10話 ネロ
俺たちはおじさんに続いて店の奥へと進んだ。
扉をくぐると、簡素な木造のテーブルや椅子が並ぶ至って普通のリビングルームのような場所だった。
そこにもやはりリリンが売ったらしき薬は見当たらない。
「さぁ、座って待っていてください」
おじさんはそう言うと、奥の部屋へと消えていった。
「……ねぇ」
不意に、リリンが小さな声で話しかけてきた。
「あのおじさんね、すっごく優しいんだよ! 何だかんだでいつも薬を買ってくれるし、ご飯までご馳走してくれるんだ!」
「…………あぅ」
騙されていることを伝えたいが、それは声にはならない。
何とかして伝えなくては……。
ご飯をご馳走してくれるのだってリリンの信頼を勝ち取るためだろう。
姑息な野郎だ、無垢な子供を使って金稼ぎをするなんて。
そう思い、ローブの隙間からおじさんが去った先を睨みつけていると、その瞬間におじさんが現れ、俺は慌てて視線を逸らす。
「ん? どうしたんだい? ……って言っても喋れないんだったね」
おじさんはそう言って微笑む。
その手には美味しそうなパンやスープが乗ったお盆があった。
「わぁ! 美味しそう!」
リリンは目を輝かせてそれを見つめている。
「……うちに身売りするならいつでもこういったものが食べられるよ? 本当に来る気は無いのかい?」
「ごめんなさい! 僕はやらなきゃいけない事があるので!」
…………またこの話か、こいつは何回もこの話をしているが、リリンはその度にそれを断っている。
なるほど、何となくわかってきたかもしれない。
このおじさんは確実にリリンを追い詰めている。
薬を買い叩き、また、信用させることで自分に依存させる。ほして、生活を困窮させることで、最終的に“身売り”という選択肢を取らせようとしているのだろう。
とてもいい条件に思える提案をし、実際は劣悪な環境で働かせられるに違いない。
だが、その疑惑も大きいが、今俺の中で気になっているのはそれほどの誘惑を持ってしてもなびかないリリンの固い決意だ。
こんなに辛い思いをしてまでやらなきゃいけないことというのはよっぽどの事なのだろう。
俺はリリンの事はまだよくわかっていないからそこら辺に関しては完全なる無知だ。
…………そこが分からなくてはリリンを助けるなんて夢のまた夢だ、何とかして知らなくては。
そんな事を考えながらもおじさんへの警戒を解かずに、常に観察を続ける。
「……はは、また見られてるね、私の顔になにか付いているのかな? それとも…………。あ、そういえば君の名前を聞いていなかったね、なんて言うんだい?」
「あぁ、えっと、ねむ…………あ、そう、ネムちゃんって言うんだよね!」
「ネムちゃんか……いい名前だ、私はネロと言う、よろしく頼むよ」
そう言ってネロは俺に手を差し伸べてくる。
俺はそれをガン無視して、ローブで手を隠しながらパンとスープを食べ始めた。
ゾンビだからか分からないけどあまりよく味が分からない。
「ははは、少し警戒されてるみたいだね……。」
「ごめんなさい、ネムちゃんちょっと人見知りみたいで…………」
「良いんだよ、それよりもそのローブ、暑くないのかい? 結構生地が厚そうだけど」
俺は無言で首を振る。
多分顔を見たいのだろう。
…………まさか、俺も身売りの対象となっているのか?
…………何かきな臭いようにしか感じられない。
隣で無邪気にスープをすすっているリリンを見ると、やはり助けなくてはという思いが膨れ上がっていく。
俺はリリンが食べ終わったのを見計らって手を引いた。
「あれ、もう行ってしまうのかい?」
ネロは不思議そうにそう問いかけてくる。
ずっとここにいると危険かもしれない以上このままここに長居するわけには行かない。
まぁ、前回までは普通に長いしていたのだろうし、すぐになにかあるとは考えられないが、これ以上ここにいていいことがあるとも思えないため、すぐさま逃げ出して正解だろう。
そう思いリリンの手を引き、この家を後にしようとする。
「あっ、ちょっと待って! これを!」
そう言ってネロはリリンの肩を掴んだ。
子供の、それも力の弱まったゾンビの力では抵抗出来るわけも無く、俺は地面に倒れ込む。
「あぁ、ごめんね…………って、え?」
ネロは驚いた顔で固まっていた。
「あ、リリンちゃん、これ」
そう言ってネロは紙袋を手渡した。
「そ、それよりも……」
そこで俺がローブのフードが今の衝撃で取れてしまっていることに気がついた。
どうやらネロはそれを見てかたまってしまっていたようだ。
俺は慌ててフードをかぶり直し、リリンの手を再度握り直した。
ネロが何か言おうとしていたが、俺はキッと睨みつけて、走り去った。
「あっちょ、おじさん、ありがとー!」
リリンは慌ててネロにお礼を言いながら俺に連れられ家を後にした。
ネロは家にひとりぽつんと取り残された。
そして、思案する。
「なんで、なんで姫が今頃になって……」
その言葉は誰にも聞かれることはなく虚空に消える。
ネロの表情は歓喜とも不安とも取れるような、複雑なものであった。




