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元ねこ、相談者に会ってみる

 朝食もまたおいしかった。

 かりかりに焼いた脂たっぷりのベーコンにソーセージ、チーズの入ったオムレツに、ハッシュドポテトが付いていた。

 クロワッサンにバターをたっぷりつけて、俺はむしゃむしゃと平らげた。


 低血圧気味の理加はいつも通り、純一郎も夕食の時と違って、黙々と食事を進めていた。

 絹子叔母は、電話を掛ける必要がなかった。朝食を終えて食堂を出たところで、黒服を着た従業員に呼び止められたのだ。


 「柳澤妙子(やなぎさわたえこ)様より、ご伝言をお預かりしております。本日、内輪のお茶会に皆様をご招待したいとのご意向でございまして、11時30分ころ、正面玄関前にお車をご用意致します」


 従業員は用件を伝えると、(うやうや)しくお辞儀をして去った。5分前にロビーへ集まる約束をして、俺は純一郎と部屋へ戻った。


 朝食前に身支度を整えたので、これといってすることもない。


 窓から外を覗く。相変わらず雪が積もったままである。空はどんよりとした灰色である。白い地面の方が、よほど明るく見えた。


 「お昼ご飯は、どうするんだろう」

 「11時半に迎えをよこすのなら、向こうで出すつもりやろ。心配せんでもええで」


 ベッドの上に仰向けになって、食休みする純一郎が答えた。ごろごろと転がってベッドから下りると、俺の隣に立って窓の外へ目をやった。


 「自分の家なら、雪だるまでも作るところやな」


 雪だるまなら、俺も昔見た事がある。

 最近では、東京はとんと雪が積もらなくなったが、昔は猫の俺が埋もれるくらい降ることもあったのだ。雪が積もった翌日には、必ずポン大の構内に雪だるまが1つか2つ現れたものであった。


 暖かい家の中から見る雪は白くてきれいだが、触ると冷たい雪をこねて何が面白いのか、俺には理解し難かった。

 歩くうちに、肉球からしんしんと()い上がってくる冷たさは、体の芯まで凍らせる。俺の経験では、雪が降ったらこたつに潜るのが一番であった。俺が雪について考えていると、純一郎が髪の毛をつまんだ。


 「どれ。暇やから、枝毛でも切ったるわ。座りい」


 純一郎は小さいハサミを取り出し、ごみ箱を引き寄せて俺の枝毛を切り始めた。

 枝毛があるのは、髪の毛が痛んでいる証拠なのだそうだ。そう言えば、同じように伸ばしている理加の髪の毛はつやつやしてきれいなのに、俺の毛は先の方が毛羽立(けばだ)っていた。猫の時には毛繕(けづくろ)いを欠かさなかった俺としては、不覚である。


 とはいえ、人間になったら毛繕いはできない。仕方のないことでは、ある。

 純一郎に枝毛切りをしてもらううちに、気持ちよくなってうとうとしたら、次に気が付いた時には、出掛ける時間になっていた。



 部屋を出たところで、理加達と鉢合わせした。絹子叔母は朝食の時と同じ柄の着物で、理加はジーンズからロングスカートに着替えていた。俺の服は純一郎に見立ててもらった。多分、おかしな組合せではないだろう。理加が文句を言わなかったのが、証拠である。


 玄関に出ると、既に車が待っていた。ぴかぴかに磨いた黒塗りの車であった。運転席から降りた人が、扉を開けてくれた。絹子叔母、俺、理加の順に乗り込む。純一郎が助手席に乗って、車は発進した。



 柳澤夫妻の家は、大きな敷地の中に建っていた。

 自動で開閉する入口の門からは、まばらに生える木々の陰になっているとはいえ、建物が見えなかったくらい広い敷地である。

 その建物は、大きな木の柱をわざと剥き出しにして、間を漆喰か何かで固めたような具合で、全体に西洋風の形をしていた。

 黒っぽい柱が、雪の中では一際(ひときわ)目立つ。

 玄関には車を横付けにして、ぐるりと廻れるように道をつけてあった。降りる時も、運転手が扉を開けてくれた。両開きになっている玄関の扉が、ぱっと開いた。


 「ようこそいらっしゃいました」


 小柄な女性が、微笑みながら出迎えた。この真冬に、白のブラウスとベージュのひらひらするスカートしか身に付けていない。

 大きなウェーブのかかった髪を、耳の下辺りで切り揃えている。耳飾も首飾りも指輪もベルトもしているが、品よくまとめられていて付け過ぎには見えなかった。


 彼女は、真っ先に絹子叔母を見つけて微笑んだ後、俺たちに気が付いてはっと息を呑んだ。化粧の下で顔色が蒼ざめたように思われた。それも一瞬のことで、すぐに笑顔を作り直して、俺たちを中へ招き入れた。


 「大勢で押しかけてしまって、ごめんなさいね、妙子さん」


 絹子叔母が済まなさそうに言う。彼女の表情の変化を見取ったのだ。妙子夫人は、慌てて手を振った。


 「違うんです。私が無理矢理お呼びしたのに、気を遣わせてしまってごめんなさい。外は寒かったでしょう、どうぞどこでもお好きな場所にお座りください。もう少ししたら、お昼の用意ができると思いますから、それまで体を温めてくださいね」


 玄関を入ったところは、ホテルのロビーみたいに広い空間になっていた。奥に暖炉があり、周りにソファが置いてある。俺は純一郎にコートを脱がせてもらって、早速暖炉の側の椅子に腰掛けた。


 車の中も暖房が効いていたので、外の空気に触れたのは僅かな間だったのだが、却って外の寒さの厳しさを感じた。燃える暖炉の炎から、じんわりと暖かい空気が伝わる。俺は炎に触れないよう用心しながら、両手を前に出して(あぶ)った。


 「立派なおうちねえ」

 「主人の両親が昔建てた家ですの。後で家の中をご案内しますわ」


 絹子叔母と妙子夫人も暖炉の近くに座って話をしている。夫は急用で出かけていて、午後には戻るということであった。妙子夫人は成瀬よりも年下という話であったが、さほど若々しい印象を受けなかった。

 結婚すると、人は老け込むものなのだろうか。所帯じみる、という言葉を聞いたことがあるが、それとも違う。彼女が悩んでいるせいかもしれなかった。


 ふと気が付くと、理加と純一郎が絹子叔母たちとは離れた場所で、並んで置物を眺めている。掌も充分温まったので、俺も理加の側へ行った。


 「ねこ、お前変なもの見てへんやろ」


 近付いた途端に純一郎が振り向いて、小声で訊いた。俺はびっくりして毛を逆立てそうになった。かろうじて首を振る。純一郎は、同意を求めるように理加に視線を移した。


 「な、俺も見てへんもの」


 理加は納得したように頷いた。何の話かわからなかったものの、絹子叔母たちには聞かれたくなさそうなので、黙っていた。必要があれば、純一郎も理加も話してくれるだろう。妙子夫人が時計を見て、そろそろかしらと言ったのが聞こえたように、奥へ続く扉が控え目に開いた。


 「お食事の用意が整いました」


 映画に出てくるお手伝いさんみたいな恰好をしたおばさんが、高らかに宣言した。

 俺たちはぞろぞろと、食堂へ案内された。家の外側はヨーロッパの高原風であったが、内側はちょうど俺たちが泊まっているホテルのようであった。


 渋い色合いに磨き上げた重厚な木材が惜しげもなく使われていて、ところどころに立派な額縁に収まった由緒ありそうな油絵や、触った途端にひび割れそうな繊細な工芸品がさりげなく置いてあった。


 食事はやっぱりフランス料理のコースで、俺は理加の隣りに陣取って料理をいちいち切り分けてもらった。

 妙子夫人が不審な目付きで俺を見たものの、あれこれ詮索はしなかった。

 イタリアンでなくて本当によかった。あのつるつる滑る長いパスタが出た日には、てんでお手上げである。


 食事の間、辺り障りのない会話が交わされた。主に絹子叔母が相手を務めていた。


 「長野県に海がないせいか、海産物が恋しくなりますのよ。その代り、ワインや乳製品といった、山の幸は豊富ですの」


 妙子夫人は昼間からワインのグラスを傾けていた。俺はもちろん、純一郎も理加も遠慮したので、絹子叔母がお相伴している。

 海がないと言っても、交通が発達した現代だから、本当に食べられないことはない。現に、駅の食堂にもエビカツカレーがあったし、昨夜の夕食にも魚が出た。品質のよいものを手に入れるには、海辺よりも手間と金がかかるという意味なのだろう。


 デザートは軽めだった。後のお茶会に備えて、胃に余裕を持たせようという心遣いだろうか。コーヒーを飲み終わると、妙子夫人は意を決したように立ち上がった。


 「それでは、家の中をご案内いたしましょう」


 取り立てて変わったところもなかった。一軒家であるから、理加のマンションよりよほど豪華な建物ではあった。

 2階建ての洋館で、小窓付きの屋根裏部屋まで設えてある。外を覗くと、林の間に遠く掘建て小屋が見え隠れした。


 前庭ばかりか、裏手まで隣家との境がわからないほど広々としている。

 レストランの厨房と見紛う台所では、専属の料理人と家政婦がお茶の時間の打ち合わせをしていた。

 地下にはワインセラーもあるというので、鍵を開けて見せてもらった。薄暗い穴倉の奥まで、ずらりと並ぶ瓶の列に、理加も純一郎も感心していた。ひんやりしていて、独特のにおいがする。


 妙子夫人は夫婦の寝室まで見せてくれたが、客用寝室と同様きれいに飾り付けてあった。純一郎は暖炉や風呂場、トイレが何箇所もあるのに感心していた。

 ひととおり見て回った後、皆で最初に座った部屋へ戻った。理加と純一郎が大きなソファへ寄り添って座るので、俺も理加の隣りにくっついて座ったら、すし詰めになった。腰を浮かす純一郎を理加が目で制し、3人で仲良く1つのソファを占領した。


 絹子叔母が可笑しそうに俺たちを眺める。妙子夫人は呆れているようである。本当にこの3人が心霊学部の学生だとしても、役に立つのか疑っているのだろう。しかし、呼んだのは彼女である。今更後悔しても遅い。


 「随分ご立派なお家ですこと。家政婦さんだけでなく、運転手さんとシェフまでいらっしゃるなんて。でも、これだけ大きな家では、人手がないと切り盛りできないでしょうね。あの方たち、ご主人がお一人の時からいらっしゃるの?」


 絹子叔母が俺たちから注意を逸らそうと、妙子夫人に話しかけた。褒めたつもりが、彼女の表情は暗くなった。


 「義姉が存命のころから働いているそうです。私よりもよほど家政に詳しいのですわ。特に運転手を務めている者は、昔猟師をしていたとかで、家政どころか家の敷地の隅々までよく知っておりますのよ」


 続けて何か言おうとしたのを、チャイムの音が遮った。妙子夫人はさっと立ち上がって、壁に取り付けた小型テレビに似た機械をいじった。インターフォンとかいう奴だ。

 画面を見つめる彼女の顔色が更に悪くなった。疲れた表情で俺たちに振り返り、無理に微笑んでみせた。


 「主人が戻って参りましたわ。あのことは、内緒にしてくださいね」

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