第一章 序曲と出演者の登場 5 Searching
香川和裕たちは、職員室までついていくことにした。特に目的があるわけではなく、半分意地だ。徹底的にクラークを信用していないということである。
しかし、職員室には校長はいなかった。その場にいた副校長によると、つい先ほど事務室へ行ったようだ。芦田佳樹がまた何か言いたがったが、結局は抑えた。
クラークは泡立たしく教頭に話し、教頭はどう反応するかと思えば――
「何を言っているんですかねえ。クラーク理事が仕掛けられたことではありませんかあ。ま、私は反対しましたがねえ。それを今更になって他人事のようにおっしゃるだなんてえ、お人が悪うございますなあ」
空気読む気ゼロで、あっさりクラークが主犯だと認めた。
「そら見たことか」
香川和裕は呟く。
「やっぱりね……」
梶原涼子がどこかあきれたような口調でため息をつく。
クラークは、それでも取り乱すようなことはなかった。天を仰ぎ、地を見下ろす。そして――視線をこちらへ向けた。
完璧にモードが切り替わっていた。
慇懃な理事ではなく、本性、冷徹な「処理者」の視線だった。
「信じるならかかってこい。信じないなら忘れて、日常に戻るがいい」
古代の預言者のような口調でそう言うと、余裕を見せつつ、しかし素早く職員室を去ろうとした。一瞬をおいて、その背中をめがけて荻野が地を蹴った。
荻野の体は地面から十センチ浮いて、宙を蹴ってクラークの背へ到達した。荻野が足を跳ね上げたが、クラークはそれをかわし、続く一撃で荻野の頭を殴った。素早く、しかし強力な一撃だった。
「うごあっ!」
荻野が異様な声を立てて崩れ落ちる。しかし、崩れ落ちながら呟く。
「ぼ、暴力を使いましたね……訴えま」
しかし、そこで腹を思い切り蹴られ、残りの言葉は澱んだ空気の塊となって口から漏れ出た。蹴ったのは別の教師である。
「ふざけんな! 蹴ったのはお前だろう。他校の生徒だろうと道理に外れるもんは容赦せんぞ」
ちなみに、この教師は、教師間の派閥ではクラークと敵対している。
「来い。学校から出んぞ」
そういって襟首をつかもうとする。が、その手を藤堂湊が思い切り蹴飛ばした。
「こいつは、この学校の生徒を助けようとしたんだ! それを蹴っ飛ばすだなんて……」
「黙れ藤堂!」
「蹴ろうとしたのは相手だぞ」
クラークと教師の声が重なった。一秒の沈黙。
「彼は誰かを助けようとしたのかもしれない。しかし、今ここで起こったことだけを見れば、単なる襲撃者だ。狂人だ。攻撃されかけた以上私は反撃する」
クラークが冷ややかに言う。そして、注目してみるとそれほどの速さでもないのに、全体としてネコのように俊敏な動きで、クラークはあっという間に職員室の出入り口の脇までたどり着き、さっさと職員室から出ていった。
「あ、待て!」
「あ、待て!」
藤堂湊がクラークを追おうとし、教師が藤堂湊を追おうとして、同じことを言った。
香川和裕は、綺麗なフォームで教師机の角を曲がった藤堂の腕をつかみ、強引に進路転換させた。その後ろに迫っていた教師が一瞬固まる。そのすきに香川和裕は教師から飛び退り、入り口へ普通にダッシュした。
「お叱りは後で受けるかもしれませんー」
適当なことを口走りながら香川和裕と藤堂湊は走っていく。一秒遅れで梶原涼子、荻野、芦田も逃げ出した。
香川和裕は渡り廊下の一角で立ち止まる。すると、梶原、荻野、芦田の順にほかの生徒たちがやってきた。梶原と他二人の差は大きかった。
「香川、速いぞ」
「か、梶原……速い……」
しかも梶原は息も切らしていない。女子は強し。
「それより、さっさとあの男を追いますよ」
「あ、ああ」
そう言って香川和裕はさらに走り始める。しかし、まともについてきたのは藤堂湊と梶原涼子だけだった。他の二人はぜえぜえはあはあと肩で息をしている。
仕方なく香川和裕は立ち止まり、言った。
「じゃあ、保健室の下に行きますよ」
「下?」
香川和裕はさっさと駆け出す。梶原、藤堂、芦田、荻野もそれぞれ疑問を浮かべながらも香川和裕についていった。
そしてたどり着いたのは、ここ。
保健室の下に位置する場所だ。一階の隅、書道部部室と同様に薄暗く、誰も来そうにない空間だ。
「おい、この学校には薄暗いところがこんなに大量にあるのか?」
「さあ。俺に聞かれてもな。なんせ広いし、全部把握してる奴なんか教師でもいねえと思うぜ」
把握しているのはクラークかもな、と心の中で呟きながら、奥へ進んだ。進もうとしたのだが、
「スタッフオンリー? ユグドラシルランドじゃあるまいし」
目の前に鋼鉄の扉が立ちはだかったのである。そしてその表面には白いプラスチックをドアに貼り付けて作られた「STAFF ONLY」の文字。ちなみにユグドラシルランドとは日本最大のテーマパークの名だ。
香川和裕は、保健室の立地からこの場所に思い当たった。香川和裕の持っているパンフレットの地図によると、保健室はなぜかその部屋とも接していない。校舎の隅に位置し、二面は外壁、二面は廊下に面している。なので、保健室から誰かを連れ出すなら、とりあえずは窓、外の地面、上階、下階、廊下が調べる対象となる。そのうち廊下、外の地面、窓には、少なくとも見た限りでは何もない。
「生徒立ち入り禁止、ということを表現したかったのかな」
そういいながら、香川和裕は堂々とそのドアを押そうとした。
「おいおいおいおいおいおいおいおい!」
藤堂湊が素っ頓狂な声を上げる。
「お前も黙れ。響くぞ」
香川和裕は、半分わざとで少し外れたことを言った。
「いや、そういう問題じゃなくて……」
梶原涼子があからさまにため息をついた。それを見てちょっとまずかったかと香川和裕は思った。
「そんな堂々と立ち入り禁止区域に入るのはまずいわよ。常識を知らないの?」
梶原涼子に思い切りたしなめられた。なんか快感を覚えたがそれはどうでもいい。
目的が救出だとしても、立ち入り禁止区域に入るのは逆に相手にこちらを叩く口実を与えるようなものだ。
そうである。そうであるが……。
「やあ、君たちのほうが早かったようですね」
第六の人物の声がした。
「確かに沖野さんを捕らえたのは我々です。我々、『フィンブルウィンター』です。そして彼女は、ここにいます」
振り向かなくても分かった。クラークだ。
「我々の力をもってすれば、保健室に仕掛けをつけることくらいお手の物です。『常識的な』状態に慣れるあまり、皆、『保健室にある仕掛け』なんてありえないと一蹴します。確かめもしないのに。ベッドのそばに、目立たないように仕掛けを作れば誰にも気づかれず、しかも素早く沖野晴美をこの下階へ連れ出すことができます」
推理小説のような精密で巧妙なトリックとはかけ離れた、ド派手な仕掛けだった。
クラークの舌の回転は止まらない。
「あなた方がよそを向いた隙に、沖野晴美さんをベッドから引きずり下ろすことができました。そして、ベッドの周辺を詳しく調べられる、その直前の、非常に都合のいいタイミングで荻野さん、あなたが駆け込んできたのですよ」
荻野が息を飲む音が、はっきりと廊下に響いた。
本人に悪意はなかったのだろう。彼自身は、純粋に沖野晴美を助け出すことだけを望んでいた。しかし、香川和裕たちを連れ出すタイミングは、クラークたちが望んだタイミングと完璧に一致した。香川和裕がある仮定に至ると同時に荻野もそこへ至ったらしく、表情に出して反応した。
「っ……まさか……そんな……」
「その通り、荻野さん、あなたに指示を出した黒田紘太朗さんは我々の協力者なのですよ。ついでに、大きな音を出す原因を作ったのも彼です」
荻野は完璧にショック状態に入った。
「黒田さん……尊敬していたのに、あの人がスパイだなんて……」
なぜクラークはここまではっきりと事情を話す気になったのだろうか。
犯人が探偵の前でべらべらと自白するのは創作物の中か、それに影響された人間しかしないだろう、と香川和裕は思う。もし重大な目的――例えば世界の覇権に関わるような――のために、本気で隠密行動を行っていたのなら、そうやすやすと話しはしないだろう。それで話すのは、何か目的があってのことか。
「そうして、沖野晴美さんは我々の手中に落ちました。今はこの扉の向こうで、自動車の到着を待っているのです。しかし、我々にも言いたいことがある。それは――」
クラークはわざと声を潜めた。
「彼女がハッキング魔だということです」
しかし、これには即座に荻野が反応した。
「黙れ! 彼女は別に私利私欲のためにハッキングをしているんじゃない! 人類全体の徹底管理というナイルの野望を打ち砕くために、情報を集めているんだ!」
沈黙。しら~。
「……あの、相当に中二っぽいせりふなんだけど」
そして、呆れるのとは別の行動をとった人間もいた。
「そういうことならあなた達とはここでお別れね」
梶原涼子が、香川達から離れた。どこか違う、文明レベルの劣った世界の人間を見ているような、突き放した目だった。
「ほら、私、『大河』の人間だから」
あっさりと発した言葉に、一番過激に反応したのは芦田佳樹だった。
「はあっ? さては……俺たちの行動を逐一連絡してたな! この……悪人が!」
何かのアニメの勇者っぽく叫ぶ芦田佳樹に対して、梶原涼子は何かのアニメの悪役っぽく乾いた声で説明した。
「いいえ、私があなたたちに加わったのはたまたま。連絡なんてしていないし、今離れるのは単純にあなた達と馬が合わないだけ。
だって、考えてもみなさいよ。あなたたちは今、すでに戸籍という長い歴史を持つ管理制度に縛られている。ナイルの目標っていうのは、それを分散しているほかのデータと結びつけて、効率化するだけじゃないの。管理は、未来の必然じゃない? だから、逆らうのは止めはしないけど、それは無駄なことだと思うし、そういうことに私は参加しない」
あるいは、一種のダークヒーローのように見えた。
正論といえば正論だ。プライバシーを無視してはいるが、それは現代においてでさえ、バランスボールの上に乗った小さなビー玉のように、とても不安定で侵されやすい存在だ。管理は、彼女の言う通り人類の必然なのかもしれない。香川和裕は考える。
しかし、違和感を感じるのはなぜだろう。
その源は、理性ではなく、感情というこれまた不安定で不確実なものだった。そんなものに従うのは嫌だったから、香川和裕は一言も発しない。
内面観察はやめて周りを見る。
藤堂も荻野も芦田も、言葉を継げないでいる。まるで防音ガラスに取り囲まれ、その後ろでもがいているかのようだ。
そして、香川和裕自身も防音ガラスの中にいた。
このまま沖野晴美を相手に渡し、素直に引き下がって、陰謀とは無縁で暮らすか? 学園陰謀ものの格好つけたストーリーからは離れて、すべてを受け入れて日常の線に戻るか?
藤堂が、無形のガラスを力ずくで割り砕いた。
「ふざけんなぁぁぁぁ! お前らの正義のためだったとしても、相手がハッキングをしていたとしても……勝手に連れ去っていい理由にはなんねえぞ!」
電撃が走った。
香川和裕は無言でガラスを潰し、クラークへ突進した。
「ていっ!」
受ける構えをとったクラークから微妙に狙いをそらし、そのポケットのキーカードを素早く抜き取る。
着地しながら右側の壁を蹴り、ドアのほうへ飛ぶ。空中で方向転換し、着地しつつドアにカードを押し付けた。
そして、ドアは素直に開いた。
これで第一章は終わり。今日の投稿はここまでとします。次はいつになるのか、まだ決めていませんが、続くことは決定しています(読めばわかる)。




