灰色の町 2
白い男は、絵描きだった。黒い色で、黒い町の絵を上手に描いた。ヘンな男だった。黒い町の中で、その男だけが白かった。その時は、それが「白色」だということを知らなかった。
男は、大きなカバンをとても大切そうに抱えていた。中身が何かはわからなかったが、男の白さよりも男の持つカバンの白さの方が、黒い町では異質に思えた。
まだ幼い黒い男の子はある日、絵を描いている男に近づいて声をかけた。
「ねえ、そのカバンには何が入ってるの?」
「うん?」
ひょいと顔を上げた男は男の子に気が付くと、気さくに笑った。いたずらっ子のような瞳で、男の子の目を覗き込む。
「気になるかい。」
男の子が頷くと、白い男は持っていたスケッチブックから紙を1枚ちぎりとった。それから男の子から見えないようにパレットから絵具をとると、
「見ててごらん。」
そう言って筆を滑らせた。
「…うわあ」
紙の上に、見たこともない色が光る。黒い男の子は目を丸くした。今まで見てきたどの黒い色とも、男の白い色とも違う。初めて見る、けれどとてもきれいな色。
「ここからずっと遠くの町にね、虹色の街があるんだ。」
紙に描かれた美しい色に見入っている男の子に、男は語りかけた。
「ニジイロ…?」
男の子は首をかしげながら、その言葉を口の中で繰り返した。初めて聞いた言葉だ。
「そう、虹色の街。黒だけじゃない。白だけじゃない。色とりどりの、様々な色が、その街には溢れているんだ。」
男は目を細めて、傍らに置いたその大きなカバンに手を置いた。
「…僕の町は、白い町でね。旅人に虹色の街の話を聞いて、どうしても自分も見てみたくって。白い町を飛び出したんだ。」
「白い町?そんなのがあるの?」
驚いた黒色の男の子が声を上げると、白い男は目を細めて優しく笑った。
「そうだよ。白い町を飛び出して、僕はいろんな町へ行った。そしてたくさんの色が、町があることを知ったんだ。」
「たくさんの町…」
「うん。僕の白い町や、君の黒い町だけじゃない。いろんな色の町があるんだ。ずいぶん長い間旅をして、とうとう虹色の街にたどり着いたときには、目を疑ったよ。本当にいろいろな色がその街の中にはあったんだ。本当に、きれいだった。」
「……」
「僕はどうしてもそれを白い町のみんなに見せてあげたくてね。色を分けてもらったんだ。」
見てみるかい。男はまたいたずらっぽく笑った。男の子は勢いよく頷いた。
男がカバンをほんの少しだけ、薄く開けた。中を覗き込んだ男の子は、今度は何も言わなかった。
何も言うことができなかった。
見たことのない様々な色が、カバンの中にはギッシリと詰められていた。まるでカバンの中に全く別の世界が広がっているかのように、そこは虹色の光で溢れていた。
「…ねえ、これ、どこに行ったらもらえるの?」
男の子は勢い込んで男に尋ねた。その言葉を聞いて、その瞳を見て、男はしまった、という顔をしてカバンの蓋をバチンと閉めた。男の子は男の表情の変化には気づかず、目を輝かせて再び言った。
「ねえ、教えてよ!」
「…虹色の街さ。でも、探しに行くのは、やめた方がいい。」
少し間を空けて、白い男は答えた。黒い男の子と目を合わせまいとするかのように男はたくさんの色が詰められたカバンに目を落としていた。男の子は首をひねった。
「どうして?」
また、男はすぐには答えなかった。大きく息を吸い込んで、そして長く、長く吐きだした。
「とても、大変だからだよ。」
答えた声は吐息のようで、どこか寂しげだった。
いいかい。白い男は黒い男の子の前にしゃがみ込んでその両肩に手を置いた。今度は覗き込むのではなく、まっすぐ向き合い目の高さを合わせた。真剣な表情で、言葉を紡ぐ。
「虹色の街は、とても遠い。長い旅になるだろう。虹色の街まで行けたとしても、そこから自分の町に帰ることは…とても、難しい。」
言い含めるようにゆっくりと、男は言った。言葉に込められた重みが直接、肩にのしかかるようだった。軽く手を置かれているだけの両肩が、重い。
「どういう、こと?」
「虹色の街は遠い。けれど、向かうのは簡単なんだ。町を出てから見える太陽を目指して行けばいい。だけど、自分の町を探すのは、そんな簡単なことじゃない。いくつもあるたくさんの町をしらみつぶしに当たって探すしかない。目印もなく、いつたどり着けるかも分からない。自分の町に、帰れないんだ。」
そこまで言って男は項垂れた。両肩に置かれた手が、少しだけ震えている。
「…虹色の街を出発してから、もう何年も経つ。故郷の白い町を出たのはもっと、ずぅっと前のことだ。
僕はずっと、白い町を探しているのに、見つからない。」
──だから、虹色の街を探しに行こうとしてはいけないよ。