子爵令嬢コルネリアの憂鬱
私は今日も姿見の前で身だしなみをチェックする。
艶やかな新緑色の髪の毛――よし。
翡翠のような瞳――よし。寝不足はわからないわよね。
夏らしい水色のサマードレス――よし。
姿見に向かってニコリと微笑む私は、ちゃんと十五歳の淑女らしい姿をして見えた。
背後で侍女のグレーテがクスリと笑みをこぼす。
「コルネリア様、そのように心配なさらずとも、いつもの麗しいお姿ですよ」
私は姿見の前で角度を変えて微笑みながら応える。
「ですが、オリヴァー様にお逢いするのですわよ?
身だしなみのチェックは、きちんと行うべきですわ」
オリヴァー様は、若くして騎士団長にまで上り詰めた剣の天才。
そのような方と、幼くして婚約を結べた私は運がよかったと思う。
魔法銀鉱山を抱える我がアルトハイム子爵家は、お金には恵まれているけれど、貴族としてそれほど力がある家ではないもの。
そんな私が伯爵家嫡男のオリヴァー様と婚約を結べたのは、本当に奇跡のように思えた。
侍女が部屋にやってきて私に告げる。
「ヴィヒト伯爵令息が間もなくお見えです」
「ありがとう。すぐに行きますわ」
私はグレーテを伴い、階下の応接間へいそいそと移動した。
****
そわそわと応接間で待っていると、間もなくオリヴァー様が姿を見せる。
十七歳の青年らしい高い背丈、鍛え上げられた身体と精悍な顔つき。
緩く伸ばした金色の髪に、深く青い瞳――ああ、今日もオリヴァー様は素敵ね。
オリヴァー様がにこやかに私に告げる。
「お待たせしました。では行きましょうか」
私は我慢できない喜びで笑みを作り、ニコリと応える。
「ええ、今日はどちらに連れて行っていただけるのかしら」
「近くの町で観劇いたしましょう。さぁ、お手を」
差し出された手を微笑んで取り、私はゆっくりと立ち上がった。
****
馬車にエスコートされ乗りこむと、間もなく馬車が走り出す。
私がぼんやりとオリヴァー様を見つめていると、彼が言いづらそうに私に告げる。
「申し訳ないのですが、コルネリア嬢にお願いがあります」
「……またですの?」
オリヴァー様が苦笑を浮かべ、申し訳なさそうに微笑んだ。
ヴィヒト伯爵領は魔石の産地として有名なのだけれど、近年は魔石の素材となる魔物の数が減ってきている。
代わりに貿易事業を始めたらしいのだけれど、それが巧く行っていないらしい。
「アルトハイム子爵に、融資をお願いできないかと」
「お父様は、なんて仰ってるのかしら」
「やはり、重ねての融資は難しいと仰られているようです」
これまで、ヴィヒト伯爵家への融資は通算五回。
一回の金額もかなりのもので、返済のめどが立たないようだった。
ヴィヒト伯爵家は騎士の家柄で、商売はあまりお上手ではありませんものね。
オリヴァー様もご兄弟も、やっぱり商売が得意な方ではないらしい。
これ以上の融資は回収を期待できないと判断したお父様が融資を渋るのも、仕方がないことだろう。
だけど――
「仕方ありませんわね。私からお父様にお願いしてみます」
オリヴァー様の頼みだもの。私が断れるわけが無い。惚れた弱みという奴だろう。
「ありがとうございます、コルネリア嬢」
「いいえ、お気になさらないで」
ニコリと微笑んだ私に、オリヴァー様もニコリと微笑み返してくれた。
****
その日の逢瀬も、私は観劇よりもオリヴァー様に夢中になりながら、その日が終わった。
別れ際、オリヴァー様が私の手の甲に唇を落としながら告げる。
「今日はありがとうございました。
……融資の件、くれぐれもお願いします」
「ええ、任せておいてください」
私が去り行く馬車を見送っていると、同行していたグレーテが私に告げる。
「コルネリア様、差し出がましいようですが、オリヴァー様にはご注意なさった方がよろしいかと」
私は馬車を見つめながら応える。
「あら、どうしてかしら?」
「オリヴァー様はヴィヒト伯爵家の財政が苦しくなると、コルネリア様との逢瀬を望まれています。
明らかに、我が子爵家からの融資を引き出すための行動かと」
私は小さく息をついて告げる。
「私が嫁ぐ先なのよ? 財政破綻なんてされては困ってしまうわ。
オリヴァー様が領地経営に不得手だというなら、私が嫁いでから指南すればよいだけ。
私が経営を見るようになれば、少しはマシになるのではなくて?」
私はお父様の経営手腕を見て育ってきた。
そんな私の目から見ても、ヴィヒト伯爵領はずさんな経営をしているように感じられる。
特産品だってなくはないのだし、博打のような国外貿易にうつつを抜かさず、地に足を付けた経営をすれば二十年くらいで融資を返済することは可能だろう。
何度かオリヴァー様にもそのように伝えたのだけれど、彼はピンと来ないようだった。
まだ不満気なグレーテに、私は告げる。
「ではヴィヒト伯爵領の経営を私が見ることを条件に、お父様からの融資をお願いしてみるわ。
これなら融資の返済が見込めないということもないはず。
お父様だって、頷きやすくなるはずよ」
「そこまで仰るのでしたら、もう何も申しません」
私は満足して頷くと、グレーテを伴って屋敷の中に入っていった。
****
それから私はお父様と、巨額の融資と引き換えに私がヴィヒト伯爵領の経営顧問になるという話を相談した。
お父様はヴィヒト伯爵とも話を付け、私は定期的にオリヴァー様のお屋敷に短期滞在することになった。
……実際に書類を見てみると、本当に酷いものね。
税率も適正ではないし、出入りをする商人の選別もきちんと行っていない。
領地の収支が赤字のままハイリスクハイリターンの国外貿易ばかりにかまけて、領民の生活が顧みられてないわ。
私はヴィヒト伯爵に静かに告げる。
「まずは出入りをする商人を入れ替えましょう。
彼らより高く買い付けてくれる商人が、領内におりますわ。
特産品を彼らに売り、新しい販路を切り開くべきでしょう」
ヴィヒト伯爵が渋い顔をして応える。
「彼らは古くから我が家と取引のある商人たちだ。
彼らを切り捨てるような真似は、私にはできん」
「仰ることが甘いですわ。
彼らは伯爵家から税金を吸い上げているだけ。
それで旧態依然の商売をして、なんとか首をつないでいる古い人間です。
それよりは新しく販路を切り開ける商人たちを優遇し、販路を広げていくべきですわ。
そうでなくては、これ以上の利益は望めませんわよ?」
赤字を減らし、今後の黒字拡大を目指す。
コネのある商人を優遇している余裕など、今のヴィヒト伯爵家にはないのだから。
私が経営指南をしていくと、ヴィヒト伯爵は渋々と書類に決裁の署名をしていった。
ヴィヒト伯爵によるハイリスクな国外貿易も止めさせ、三か月もする頃にはヴィヒト伯爵家は赤字経営からわずかに黒字が見えるところまで経営が回復した。
サロンで休憩している私に、伯爵家の家令セバスティアンが紅茶を給仕しながら告げる。
「我がヴィヒト伯爵家の財政もなんとか立て直すことが出来ました。
これもひとえに、コルネリア様のお力です」
私はティーカップを手に持ちながら、紅茶の香りを鼻に届けつつ応える。
「あら、あなたのような人にだって、このぐらいの助言はできたのではなくて?」
セバスティアンが苦笑を浮かべた。
「私のような従者の言葉に、旦那様方は耳を傾けようとなさいません。
これまでなんども、もっと足元を見てはいかがかと進言して参りましたが……力及ばず、この始末です」
私は紅茶をゆっくりと一口飲んで味わい、ニコリとセバスティアンに微笑んだ。
「それなら、私が来た以上はもう安心ですわ。
これから先、私が居る限りヴィヒト伯爵家の財政が傾くことはないでしょう」
「ええ、期待しております。コルネリア様」
私たちはサロンで微笑みを交わし合い、今後の明るい未来に思いを馳せた。
****
忙しく経営を見ていく私は、伯爵家に居るというのに、オリヴァー様との逢瀬を楽しむ時間もない。
そんな目まぐるしい半年が過ぎていったある日、私の耳に一つの噂話が飛び込んできた。
お茶会の場で子爵令嬢が私に告げる。
「コルネリア様、お聞きになりまして?
最近のオリヴァー様は、シモーネ殿下と親密におなりだという噂ですわよ?」
その話は寝耳に水だった。
オリヴァー様は近衛騎士団長、王族と親しくなる機会くらいはあるだろうけど、私という婚約者がありながら、王女殿下と?
「その話、本当でして?」
「夜会で親し気にシモーネ殿下と話しておられるオリヴァー様の姿が、何度も目撃されておりますわ」
私が経営指南でろくに夜会に出席できないというのに、オリヴァー様は近衛騎士の職務ではなく、出席者として夜会に参加してらっしゃるというの?
もやもやとしたものを感じながら、私は平静を装って応える。
「オリヴァー様も伯爵家令息ですもの。夜会に参加するぐらい、なさいますわ。
近衛騎士団長なのですし、シモーネ殿下と親しくなることもあおりでしょう」
子爵令嬢はそれ以上を言えなくなったようで、別の話題を他の令嬢と交わしているようだった。
私が半年会えなくなった程度で、王女殿下に浮気をしているというのかしら。
それとも、融資をしてもらう必要がなくなったから、私に価値を感じなくなってしまったの?
……いいえ、オリヴァー様はそんな方ではないわ。きっと大丈夫。
その日のお茶会を、私は半分上の空で過ごしていった。
****
ある日、アルトハイム子爵家に一人のお客様がお見えになった。
お父様が直々にお出迎えになったその方は、同盟国のグリムナス帝国からはるばるいらっしゃったらしい。
短い黒髪と金色に近い琥珀の瞳、細く整った顔に似合わず、がっしりとした体格をしている。
彼が微笑みながらお父様に告げる。
「アルフ・グリムナス第一皇子だ。
今回の商談を受けてくれて感謝する」
とても低いその声は、私のお腹にまで響いてくるかのようだった。
……この方、オリヴァー様とは別のタイプの美男子ね。
お父様がにこやかに告げる。
「我が領地で産出される魔法銀を高く買い付けてくださるとのこと。
ぜひ中でお話を伺いたいと存じます」
アルフ殿下が頷いて私を見た。
「……綺麗な令嬢だな。名前は何という?」
私は頭を下げながら応える。
「はい、コルネリアと申します。
よろしくお見知り置きください、アルフ殿下」
容貌を褒められて悪い気はしない。
私は久しぶりに娘らしい気持ちになりながら、アルフ殿下に応えた。
……そういえばオリヴァー様は、私の容貌を褒めるような言葉を下さらなかったわね。
アルフ殿下が優しい眼差しで私に告げる。
「週末の晩、私を歓迎する夜会が王宮で開かれる。
そこで、どうだろうか。
私にあなたをエスコートさせてはもらえないか」
「いえ、私にはオリヴァー様という婚約者がおります。
そのような役目は、相応しくないかと存じます」
私の言葉に、お父様が横から応える。
「……いや、コルネリア。殿下のお申し出を受けておきなさい。
ヴィヒト伯爵令息には、私から伝えておこう」
お父様? なにをお考えなのですか?
私が戸惑いながらお父様を見つめていると、私の手を取ったアルフ殿下が、その甲に唇を落とした。
「では週末の晩を楽しみにしている。
――アルトハイム子爵、商談を始めよう」
「ええ、ではどうぞ中へお入りください」
呆然とする私を置いて、アルフ殿下はお父様と屋敷の中に入っていってしまった。
……どういうことなの?
困惑する私に、グレーテが告げる。
「コルネリア様、そろそろ中へ戻りましょう」
頷いた私は、グレーテと共に部屋へと戻っていった。
****
それから毎日のように、アルフ殿下は我が家を訪れた。
商談が終わるとお茶会が開かれ、お父様は私を呼んで、アルフ殿下と三人でお茶の時間を楽しんでいた。
「そうですか、アルフ殿下は十七歳にして、婚約者がおられないのですか」
アルフ殿下は紅茶を一口飲んでから応える。
「言い寄ってくる令嬢はいくらでもいるのだがな。
彼女たちの提供する話題は、退屈でかなわん。
そんな女を伴侶にしようとは、私には思えんのだ」
令嬢の噂話は、色恋沙汰が主だった話題だ。
アルフ殿下は、そういった話題を好まないようだった。
私はティーカップに手を置きながら、アルフ殿下に告げる。
「ですが、皇帝陛下や皇后殿下はそれを認めてらっしゃるのですか?」
世継ぎは国家の問題だ。
帝位を継承する予定の第一皇子が未婚では、困ってしまうだろう。
「父上たちからも、何度も催促はされている。
このままでは、国内の有力貴族令嬢の誰かを娶ることになるだろう。
だが不本意な伴侶をあてがわれるくらいなら、私は帝位など捨ててしまおうかと思っている」
お父様が楽しそうに告げる。
「殿下は騎士としても高い腕前を持ち、こうして他国に赴いて軍備を増強しようと励んでおられる。
そんな殿下が帝位を手放しても、まだ幼い弟殿下たちでは帝国が揺らいでしまいませんか」
「なに、私がそんな真似など許しはしないさ。
弟たちが立派に育つまで、私が帝国を守って見せる。
――ときにコルネリア嬢、あなたはヴィヒト伯爵領の経営を指南していると聞いたが本当か」
私はニコリと微笑んで応える。
「お父様の真似事をしているだけですわ。
子爵家の娘でしかない私にできることなど、大したものではございません」
「だが実際、ヴィヒト伯爵領が経営を立て直し、財政を健全化させたと聞く。
ただの真似事でそのような真似はできまい。
あなたには、領地経営を行う才能があるようだな」
それから私は、アルフ殿下と領地経営について意見交換をしていった。
この領地の特産品の話から帝国の特産品の話になり、それらをどう生かしたらいいのかといった話題を口にした。
帝国の特産品は、魔導の素材になるものが数多くある。
そういった物は軍需に持っていかれることが多いのだけれど、服飾品として生かせる品も多く在った。
貴族の需要を見込んだ新しい服飾素材の開発をしてみてはどうかと、私は提案をしてみた。
武器に関する品は輸出製品にしづらいけれど、服飾素材であれば輸出産業に変えられる。
帝国に取って、大きな収入を得る手段となるはずだ。
アルフ殿下は私が意見を述べると、それを頭ごなしに否定したりせず、「参考になる」と好意的に受け止めてくださった。
一通り話し終わると、アルフ殿下が満足げに息をつく。
「まさか、令嬢とこのような話題で盛り上がれるとは思わなかった。
新鮮な視点からの意見、大いに参考になった」
「女だてらに領地経営の話題を口にするなど、出過ぎた真似をして申し訳ありません。
本来女性は、こういったことに口を挟まぬもの。
周囲でも私のような女性は珍しいようですわね」
お父様が楽し気に告げる。
「コルネリアは服飾のデザインにも才能があります。
娘がデザインした服は、我が領地でもちょっとしたブランドになっておりますよ」
「お父様! そんなことを今仰らなくても、よろしいではありませんか!」
貴族令嬢が事業を起こすなんて、あまり褒められた話ではない。
だからお父様の名前でこっそりと活動していたことを、この場でばらしてしまうだなんて。
私は恥ずかしくて顔を赤くしながら、上目遣いでアルフ殿下を見上げた。
アルフ殿下は、優しい微笑みを湛えて私に告げる。
「そう恥ずかしがることもないだろう。
才能があるなら活かして生きるべきだ。
そこに男女の違いなど、ありはしない」
オリヴァー様は、私の事業を『みっともないから秘匿しておけ』と仰ったというのに。
アルフ殿下は、私の才能を認めてくださるのね。
……オリヴァー様と出会う前だったのなら、私の心はアルフ殿下にさらわれてしまったかもしれない。
本当に素敵な男性だわ。これで婚約者を作らないだなんて、なんてもったいない話なのかしら。
「ねぇアルフ殿下、あなたは是非、あなたに相応しい婚約者を作るべきだと思います。
きっと世の中には、殿下に相応しい女性がおられるはずです。
生涯独り身を通そうだなんて、世の女性が嘆きますわ」
アルフ殿下は紅茶を一口飲み、小さく息をついた。
「そうだな、コルネリア嬢のような令嬢を見つけることが出来れば、考えてもいい。
あなたは退屈な色恋沙汰の話題などを口にしない。
建設的な話ができる女性だ。
私はあなたのような令嬢を妻としたい」
私は恥ずかしくなって目を背けた。
「まぁ、アルフ殿下ったら。
お世辞にしても、もう少し控えめにした方がよろしくてよ?」
「世辞ではない、本音だ。
あなたが婚約済みというのが、つくづく惜しいと思っている。
オリヴァーという騎士は、果報者だな」
お父様が疲れたようにため息をついた。
「彼がその幸福を理解しているならいいのですがね。
どうやら彼は、シモーネ王女殿下と親密になっているらしい。
まったく、近衛騎士団長の身でありながら職務を忘れ、王族と懇意になるなど、何を考えているのか」
その話、お父様の耳にまで届いているというの?!
まさか、本当に王女と親密になっていると、そういう事なのかしら……。
私が不安になってうつむいていると、アルフ殿下が優しく声をかけてくれる。
「そう落ち込むことはない。
週末の夜会で、私がオリヴァーに釘を刺しておこう。
コルネリア嬢のような素敵な女性を、蔑ろにすべきではないとな」
「アルフ殿下……」
取引先の娘でしかない私のことに、そんなに心を砕いてくださるなんて。
なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
その日のお茶会は、穏やかな空気のまま終わりを告げた。
****
夜会当日、目の覚めるような青いドレスで着飾った私を、アルフ殿下が迎えに来てくださった。
お父様はお母様を、アルフ殿下が私をエスコートし、一台の馬車に乗りこんでいく。
私は初めてオリヴァー様以外の男性にエスコートされ、高鳴る胸に戸惑いながら馬車の座席に腰を下ろした。
……だって、黒いスーツに身を包んだアルフ殿下は、見違えるほど似合っておいでだったものだから。
ごめんなさい、オリヴァー様。こんなことじゃいけないわね。
私が気持ちと表情を引き締めていると、お父様が真剣な表情でアルフ殿下に告げる。
「では、今夜は予定通りに」
「ああ、その時が来たら、私もそう動こう」
どういう意味かしら?
お母様も、なにやら思い詰めているご様子。
今夜の夜会で、何かが起こるというの?
それきり、馬車の中ではアルフ殿下が私に他愛ない話題を振っては、それに応えるだけの時間が過ぎていった。
****
王宮の夜会会場は、アルフ殿下を歓迎するために多くの貴族たちが集まっていた。
……その中に、シモーネ殿下をエスコートするスーツ姿のオリヴァー様も見受けられた。
彼はこちらを遠くから一瞥すると、まるで興味がないかのようにシモーネ殿下と言葉を交わしていた。
アルフ殿下が小さく息をついて告げる。
「どうやら、オリヴァーには見る目がないらしい。
これほど美しい令嬢が居るというのに、その美貌を褒めにも来ないとは」
「そんな……私は所詮、子爵家の娘。
王女殿下がいらっしゃれば、そちらを優先しても仕方ありませんわ」
アルフ殿下が私の手を取り、その甲に唇を落とした。
「そう卑下するものではない。
今宵のあなたは、会場で最も美しい。
もっと胸を張り、その美貌に自信を持つといい」
「アルフ殿下……もったいないお言葉ですわ」
オリヴァー様の周囲には、王族派閥の貴族たちが大勢集まっているようだった。
一方でアルフ殿下の周囲には、お父様を含め帝国に近い領地の貴族たちが固まっていた。
アルフ殿下を歓迎しているのは、そうした帝国に近い貴族たちだ。
……挨拶にも来ないだなんて、王族派閥はアルフ殿下を歓迎していないのかしら。
夜会の最中、国王陛下が楽隊の演奏を止め、大きな声で告げる。
「今宵、皆の者に知らせることがある。
我が娘シモーネと、ヴィヒト伯爵令息が婚約することとなった。
娘の未来を、どうか祝福してやって欲しい」
王族派閥の貴族たちが、大きな拍手を鳴らしていた。
それ以外の貴族たちは戸惑いながらまばらな拍手を鳴らし、その目は私を見ているようだった。
私は呆然としながらオリヴァー様を見つめるけど、彼は私の事など見向きもしない。
……どういうことなの? オリヴァー様には、私という婚約者がいるのよ?
アルフ殿下が私に告げる。
「コルネリア嬢、大丈夫か?
オリヴァーのところへ行き、話を聞こう」
私は戸惑いながら頷き、オリヴァー様とシモーネ殿下の下へ向かった。
****
オリヴァー様は私を視界に収めると、侮蔑するような目で見つめてきた。
「おやおや、コルネリア嬢も早速新しい相手を見つけたようだな。
これで安心して婚約を破棄できるというものだ」
「――婚約破棄?! どういうことなのですか!」
「父上とアルトハイム子爵とで、既に話し合いがついている。
アルトハイム子爵からの融資は、王家が代わりに返済して下さるという話もな。
これでもう、お前のような子爵令嬢に媚びへつらう必要もなくなった」
媚びへつらう? 今までの態度は、全て本意ではなかったとでもいうの?
私はその言葉の全てが信じられれず、ただ呆然と聞いていた。
シモーネ殿下がオリヴァー様の腕に自分の腕を絡め、私を見下すような目で告げる。
「子爵令嬢風情がオリヴァーのように優れた騎士を得ようなど、分不相応というものよ。
彼はこの国でも随一の剣士にして近衛騎士団長ですもの。
相応しい妻を娶るべきだと、コルネリアも思わない?」
「それは……そうかもしれませんが。
ですが、あまりにも急なお話が過ぎます」
オリヴァー様がフンと鼻を鳴らして告げる。
「お前が我が領地の経営に口を出し始めてから、父上と相談したのだ。
このままでは、我が家がお前に乗っ取られてしまうとな。
借金を背負い、妻に生涯頭が上がらぬ人生などまっぴらごめんだ。
女は大人しく、社交場で噂話に興じていればいい」
私が経営に口を出したのが、それほど気に食わなかったというの?
借金だって、ヴィヒト伯爵がまじめに領地経営をしなかったから背負ったようなものなのに。
それに私との婚約も、まさか融資を目的とした婚約だったとでもいうのかしら。
全てはお金が目的で、優しかったオリヴァー様は幻だったとでもいうの?
私がぽろぽろと涙を流していると、アルフ殿下がハンカチで涙を拭ってくれた。
「そう悲しむ必要はない。
このように下らぬ男に嫁がずに済んだと、前向きに考えるんだ」
「ですが……」
私は気持ちが言葉にならなくて、それ以上を口にできなかった。
悲しむ私の肩を、アルフ殿下が優しく抱いてくれる。
「あなたの無念は、私が晴らしてみせよう。
――オリヴァーよ、今この場で剣の勝負を着けよう。
私が勝てば、コルネリア嬢に誠心誠意の謝罪を述べよ」
オリヴァー様が片眉を上げてアルフ殿下を睨み付けた。
「私が勝ったら、何を得られるのですか?」
アルフ殿下がニヤリと不敵に微笑んだ。
「貴様の家が背負う借金、その全てを帝国が支払おう。
王家に借りを作らずに済むぞ。どうする?」
オリヴァー様がシモーネ殿下から離れ、周囲の騎士から二本の剣を受け取った。
一本をアルフ殿下に投げ渡し、獰猛な笑みで応える。
「いいだろう。その勝負、乗った!」
シモーネ殿下が「そんな男、やっつけてしまって!」と声援を送る――仮にも隣国の皇族を、『そんな男』呼ばわりだなんて。彼女も品性に疑問を持つ方ね。
剣を受け取ったアルフ殿下が、ゆっくりと剣を鞘から抜いた。
「コルネリア嬢、離れてるがいい」
私は頷くと、ゆっくりと後ずさりし、お父様の隣に移動した。
この場合、私も何か声をかけた方が良いのかしら。
戸惑っていると、オリヴァー様がアルフ殿下を睨み付けながら告げる。
「そのような尻軽女が、殿下のお好みか。
婚約者のある身で殿下に付き従うなど、見下げ果てた女だ」
――そんな言い草、あんまりじゃない?! 先にシモーネ殿下と仲良くなったのは、オリヴァー様じゃない!
それに私は隣国の皇族を接待しているだけ、仕方がないことだとわかるでしょうに!
アルフ殿下が不敵な笑みで告げる。
「コルネリア嬢の価値も分からぬ愚昧な男に、これ以上かけてやる言葉もないな。
――さぁ剣を抜け、どこからでもかかってくるがいい」
「ほざけ!」
剣を抜き放ったオリヴァー様が、アルフ殿下に鋭く切りかかった。
その剣をアルフ殿下はなんなく弾き返していく。
何度も切りかかるオリヴァー様の剣を、アルフ殿下は捌き続けた。
「……その程度か? 王国随一の剣士とやらの腕前は」
「――!」
頭に血が上って大振りになったオリヴァー様の剣を、アルフ殿下が巻き上げるように弾き飛ばした。
オリヴァー様の首筋に剣をつきつけたアルフ殿下が、冷たい声で告げる。
「勝負あったな。さぁ、心からの謝罪をコルネリア嬢に述べてもらおうか」
「……まだだ!」
弾けるように後ろに飛びのいたオリヴァー様が、懐からダガーナイフを取り出してアルフ殿下に投げつけた。
――なんて卑怯な?!
アルフ殿下は余裕を持ってナイフを弾き飛ばし、剣を拾うオリヴァー様を睨み付ける。
「これは剣の勝負と言ったはずだが?
剣の腕は、すでに優劣がついただろう。
それでもまだ続けるのか」
「私はまだ、負けてはいない!」
鋭い気迫で切り込むオリヴァー様の剣が、アルフ殿下の頬を切り裂いた。
――殺す気で剣を振っているとでもいうの?!
相手が死んでも構わない、そんな攻撃を繰り出すオリヴァー様の剣が、徐々にアルフ殿下を追い詰めていく。
アルフ殿下が攻撃をしのぎながら、深いため息をついた。
「……手加減は無用、そういうことか!」
裂帛の気合と共に、アルフ殿下の剣が振り下ろされ、オリヴァー様の利き腕が肩から飛ばされていた。
周囲から悲鳴が上がる中、膝をつくオリヴァー様にアルフ殿下が告げる。
「心からの謝罪代わりに、貴様の腕を頂いた。
それで謝罪の代わりとしてやろう。
――コルネリア嬢、それで構わないか」
私はどうしたらいいのかわからず、ただ黙って頷いた。もう早く、終わりにして欲しい。
宮廷魔導士たちが駆け寄ってきて、オリヴァー様の傷を治癒していく。
血は止められるみたいだけど、魔法で腕をつなぎ直すことなんてできない。
もうオリヴァー様は、騎士生命を絶たれてしまっただろう。
剣を鞘に納めて騎士に投げ返したアルフ殿下が告げる。
「ではコルネリア嬢は私がもらっていく。
文句はあるまいな」
オリヴァー様は、悔しそうに唇を噛み締め、アルフ殿下を睨み付けていた。
背後からルミナス辺境伯が前に出て、国王陛下に告げる。
「こんな場ですが陛下、以前からお願いしていた王家への融資のご返済、あれはまだでしょうか」
国王陛下が不機嫌そうに眉を下げ、ルミナス辺境伯に応える。
「このような場で話すことではあるまい」
ルミナス辺境伯が厳しい顔で告げる。
「今、ご返答を」
国王陛下が唸り声をあげ、ルミナス辺境伯に応える。
「……王国の財政は苦しい。返済はもう少し猶予をくれ」
ルミナス辺境伯がため息をついて告げる。
「そのお言葉、何度目になりますか。
度重なる鉱山への増税も、我慢なりません。
もう我々は愛想が尽きました。
これより我が領地は、グリムナス帝国へ忠誠を誓います」
国王陛下が目を見開いて驚いていた。
「我々とは、どういうことだ!」
お父様が一歩前に出て、厳しい顔で告げる。
「ルミナス辺境伯領周辺の領主、つまり我々は帝国に主を代えます。
このような国に忠誠は誓えません。
融資に次ぐ融資、増税に次ぐ増税など、いくら我々でも耐えられぬものがあります」
……まさか、王家もお父様から融資を頼んでいたとでもいうの?
それでいて、こんな豪華な夜会を開くだなんて。身の程を知らないのかしら。この王家は。
アルフ殿下が不敵な笑みで告げる。
「話は聞いての通りだ。
これより彼らは我が帝国の臣下となる。
既に帝国兵も駐在させているから、武力で脅しても無駄だと伝えておこう。
貴様らの武力で、我が帝国に逆らえると思わぬ事だな」
悔しそうに歯を噛み締める国王陛下を一瞥すると、鼻を鳴らしたアルフ殿下が身を翻し、私の下へやってきた。
「さぁコルネリア嬢、もう用事は済んだ。
このような夜会に参加する価値もあるまい。
あなたには改めて、婚約を申し入れたい」
「そんな! 子爵家の娘でしかない私が、殿下と婚約なんてできません!」
ルミナス辺境伯がニカッと人の良い笑みを浮かべた。
「ならば我が家へ養子入りすればよろしい。
辺境伯令嬢なら、文句は言われまい」
いくらルミナス辺境伯とお父様が親しいからって、いきなり養子だなんて言われても!
困惑する私の肩を、アルフ殿下が優しく抱いて歩きだした。
私は誘導されるままに、騒がしい夜会会場を後にした。
****
馬車の中で、未だ事態を飲み込めない私に、お父様が優しい笑顔で告げる。
「三か月前、ヴィヒト伯爵からお前との婚約破棄を打診された時から、ルミナス辺境伯と話し合っていた。
あのように身勝手な貴族や王家とは、もう付き合いきれんとな。
帝国に主を代えれば、領民への課税も抑えてやれる。
アルフ殿下からは、寝返る報酬として王家への融資を肩代わりして返済するお約束も頂けた。
爵位もそのまま保証して頂ける。
これは、我々の誰も損をしない話なのだ」
「ですが、いきなりアルフ殿下と婚約と言われても……」
オリヴァー様との婚約破棄すら、私にはまだ実感が湧かない。
それなのにアルフ殿下との婚約だなんて、すぐに考えられる訳もなかった。
アルフ殿下が私の手を取り、優しい微笑みで告げる。
「すぐに返事をくれなくて構わない。考えるだけ考えてはもらえないか。
私はあなたとならば、婚姻しても構わないと思えた。
あなたもそう思ってくれるなら、私は喜ばしく思う」
「殿下……」
今は無理でも、ここまで仰ってくださるなら、私も前向きに考えてみるべきなのだろうか。
私は混乱する胸中を抱えたまま、殿下の温かい優しさに包まれながら、子爵邸へと戻っていった。
****
夜会での決闘から三か月が経過したヴィヒト伯爵邸では、ヴィヒト伯爵が怒り狂うように叫び声を上げていた。
「貿易船が沈没しただと?!」
家令のセバスティアンが恐る恐る告げた言葉に、ヴィヒト伯爵は苛立たしく歯を噛み締める。
ようやくコルネリアから余計な口出しをされる事なく、大規模な国外貿易を再開できた。
大きな利益が見込める輸入品――それを積んだ船が沈んだという報告だった。
セバスティアンが恐縮しながら告げる。
「季節外れの大嵐に遭い、積み荷は全て沈んでしまったそうです。船員も絶望的かと」
「船員などどうでもいい! 積み荷をなんとしても回収しろ!」
「旦那様、運んでいたのは香料の原料です。
海に沈んでは、もう使い物にならないかと」
遠い南国で取引されている希少な香料、それをなんとか入手することができ、持ち帰れば一攫千金は確実だった。
だがその原資として、回復していた伯爵家の財産のほとんどを使ってしまっていた。
新たに貿易船を用意するだけの余裕は、もはやヴィヒト伯爵家にはなかった。
隻腕ながら、父親の補佐を務めるオリヴァーが声を上げる。
「ええい、構わん! 領民に課する税を引き上げて挽回する!
次こそは必ず国外貿易を成功させてみせる!」
現実を見ない父子に対し、セバスティアンが小さく息をついた。
「ご報告をお読みではないのですか。
既に領民の多くが、重税から逃れるため続々と隣接するアルトハイム子爵領へ移り住んでいます。
これ以上に税を重くすれば、それが加速するかと存じます」
王家から領地に課される税金は無視できないほど重たかった。
それを賄うため、領民には既に耐えがたい税金が課せられている。
一か月前から、領民たちが故郷を捨てて脱出を始めたという報告があったのだが、ヴィヒト伯爵父子は国外貿易に夢中で、領内の報告など読んではいなかったようだ。
オリヴァーがセバスティアンに鋭く告げる。
「ならば領内の境界を私兵で封鎖すればいいだろう!
領民を逃さないように街道を封鎖しろ!」
セバスティアンが深いため息をついた。
「既に我が国が帝国との同盟を破棄したことで、アルトハイム子爵領との境には帝国軍が布陣しております。
我が領土から私兵を境界に配置すれば、帝国軍をいたずらに刺激し、攻め込まれる契機となるでしょう。
おやめになった方がよろしいかと」
ヴィヒト伯爵が激高して声を上げる。
「陛下は何をなさっている! 帝国軍をなんとかできないのか!」
「先日、北方のルミナス辺境伯領で帝国軍と大規模な激突があり、大敗したのをお忘れですか。
既に王家に、帝国軍に立ち向かえる兵力はございません。
――それと先ほど、王家から使者が参っておりました」
セバスティアンが差し出す封筒をヴィヒト伯爵が乱暴に奪い取り、中の手紙を取り出し、目を通し始める。
「……オリヴァーとの婚約を、解消するだと?!」
「それは真ですか、父上!」
オリヴァーが目を見開いて驚きながら声を上げた。
手紙を震える手で握りしめながら、ヴィヒト伯爵が告げる。
「シモーネ王女殿下は、新しい近衛騎士団長のブラウン侯爵令息と婚約する、だそうだ。
あの尻軽女め! オリヴァーへの愛がもう覚めたとでもいうのか!」
「父上、私は今からシモーネ殿下にお会いして参ります!」
部屋から駆け出していくオリヴァーを、セバスティアンは冷たい眼差しで見送った。
――三か月前の夜会で、なりふり構わぬ無様な決闘を衆目にさらし、その上で完膚なきまでに帝国第一皇子アルフに負けた。
あれでシモーネ王女の恋が覚めた事など、本人たち以外は理解している。
既に騎士生命を絶たれたオリヴァーに、今後の栄達も望めない。
領地経営でもこの様では、早晩巨額の借金を背負い、八方ふさがりとなって領地や爵位を返上することになるだろう。
セバスティアンはため息をついて、胸の中に潜ませている暇願いを取り出した。
忠義心が篤かった彼も、とうとう愛想が尽きてしまった。
コルネリア子爵令嬢を厚遇し、彼女の言う通りに地に足を付けた領地経営をしていれば、こんな醜態をさらすこともなかっただろうに。
恩義ある一人の女性を不幸にした結果がこの様では、今後の家人たちの待遇も知れるというものだ。
「旦那様、私もこの度、暇を頂戴したく存じます」
未だ興奮するヴィヒト伯爵は、セバスティアンの差し出した暇願いを手に取ると、乱雑に破り捨てて怒鳴りつける。
「どこへなりとも行くがいい! だが、再就職先を紹介してもらえるなどと思うなよ?!」
「ええ、構いません。私にも当てはございますので」
伯爵家の家人たちより先にアルトハイム子爵家に雇われ、彼らを受け入れる準備をしなくてはならない。
アルトハイム子爵からは、色よい返事を頂いている。
全ては無理でも、多くの家人たちをアルトハイム子爵家で再雇用してもらえるだろう。
漏れた家人たちの雇用先の斡旋も、アルトハイム子爵は約束してくれていた。
ヴィヒト伯爵とは、人間としての器が違うのだ。
静かに執務室を出ていくセバスティアンを、ヴィヒト伯爵は顧みることなく床を乱暴に踏み付けていた。
****
アルフ殿下がヴィヒト伯爵令息と決闘をしてから三か月――私はルミナス辺境伯の養女となっていた。
子爵邸に滞在するアルフ殿下と共に過ごすうちに、彼の私に対する想いが本物であり、ヴィヒト伯爵令息と違って私自身を認めてくださる姿勢に感銘を受けたのが決め手だった。
殿下が指揮する帝国軍は、王国軍による一方的な同盟破棄からの侵攻を完全に返り討ちにしてみせた。
戦勝を祝う夜会では、騎士たちがアルフ殿下の活躍をこれでもかと自慢してくれて、私に彼の長所を説いてくれた。
臣下たちにここまで慕われるアルフ殿下、そんな彼に想われているという事実が、なんだか気恥ずかしいくらいだった。
今日も辺境伯邸の庭でお茶を飲みながら、アルフ殿下がゆったりと告げる。
「ルミナス辺境伯令嬢となったのだから、私との婚約に頷いてくれると思って良いのだな?」
私は頬を染め、目を伏せながら応える――まともに殿下の顔を見れない。
「それは……もちろん、そのつもりではございますが。
婚姻を決意できるかは、まだわかりませんわよ?」
アルフ殿下がフッと笑みをこぼした。
「構わんさ。これからも時間はたっぷりある。
お互い、ゆっくりと理解し合えばいいだろう」
彼の温かい言葉が心に染み入ってくる――ああ、こんな気分、ヴィヒト伯爵令息からは味わったことがなかったな。
そっと上目遣いでアルフ殿下を覗き見ると、彼は優し気な眼差しで私を見つめていた。
「で、殿下! そのように見つめられては、私がどうにかなってしまいそうです!
どうかもう少しお手柔らかにお願いいたします!」
アルフ殿下がニヤリと微笑んだ。
「それはコルネリア嬢の心が、私に傾いてきているということかな?
先の失恋の悲しみを忘れることができたなら、私にとっては喜ばしいことだ」
「もう、アルフ殿下! お戯れはそこまでになさってください!」
こんな時まで、彼は自分の利益ではなく、私の心をおもんばかってくれる。
彼とならば、もしかしたら伴侶として生きていけるのかもしれない。
アルフ殿下が、私のティーカップを持つ手にそっと自分の手を添わせた。
「コルネリア嬢、私はあなたを知れば知るほど、あなたに夢中になっていく。
あなたもそうであればよいと思うのは、私のわがままだろうか」
私は火が出そうな程熱くなった頬を持て余しながら、必死に言葉を紡ぎ出す。
「……私に第一皇子妃など、務まるのでしょうか」
「なに、あなたならすぐに公務にも慣れることが出来る。
覚えることは多いが、あなたなら問題あるまい。
どうか、私を支えて生きてはくれないだろうか」
――ここまで言われて、断るなんてできるわけ、ないじゃない。
私はしどろもどろになり、目をそらしながら応える。
「……仕方、ありませんわね。
その、私でよろしければ、アルフ殿下の……きさ、妃となって差し上げても、その、構いませんわよ?」
アルフ殿下が心からの微笑みを私に向け、告げる。
「ではまずは、どうか私と婚約者になってくれ。
共に帝都に戻り、コルネリア嬢を我が妃として紹介しよう。
あなたのことは私が必ず支えてみせる。
何も心配する必要はない」
「……よろしく、お願いしますわね?」
私は恥ずかしくて、それっきり目をそらして黙り込んでしまった。
そんな私の姿を、アルフ殿下は楽しそうに笑い声を上げ、見つめ続けていたようだった。
****
一年後、ルミナス辺境伯令嬢コルネリアは、グリムナス帝国第一皇子アルフに嫁ぎ第一皇子妃となった。
アルフ皇子に寄り添うコルネリアは、幸せそうな笑みを浮かべ、周囲からの祝いの言葉を受け取った。
彼女はやがて三人の子供に恵まれ、帝国の国母として幸せな晩年を送った。
皇后となったコルネリアは、数多くの功績を公務で残し、皇帝アルフと共に帝国を栄えさせたという。
評価や「いいね」、感想やレビューなどお待ちしております。