをされた後にこの子は俺に対して気を遣っているのか?
…………先程までリリンがいた場所には大量の吐瀉物が床を汚している。
どうやら先程吐いたものらしい。
あの時は夢中であったため考えていなかったが、俺の後ろでリリンはどんな心境で居たんだろう。
騙されていたとはいえ毎日ご飯をくれていた相手だ、それが今自分の目の前で無惨な死を遂げた。
それも誰でもない、俺のせいでだ。
罪悪感が重くのしかかる。
いままでの日常がたった今、全て崩れ去ったんだ、精神に異常をきたしていたとしても何らおかしくない。
というか、あの笑顔…………。
あの顔色であの笑顔をうかべられているというのもおかしいのだ。
色々考えるところはあったが、とりあえず俺はリリンの後を追って2階へと上がって行った。




