第十一話(レオルド視点)
魔王討伐のため王都を出立してから1週間が過ぎた。僕達はここまで力を合わせてやって来たが、魔王がいると言うシャハールの森の最深部まで到達すると今までなんとか制御していた気持ちを抑えられなくなり、僕は隊列を組んでいた中から魔法で空を飛んで離脱した。
「ウィンターナー!?何してやがんだ!」
「レオルド先生!?」
「先に行きます。後は頼みました」
「おい!勝手に行動するな!」
この先にシェリーを長い間苦しめた元凶がいる。そして、そいつのせいでシェリーは今も一人で苦しんでいる。腹の底から沸々と湧き上がってくる怒りに任せて強大な魔力の塊に向かって突き進んだ。
たどり着いた先にあったのはボロボロに崩れた廃墟だった。恐らくどこかの没落貴族が使っていた邸がそのまま放置されていたのだろう。今は魔王の放つ瘴気によって禍々しい紫色の植物の蔦が絡まり、壁や地面の所々に見たことのない大きな繭がくっ付いている。恐らくあの繭から魔物が生み出されているのだろう。ここに来るまでにも沢山の蛾の魔物に遭遇し、ヴィアロッテさんの精神力を削っていた。彼女はどうやら虫の類が苦手らしい。それでもめげずにここまで来たのだから、さすがシェリーの友人だ。
魔物は何故かこちらから攻撃しなければ何もしてこなかった。そのため全て無視して魔王のいる部屋に向かう。辿り着くまでに苦労はしなかった。
「…貴方が魔王ですね?」
玉座などなく、元は主人の寝室だったであろう部屋のボロボロの寝台の上にそれはいた。歪に伸びた黒い四肢、細長い胴の背中から生えた目玉のような模様の大きな羽、こちらを覗く瞳は澱んでおり、白目部分は黒く“魔王”を名乗るに相応しい不気味さだった。
「…そうだよ。俺が魔王だ。君は俺を殺しに来たの?」
「貴方の返答次第ではそうなりますね。なので、僕の質問には慎重に答えてください」
「質問なんかして何になるの?君が俺を殺さなくても、どうせ君の後から来る奴らが俺を殺すのに」
魔王は僕を前にしても何かアクションを起こすわけでもなく、ただ寝台の上でうずくまっているだけだった。怠惰でまるでやる気を感じない態度に苛立ちと共に僅かに違和感を覚える。何故だかこの魔王が自分の死を受け入れようとしているように感じたのだ。
「…随分と余裕そうですね。まぁいいです。貴方は人間から長期間に渡って魔力を奪っていますか?私の恋人が貴方の出現に合わせてまるで魔力を吸い取られるようにして弱っていっています。文献には魔王が消えればその症状は治ると記されているのですが」
真意を確かめるため、魔王の挙動に目を凝らす。彼は一度何かを考えるような素振りをしたあと、ゆっくりと話し始めた。
「俺のこの魔力は自前なんだ。見ての通り魔力には困ってない。人間からわざわざ奪う必要はないし、そんな事はしていないけど。…君は俺の言葉を信じられるの?俺には君の恋人を害していないことを証明する術がない」
魔王が素直に認めるとは思っていなかった。だから答えが何であれ戦いは避けられないと考えていた。だが、確かに証明する方法がないと言われればその通りだ。もし本当に魔王がシェリーの病と無関係だったら?一体僕は何をしにこんな所までシェリーを置いてやって来たと言うんだ。
「…でも、思い当たるものがないわけじゃない」
「は?…それはやはり貴方が何かしたと?」
「どうだろう。なんせ記憶がないから。説明してあげるから、判断は君に任せるよ」
「?」
激しい憤りに強く拳を握りしめた時、魔王がそんな事を言い出した。まるで緊張感のない緩んだ話し方にこちらまで気が抜けてくる。本当に、この魔王はなんなんだ。
魔王の話を要約すると、シェリーは“夢見”の能力というものを有していて、寝ている間に能力を使っているために魔力を消費してしまっているということだった。そして、能力の性質上、魔力の高い“魔王”に引き寄せられてその分多くの魔力を消費してしまうため、常に魔力が枯渇した状態になっているのではないかと言った。
「夢見の能力なんて聞いたこともありません。一体どこでその話を?」
「俺の身内にも前にいたんだ。その人から話を聞いていた。普通は夢の中での出来事は忘れてしまうはずだけど、能力を使いこなせるようになると忘れなくなるんだ」
「…つまり、記憶が残らない内は能力を使っている自覚もないということですね。それなら能力の事を知っている人間がいないのも頷けます」
妙に落ち着いた話し方をするせいか、魔王の話を疑う気持ちはあまり起きなかった。ただ、やはり違和感がある。
「もし本当に君の恋人が夢見の能力を持っているなら、俺は確実に夢の中でその人に会っていると思う。そして、俺が死ねばその恋人は助かるはずだ。今の俺と同等の魔力を持った奴なんてそうそう現れないだろうから」
何故この魔王は自分が不利になるような話をわざわざ僕にしたのだろうか。最初から、まるで殺してほしいかのような素振りを見せるのは何故か。そういえば、他にも不可解な点がある。
「…貴方の目的は何ですか?」
「目的?」
「ここに来るまで魔物達は非常に大人しかった。こちらから攻撃しなければ何もしてこないほどに。そして魔王である貴方からも戦う意思をまるで感じない。これだけの魔力と魔物を有していながら、貴方達からは何かを成し得ようという気概すら感じ取れない。一体何のためにここにいるんです?」
僕の問いかけに魔王は相変わらず無気力そうに答えた。
「目的なんかないよ。俺はただここにいるだけ。魔物にも何もするなって言ってあるけど、彼らの防衛本能なのか攻撃されると反射的にやり返しちゃうみたい。でも俺自身に誰かと争う意思はないよ。俺が邪魔なら殺してくれて構わない」
魔王はまるで本当に戦うつもりがない様子で、丸腰で僕の前に両手を広げて立った。まさかこんな状況になるとは思いもしなかった。もし、魔王の言う通りシェリーの病の原因が魔王でなかったとしても、彼の言い分が正しいのであればどちらにせよ魔王を倒せばシェリーは救われる。
僕は徐に両の手のひらを魔王に向けた。今なら簡単な殺傷魔法で魔王を倒せる。あの子のためなら僕はなんだって…。
「…どうせ、こんな見た目じゃ誰からも愛されない」
その言葉にハッとした。魔力を込めていた腕から力が抜けていく。
魔王は僕の攻撃を受け入れるつもりだったのか静かに瞼を閉じていたが、一向に攻撃が来ないことに不思議そうにまた瞼を開いた。
「どうしたの?」
「…そんな風に言うのはやめてください」
「え?」
「貴方を殺せなくなる」
僕と彼では立場も生い立ちも違うのは分かっているのに、どうしてか寂しそうな呟きが昔の自分の言葉と重なって聞こえてしまったのだ。
「僕はチスイコウモリの獣人なんです。僕にも貴方と同じように羽がありますが、普段は魔法で隠しています。理由は、羽の形が悪魔や吸血鬼に似ていて他種族を怖がらせるせいです。特に人間の女性からは酷い言葉を浴びせられる事も多くて、僕は人間が大嫌いでした」
幼少期はまだ羽の隠し方を知らなかったから、周囲の僕への態度はとても冷淡だった。それが羽を隠せるようになってからは状況が一変した。みんなが僕に優しくなった。誰も僕を煙たがらないし、吸血鬼だと言って腐った卵を投げたりもしてこなかった。けれど、それも僕がチスイコウモリの獣人だと分かれば手のひらを返してみんな離れていく。ああ、だから人間は嫌いなんだ。臆病で、弱くて、徒党を組んで自分とは違う者を徹底的に排除する醜い生き物。
「でも、そんな僕を変えてくれた人がいた。だからその人のために、僕は今ここにいる」
「…素敵な人なんだね。君の恋人は」
「はい。でもこう言ってはなんですが、彼女なら貴方のことも悪しように言わないでしょう。そういう女性なんです。きっと、この世界にはそんな女性が他にもいるはずです。人間はとても沢山いますから。だから、諦めるのはまだ早いと思いますよ」
「!」
魔王は一瞬驚いた顔をしたあと、少しだけ頬を緩ませた。
「変なの。なんだか最後のその言葉、別の誰かにも言われた気がする。もしかして夢の中で君の恋人に言われたのかな」
「きっとそうでしょうね」
「だとしたら、二人揃ってとてもお人よしなんだね」
「…僕の場合は、彼女の性格が移っただけですよ」
そう言って笑う魔王から今まで大量に漏れ出ていた瘴気が少しだけ弱まったように見えた。どうやら彼の感情に合わせて瘴気が漏れているようだ。それなら彼の心が救われればあるいは…。
「あの…」
「レオルド先生!!」
僕が魔王に話を切り出そうとしたタイミングで、丁度後を追ってきたヴィアロッテさんとラドクニフがやって来た。そして、彼女達の後ろには何故かシェリーのメイドである3人が見知らぬ少女を連れて立っていた。
「君たちは…ここで何をやっているんだ!?シェリーは…」
「お嬢様は今お屋敷におります。他のメイド達が診ておりますのでご安心ください。我々はお嬢様の命でここまで来たのです」
「シェリーの?一体どういう…」
僕が彼女達に駆け寄ると、入れ替わるようにしてメイド達が連れて来たボブヘアーの金髪にメガネを掛けた少女が魔王の元へ駆けて行った。慌てて彼女を引き止めようとしたが、魔王の反応を見て咄嗟に動きを止めた。
「…どうして、君がここへ?」
信じられないような、悲しそうな表情で固まる魔王。二人は知り合いのようだが、この状態の魔王に近付くなんてあの少女は何者なんだろうか。
「リファ…」
「っ、来ないで!俺、こんなんになっちゃって…こんな姿、君に…サーシャに見られたくない」
お互いを名前で呼び合うほどの関係のようだが、リファと呼ばれた魔王はサーシャと呼ばれた少女から身を隠すように寝台に上がり、両手と羽で体を覆った。僕は状況を確認するためにメイドに問いかけると、彼女は簡単にこの状況を説明をしてくれた。
「実はシェリーお嬢様には“夢見”という能力が備わっていて、そのお力で魔王と夢の中で会話をしたそうなのです。その時にあのサーシャという少女が魔王の心を癒す重要な人物であることを突き止め、私達に彼女をここへ送り届けるよう命じたのです」
「やはり、夢見の能力を…自覚したという事は、シェリーは能力を使いこなせるようになっているのだね」
「! 能力のことをご存知でしたか」
「ああ。今し方、彼に教えてもらったよ」
そう言って寝台に腰掛ける魔王…リファに視線を向ける。彼は相変わらずサーシャさんから逃れるように体を守っていたが、彼女はそんな彼に臆する事なく近付いていく。
「リファ。あの日のことをちゃんと話したかった」
「今更何を話すって言うの?俺のことなんかどうでも良かったくせに」
「……。あの日、私はお父さんにリファと一緒になりたいって話したの」
「………え?」
「本当はリファから気持ちを聞いた日から何度も話してた。でもお母さんが亡くなってから、お父さんは臆病になってしまって。私の言うことに全然取り合ってくれなかった」
寂しそうにそう話すサーシャさんに、うずくまっていたリファが顔を出す。サーシャさんはそんなリファを見て優しく笑った。
「それで結局、お父さんとは言い争いみたいになっちゃって。引き止めようとするお父さんの手を振り払って貴方の元に走った。そしたら運悪く鉢合わせた馬車に跳ねられちゃったんだ」
「馬車…って、馬に跳ねられたの?」
「そう!もうすっごく痛かった!死ぬかも〜って思ったけど気付いたら病院で、命は助かったけど事故に遭う前の記憶がほとんどなくなってた」
「記憶が…」
リファが明らかに心配そうな表情でサーシャさんを見ると、それに気が付いた彼女が元気付けるように明るく笑う。
「大丈夫!怪我はわりとすぐ治ったよ!お父さんがわざわざ大きな病院がある町に引っ越してくれてたから、ちゃんとした治療を受けられたの。でも肝心の記憶の方はなかなか戻らなくて、リファのことも断片的にしか思い出せなかった。それに、お父さんは相変わらずリファのこと何も教えてくれないしでさ。退院した後、自分でも覚えている限りの場所は探したんだけど結局ダメで。お父さんと仲の良い貴族の女の子からシェリー様っていう獣人に詳しい方を紹介してもらって、手紙を送ったの」
「それで、その方からリファのことを教えてもらってここに来たんだ」と、話し終えた彼女からは全く仄暗さなど感じず、とても明るい性格であることが伺えた。だが、今の話からすると彼女の記憶はまだ…。
「本当は“ずっと一人にしてごめんね”とか、“約束を守れなくてごめんね”って謝るべきなのかもしれないけど、私まだリファのこと全部思い出せたわけじゃないからさ。それは言っちゃいけないと思ったの」
「…記憶が戻ってないのに俺のこと探してたの?」
「うん。だって、私の心がリファのこと大好きだって覚えてるから」
「え…」
もし、僕がシェリーのことを忘れてしまっても彼女と同じように行動して同じことが言えるだろうか。それは実際に体験した者にしか分からないだろう。でも、きっと本当に心から誰かを愛した者にしかそんな奇跡は起こせない。
その場にいた全員が、固唾を飲んで二人を見守っていた。
「ねぇ、リファ。これを貰ってくれないかな」
サーシャさんが徐に手にしていた紙をリファに手渡す。そういえば最初から彼女は手に筒状に巻いた紙を持っていた。一体何を持っているのだろうかと気になっていたのだが、彼に渡したかったようだ。
「これは…?」
「私が描いた水彩画。記憶を頼りにずっと描いてたんだけど、最近漸く完成したの。最初にリファに見てもらいたかったんだ」
「…っ」
紙を開いたリファが息を呑んだ。そこに何が描かれているのかは分からなかったが、頬を伝う雫を見てその絵が彼の心を溶かしたのだということは分かった。
「リファ。遅くなったけど、あの時の返事を聞いてくれる?」
「…うん」
「私を貴方の家族にしてください」
「うん…ありがとう。サーシャ」
二人が互いに抱き合うと、リファの体から黒い煙が抜けていき、それに合わせて歪だった彼の体が人の形に戻っていった。鋭く伸びた爪が消えたせいか、リファの手にあった絵がヒラリと僕の足元に落ちる。勝手に見ては悪いと思ったが拾わないわけにもいかず、その絵を慎重に手に取ると、ヴィアロッテさんを筆頭にみんなが僕の周りに集まってきた。
「わぁ…綺麗」
描かれていたのは大きな蛾の羽だった。ただ、赤を基調としてはいるものの、その羽は青や黄色や紫、白やピンクと様々な色が散りばめられ、まるで月明かりに照らされて輝いているかのように美しかった。虫が苦手なヴィアロッテさんが思わず綺麗だと口にするほどなのだから、サーシャさんの絵描きの腕は相当なものだろう。
「きっと、サーシャさんにはあの人の羽がこう見えていたんですね」
ヴィアロッテさんの言葉に隣にいたラドクニフが「そうだな」と言って肩に手を乗せる。サーシャさんを抱きしめながら幸せそうに微笑むリファの姿に、僕の表情もいつの間にか緩んでいた。
その後、魔王から獣人へと戻ることが出来たリファとサーシャさんを連れて僕たちは王都へ戻った。ラドクニフの計らいで騎士団は建物の前で待機していたため、魔王の正体はあの場にいた僕たちと今も眠り続けているシェリーと彼女に付き添っているメイドしか知らない。そこで口裏を合わせて“魔王を倒した時に襲われていた獣人を保護した”ということにした。魔王は倒されると煙となって消えると言われている。そのため、誰もリファが元魔王だとは考えもしなかったようだ。
本来なら王族や国民を欺くような報告をしたと露呈すれば死罪は免れられない。しかし、僕がこの案に賛同したのは彼らを守るため…ではなく、シェリーを国の都合から守るためだった。全てを話すとなればシェリーの夢見の能力についても話さなくてはならない。彼女の力は珍しい上に強力だ。他人の夢に入って操れるなんて、権力争いに忙しい貴族や他国との生存競争に利用される可能性がある。王命だなんて言われたら逆らう事も出来ない。そうでなくとも、シェリーは今後一生誰かに監視され続けることになってしまう。それだけは避けたかったのだ。
まぁ正直に話したところでリファは極刑にはならなかっただろう。彼はその強い精神力で魔物による被害を最小限に抑えていたからだ。それに、魔王となった経緯には彼への種族的な差別が大きく関わっており、それは全ての種族は平等であると謳っている王族への責任追及に発展する恐れがあるためだ。
そして無事に事後処理も終わり、僕はシェリーとの約束通り彼女の元へと帰った。しかし、それから20日間も彼女は目を覚ますことなく眠り続けたのだった。




