エピローグ
「冬休みの宿題として提出してもらったレポートの件だがね、これは刑事事件としては、どういう解決になったのかね」
竹野の爺いが問いかけた。
ガラス越しに、午後のぽかぽかした日差しが体を温める。軽井沢の出来事は、遠い悪夢のようだった。夢だとしても、思い返すのは楽しくない作業だ。
しかし、竹野教授は俺に訊いているのではない。理加と、純一郎に尋ねているのであった。2人は互いに目顔で話し合い、理加が説明をすることになった。
何となく面白くない。
「私有地内で起きた火事のため、消防が現場に到着するまでに思いのほか時間がかかりまして、小屋は丸焼けになりました。通報は、運転手さんがしてくれたようです」
「焼け跡から見つかった遺体は、3体でした。うち2つは焼死ではなく、絞殺されてから火事に遭っており、さらにそのうちの1つは死後相当の時間が経過していたようです。正確な経過時間は、焼けてしまったため、不明です」
「私と叔母、日置は火事の現場に居合わせ、警察から事情聴取を受けた関係で、事情を知ることができました。最初警察は、柳澤妙子さんが夫と愛人を殺すため小屋に火をかけたのではないか、と疑っていました。私たちは共犯または事後共犯、もしくはアリバイ作りの証人として利用された、と考えたようです」
「運転手さんや家政婦さんたちが皆ご主人の味方だったものですから、奥さんには不利な状況でした。しかし、実際に彼女は柳澤さんもマリー・ケイさんも殺していないし、小屋に火をかけてもいません。最終的には疑いは晴れました。小屋から発見された3つめの遺体は、ご主人のお姉さんであることがわかりました」
「どうも、ご主人がお姉さんを殺してしまったらしいことを、家の人たちは薄々感づいていたようなのです。ご主人が死んでしまったので、確かなことはわかりませんが。ともかく、私たちの話と現場の状況から、マリー・ケイさんが柳澤のご主人を殺して小屋に火をかけた、と警察は結論付けました」
「恐らく、奥さんに逢引の現場を押さえられ、ご主人から別れ話を持ち出されたために逆上し、小屋にあった猟に使う火薬を用いて放火したのだろう、ということでしたが」
「理由は措くとして、警察の押さえた『事実』は概ね正しいと思います」
純一郎が付け加えた。心霊学部が実績を重ねても、表面的につじつまが合えば、事実より前例が優先されることが多い。純一郎は警察への不満を強調するように、『事実』に妙な力を入れて発音した。
レポートには、理加と純一郎から見た事件がまとめられている。俺は話を聞かせてもらっただけで、レポートを書くのは手伝っていない。
理加たちから見た事実によると、柳澤守雄の姉がマリー・ケイを通じて弟にまとわりついていたことから、柳澤が姉を殺したことは間違いないという。
マリー・ケイは霊媒体質だったのだろう。容姿が柳澤の姉に似ていた上に、相性が恐ろしく良かったのだろう。取り憑いた姉に、本来の人格をほとんど破壊されていたようだ。
俺たちが最初見たときにはもう、抜け殻だったのだ。その時、死んだ柳澤の姉は、俺たちに正体を見破られて除霊などされないように、どこぞへ隠れていたらしい。
ところが、思いがけず俺たちや妙子夫人にまで見つかってしまい、除霊されないまでも、これまで通り好き勝手にできないと考え、柳澤の命を奪うことで永遠に弟と結ばれようとしたのである。
純一郎も俺も理加に話さず、従ってレポートにも書いていないことがある。
小屋が焼け落ちた場所で、死んだ柳澤とその姉がひたすら交わり続けていたことである。
現場検証とやらで再び焼け跡に行ったときにも、まだ2人は交わっていた。もう俺たちの目を気にすることもなく、ひたすらお互いを求めていた。
人間の体というよりも、2匹の蛇みたいに見えた。純一郎が蒼ざめていたのを、まだ覚えている。
一緒に死んだマリー・ケイはどこへ行ったのか。少なくとも、俺には見えなかった。
「マリー・ケイというのは、アメリカ人か何かなのかね?」
竹野教授は、自分が最初にした質問とも、理加や純一郎の話ともまるで関係ない質問をした。
「いいえ。桂木 真利という日本人だそうです。木扁に土2つの『かつら』に木曜日の木、ですね」
理加が竹野教授の求めに応じ、メモ用紙にマリー・ケイの本名を書いた。
字を見た彼は、寝癖みたいな銀髪を撫でつけながら、妙に納得している。単なる好奇心で聞いてみただけの質問らしかった。
話が終わりそうなのを見て取った純一郎が、たまらず口を開いた。
「あの、柳澤守雄とその姉の霊は、まだ軽井沢におるんですが」
「うん、そうだろうな。レポートにも成仏させたとは書いていなかった」
竹野教授はメモ用紙から目を離し、純一郎を見た。眼鏡の奥で、いたずらっぽい光がまたたいたように思ったのは、俺の気のせいだろうか。
「何とかしたかったのですが、私の力では難しく、そのままになりました」
純一郎が心底残念そうに言うのを、竹野教授は口の端に笑みを浮かべ、頷きながら聞いた。それから俺を見た。笑みが濃くなった。少し嫌な予感がした。
「4月になれば、このにゃん太にも除霊の仕方をいろいろ教えるから、一緒に軽井沢へ行って成仏させればいい。屋敷は柳澤の奥さんが相続するのだろう? 現場は当面そのまま保たれる。綾部くんの叔母さんに頼めば、敷地内には入れるだろう。君らが協力してちゃんと手順を踏めば、大丈夫。うまくいくよ」
俺があれを何とかするのか。蛇なら爪に引っ掛けて遊んだことがあるから、恐くないが、どうも死んだ柳澤姉弟に触れるのは、気が進まなかった。俺の気持ちをよそに、純一郎の顔は明るさを取り戻した。
竹野教授の部屋を辞すと、純一郎は鞄から大きめの封筒を取り出した。
心霊学部には、写真の現像室がある。
町の写真屋さんに出すと、親切心からではあるが、失敗作として勝手に心霊写真を処分されたり、悪い時には心霊現象が起きて迷惑をかけたりするので、心霊学部の学生は自前で現像する習いになっている。
大学の予算もついているのだが、自分の楽しみで撮る写真と区別がつかなかったり、たまに他学部の学生が暗室を使いたがることから、事務局が管理を厳しくしたと言う。
それで、普段は自分たちで買った薬品を使って現像しているとか。難しいことは、俺にはわからない。
「軽井沢へ行った時の写真ができたから、綾部と叔母さんの分、渡すわ」
差し出された写真には、教会の前に立つ2人が写されていた。雪が降る中に、光で照らされた教会の建物は神秘的で、とてもきれいだった。もちろん、理加と絹子叔母もきれいに写っていた。確か白鳥の写真もあった筈だ。純一郎が重ねた写真をずらして見せようとすると、理加が止めた。
「ありがとう。でも、私が撮ってあげた純一郎の写真も見たいなあ。心霊写真になっているでしょう」
理加が写真に手を出さなかったので、純一郎は、取り出した写真をまた封筒へ戻した。
「うん。そしたら、図書室へ行って見る?」
「そうねえ、そろそろ帰ろうかと思っていたところだからなあ……そうだ。今度うちのマンションに入居する人が岩手の人で、『かもめの玉子』をくれたって絹子叔母さんがお裾分けしてくれたの。一緒に食べながら見ない? 藤むらの羊かんもあるわよ」
「かもめの玉子は食べたことないなあ。ひとつご馳走になるわ」
俺だって、かもめの卵は食べたことがない。かもめが海辺にいる鳥だということぐらいは知っている。
確か、肉はとんでもなくまずい代物だという話だった。肉はまずくても、卵ならおいしそうだ。
そんな珍しいものが家にあったなんて、今朝も冷蔵庫を覗いたのに気が付かなかった。不覚を取った。ぜひとも食べねば気が済まない。
純一郎にばかり食べさせてたまるか。
そろそろお腹が空いてきた俺は、食べ物の話を聞いて、頭の中が食べることで一杯になった。見た事もないおいしそうなかもめの卵を想像しながら、理加と純一郎の後をついて学部の建物を出た。
門に向かって長く曲がった下り坂を降りていくと、遠くの植え込みの陰で、三毛の一族がたむろしていた。
三毛が、子猫のじゃれ合うのを見守っていた。
俺が猫だったころの知り合いである。三毛は手を伸ばしたところで到底届かない、走っても追いつけないほど離れた場所にいながら、耳をぴんと立てて俺たちが通り過ぎるのを、じっと警戒を解かず窺っている。
理加も純一郎も三毛の一族に気付いた様子はない。人間は、猫が心配するほど猫のことを気にしない。
そう伝えてやりたかったが、今はもう、三毛たちとは言葉が通じない。少し悲しくなった。
人間としての寿命が尽きたら、また猫に戻れないだろうか、と俺はぼんやり考えた。
どうだろう、戻れるだろうか。
「理斗、何やっているの。早くおいで。日置が、軽井沢でもらったハムで料理を作ってくれるって」
ハムのことは覚えている。純一郎が福引で当てたのだが、俺が摘み食いしないよう理加に預けられて、そのまま家の冷蔵庫に収まっている。
あのハムが食べられるのだ。俺は、理加と純一郎が待つ門まで一気に走り降りた。
終わり




