第一話
私、シェリルビア=ラージアスはラージアス男爵家の令嬢だった。けれど、幼い頃に両親と兄の家族全員を大規模な土砂災害で亡くしてからは、兄の親友だったレオルド=ウィンターナー子爵が後見人となり成人を迎える18歳まで面倒をみてくれることになったのだ。
それから月日は流れ、私は15歳になり学園に通い始めたものの、子供の頃に罹っていた原因不明の病が再発してしまい、僅か1年ちょっとで自宅療養を余儀なくされた。
しかも子供の頃から親や兄のように面倒をみてくれたレオルドさんはかなりの心配性というか…過保護な性格で、自宅療養が始まってからの半年間は一度も屋敷の敷地内から出させてもらえなかったのだ。
そんなある日、今日は気分が良いからと庭で花を眺めながら本を読んでいた。穏やかな日差しの下、気持ちのいいそよ風に吹かれながらのんびり過ごせる今の暮らしは、正直私には天国だった。ウィンターナー子爵家は領地収入も安定していて暮らしに不自由はないし、レオルドさんも誰かに恨まれるような人じゃないから刺客に命を狙われる心配もない。元々ドレスや宝石にも興味はなく、人間関係を煩わしく思っているため社交界には出たいとも思わない。必要なものはレオルドさんが何でも揃えてくれるし…うん。やっぱりここは天国だ。
まぁいつまでもこんな生活を続けるわけにはいかないけど、体調が戻るまでは自主勉強を頑張っていつか高収入の役職に着いて、レオルドさんに恩返しが出来たらと思う。いくら親友の妹だからって、8年間も愛情を持って育てるなんてことは簡単には出来ないはずだ。レオルドさんには本当に頭が上がらない。
ところでさっきから話に出ているレオルドさんの容姿なのだけど、彼は今年で30歳になるというのに若々しいままだ。銀色の短髪に切長の涼しい目元。スラリとした185cmの高身長。だけど目が弱くて日中はサングラスを掛けているせいでちょっと怪しいのが残念ではある。でもいつもニコニコしていて人当たりはいい。
仕事だって領地経営の他に私が通っている王立学園の教師もしていてかなり優秀だ。なのにどうしたことか、未だに結婚はおろか婚約すらしていないのだ。やっぱり私に気を遣っているのだろうか。本当は心に決めた人がいるのに、私が枷になっていて結婚できないとか?…などと考えていた時期が私にもあった。
けれど、そんな疑問はある程度一緒に生活をしていればすぐに真相を理解してしまった。
レオルドさんはいつも優しくて、ニコニコしていて、とても過保護な人だ。だから必要以上に私を気にかけるのも、時折夜中に私の部屋に来て様子を見に来るのも最初はただの家族愛かと思った。
でもその日、ベッドの上でまだ少し意識があって夢現だった私の口に彼はキスをしたのだ。
「僕の可愛いシェリー。愛してるよ」
その瞬間今までずっと家族だと思っていたレオルドさんへの見方が一気に変わってしまった。彼は私に家族とは別の愛を向けていたのだと分かったから。
でもそれは、私も同じだった。
正直これだけの年月を共にしていて、しかも自分にとびきり優しくて、どえらいイケメンと来たら好きにならない方が難しいと思う。歳の差がかなりあるけれど、それも私には支障がない。なんせ私はただの16歳ではないのだ。
前世で25歳まで日本で生きた記憶がある16歳なのだ。
だから30歳の男性は普通に守備範囲だし、レオルドさんが14歳も年下の私を好いているなんて衝撃も軽く流せる。レオルドさんに口にキスされたのは彼が26歳で私が12歳の時だったけれど。まぁ私の中では恩人ということと、私も彼を好いているためギリギリセーフだ。
そんなわけで実は相思相愛なのだけど、私からは何も告げていない。世間的にまだ子供ということもあるし、私からOKを出したら今でさえちょっと暴走気味なレオルドさんがどうなるか分からないからだ。彼はしっかり者だけれど、私に関しては対応が危ういところがあるので。
いつか、私が成人を迎えて学園を卒業した後になってもまだ彼が私を好きでいてくれたら、その時は想いを伝えようと思っている。
なんてことを考えていたら本の内容は全然頭に入ってこなかった。今日はなんだか集中できない日らしい。私は読んでいた本を閉じて晴れやかな空を見上げる。
最近はついレオルドさんのことを考えてしまって注意力散漫だ。彼に似てきてしまったのかもしれない。
そもそも、何故彼はあんなにかっこいいのだろう。まるで物語からそのまま出てきたかのようなかっこよさだ。見た目もスペックも申し分ないし、声だって前世の声優さんのようだし、普段は丸型サングラスでキャラも立っている。なんだかここまでくると、この世界が本当に物語の中なんじゃないかと疑いたくなってくる。
「………あれ。実際そうでは?」
白髪サングラスで学園の教師。30歳なのに若々しい見た目で普段は穏やかなのに実は執着タイプ…なんか、知ってる乙女ゲームにそんなキャラがいたような。
なんてゲームだったか。たしか獣人との恋愛がテーマで、攻略対象キャラが揃いも揃ってヤンデレなものだから、バッドエンド率が高くて低評価食らってた。名前は…えっと…「なんちゃらのなんちゃらかんちゃら」だったような。
ダメだ…各キャラ一周ずつしかやってなくて記憶が曖昧だ。でも思い返してみれば共通点がいくつもある。攻略対象キャラは全5名。その内の4人はダティスローズ王立学園の生徒。筆頭がアルバート=ハインナイト。この国の第一王子でライオンの獣人。明るく爽やかな王子様だけど、実は好きな子を完璧に管理したい男でバッドエンドは洗脳堕ち。主人公は二度と彼に逆らえなくなってしまうというものだ。
ちなみにアルバート=ハインナイツという名前はこの国の第一王子と全く同じ名前だし、ライオンの獣人というのも合致している。
そして攻略対象キャラの中で唯一の大人枠。それが王立学園の魔法指導教師でチスイコウモリの獣人であるレオルド=ウィンターナー。コウモリの大きな耳は特徴的だが、羽は目立つので魔法で隠している。彼は子爵位でありながら教師の仕事も両立しており非常に優秀なのだが、目が光に弱いため普段はサングラスで目を保護していて、優しく穏やかな性格で生徒たちからの人気も高い。しかし実は自尊心の低さから自己嫌悪に陥りやすく情緒不安定で、バッドエンドでは優しい主人公に依存し、どこにも逃げられないように子爵邸に一生閉じ込めて自由を奪ってしまうのだ。
ウーン。なんていうか…さっきの私の説明にチスイコウモリの獣人って要素を足しただけって感じだ。というか実際にレオルドさんってチスイコウモリの獣人なんだよね。だから目が弱くて昼間はサングラス無しでまともに目を開けてられないんだけど。
え、じゃあなに。本当にこの世界って乙女ゲームの世界なの?
それとも私の妄想の世界とか…いや、でも妄想の中で16年も過ごすのは不可能か。夢の中…にしてはリアルだし、怪我すれば普通に痛いからそれもない。
ということはやっぱりこの世界は現実で、私の知る乙女ゲームの世界そのものってことになるのだろうか。一応乙女ゲームの世界に転生するお話はアニメで見たことはあるけれど、私はそのアニメの内容すらほとんど覚えていない。自分が将来同じ目に遭うと分かっていたらもっと真剣に見ただろうに。
薄っすら覚えているのは主人公が転生したのは乙女ゲームの中の悪役令嬢だったこと。だけど私は攻略対象キャラの親友の妹で、同居中のシェリルビア=ラージアスだ。覚えている限り、ゲームの中にそんなキャラはいなかったと思う。ということはモブに転生したということだ。それはおかしい。だって。
「モブに転生したはずなのにバッドエンド迎えてるじゃん…」
そうなのだ。ゲームの中の主人公はレオルドルートでバッドエンドになると、彼の自宅に一生監禁されて過ごす事になる。今の私は自宅療養という名目ではあるが、実際半年間敷地の外に出ることを許されていない。多分体調が戻らなければこのまま外に出ることなく死ぬだろう。レオルドさんは私に甘いところがあるから、いざとなったら泣き落として外出は出来るだろうなんて考えていたけど、もし彼が本当にゲームの登場人物と同じ“レオルド”なら、上手くいく可能性はゼロに等しいと思われる。
「え、詰んだ?」
なんということだ。天国かと思ったら牢獄だった。一体どこで選択を誤ったのか。
どうしよう。このまま一生屋敷の外に出られないなんて困る。行きたい場所ややりたい事…は、ないな。でも学園で勉強はしないと…って、勉強ならレオルドさんが教えてくれるか。じゃあ友達……は、出来る前に自宅療養になっちゃったからいないんだった。
あれ…?
「外に出られなくても困らないな」
どうしよう。外に出られなくても困らないなんて。それはそれで人間として問題があるのではないだろうか。交友関係が狭まったり社会から置き去りにされることになんの不安も抵抗も感じないのは、私がそれだけ人間関係にストレスを感じやすいからと言えるけれど、人間は他者と交流して新しい価値観に触れる事で自己を形成していくものだし…
「こら!シェリー!」
「!?」
庭の真ん中で一人勝手に焦っていると、突然大きな影に覆われ、聞き覚えのある声に叱れた。慌てて後ろを振り向くと、庭に出てからずっと私の思考を占領していたレオルドさんが頬を膨らませてこちらを見下ろしていた。
「おかえりなさい。レオルドさん」
「ただいま。それで、どうしてまた日傘も持たずに庭にいるのかな?お医者様にも強い日差しは避けるように言われたよね?」
「ごめんなさい。折角のいいお天気だったから、ちょっとだけ陽に当たりたかったの」
レオルドさんに差し出された手を取って立ち上がると、ふわりと広がったドレスの裾を少し払う。そうして私が視線を上げようとした時、細い指先が私の顔にかかっていた紺色の髪を掬い上げて耳に掛けてくれる。その仕草だけで恋に落ちる女性はきっと多い事だろう。
「君の気持ちも分かるけれどね。僕のいない間に庭で倒れたりでもしたらと考えると心配で堪らなくなるんだ。お願いだから僕の言うことを聞いてくれるかい?じゃないと…」
「じゃないと?」
「……」
レオルドさんは無言で私に顔を近づけると、じっとこちらを見つめてくる。普段はサングラスに隠れて見えない赤い瞳が、私を見ている事に心臓が浮かれる。
「レオルドさん?」
耐えきれなくなって名前を呼ぶと一瞬彼がフッと笑って、私の目の前に白い箱を突き出した。
「もうお土産のケーキは買ってきてあげません」
「そんなっ!?」
「あーあ。折角シェリーが大好きな木苺タルトもあるのになぁ。今日からお預けかなぁ?」
「ごめんなさい。もう勝手なことしません。なのでその木苺タルトをどうかお恵みください」
後ろを向いてしまったレオルドさんの目の前に回り込んで、両手を組んだ祈りのポーズで陳謝すれば彼は仕方がないなといった感じで笑って私の頭を優しく撫でた。
「よく出来ました」