File:007 【考察】”想像の余地”を残すこと
①今回の話をしようと思ったきっかけ
昔、とある番組のミニコーナーで、とある芸能人の方が
当時公開されていた映画を観て、それを評論する
というものがありました。
ある時、彼が評論することになったのは、タイトルは
覚えていないのですが、『北斗の拳』という漫画が原作の
映画で、その中の登場人物である『ラオウ』という
キャラクターをフィーチャーしたもののようでした。
実は正直なところ、私は北斗の拳については
多少なりか読んだことがある程度で、『ラオウ』についても
詳しくは知らず、『主人公のライバル的な存在で、めっちゃ
強いキャラ』――みたいなイメージがあるくらいです。
とにもかくにも、その映画について彼は語り出しました。
結論から言えば、評価はかなり悪いものでした。
そして、その理由こそが、今回の話で私が
注目して欲しい、重要なポイントとなります。
”ラオウのこんな一面なんて、見たくなかった”
正確ではないと思いますが、こんなコメントを
残していたような気がします。
要するに、演者がどうとか構成がどうとかいう
話ではなく、映画のコンセプトそのものが、彼の意に
そぐわなかったようなのです。
ここからは私の勝手な想像による部分も多いのですが、
恐らく『ラオウ』というキャラクターは、豪胆で大胆不敵
――といった雰囲気を持つキャラなのではないでしょうか。
そして、その映画では、そんなラオウの弱々しいというか
女々しいというか…そんな、ある意味では凄く人間らしい
部分が語られていたのではないのでしょうか。
まぁともかく、そんな昔の記憶が頭を過ぎったのが、
今回の話をしようと思ったきっかけです。
②”実はこうだった”を語りがる風潮
『本編』が終了した後でも、そういった『語られなかった
エピソード』が公開されることは、今となっては
なんら珍しいことでもありません。
が、正直なところ、私個人としては『このエピソードって、
わざわざ話す必要あったのかな…』と思ってしまう
ようなものも、少なくないのが現状です。
語られぬエピソードを語ることは『追加要素』であり、
そのキャラや作品の魅力を更に高めてくれるもの――
といった認識をしている人も多いのでしょうが、
上記にあった話のように、それを『蛇足』と捉えられるような
場合も、決して多くないことを忘れてはいけません。
人にせよ、キャラクターにせよ、創作物にせよ、
『謎に包まれていること』、『ミステリアス』であることが
その魅力の一つであることは非常に多く、例えば
『都市伝説』に関するような話題は、
いつだって人々の注目を浴び、脚光を浴びるものです。
私の持論の一つに、『説明過多になるくらいなら、
説明不足なくらいの方がいい』というのがあります。
ただし、これは飽くまで『エンターテインメント的なもの』
に限ってのことで――例えば、医薬品などの説明文において、
こんな考え方をしているわけではないので、
その辺はご了承ください。
③はっきりと感じた、”魅力の半減”
名は伏せておきますが、とあるゲームの主要キャラクター
に対し、私は色々と考えさせられる、そしてミステリアスな
部分に心惹かれるものがある――といった印象を受けた
記憶のものがあります。
しかし、それのリメイク作品において、彼の過去が
要所要所ではっきりと、具体的に語られていたのですが…
これは正直、”う~ん”と感じてしまいました。
それまで、どこか得体の知れない部分のある、
良くも悪くも深みというか、”味わいのあるキャラ”といった
印象を受けていたものが、その『具体的な過去』を
見た後は、”可哀そうなキャラ”という印象が強くなってしまい、
正直なところ、魅力が半減したように感じたのです。
せめて、その『具体的な過去』に意外な部分というか、
”おぉっ”と思わせるような何かがあれば納得できるのですが、
”まぁ、大方そんな感じだったんだろうな”というような
エピソードばかりだったので…この部分については、
はっきり言って、『蛇足』と感じてしまいました。
④”台詞なし”の主人公について
ゲームにおいての”ミステリアス”で代表的なものといえば、
『ドラゴンクエスト』シリーズの主人公でしょうか。
ご存じの方も多いでしょうが、このシリーズの作品は
全てにおいて、主人公は一貫して”台詞なし”の
姿勢をとっています。
しかし、だからと言って主人公は決して『無個性』という
わけではありません。
本人の台詞が一切なくとも、周りの反応から
その性格を窺い知ることができ、”この主人公ってきっと、
こんな性格なんだろうな”と想像する面白さがあります。
――とはいえ、その”台詞なし”の姿勢が必ずしも
プラスとは限りません。
別にそのシリーズの『専売特許』というわけでもないのに、
その姿勢を取り入れたゲームが多くないのは、
それについてのマイナスの要素が、決して無視できないもの
であることを示唆してしているように思います。
『ドラゴンクエスト』シリーズにおいても、初期から
中期の頃の作品はともかく、後期の作品においては、
恐らく”伝統だから”という理由で、その姿勢を崩さないように
しているような印象を受けます。
私がプレイしたことがあるものは、ナンバリングでいえば
『1~8』のものになるのですが、正直なところ、『8』を
プレイした後の感想としては、他のキャラと比べ、
主人公があまり印象に残らなかったような気がします。
その理由の一つとして考えられるのが、本作から
明らかに飛躍している、キャラの『躍動感』です。
躍動感が加わることにより、他のキャラ達がより
”生き生きとした存在”として映ってしまうからこそ、
一貫して”台詞なし”の主人公に、違和感を
覚えてしまったのかもしれません。
⑤まとめ
どうやら、この”想像の余地”をどれくらい残すべきか
という話は、その作品のコンセプトや世界観、システム
などが大きく影響し、一筋縄ではいかないようです。
ともかく、安易に『語っておいて損はないだろう』
なんて思考で”補足”を入れ込むことは、そのキャラや
作品の魅力と可能性を奪ってしまうことになりかねます。
人が『物語』に求めることは、必ずしも
”はっきりとしたもの”ばかりではないのです。