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第五話(レオルド視点)




それはある晴れた日のことだった。


いつものように自室の窓から外を眺めながらコーヒーを飲んで休息をとっていたところ、庭で何かが走り回っているのが見えて注意深くそちらを見てみた。するとそこには、薄着で庭をランニングするシェリーの姿があったのだ。




「ぶっ!?し、シェリー!?」




思わずコーヒーを吹き出してしまったが、それどころではない。僕は急いで部屋を出るとシェリーの元へ向かった。




「シェリー!」


「あ、レオルドさん。おはようございます」


「おはよう…って、そうじゃなくて!どうして庭を走ってるんだ?しかもそんな薄着で!」




サッと手際よくシェリーの肩に僕の上着を掛ける。心配している僕とは対照的にシェリーは柔らかい笑顔で僕を見上げている。




「体力づくりのために運動をしてたの。もう2週間は続けてるから、少しは体力もついたんだ」


「2週間だって!?一体メイドたちは何をやってるんだ!シェリーにこんな激しい運動をさせるなんて!」


「みんなには私が黙っててって言ったんだ。レオルドさんが心配しちゃうからって。でもお医者様からも許可はもらっているし、運動メニューもカイル先生に組んでもらったから信頼できるはずだよ」


「な…なんでそこでアイツの名前が?どうして突然こんなことを…」




あまりにも突拍子もない行動に狼狽える僕に、シェリーは笑って手を引いて歩き出す。




「とりあえず中に入ろう。レオルドさんに話したいことがあるから」


「シェリー?話って、何を話すつもりだい?」




まさか、ここを出ていくとか…誰か好きな男が出来たとか…?


嫌な考えが過って心臓がどくどくと早鐘を打って苦しくなる。いやだ。もしも…僕から離れることを彼女が選択したら、僕にはそれを止める権利がない。親代わりでも本当の血の繋がりはないし、30を迎えたおじさんが16歳の彼女の恋愛対象になり得るはずもない。


どうする?今ならまだ彼女は僕の目の前にいる。誰かのものになってしまうくらいなら、いっそ。




「レオルドさん。私はどこにも行かないから心配しないで」


「…えっ?」


「なんでもない。ほら、早く行こう?」




気のせいだろうか。今彼女が僕の一番欲しい言葉をくれたような…いや、もしや幻聴?あまりのストレスに耐えきれずついに幻聴まで聞こえてしまったのか?


混乱して思わず頭を振ったが、不思議と先程までの不安はかなり軽減されていた。幻聴でもシェリーの言葉には力があるらしい。良かった…あのままでは自分でも何をするか分からなかったから。




「私、学園をちゃんと卒業したい」




着替えを済ませたシェリーと椅子に座って一息ついたあと、彼女は真っ直ぐにそう言った。思わずびくりと体が固まる。




「学園に通って、きちんと学びたいの」




それはそうだろう。王立学園に通う事は貴族の子息令嬢にとって大きなステータスになる。それにシェリーには学園に友人もいる。また通いたいと思うだろうことは分かっていた。




「それなら家庭教師を雇うのはどうかな?シェリーは体もまだ万全じゃないし」


「王立学園は一流の教師が揃ってる。学園と同じレベルの家庭教師を雇うのは難しいでしょう?レオルドさんも一流だけど、専門は魔法で、私にはその魔法を使うための魔力がほとんどない。だから知識と教養を身につけるために学園に通いたいと思ったの」


「シェリー…」




シェリーの真っ直ぐな瞳に自分の愚かな考えを見透かされているような気持ちになった。彼女の体調不良は確かにあった。けれどそれを理由に屋敷の敷地から出さず、過度に彼女を守ろうとしたのは僕だ。本当ならこのままもう学園には戻らせず自主退学させることも考えていたくらいだ。それは彼女の体が心配だったことと、彼女を他の誰かに奪われたくないという自分勝手な欲のためだった。


なかなか返事が出来ずにいる僕に、シェリーは言った。




「私、体のことをカイル先生にも相談したの。そしたら体を動かす時に魔力を消費しない動かし方を教えてもらったんだ。それなら魔力が抜けていても長く動いていられるでしょう?それにはまず体力が必要だからって言われて、それで運動を始めたの」


「そう、だったんだね。それで効果はありそうかい?」


「うん!ちゃんと毎日動ける時間が延びてるの。それに前より沢山走れるようになったんだよ」


「それは良かった」




嬉しそうに笑うシェリーに、僕の表情も思わず緩む。けれど、彼女の体調が戻って外を自由に動き回れるようになれば彼女の魅力に気付いて寄ってくる者が増えてしまう。きっと見合い話も今まで以上に舞い込んでくることだろう。


そもそも彼女は学園では人気者だ。入学してすぐに獣人についてやたら詳しいからと様々な生徒から恋愛相談をされるようになった。休学してからもしょっちゅう顔も知らない生徒たちから恋愛相談の手紙が届くほどだ。学園に戻れば以前よりもっと注目を集めてしまうに決まっている。




「シェリー。僕は、君が心配なんだ。君が望むことならなんでも叶えてあげたいけれど…」




そこまで言って言葉に詰まってしまう。これ以上言って、もしシェリーを泣かせてしまったらどうしようと思った。僕は彼女を悲しませてまで縛りつけたいわけじゃないはずなのに…どうしても、彼女を失うのが怖くて踏ん切りがつかなかった。




「レオルドさん」




気がつくと、膝の上に置かれた手にシェリーの細い手が重ねられていた。いつの間にか彼女の前で俯いてしまっていたようだ。僕の隣にしゃがみ込み、真剣な様子でこちらを見上げてくるシェリーに視線を移す。




「我儘を言ってるのは分かってる。でもどうしても学園に行きたいの。卒業したらレオルドさんの言いつけをきちんと守るし、二度と外出したいだなんて言わないから」




だからお願い。と言うシェリーに目を見開く。そうだ。そもそも彼女は外へ出たいだなんて今まで一度も言ったことがない。僕の言いつけを守って、大人しく屋敷に篭ってくれていた。そんな彼女が初めて外へ出たいと言い、卒業後はもう二度と外へ出ないとまで言っている。僕はいつの間にシェリーをここまで追い詰めてしまっていたのだろう。




「分かったよ。その代わり無理はしないでね。体調が悪くなりそうだったらきちんと僕か保健医の先生に言うこと」


「…はい!ありがとうレオルドさん」




こうして彼女は再び学園へ通うこととなった。けれど、すぐにその決断を後悔することになる。


体調が戻ったシェリーが復学すると、彼女は瞬く間に人気を取り戻した。元々顔見知りだった者から文通でしか交流がなかった者、そして噂を頼りに集まって来た者と性別年齢問わず引っ切り無しに彼女の元へ生徒が集まったのだ。


その多くは獣人絡みの恋愛相談で、ヴィアロッテ男爵令嬢とラドクニフの二人が立場と年齢と種族の壁を越えて恋を成就させたキューピットだとシェリーが持て囃されているためだ。正直教師の身でありながら生徒との浮いた話が学園中に広まっているのはどうかと思うが。元々獣人は年齢差は気にしない者が多いし、一線を超えていなければ然程問題にはなりづらい風潮がある。獣人で良かったなと内心悪態をついた。


だが本当に心配なのは純粋にシェリーを頼ってやってくる生徒ではない。恋愛相談だと言って彼女に近づこうとする不届者だ。仕事を終わらせてシェリーを迎えに教室へ行ったがそこはもぬけの殻だった。こういう時は大抵男子生徒に呼び出しを受けている。どうせ裏庭辺りだろうと向かってみると、案の定シェリーと男子生徒が二人で向かい合っていた。




「申し訳ございません」




シェリーが軽く頭を下げる。どうやら丁度返事をしたところだったらしい。




「そういったお話でしたらお断りいたします」


「せめて俺のどこがダメだったのか聞かせてくれないか?」


「どこ…というより、そもそも私自身は恋愛に興味がないんです。皆さんにお答えしている内容は恋についてというより獣人の生態についてですので」


「そ、そうか…」




全く脈がないことを思い知らされた哀れな獣人の生徒はそのままトボトボと帰っていき、入れ違いになるようにして僕はシェリーの前に姿を現した。




「ここにいたんだねシェリー。仕事が終わったから一緒に帰ろう」


「レオルドさん。よくここが分かったね」


「来る途中にたまたま窓から姿が見えたからね」




そう笑顔で答えて彼女に近づくと、頬を指先で撫でる。伏目がちな藤色が不思議そうにこちらを見上げた。




「少し冷えてるね。はやく帰ろう」




こうして毎日少しずつ彼女に触れて匂いを移すことで他の獣人の男達を牽制しているけれど、あまりやりすぎると勘のいいシェリーに気付かれてしまう。結局僕をただの後見人だと思い違えるような楽観的な男達までは抑えられないでいる。どうしたらこの学園で彼女を守りきることができるのだろう。


彼女の決断を邪魔しないと決めたはずだったのに、僕の弱い心はすでに悲鳴を上げていた。


大好きなシェリーの笑顔が僕ではない誰かに向けられる度、他の男達がシェリーを見つめる度、胸が苦しくて息をするのも辛くなる。それ以上僕のシェリーを見るな。彼女の笑顔を見ないでくれ。


休み時間になると僕は人目のつかない日陰で、昔助けたコウモリ達から情報を集めた。そのおかげでシェリーに近づこうとする男たちの素性はすぐに分かったし、その生徒を補講にしてわざとシェリーに会わせないようにしたり、シェリーに声をかけようとしたタイミングで敢えて声を掛けたりして彼女から遠ざけた。


けれどいつまでもこんな事は続けられない。生徒達から疑われるわけにはいかないし、シェリーにバレたらきっと嫌われる。だけど他に良い方法は思い付かなかった。


そのうちシェリーの後見人という立場を利用して彼女の側にいる事が多くなった。体調が心配でとか、シェリーの勉強を手伝うためとか、また色々と理由をつけて彼女の側に張り付いた。それでもシェリーは普段通りで、彼女の笑顔が僕に向けられる度に荒んだ心が凪いでいくようだった。


そんなある日、またシェリーが男に呼び出されているのを見た。シェリーはいつものように断ったけれど、男は食い下がって彼女の腕を乱暴に掴んだ。それを見た瞬間、頭にカッと血が昇って気付けば男の腕を振り払ってシェリーを背後に隠して立ち塞がっていた。結局男はその後バツが悪そうに帰っていったが、振り返って確認した彼女の腕は少しだけ腫れてしまっていたようだった。




「シェリー腕は痛むかい?」


「このくらい平気。別に大した事じゃないから」


「大した事じゃないだって?」




自分でも驚くほど冷たい声が出た。僕は少しも君に傷付いて欲しくなくて、君を守りたくてこんなに心を擦り減らしているのに。君はそんな風に自分を無碍に扱うの?




「ごめんなさい…」


「あ、いや…僕の方こそ言い方が良くなかった。君が無事ならいいんだ」




落ち込んでしまった彼女に慌てて取り繕うも、なんだか微妙な空気が流れてしまう。その後まだ仕事が残っていた僕は彼女を先に帰らせて仕事に戻った。もやもやしながらもなんとか仕事を片付けた後、玄関に向かって廊下を歩いていたところに意外な人物から声をかけられる。




「酷い顔だな」


「なんの用です?今は機嫌が悪いのでまた今度にしてくださいラドクニフ先生」




大きなガタイで廊下の真ん中に腕組みをして仁王立ちするラドクニフに、ため息混じりに答える。仕事の話かとも思ったが、今日はそれでも話したくないと思うほど虫のいどころが良くなかった。




「最近のお前は様子がおかしいからどうにかしてやれってリズがうるさくてな。とりあえず話だけでもしてやろうと思ったわけだ」


「ハッ。お優しい番様ですね。わざわざ他の男の世話を恋人に頼むなんて。僕には理解出来ません」


「はぁ…何をそんなに荒れてんだ。ラージアスが復学することを認めたって知った時はお前も随分寛大になったもんだと少しだけ見直したんだが。その様子を見るに納得はしてなかったのか?」




何故そんなプライベートなことをコイツに話さなきゃいけないんだと思ったが、先ほどのこともあってストレス値が限界に来ていた僕は思わず答えていた。




「納得はしていたつもりです。普段我儘なんて言わない彼女が、どうしてもと僕に願ったことですから。その願いを叶えたいと思いました。だけど、彼女の笑顔が誰かに向けられる度に思うんです。誰にも彼女の笑顔を見られないようにどこかに閉じ込めてしまいたいと」




僕の答えに驚いたような顔をするラドクニフ。珍しいものが見られたなと少しだけ愉快な気持ちになる。




「貴方はいいですよね。ほとんど学園公認の関係ですから。そんな心配はいらないでしょう」


「いや…まぁそうだが。でもお前の言うことも理解できる。いくら周知された関係でも不安は付き物だ。獣人に生まれた以上、一生付き合っていかなきゃならない性質だからな」


「まぁ…そうですよね」




獣人は一度決めた相手を一途に想い続けるあまり、番を失うことに対する恐怖が人間の比較にならないほど強いのだ。でもそのおかげで浮気はしないし円満な番は多い。


というか、なんでコイツと獣人の性質について分かりあわなきゃならないんだ。先ほどの不安感とは違うストレスを感じ始めたことで、僕は話を切り上げようと踵を返した。




「もう行っていいですか?シェリーが屋敷で待っているので」


「あ、おい。最後に一つだけ。お前、ラージアスが復学したがった理由はちゃんと聞いてるのか?」


「え?」




そういえば…理由まではちゃんと聞いていなかった。確かどうしても学園で学びたいからと言っていたはずだ。




「聞いてないなら直接ラージアスに聞いてみろ。俺が言いたかったのはそれだけだ」




そう言って去っていくラドクニフの後ろ姿に無性に腹が立った。なんだそれ。どうせヴィアロッテさんから聞いただけのくせに僕よりシェリーのことを知ってるみたいな雰囲気出しやがって。僕が一番シェリーのことを理解しているに決まってるだろ。


シェリーと別れた時よりも余計にイライラしながら帰宅した僕は、早速シェリーに先程のことを問いかけてみることにした。屋敷に着き、いつものように出迎えてくれたシェリーを思わず抱きしめる。




「レオルドさん!?」




驚いた様子の彼女に口を開こうとしたが、うまく言葉が出てこない。視界もぼやけて平衡感覚もなくなっていた。


なんでこんなに体が弱ってるんだ?今までどれだけ無理をしても倒れたことなんてなかったのに。…そうだ。ここ最近コウモリ達に毎日血を分けていたから血が足りなくなったんだ。ああ、なんて情けないんだろう。今にも泣き出しそうな彼女を慰めることも出来ないなんて。


その後、僕の意識はあっという間に闇に飲まれた。



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