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ディスティニー・トレイン

作者: 紅月 雨降

偶々データの奥底で見つけた、昔書いた作品の供養です。なんか懐かしくなって投稿しました。

よろしければお楽しみください。

 午前0時00分00秒。

 星空の中、奇妙な汽笛が鳴り響く。

 それは、貴方に問いかける。

 辛い別れの運命に、貴方は何を望むのか。

 4年に1度の運命列車、只今到着致します。


 01・筑紫章人の視点


 「………はぁ」

 夜中だと言うのに、街は未だに喧しい。

 車のエンジン音が鼓膜を揺らし、ビルの灯りが網膜を焼く。

 今日の僕には、その全てが鬱陶しかった。

 ポケットを探れば、小さな箱が入っている。中身は、それなりの値段がした指輪だ。

 今日、これを高校時代から付き合っていた彼女に渡す筈だった。

 彼女――ちさとの誕生日は今夜、2月28日だ。だから少し高めのレストランを予約して、僕は店で待っていた。

 しかし、約束の時間になっても彼女は来なかった。

 待って、待って、待ち続けて、店が閉まったのが大体2時間前。それでも、僕は店の前のベンチで待った。

 そして日付も変わろうかと言う頃、携帯が振動した。

 僕は急いで確認した。が、その連絡は彼女ではなく高校時代からの親友からのものだった。

 届いたのは、一枚の写真。

 彼女が、親友の腕の中で裸で眠っている写真だった。

 そこで漸く、僕は自分が裏切られた事を知った。

「………はぁ」

 また、ため息を吐く。「幸せが逃げる」なんて言うけど、今の僕から逃げていく幸せなんてありはしない。

 長めの橋に差し掛かったところで、僕は何となく指輪の箱の蓋を開けた。

 給料3ヶ月分よりほんの少し高い、プロポーズのための婚約指輪。もはや誰の指にもはまることのないそれは、街の光を反射して美しく輝いている。

「………くそっ」

 その光が、異様に憎たらしく見えた。まるで、裏切られた自分を嘲笑っているようで。

「―――こんな、ものっ!」

 力任せに、指輪を川に放り投げる。小さな輝きは弧を描きながら、川面に静かに沈んでいった。

「ぅ、うぅ………」

 頬を、涙が伝う。滲む視界で川面を映した時、奇妙なことが起きた。

「なんだ、あれ………?」

 丁度指輪が沈んだあたりから、泡が出ている。魚が餌と間違えて食いつこうとしたのか、と思ったが、どうもそんな感じじゃない。

「え………え………!?」

 泡がどんどん広がっていく。そこそこ幅のある川の半分ぐらいを、溢れる泡が埋め尽くす。

 やがて、川面は光を放ち始めた。それと同時に、奇妙な音が耳へと届く。

「………これ、汽笛?」

 そう考えて首を傾げた、その瞬間。凄まじい水飛沫をあげて、川面から巨大な列車が飛び出した。

「う、うわぁぁぁぁぁぁ!?」

 突然飛び出してきたそれは、星空へと一度登ってからジェットコースターのように降って来て、橋の横で停車した。

 丁度、僕の横に扉が来た。扉が開いて、アナウンスが流れる。

『午前0時00分00秒。デスティニートレイン、間も無くの発車となります。お乗りのお客様は、足元にお気をつけてご乗車ください。』

「は………えぇ………?」

 何が起きたかもわからず、僕は不意に腕時計に目をやった。確かに、時刻は丁度その時間――

「………あれ?」

 そこで、おかしなことに気付く。

「動いて、ない………?」

 腕時計は、0時0分00秒で完全に停止していた。壊れたのかと思ってスマホを見るが、やはりそちらも同じ時間で止まっている。

「時間が、止まってる………?」

 困惑する僕を急かすように、不思議な汽笛が周囲に響いた。

「乗れ、ってことなのかな………」

 混乱しながらも、僕は列車に足を踏み入れる。

 中は普通の列車と言う感じだが、席は一つも埋まっていなかった。僕は適当な席に腰掛けて、発車を待つ。

「夢でも見てるのかな………」

 軽く頬をつねってみる。痛い。どうやら、夢ではないようだ。

「何が起きてるんだろう………?」

『お客様、乗車されましたのでデスティニートレイン、発車致します。席をお立ちにならないよう、ご注意ください』

 アナウンスが流れて、扉が閉まる。そして、一つ汽笛をあげてから列車はゆっくりと走り出した。

「わぁ………すっごい」

 列車は、星空の中を走っていた。線路があるわけでもない筈なのに、一切の狂いもなく進んで行く。

「どうなってるんだろ、これ………?」

 そんな事を考えていたその時、正面の扉が軋みながら開いた。そして、その中から何かが出てくる。

「えっ………え?何、あれ」

 そこには、奇妙な何かが立っていた。

 小学一年生くらいの大きさをした、黒くて丸い物体だ。その体はつやつやぶにぶにとして、なんと言うか、わらび餅っぽい。それが、車掌の服を着ていた。

「あ、こっち来た」

 よたよたとした赤ん坊のような歩き方で、それがゆっくりと寄ってくる。近くで見ると、真っ黒に見えた体は星空のように光が散りばめられていた。

「えっと………何?」

 それが、僕の目の前で止まる。そして、僕の方を向いて(多分。顔は無いけど、帽子の鍔と服のボタンがこっちを向いてるから正面だと思う)、懐に手を入れた。

「………スケッチブック?」

 ぶにぶにとしたそれは、触手みたいな手で器用にスケッチブックを捲っていく。そして、一枚のページで手を止めてそれを僕に見せて来た。

『きっぷ』

「きっぷ………あぁ、切符か。………切符?」

 そんなの持ってない。突然来て、乗れと急かされたから乗っただけだ。切符なんて買った覚えはない。

「えーっと………どうしよう………」

 無いとは分かっているが、慌て気味に体を弄る。と、その途中で思わぬ感触を発見した。

「………あれ?これって」

 そこには、さっき捨てた筈の指輪が入っていた。いつの間にポケットに戻ったのだろうか。

 そんな事を考えていたその時、ぶにぶにが突然指輪ごと僕の手に食らいついた。

「わっ!?な、何!?」

 ぶにぶにの中はなんだか人肌みたいに暖かくて、でもなんとなく冷たい気もする不思議な感触だった。

 振り払う気にもなれなくてしばらく放置していると、ぶにぶには僕の手を離してくれた。そして、その手の中には指輪が消えた代わりに一枚の紙が入っている。

「あ………切符」

 どうやら、指輪が切符になったらしい。普通に考えてトンデモ現象なのだが、この列車の時点でもう驚けなくなっていた僕は普通に受け入れていた。

「はい、じゃあこれ」

 ぶにぶにに切符を差し出すと、ぶにぶには手をパンチの形に変えて器用に切符に穴を開けた。そうして、満足したように戻ろうとするぶにぶにに僕は声を掛ける。

「ねぇ、これってどこ行きなの?」

 ぶにぶには特に何も喋らない。その代わり、スケッチブックを取り出して何かを書き始めた。

 数秒後、書き終わったらしいぶにぶには僕にスケッチブックを向けてくる。

『これ ですてぃにーとれいん いきさき うんめいがいきつくところ』

「運命が行き着くところ………?それ、どこ?」

『わかんない』

「分かんないの!?」

『ひとそれぞれ でも きめるのはおきゃくさん』

「………?それ、どう言う――」

 問いかけようとしたその時、列車が大きく揺れた。

「止まっ、た………?」

 駅に着いたのか――そう思ったが、どうやら違うらしい。次のお客さんを乗せるため、停車しただけのようだ。

「えっ………え………?」

 困惑気味に乗り込んできたのは、ボロボロの格好をした女性だった。服は汚れ切っているし、体も痩せて骨張っている。髪などは伸び放題で、顔すらまるで見えないほどだ。

 彼女はおどおどしながら、近くの席に腰掛けた。

『お客様、乗車されましたのでディスティニートレイン、再び発車致します――』

 そんなアナウンスとともに、列車はまた走り出す。

「えっ………?何、これ………」

 困惑する声が聞こえて彼女の方を見ると、いつの間にかぶにぶには彼女の前に立っていた。

 ぶにぶには僕にしたように、スケッチブックを取り出してページを捲る。おそらく、彼女にも切符をお願いするつもりなのだろう。

「きっぷ………え、そんなの………」

 彼女も慌てた様に、自分の体を弄る。と、不意に彼女が驚いた様に息を吐いた。

「あれ………これ」

 彼女が取り出したのは、指輪だった。

 年季が入っている、と言うほどでも無いが少し古い。デザイン的に見て、おそらく結婚指輪なのだろう。

「きゃっ!?」

 と、ぶにぶにはまたしてもそれに手ごと食いついた。

 彼女はなんとも言えないと言った雰囲気を見せながら、ぶにぶにの動きを見守っている。

 やがてぶにぶにが手から離れると、その手にはやはり切符が握られていた。彼女は切符をおずおずとぶにぶにに差し出し、ぶにぶにはパンチ(型の手)でそれに穴を開ける。

 そうしてぶにぶにが前の方へ去って行くと、車内は妙に静かになった。

 僕は何となく、彼女が気になっていた。特段理由がある訳ではないが、不思議と話したくなっている。

「あの、すみません」

 気付けば、声を掛けていた。

 僕の存在に気付いていなかったのか、彼女は一瞬驚いた様に飛び退く。しかし、すぐに落ち着いて席に座り直した。

「ご………ごめんなさい。昔の知り合いによく似ていたものですから、驚いてしまって」

「あぁ、気にしなくていいですよ。」

「………それで、何か?」

「何か、って訳でもないんですけど。あなたはこの列車、何だか知ってますか?」

「いえ………突然現れたので、私にも何が何だか」

「………ですか。僕も詳しいことは知らないんです。あのぶにぶに曰く、『うんめいのいきつくところ』を目指す列車だとか何とか………」

「………?何だか、要領を得ませんね?」

「ですね。僕達、一体どこへ向かうんでしょう?」

 二人して、首を傾げる。とその時、彼女が突然小さく笑った。

「………?あの、どうかしました?」

「あ、いえ………あなたがあまりにも知り合いに似ているから、昔のことを思い出してしまって」

「良ければ、聞いてもいいですか?」

 そう問いかけると、彼女は懺悔する様に話し始めた。

 「自分が過去に犯した罪だ」と言って。

「………あなたに似ていると言ったのは、私の元恋人なんです。四年前、別れてしまったんですけど」

「そう、なんですか?」

「ええ………私と彼は高校時代から付き合っていて、お互いにそろそろ結婚も考えていたんです。そんな時、私は彼の親友に呼び出されました」

 ちょっとだけ、どきりとする。何だか、自分と重ね合わせてしまう話だ。まぁ、恋愛なんて大体似た様なものかもしれないけど。

「彼の親友とは私も昔からの知り合いだったので、特に疑いもせず彼の元へ行ったんです。そこで、私は彼に一枚の写真を渡されました」

「写真?」

「ええ………恋人が、私ではない女性と抱き合っている写真でした」

「それって………浮気、ですか?」

「………私もそう思って、激昂しました。すぐ恋人に問い詰めに行こうとして、彼に止められたんです。『これだけじゃ、どうせ言い逃れされる』と。」

「……………」

「彼は『自分がもっと証拠を集める。言い逃れできないぐらいに集めてから、あいつに突きつけよう』と言い、私はそれを信じました。………まぁ、それ以降証拠なんて渡されませんでしたが」

「………え?」

「証拠も貰えずやきもきして、そのうち私は恋人と距離を置く様になりました。その間、彼は献身的に私に尽くしてくれて」

「はい………それで?」

「そんな調子だったので、私も彼の『なかなか尻尾を出さない』と言う言葉を鵜呑みにしてしまっていたんです。そうして、少しずつ恋人から気持ちが離れていった頃………私は、彼に告白されました」

「……………………」

「献身的な彼に惹かれ始めていた私は、恋人を捨ててしまったんです。それも、私の誕生日――二人で祝おうと長く前から約束していた食事をすっぽかすと言う最低の形で。」

 ずきり、と胸が痛んだ。その境遇は、僕と同じだ。だからこそ、それがどれほど残酷なことかわかってしまう。

「それから、元恋人とは一度も会っていません。話も聞かなくなって………でも、特に気にしていなかったんです。そのまま、私は一年後に彼と結婚しました」

「………はい」

「それから3年が経って、私と彼の間には子供が一人産まれました。それからです。彼に、違和感を覚え始めたのは。」

「違和感?」

「初めは、単に子育てに非協力的なぐらいでした。私は専業主婦でしたし、そんなものかなと思っていたんですが………それからしばらくして、やたらと残業が増え始めたんです」

「あぁ………それって」

「子供が小さいんだから残業を減らして、と言っても聞き入れてくれませんでした。それで仕方なく会社の同僚に話したところ、毎日定時で帰っている事を知って」

 まさに「典型」と言った感じだ。ここまで来れば、聞かずともわかってしまう。

「当然、私は浮気を疑いました。それで、彼が普段使っているスマホを夜中にこっそり確認したところ………」

「ビンゴだった、ですか?」

「はい………でも、それ以上に衝撃的なものを見つけてしまったんです」

「それ以上?」

「元恋人の名前を出してチャットしている相手がいて、何となく気になってそれも見てみたんです。そうしたら………」

 少し声のトーンを落としながら、彼女は告げる。

「………彼が、元恋人を陥れる計画を話し合っていたんです」

「………え?」

「誰か女性と結託して、事故を装って元恋人に抱き付かせ………その写真を撮り、私に見せる。そうして傷心した私を自分のものにする、と言う計画が綿密に話し合われていました。そこで私は、私が彼の策略にはまって恋人を裏切ってしまった事を知ったんです。」

「そんな、事が――」

「それを知って私が戦慄していた、その時でした。彼が起きて、私がしていたことがバレてしまったんです」

「え」

「私は勢いで彼を問い詰めました。しかし、彼は開き直って私を騙された馬鹿女とかあばずれとか散々罵倒して、その上無理矢理離婚届を書かされて、家からも追い出されてしまって………」

「………警察、とかには?」

「もちろん行きました。でも、証拠も無いし何より民事不介入だからと相手にされなくて………」

「そ、そんな………」

「親はすでに亡くなっていて、もう頼れません。かと言って、近くに頼れる友人もいなくて………途方に暮れたまま、数週間野良猫みたいに彷徨って。気が付いたら、川べりに立っていました」

「………それって」

「初めは、死のうとしたんだと思います。でも、何だかやるせなくて………手についたままだった結婚指輪を、川に放り投げたんです。そうしたら、そこから突然この列車が出て来て………」

「………そう、だったんですか」

「長くなりましたけど………これが、私が過去に犯した罪です。もう遅いとは思いますが………叶うなら、元恋人にはちゃんと謝りたいです。」

「遅い………かもしれませんね。4年は………長いです」

「です、よね………」

「でも、ありがとうございます。僕は、あなたのおかげで前に進めるかもしれません」

「………え?どう言う、事ですか………?」

「実は、ですね………」

 僕は話した。自分の身に起きた出来事を。彼女の元恋人の境遇とよく似た、自分の話を。

「………って感じなんです。」

「…………………………」

 彼女は、何も言わなかった。ただ、どこか困惑している様な、そんな感情をのぞかせていた気がする。

「もし、僕と彼女の間にもあなたみたいな誤解があるのなら………僕は、それを解きたい。だって、悪いのは彼女じゃなくて騙した親友ですもん。」

「彼女が憎いとは………思わないんですか?」

「そりゃ、最初は思ってました。でも、もしそれが彼女の意思ではないと言うのなら………僕は、彼女を許したい。だって振られたとは言え僕、まだ彼女が好きですから。………気持ち悪いですかね?執着してるみたいで」

「………場合による、と思います。今回は………貴方の優しさが見える、素敵な言葉だと思いますよ。」

 彼女はそう言うと、小さな笑い声を漏らした。その声は――不思議と、胸に染み入る様な気がした。



『間も無く、0時00分01秒――当列車は、本日の運行を終了致します――』

 その後、少し雑談をしていたら車内にそんなアナウンスが響いた。

「………旅は終わり、みたいですね」

「ですね。………恋人さんと仲直り、頑張ってくださいね。」

「はい。………まぁ、誤解がある事前提ですけど」

「きっと、ありますよ。都合の良い話かもしれませんけど………応援させてください。」

「都合の良い?」

 そう聞こうとした時、スキール音がして列車が大きく揺れた。どうやら、停車したらしい。

「………降りましょうか」

「そうですね」

 扉が開いて、僕は先にそこから降りる。そして振り返った時――

 ふわ、と、優しい風が吹いた。

「………あ………」

 風に吹かれ、彼女の髪が靡く。

 前髪で見えなかったその下の顔を、四年経っていても見間違えるはずもなかった。

「ちさ………と………?」

「………章人くん、あの時、あなたを信じてあげられなくてごめんなさい。こんな、こんな馬鹿な私だけど、それでも――」

 扉から出た彼女の姿が、微かに薄くなる。そうして消える直前で、こんな言葉を聞いた。

「………また、好きで居させてくれますか?」

 ふ、と彼女の姿が消える。列車も、もうそこにはない。

 何もない空間を見つめながら、僕は誰に向けてか呟いた。

「………また、好きになってください」

 誰も見ていない、夜の帷の中――星空だけが、その告白を聞いていた。


     ◇


 02・有坂ちさとの視点


 始めは、夢でも見ているのかと思った。

 私は駅ではなく、川べりに立っていた筈なのに。

 何故今、私の前には列車があるんだろう。もしかして、マッチ売りの少女みたいに死に際に幻を見ている状態なんだろうか。

 そんな事を考えていた時、列車の扉が突然開いた。

『お待たせ致しました、0時00分00秒発、デスティニートレインが到着致しました――』

 列車の中から、そんなアナウンスが聞こえてくる。それを聞いた時、一瞬だけ「あぁ、いつの間にか一つ歳をとってたんだ」なんて思考が現実逃避的に脳裏をよぎる。

 何が起きたのかも理解できず呆然としていると、列車は大きく汽笛を上げた。しかし、出発する様子はない。

「………私を、待ってる?」

 周囲を見渡してみるが、自分以外にこの列車を待っていた様な人間の姿は見えない。それどころか、まるで世界から人が全て消えたみたいに人の気配がしない。

「………痛い」

 思わず頬をつねったが、割としっかり痛かった。どうやら、夢を見ている訳ではないらしい。

「………乗って、みようかな」

 恐る恐る、私は列車に踏み込んだ。

「えっ………え………?」

 思わず、そんな声が漏れる。車内に入った時、私はタイムスリップをしたかの様な感覚に襲われた。

 最近の電車とは違う、レトロな雰囲気。昔、歴史の教科書で見た汽車の内装そのままといった感じだ。

(………なんか、懐かしい様な)

 不思議と、そんな気分になった。別に、乗った事どころか汽車の内装を見るのだって授業以来の筈なのに。

 困惑しながらも、私は手近な席に腰掛けた。椅子は思っていたより柔らかくて、最近硬いアスファルトの上に座ってばかりだった私にはありがたい。

「ふぅ………えっ………?何、これ………」

 ふと気がつくと、目の前に奇妙な物体が立っていた。

 生き物………なのだろうか、これは。黒くて、ぶにっとしていて、つやつやしていて………なんと言うか、わらび餅みたい。

 それは、私の困惑など気にも留めない様子で自分の懐を探り始める。そうして出てきたのは、一冊のスケッチブックだった。

 それ、と言うのも良くないかもしれないから、ここからは取り敢えず「ぶにぶに」と呼称する。

 ぶにぶには触手の様な手で器用にスケッチブックのページを捲っていき、一枚のページで手を止めて私の方にそれを向けた。

『きっぷ』

「きっぷ………えっ、そんなの………」

 持ってない。なんか、乗らなきゃいけなさそうな雰囲気だったから乗り込んでしまっただけだ。しかも、よくよく考えれば今は財布すら持ってない。

 慌てて体を弄っていた時、不意に思わぬ感触が指に触れた。

「あれ………これ」

 ボロボロの服のポケットから出てきたのは、白金製の指輪だった。指輪は車内の蛍光灯の光をはねて、ツヤツヤと瞬いている。

 ………どうして、こんなものがあるんだろう。確かに、川に沈めたはずなのに――

「きゃっ!?」

 そんな事を考えていたら、突然ぶにぶにに指輪を持った手を食べられた。

 何とも言えない、不思議な感触。暖かい様な、でも微かに冷たい様な。あと、やっぱりぶにぶにだった。

「あっ………」

 ぱっ、とぶにぶにが離れる。そうして再び現れた手の中には、指輪ではなく切符が握られていた。

「えっと………じゃあ、これ………」

 おずおずと切符を差し出すと、ぶにぶには自分の手の形をパンチの様に変化させた。それを使って切符に穴を開け、満足げな足取りで帰って行く。

「何だったんだろ、あれ………?」

 星空の中を走る電車なんてメルヘンチックなことになっているんだから、大抵のことでは驚かない。でも、あれは少し例外すぎないかと思う。

「あの、すみません」

 少しぼうっとしていたら、突然誰かに話しかけられた。他にお客さんなんていたんだ、と思って声の方を向いた私は、思わず飛び退いてしまう。

(………あ、章人くん………!?)

 その人は、あまりにも似ていた。

 かつて、私が裏切ってしまった人に。

「………?あの、何か?」

 不思議そうな声を掛けられて、我に帰る。

(そ、そんな筈ないよね。だって、もうあれから4年も経ってるんだから。)

 彼の姿は、4年前に別れたままだった。本当に彼なんだとしたら、いくら何でも変化がなさすぎる。だから、多分他人の空似だろう――そう、自分を納得させた。

「ご………ごめんなさい。昔の知り合いによく似ていたものですから、驚いてしまって」

「あぁ、気にしなくていいですよ」

 そう言って、彼は小さく笑う。その笑顔がまた記憶の中の青年と重なって、胸がぎゅうと締め付けられる。

「………それで、何か?」

 できる限り、ぶっきらぼうにそう返す。そうでもしないと、罪悪感と懐かしさで泣き出してしまいそうだ。

「何か、って訳でもないんですけど。あなたはこの列車、何だか知っていますか?」

「いえ………突然現れたので、私にも何が何だか。」

「………ですか。僕も詳しいことは知らないんです。あのぶにぶに曰く、『うんめいのいきつくところ』を目指す列車だとか何とか………」

「………?何だか、要領を得ませんね?」

「ですね。僕達、一体どこへ向かうんでしょう?」

 ………あぁ、いけない。ぶっきらぼうに、なんて考えていたのに。あっという間にそんな仮面は外れかけている。

 自然と、楽しくなってしまう。都合の良い幸せな思い出に、浸りたくなってしまう。

「………ふふっ」

 気が付いた時には、笑いがこぼれていた。突然笑った私を見て、彼は怪訝な表情を浮かべている。

「………?あの、どうかしました?」

「あ、いえ………あなたがあまりにも知り合いに似ているから、昔のことを思い出してしまって」

「良ければ、聞いてもいいですか?」

 そう聞かれ、私はほぼ無意識にこう返していた。

「聞いて面白い話ではないですけど………聞いていただけますか?私が、過去に犯した罪の話を。」

 それは、もしかすると懺悔だったのかもしれない。

 彼に似ているこの青年に聞いてもらうことが、罪を懺悔することになると。そんな、淡い期待があった様な気がする。

「………あなたに似ていると言ったのは、私の元恋人のことなんです――」

 そうして、私は話し始めた。

 私が、彼の親友に騙されて恋人を裏切ってしまったこと。そして、それをごく最近になって知ったこと。今、自分が置かれている状況のことを。

(………きっと、罰なんだろうな)

 改めて人に話して、私の中にはそんな思考が生まれていた。

 今のこの状況は、きっと罰だ。信じるべきだった人を疑い、裏切り、信じてはいけない相手を信頼し、委ねた馬鹿な私に神様が与えた罰。

「長くなりましたけど………これが、私が過去に犯した罪です。もう遅いとは思いますが………叶うなら、元恋人にはちゃんと謝りたいです。」

 その言葉で、私は話を締め括った。

 話の後、数秒の沈黙に包まれる。その沈黙が、異様なまでに恐怖を煽った。

 もしかして、軽蔑されているんだろうか。いや、当たり前にされている筈だ。私の犯した罪は、それ程までに重い。

「遅い………かもしれませんね。4年は………長いです」

 その答えが返ってきた瞬間、心臓が強く跳ねた。

 今、彼はどんな顔をしているんだろう。心底からの侮蔑を込めた、嫌悪の表情を浮かべているんだろうか。

 当然のこととは分かっていても………この顔にそんな感情を向けられるのが、怖い。しかし、怯えて顔を見られずにいた私の耳に届いたのは予想もしていなかった言葉だった。

「でも、ありがとうございます。僕は、あなたのおかげで前に進めるかもしれません。」

「え………?どう言う、事ですか………?」

 思わず顔を上げた私の目に入ったのは、どこか晴れやかな顔をした彼の姿だった。それに対して、私は相当間抜けな顔をしていたに違いない。

「少し長くなりますけど………僕の話も、聞いて貰えませんか?」

 断る理由もない私は、静かに頷いた。彼はどこか清々しい表情で、自分に起きた出来事を話し始める。

「実はですね………僕、あなたの元恋人さんと境遇が似てるんです。」

「………え?」

「今日………や、もう昨日か。僕の恋人の誕生日だったんですよ。何の偶然か、僕たちも一緒に食事をする予定だったんです。」

「そう、なんですか?」

「はい。それで僕、プロポーズするつもりでちょっと高い指輪まで買って。で、ずっと予約したレストランで待ってたんですけど、彼女は来なくて。店も閉まっちゃって、いよいよ日付も変わりそうって時に親友から彼女と裸で寝てる写真が送られてきて………」

 声が、出なかった。似ている、なんてものじゃない。ここまで、完全に一致している。

「あぁ、裏切られたんだって思いました。その後の帰り道は、もう殆ど何も考えられなくて。「目の前が真っ暗になる」って、あんな感じなんでしょうね」

「………やっぱり、酷いダメージを負ったんですね」

「あはは………恥ずかしながら。思考より感情が先に来る感じ、でしたね。悲しいとか怒りとか、そう言うので頭の中がいっぱいで。思考を挟む隙間がありませんでした。」

 話を聞きながら、私は考えていた。

(………いくら何でも、共通しすぎてないかな)

 全く同じ日に、全く同じ様な経緯で恋人と別れて、しかもその相手の顔は………

「………それで、モヤモヤで胸がいっぱいになって。気が付いたら指輪を川に投げてました。そしたら、指輪が落ちたところからこの列車が………」

「あの、すみません」

「………はい?どうしました?」

「その恋人さんの名前って………聞いても良いですか?」

「え?あぁ、はい。」

 そこから彼が言葉を発するまでの0コンマ数秒は、奇妙に長く感じた。しかし、私の考えが正しいのなら。

「………ちさと、ですけど」

「―――。」

 やっぱり、そうだ。

 今ここにいる彼は――4年前の、章人くんだ。

 それが分かった瞬間、心臓が痛い程に高鳴った。

(………駄目、止まって)

 自分の胸をぎゅうと握って、心臓の鼓動を無理矢理に抑え込む。

 一体、この心は………何を、期待しているのか。

 許される、とでも思っているのか。また、あの頃みたいになれるなんて思っているのか。

 私が、どれだけ彼を苦しめたと思っているんだ。彼の想いを、どれだけ残酷に踏み躙ったと思っているんだ。

 ………それでも、求めてしまうのは。

 まだ、私の中に被害者面した馬鹿な自分が存在しているせいなのだろうか。

「あの、どうかされました?」

 あぁ、本当に止めて欲しい。

 優しく、しないで欲しい。口汚く罵られ、嫌悪される理由はあっても………私には、あなたに優しくしてもらう権利なんてないのだから。

「………いえ、別に何も。つ、続きをお願いします。」

「そうですか?………まぁ、続きと言う様なものは特に何も無いんですけど。むしゃくしゃして指輪を川に投げたら、この列車が出てきた………って感じなんです。」 

「……………………」

 ………ど、どうすれば良いんだろう。

 さっきまで、普通に話せていた筈だ。なのに今、私は言葉に詰まっている。

 緊張、とも少し違う。どちらかと言えば、この感覚は「恐怖」に近い。

 口を開いたら、何を言うかわからない。期待に満ちた自己満足の言葉を吐きかねない。そう思うと、口が上手く開かないのだ。

 仕方なく、私は彼の次の言葉を待った。

 私への恨み言か、或いは他の誰かを好きになる心の準備が出来た話か。どちらであっても、その覚悟は出来ている。

 しかし、またしても彼は私の予想を裏切る言葉を口にした。

「もし、僕と彼女の間にもあなたみたいな誤解があるのなら………僕は、それを解きたい。だって、悪いのは彼女じゃなくて騙した親友ですもん。」

(………はい?)

 思わず、ぽかんとしてしまう。

「彼女が憎いとは………思わないんですか?」

 思わず、私の方からそれを聞いてしまう。

「そりゃ、最初は思ってました。でも、もしそれが彼女の意思ではないと言うのなら………僕は、彼女を許したい。だって振られたとは言え僕、まだ彼女が好きですから。………気持ち悪いですかね?執着してるみたいで」

 じわ、と胸の奥に温かいものが溢れてくる。

(………あぁ)

 求めても、良いんだろうか。

 この人に、もう一度手を伸ばしても良いんだろうか。

「………場合による、と思います。今回は………あなたの優しさが見える、素敵な言葉だと思いますよ。」

 自然と、そんな言葉が微笑みと共に漏れていた。

 ………あぁ、やっぱり私は。

 私は、どうしようもなく馬鹿なんだと改めて悟った。



 『間も無く、0時0分01秒――当列車は、本日の運行を終了致します――』

 そこからの時間は、あっという間だった様に思う。

 この列車の中での時間の進みは外とは違うらしく、外では1秒しか経過していないので中でどの程度時間が経っていたのかはわからない。だが、恐らくは数時間は話していただろう。その間、長らく笑えていなかったはずの私からは笑顔が絶えなかった。

「………旅は終わり、みたいですね」

 不意に、彼がそんなことを言う。どこか名残惜しそうなその声に、思わず胸がときめいた。

「ですね。………恋人さんと仲直り、頑張ってくださいね。」

 つい、そんな事を言ってしまう。だから、その恋人は昔の自分なんだと。

 結局、私は拒絶する事を諦めた。と言うより「誤魔化せなくなった」と言うべきかもしれない。

 別に「今でも好き」なんて都合のいい台詞を言うつもりはない。何せあれから4年も経っている上、私はその間に結婚までしている。それなのにまだ未練を持っている、なんて言ったら元夫と同じ浮気者になってしまう。

 私が「誤魔化せなくなった」のは、「幸せになりたいと願う気持ち」だ。

 彼と話していて、分かったことがある。それは、私という存在が「正史」である、という事だ。

 この列車に乗り込んだ事で私は彼と対話し、その結果彼は私と向き合い直すと決めた。つまり、もし私の前にこの列車が現れなければ彼は二度と私と向き合うことは無かったという事になる。

 その結果、過去の私が行き着く未来が今の私だ。しかし今、彼が私と話したことで彼の決断はその歴史から変化した。

 つまり――『未来が変わる』。

 もし、彼が過去の私の誤解を解くことが出来たなら。そうしてもし、彼が私を改めて受け入れてくれたなら。

 きっと、私はその未来で幸せになっている。そう確信出来る程、私はここで彼の優しさに改めて触れた。

「はい。………まぁ、誤解があること前提ですけど」

 苦笑いをしながら、彼はそんな事を言う。それに対し、私はこう答える。

「きっと、ありますよ。都合の良い話かもしれませんけど………応援させてください。」

 そう………「都合の良い」。彼が私の正体に気づいていたのなら、私は「虫の良い」と言っただろう。

 罪悪感自体は消えていない。単に「許されたい」と、私が身勝手に願っているだけだ。本来なら、私に幸せを望む権利などありはしない。

 私がその権利を得られるとすれば、彼からの許しを得た時だけだろう。だからこそ、私は彼に虫の良い願いを捧げているのだ。

「都合の良い?」

 彼もその単語を疑問に思ったらしく、不思議そうにそんな声を漏らす。が、その先の言葉はスキール音がかき消してくれた。

「………降りましょうか」

「そうですね」

 そう言い交わして、列車を先に降りた彼の姿が緩やかに薄くなり始めた。恐らく、時間という隔たりによるものだろう。

(あとは、昔の私に――)

 そう考えながら私も列車を降りた、その時だった。

「……………あ」

 ただの偶然か、或いは神様の悪戯か。一陣の風が、私の顔の前を通り過ぎた。

 瞬間、髪に邪魔されていた視界がクリアになる。その目に映ったのは、唖然とした表情を浮かべる彼の姿だった。

「ちさ………と………?」

 4年経っていても、顔を見れば分かってくれるんだ。そんな思考が頭をよぎるが、その直後に襲ってきたのは狼狽だった。

 本来、私は正体を明かすつもりはなかった。何故かと言えば、彼に対して「私」から言うべき事はない、と考えていたからである。

 彼は私にとって4年前の人間だ。即ち、彼が出会い、そして別れた私は今の私ではなく昔の私。

 ならば、彼に伝えるべき言葉は私ではなく昔の私が全て言うべきだ――そう思っていた。

「………章人くん、あの日、あなたを信じてあげられなくてごめんなさい。こんな、こんな馬鹿な私だけど、それでも――」

 なのに、その想いとは裏腹に口から言葉が溢れ出る。  

 名前をまた呼んでもらえたその時点で、私の中で何かが既に決壊していた。激流の如く流れ出てくる感情を、言葉を、止める術はもう無かった。

「………また、好きで居させてくれますか?」

 返答は聞こえない。いつの間にか、彼の姿も消えている。もしかしたら、虚空に向けて言葉を紡いだのかもしれない。

 でも、それで良い。きっと、この言葉の答えは私じゃなくて過去の私のものだから。

「さて………私は、どうしようかな」

 過去は変わったかもしれない。でも、だからと言って「私」が消える訳じゃない。ただ、枝分かれするみたいに別の未来が生まれるだけ。

「やっぱり、このまま――」

 そう呟いて川に向けて一歩を踏み出そうとした、その時だった。

「………ちさと?」

 不意に、背後から声が届く。とても懐かしい様な、でもついさっきまで隣で聴いていた様な、そんな声。

 ………私は、神様に好かれているのか。それとも、嫌われているのか。

 それは、私にも分からない。でも――

「………久しぶり、章人くん」

 ………ほんの少しだけ、運命というものに感謝してしまったのは――ここだけの秘密だ。

皆様どうも、作者の紅月です。

前回言った話とは違う形になりますが、ちょっと気まぐれ投稿です。

と言うのも、自分が使ってた執筆アプリの奥底で古いデータを見つけちゃいまして。

当時は一人で書いて完結してたんですけど、投稿始めたし供養程度のつもりで出すかー、と思いつきで投稿を決めた次第です。

て訳で、今以上に拙いところとかどっかで読んだようなみたいな部分あると思いますがお気になさらず。

予告してた作品の方は進捗上々です。もしかしたら、割と近いうちに出せるかなと思ってます。

その時をお楽しみに。

ではではー。

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