第十話
目を覚ますと、大量に魔力を消費した事による強烈な吐き気に襲われた。すぐにメイドが来て介抱してくれたけれど、しばらくは体を動かすことも出来なかった。
しかし、不思議なことにいつもは忘れてしまうはずの夢の中の記憶が今は鮮明に思い出せる。私は言うことを聞かない体をなんとか叱咤して上体を起こした。
「リファ…」
魔王討伐隊が出立してからもうすぐ1週間になる。南の森へはそろそろ到着する頃だろう。リファはもしかしたらほとんど抵抗もせずに倒されることを選んでしまうかもしれない。彼はただ純粋に生きていただけなのに、自分を呪って魔王に変異したせいで殺されてしまうなんて。そんなの、悲しすぎる。
幼い頃、リファはよく「俺なんて」と自分の事を卑下していた。いつの日かその言葉を言わなくなったけれど、もしかしたらサーシャという少女がリファの心を照らしてくれたおかげだったのかもしれない。サーシャ…確か画家の父親がいると言っていた。有名な画家なら調べるのは難しくないが、そうでない場合は捜索はかなり難航するだろう。
「そうだ…」
確かサーシャは一人で夜の森に来ていたと言っていた。それならリファの住んでいた森に隣接するような村や町に住んでいた可能性が高い。リファが住んでいるのは南のシャルースの森。その辺りの土地に縁のある画家はあまり多くないからきっとすぐに調べられるはずだ。
私はメイドに頼んでシャルースの森の付近に数年前まで住んでいた有名な画家とその娘の名前を調べてもらったが、私の狙い通り調べがつくのにほとんど時間はかからなかった。
「サーシャ=ユゲンバッハ。多分この子がリファの言っていたサーシャだ」
サーシャは現在シャルースの森から少し離れた場所にある町で父親と暮らしているそうだ。数年前に森に隣接していた村から移住してきたらしい。場所を移した経緯は不明だが、リファが魔王になったと思われる時期と重なっており、魔王の瘴気から逃れるためだった可能性が高いようだ。
「サーシャ=ユゲンバッハ…そういえば、この名前どこかで見た覚えがある…。もしかして貰った手紙の中で見たのかも」
私は覚束ない足取りで机まで向かうと、引き出しを開けて手紙の束を取り出した。我ながらとんでもない量だが、差し出し人の名前順にしまってあるため、探すのには然程苦労しなかった。
そして、大量の手紙の束から“サーシャ=ユゲンバッハ”と書かれた封筒を見つけると、私は慎重にその手紙を読み始めた。
手紙には最初に私への挨拶と、貴族の友人の伝手を借りて私へ手紙を送った事が書かれていた。そこまで読んで、私は瞬間的にこの手紙の内容を思い出した。そうだ。確かこの人は蛾の獣人についての質問を私に送ってきたのだ。虫の獣人について知りたがる人は珍しいから、よく覚えている。
「“とある蛾の獣人の男性を探しております。方々探しましたが行方が分かりません。数年前に事故に遭い、記憶が一部欠損しているためにその方の顔も、以前会っていた場所も思い出せないのです。ですがどうしてももう一度その方にお会いしたく、ラージアス様のお力をお借り出来ればと文をお送りしました。”」
その後には覚えている限りの男性の特徴と、会っていた時期が記載されていた。手紙からは切実な彼女の想いが伝わってきたが、私はその手紙に大した返事を書く事が出来なかったのだ。
理由は、個人を特定するような情報を私が与えることで事件に発展する恐れがあるからだ。もし彼女の言う記憶喪失が嘘で、その男性が自ら姿を眩ませたのだとしたら、男性は彼女との再会を喜ばないかもしれない。これは飛躍した考えなどではなく、前世で実際に起きた事件だ。恋人を装ってネット掲示板で情報を集めて居場所を特定するという手口である。その可能性がゼロではない以上、私の口からその男性に関する話をすることが出来なかったのだ。
今となっては、手紙を貰った時にもっときちんと話を聞くべきだったと思う。今更後悔しても遅いけれど。
手紙の消印は去年の冬。たった数ヶ月前にサーシャは私にこの手紙を送っている。もしかしたら事故に遭ったせいで彼女はリファへ会いに行くことが出来なかったのかもしれない。その証拠に、彼女はこんなにも懸命にほとんど覚えていないはずの蛾の獣人のことを探している。そして彼女の探している蛾の獣人の特徴はどれもリファに当てはまるのだ。
ただ、今から手紙を送っても間に合うわけもないし、直接出向くにしても私の今の体力では手紙の方が早く着いてしまうだろう。どうすればサーシャにリファのことを伝えられる?いや、伝えたところでどうする?サーシャがリファの元へ向かえば戦いに巻き込まれてしまう。
「どうしよう…どうしたらいいの?」
私は手紙を握りしめたままその場にうずくまる。きっと今のリファを助けられるのはサーシャだけだ。どうにかしてリファが死んでしまう前に二人を引き会わせなくては。
「お嬢様!如何なさいましたか!?」
私が机の前に座り込んでいると、メイド達が慌てた様子で駆け寄ってきた。きっと様子を見に来た時に座り込む私を見て倒れていると勘違いしたのだろう。
心配した様子の彼女達に、私は自分でも気付かない内に手を伸ばして縋りついていた。
「…お願い。助けて」
「お嬢様?」
「このままじゃ間に合わないの。お願い。みんなの力を貸して」
この時の私は一体どれほど情け無い顔をしていたのだろうか。メイド達は私の言葉を聞くと、全員が涙ぐんで私の背中を撫でてくれた。
「お嬢様。その言葉をずっと待っておりました。私達はいつでもシェリルビアお嬢様の味方です」
ラージアス家にいた頃から私の面倒を見てくれていたエリザを筆頭に、みんなが温かい言葉をかけてくれる。そう言えば、メイドとしての仕事を頼むことはあっても、こんな風に彼女達に助けを求めるのは初めてだったかもしれない。それこそ、家族を失って心が凍ってしまった時でさえ、私は彼女達に胸の内を明かさなかった。もしかしたら、みんなには私が思っている以上に心配をかけてしまっていたのかも。
その後全ての事情を説明すると、メイド達は誰一人私の夢見の能力の話を疑わずに信じてくれただけでなく、空を飛べる獣人のメイド達はサーシャを迎えに行き、そのままリファの所まで送ると申し出てくれた。しかし、一般人である彼女達を戦地に送る決断はどうしてもできず、私がまごついていると、彼女達は顔を見合わせて頷き合うと私を真っ直ぐに見つめた。
「お嬢様。実は私達はただのメイドではありません。お嬢様をお守りするため特殊な訓練を積んでおります」
「人間であるお嬢様を獣人の貴族や賊から守るために、ある程度の荒事には対処出来るようにと、生前のウィルソン様から言いつけられておりました」
「ウィル兄さまから?」
ウィル兄さまはいつも私のことを気にかけてくれる優しい人だった。そういうことをメイド達に頼んでいてもおかしくはない。私は優しい兄を思い出して無意識のうちに胸元をキュッと握りしめた。
「武人でもない貴女達を戦場に向かわせるなんて、本来ならば許されない。いくら訓練を積んでいると言っても、戦場に立てば死んでしまうかもしれないのよ?」
「承知の上です」
「…分かった。では、どうか私のために力を貸して。でも絶対に死なないでね」
「はい。私達は武人ではありませんが、私達なりの戦い方があります。必ずシェリーお嬢様の期待に応えてみせます」
「ありがとう。みんな」
私の言葉にみんなが真剣な表情で頷いてくれた。本当は私も同行したい。無事にサーシャに会えたとしても事情を説明するのはやはり私の口からでないと信じてもらえないかもしれないと思ったからだ。だがそれはメイド達に物凄く止められてしまった。こんな状況で私が屋敷の外に出たことがレオの耳に入れば、きっと彼が戻ってきた時に私が酷い目に遭うと思ったのだろう。…実際その通りになったとは思う。それこそ二度とお天道様が拝めないようなバッドエンドだ。
そのため、最低限の手段としてサーシャには手紙を書くことにした。今回の騒動の説明と、サーシャへの協力をお願いするためだ。彼女が素直にメイド達に着いて行ってくれるかは分からない。でも、何もしなければ確実にリファは命を落とす。そうならないために、私は私に出来ることをしたいのだ。
空に飛び立つメイド達を見送ったあと、私はまた自室のベッドの上に腰掛けた。夢見でサーシャへ会いに行くことも考えたが、やはり会ったこともない人物の夢に入り込むことは私には難しい。そのため、もう一度リファの夢に入ってサーシャのことを伝えることにしたのだ。上手くいくかは分からないけれど、もしサーシャのことを知ったリファが少しでも温かい心を取り戻せたなら、彼女達がリファの元へ辿り着く間の時間稼ぎくらいにはなるかもしれない。
私は残ってくれたメイド達に事情を話し、魔力が枯渇してしまった時のために取ってあった貴重なポーションを飲み干して横たわる。いつものように眠りに入る前に、心の中でリファの名前を呼んでいた。まだ外は明るい。レオ達が到着していなければ彼は今も眠っているはずだ。
お願いリファ。貴方にどうしても伝えたい事があるの。お願いだから私の声に応えて。
しかしリファの声も姿も捉えられない。いくら呼びかけても、頭の中にイメージしても無駄だった。やっぱり私には夢見の能力を使いこなすことは出来ないのだろうか。それとも、リファはもう…。
思わず闇の中に消えて霧散するリファの姿を想像してしまい、閉じた瞼に涙が滲む。いけない。感情が昂ると眠りに入れなくなる。
私は一度深呼吸をして気持ちを落ち着けると、再びゆっくりと眠りに入っていった。今度は冷静に、まるで夜の暗闇に潜む生き物のようにひっそりと、目的の場所へ忍び寄るようにゆっくりと闇の中を歩いた。
「…いた」
暗闇の中にリファはいた。数時間前に夢の中で別れた時と同じように、膝を抱え込む彼に私は歩み寄った。
「また来たの。もう俺のことなんか放っておけばいいのに。どうせあと少しで死ぬんだから」
「どうしてもリファに話しておきたいことがあったの」
膝を抱える彼の腕は歪に伸び、大きく鋭く尖った真っ黒な爪が羽を突き破って背中に食い込んでいるのが痛々しかった。私はせめて夢の中だけでは本来の彼の姿でいて欲しいと願った瞬間、まるでテレビの画面が切り替わるように景色が一変した。満月の光に照らされて光を帯びる泉と、その傍に咲く水色の美しい花々。そしてその泉の水面には本来の姿のリファが写っていた。
「…驚いた。君、夢見の能力をこんなに制御できるようになったんだ」
「今自分でも驚いてるよ。でも、さっきのままよりこの方がいい」
「……」
リファは私の言葉になんだか複雑そうな表現を浮かべ、近くに咲いていた水色の花の花弁を指先でなぞった。
「シェリーは残酷なことをするね。こんなのを死ぬ間際の俺に見せるなんて」
「死ぬと決まったわけじゃないよ」
「死ぬよ。いや、死にたいんだ。今の俺には生きている意味がない」
「意味ならある」
私は力無く項垂れるリファに正面から向き直った。記憶を元にサーシャから貰った手紙を手元に出現させる。さっき何度も読み直したおかげで本物と一言一句違わないその手紙をリファに差し出した。
「リファを探している人から手紙を貰っていたの。貴方の話を聞いて思い出した。差出人はサーシャ=ユゲンバッハ」
「サーシャ…?」
「この手紙の差出人は、貴方の言っていたサーシャでしょ?」
手紙を受け取ったリファが信じられないといった表情を浮かべ、読み進めていく内に額から汗が滴り落ちていく。感情の起伏が乏しい彼がこんなに動揺しているのを初めて見た。
「事故で、記憶がない…?」
「脳に強い衝撃を受けると、稀に記憶が失われてしまうことがあるの。もしその事故のせいでリファとの約束を守れなかったんだとしたら、貴方は彼女に嫌われたわけではないということになる。実際、記憶が不完全な状態の今も貴方をこうして探しているんだから」
「こんなの、信じられないよ…。この手紙だって、君が作り出した偽物なんじゃないの?」
「私は、こんな大事なことで嘘をついたりしないよ。それどころか手紙を見つけた時はすごく嬉しかった。これでリファの心を繋ぎ止められるかもしれないって」
狼狽えているリファに畳み掛ける。
「死にたいだなんて嘘。本当に死にたかったらとっくに死んでるはず。そうしなかったのは未練があったからでしょ。貴方をこの世界に繋ぎ止めているのは、そのサーシャさんなんじゃないの?」
「そんなこと、今更言われたって…どうしろって言うんだ!今の俺は前より酷い見た目だし、魔王なのに!こんな俺のことサーシャが好きになってくれるわけない!」
リファは瞳に涙を浮かべながらそう叫んだけれど、私にはそれが大きな問題にならない事は既に分かっていた。
「ああ、それなら大丈夫。サーシャさんは多分私と同類だから。最初からリファの姿に耐性があるなら、今の貴方の姿のこともきっとなんとも思わないよ」
「それは…………確かに、そうかも?」
「今私のメイド達がサーシャさんを迎えに行ってる。彼女はきっと貴方に会いに行くはずだよ。流石に魔王の件については実際に会って話してみてもらうしかないけど」
しばらくの間思考を巡らせていたリファだったが、どうやら私の言葉に納得してしまったのか急に落ち着きを取り戻した。その様子がなんだかおかしくて、つい口元が緩んでしまう。くすくす笑う私に、リファは不思議そうな顔をして聞いてきた。
「…シェリーはどうして俺にそこまでしてくれるの?」
「それは…リファには話した事ないから知らなかったと思うけど、子供の頃家族を亡くして塞ぎ込んでた私を夢の中の貴方がいつも励ましてくれたから。夢から覚めるといつもリファのことは忘れちゃうんだけど、不思議と心が温かかった。それがあの頃の私にとってどれだけ救いだったか」
「確かに落ち込んでたシェリーを励ました事はあったけど…大した事はしてないよ」
「私にとっては違ったよ。理由も聞かずにそばに居てくれただけで、すごく心強かった。だからリファには幸せになってもらいたいの」
「シェリー…」
優しい風が私達の間を吹き抜ける。風に舞う水色の花びらが綺麗だと思った。次の瞬間、視界の端からじわじわと闇が侵食を始めて、この夢が終わりを迎えようとしていた。
「夢から覚めるの?」
「そんな…待って!やっぱりダメだシェリー!」
「え?」
「俺もなんだ!俺も夢の中の記憶を忘れちゃうんだ!」
「え!?」
急に慌て始めたリファが必死の形相で私に詰め寄る。確かに記憶が残らないのは致命的だ。
「どうしよう…折角サーシャのこと教えてもらったのに…忘れたくないのにっ」
リファの白い頬に涙が一筋伝う。そうしている間にも周囲はどんどん闇に飲まれていき、とうとう私達の体も消え始めた。でもここで弱気な事を言うわけにいかない。
「大丈夫!」
私は咄嗟にそう叫んでいた。
「大事な事は忘れない。心が覚えてるから」
「心が…」
ハッとした様子のリファの顔が闇に消えていく。私は必死に声を張り上げた。
「…だから諦めないで!自分の幸せを諦めないでリファ!」
最後の言葉は彼に届いたか分からない。目が覚めた私は過去一番というくらい魔力が枯渇しており、気づいた時にはポーションも飲み込めないほど激しい吐き気に襲われていた。強烈な不快感と生理的な涙で視界が滲む中あっという間に意識を失ってしまったが、意識が途切れる瞬間まで私はリファの幸せを願っていた。




