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元ねこ、風呂上がりに飼い主と見間違われる

 夕方も、レストランまでは歩いていった。空はもう夜の色である。地面の雪が青味を帯びて(かす)かに光っているように見える。

 夜になってみて、昼間は暖かかったのだ、と思い知った。


 空気が違う。

 剥き出しの顔が、空気に触れて強張るのがわかる。ばりばりと音を立てて凍りそうだ。

 冬空にかかる弱々しい太陽の光の偉大さが、改めて思い起こされた。当然道はつるつるである。

 足元ばかり見て歩いていたら、突然立ち止まった絹子叔母に、危うくぶつかりそうになった。


 「これ、きれいね。ガレかしら」


 オレンジ色の灯りが、ぽっぽっと花みたいに咲いていた。ガラス張りの小さな店の内側に、トンボやらぶどうやらの生き物模様をかたどったガラス造りのランプが、ところ狭しと並んでいた。

 店内は温かそうに見える。理加と純一郎も立ち止まり、おざなりではない関心を持って眺めている。店内から男が出てきた。


 「よかったら、中へ入ってご覧になってください」


 店主らしい男は、成瀬とそう変わらない年齢である。羊みたいにもこもこした編み模様のある、真っ白なセーターを着ていた。絹子叔母が嬉しそうに微笑む。理加が、入口に貼られた小さな紙を指す。


 「でも、もう閉店時間ですよね」

 「構いません。僕の店ですから」


 それで皆、店に入ることにした。すると、奥にあったランプに灯りが入った。一度消したのを、わざわざ点けてくれたのだ。嬉しいもてなしだった。


 天井にも大型の灯りがあったが、そこは明るくならなかった。却ってその方が、ランプもきれいに見えたと思う。

 ステンドグラスと言うそうだが、緑や青、紫や黄色のガラスで模様が作られていると、ランプに灯りが点いた時に内側から照らされて、不思議なくらいきれいに見えた。


 店内を一通り見て回り、絹子叔母は草花模様の小さなランプを買った。移動中に落として壊れるといけないので、やはり梱包して宅急便で送ってもらうことにする。


 外に出ると、街路樹や道路に面した店や個人の家、ホテルに小さな豆電球を絡めてぴかぴかと光らせているのに気付いた。今まで下ばかり見ていて、気付かなかった。

 空の星が降りてきたみたい、と言えば大袈裟(おおげさ)だが、辺りが暗い分、きれいに見えた。


 無数の豆電球で鹿や熊をかたどった置物もある。動く置物もあった。

 辺りをきょろきょろしながら歩くので、足元への注意が散漫(さんまん)になり、俺は何度も転びそうになった。しまいには、純一郎が手をつないでくれた。さすがに恥ずかしかった。



 おいしい料理を堪能してレストランから戻ると、ホテルのフロントに伝言が届いていた。妙子夫人からであった。


 「明日、軽井沢を案内してくださるそうよ」


 絹子叔母が俺達に伝言の内容を教えてくれた。俺達はロビーにある暖炉の前で寛いでいた。雪の夜道で凍った皮膚が、暖炉の熱でじわじわと解凍されるのが心地よかった。


 「何時に集合すればいいかしら」

 「9時半に迎えにきてくださるそうだから、25分に集まれば間に合うでしょう」

 「軽井沢も広いですからねえ。どの辺りになるか」


 部屋で観光案内を研究した純一郎が、あくびをかみ殺しつつ訊く。行き先がわかれば、改めて予習するつもりに違いない。彼は腹一杯料理を詰め込み、眠気が差している。深々と身を沈めた肱掛(ひじかけ)椅子から、伸ばした脚が徐々に前へせり出してきている。


 絹子叔母は小首を傾げて、妙子夫人の伝言を思い出している。


 「特にどこへ行くという話はなかったわ」


 理加もあくびをかみ殺しながら付け加えた。


 「初めてだから、どこでも構わないでしょう」

 「そうやね」


 朝食の時間を8時と決めて、それぞれ部屋へ引き揚げた。純一郎に温度を調節してもらって、先にシャワーを浴び終わると、彼は観光案内書を広げたまま寝息を立てていた。


 昼間雪道を歩き回って、ワインも大分聞こし召したから、疲れたのだろう。

 俺も疲れていた。折角気持ちよく眠っているところを邪魔するのは気が進まない。しかし、目覚し時計の使い方がわからないので、起こすことに決めた。


 「おい起きろ」

 「ん、綾部?」


 細い目が一瞬だけ持ち上がり、閉じた。まつ毛ほどにも開かなかった。俺は純一郎の肩に手をかけ、軽く揺さぶった。


 「ううん……うわっ」

 「わっ」


 2人同時に飛びのいた。観光案内書が純一郎の体から滑り落ちた。俺は純一郎の声に驚き、純一郎は飛び起きてベッドの向こう側に転げ落ちた。派手な音が聞こえた。


 「痛っ」

 「大丈夫?」


 ベッドを回り込む前に、純一郎は立ち上がった。観光案内書を拾い、ずり落ちた眼鏡を掛け直す。俺の顔をまじまじと見つめた。


 「ねこ、今度は服を着てから起こしてくれ」

 「あ、うん。わかった。大丈夫?」

 「大丈夫、ありがとう。ちょっと疲れたみたいや。先に寝てて」


 純一郎は、猫が水を被った時みたいにぶるぶるっと頭を振った。本当に疲れているようだ。歩いた距離は大したことがなくても、慣れない雪と寒さに、思いのほか体力を奪われたのだろう。

 そういえば俺も眠い。俺は彼に言われた通り、寝巻きに着替えて先に眠りについた。

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