第一章 序曲と出演者の登場 4 The Girl Disappeared Again
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クラークの向こうには三人の人影があった。一人は梶原涼子。後の二人はほわほわとした外見の女子生徒と中肉中背であまり特徴のない顔立ちの男子生徒だった。香川和裕は二人の名前を知らない。
「え――せ、先輩!」
ほわほわした生徒が声を発した。警備員が抱える女子生徒に驚いたようだ。警備員のほうも足を止める。
「――どうして沖野晴美先輩を運んでいるんですか? そしてその銃は何ですか?」
「ああ、あの女子生徒が暴漢に襲われていたんです。一方こちらはセキュリティの確認に行くところで、警備員を連れていた。だからこの最新式の銃で助けてやったんですよ」
平然と、表情一つ変えずに嘘をついた。よほど面の皮が厚いのか、あるいは任務上嘘をつくのに慣れているのか。沖野晴美という名らしい女子生徒は、警備員にお姫様抱っこされたままだ。
「嘘つけ! お前らがそいつを眠らせて、お前らがそいつを運んでんだろ!」
藤堂湊が足を一歩前に出し、目を怒らせてクラークを睨む。彼は気が短く、悪事だと思ったことには躊躇なく踏み出す男だ。
「それは誤解ですよ。見間違えたんでしょう」
「ならなんでその銃を持っているんですか? 戦闘するようなこともないでしょうし、必要ないのではないでしょうか? また、彼女はどういう経緯で気絶したんですか? 詳しく教えてもらえるとありがたいです」
梶原涼子が問いを発した。
その間、香川和裕はじっと黙っている。言わないし、言えない。何も感じないのではないし、言いたいことは山ほどある。だが、それを口に出すのは気が引けた。それがしばしば「勇気がない」と表記されると知っていても、やはり口に出すのをためらってしまう。
「それは運搬ですよ。本来はつかっちゃいけないんですが、この子を助けるためだ。また、気絶したのは強く殴られたからです」
彼らが会話している間に、芦田佳樹が警備員たちに抱かれた女子生徒のそばへ駆け寄った。
「晴美!」
香川和裕たちは、警備員が背中に力を入れ、微妙に後ずさりするのを見た。
「それにしても傷がないですね。本当に殴られたんですか?」
こう言ったのは芦田佳樹である。よりはっきりと相手への疑念を露わにしていた。相手に会った時点から相手への敵意があったようだ。
「はあ、問いの多い生徒は好きではありませんよ。それはそういう殴られ方をしたんでしょう」
「ともかく、彼女は私たちの先輩なのです。こちらに渡してくれませんか」
「いや、このまま保健室へ運んだ方がいいでしょう」
「じゃあ、僕たちもついていきます。いいでしょう?」
クラークは嘘をつき通すつもりか、黙って承諾した。
そういうわけで芦田佳樹、梶原涼子、江原希、それについてきた香川和裕と藤堂湊、この五人が保健室に集まっていた。彼らから二メートルほど離れたところにあるベッドには、傷一つない沖野晴美が横たわっていた。
入り口から保健室に入ると、待っている人のベンチ、養護教諭の座るデスクと薬品棚があり、そこから右方向に空間が広がって、体重計や二つあるベッド、身長計測器などがある。
保健室の養護教諭はトイレに行っていて、この時は部屋にいなかった。
「でもー、全然傷ついてないね。案外あの人たちはいい人なのかもー」
「いや、希、傷ついてないこと自体が、暴漢に襲われてたっていうのが嘘だっていう証拠になり得るんじゃないの」
「あ、そーだね」
「晴美……くそっ、あいつら」
芦田佳樹はぶつぶつと悪口をつぶやく。
それらの声をさえぎって、突如として巨大な落下音が響き渡った。一瞬の沈黙と、視線の移動。ざわざわという声の中で、梶原涼子は、はあっ、とため息をつき、ベッドを見た。
視線が凍りついた。
ベッドの上にいたはずの沖野晴美はすでに消えていたのである。
「ちょ……!」
その声に、他の皆もベッドのほうを向き、その事実に気づいた。
「こうも目の前でやられるとは……」
香川和裕も唖然としている。
「どうやってこんなことができたんだ? 大きな音もたてずに」
芦田佳樹は驚きが大きすぎて、まだそれを怒りへ変えていない。
「いや――窓が全開だな」
換気のためだろう。窓が完全に開いていた。これなら大規模な仕掛けをつければ可能かもしれない。いや、音もなしにやるのはどうだろうか。
香川和裕はベッドの横の窓へ駆け寄り、見下ろす。下に何か仕掛けがあるのか?
「見事だな。ほとんど無音で連れ去る。俺たちの目撃以外は証拠が残らない。後を追うにしても遅すぎる」
無言だった。
「そして事件は葬られ、記憶は風化して――」
「やめろ!」
ついに芦田佳樹が爆発した。香川和裕に飛びつき、その襟首を締め上げる。
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ! 不吉なことを口にしたからぶちのめすぞ! 事件が闇に葬られるだなんて……そんなことには絶対にさせない、させないぞ!」
「分かったから締め上げるのをやめてください」
芦田佳樹はその言い草に再び怒り、眉を跳ね上げたが、理性が脳内で勢力を回復したらしく、とにかく手を放してくれた。
「ともかく、ここにとどまっても始まらないわ。ここから出ましょう」
「いや、本当にここに手掛かりはないのか?」
香川和裕はベッドの周辺を見回す。白いシーツには、先ほどまで沖野晴美が横たわっていた跡が、まだ残っていた。床にはちょっとした傷や汚れの類。カーテンは見た目は清潔だが、洗濯はされていないだろう。
ドア越しに生徒の声がかすかに聞こえるが、基本的に静かだ。まるで何かのホラーゲームの中にいるような感覚を、一瞬だけ覚えた。
そして、ホラーゲームのイベントの続きが始まった。
「おい! ここに沖野さんは来ませんでしたか?」
部屋に入ってきたのは、無個性な顔つきの少年だった。制服は開和学院のものではない。少年は荻野春樹と名乗り、沖野晴美の知り合いだと付け足す。
「いや、ちょっと前から姿が見えなかったんですが、ここに運び込まれるのを見ましたので」
「残念だが、ええと、沖野晴美さん? はここから連れ去られた。俺たちがちょっと目を離したすきに、ベッドの上から消えた。まさにいきなり消滅したみたいにな」
香川和裕の言い草に再び芦田佳樹が眉を吊り上げるが、今度は他人の手前、暴発はしなかった。
「そ、そうか……」
荻野春樹はしばらく考えるような素振りを見せた。そして、顔を上げて言う。
「それは、事件ですね。事件なら、先生に報告しなければならないでしょう。これから一緒に先生の所へ行きましょう」
妙に抑揚が少なく、不自然な口調だった。だが、言っていることは特に間違っているとは思えなかったので、香川和裕たちは荻野について行って保健室を出た。
職員室は西階段の脇、奇妙に薄暗い空間にある。
だが、香川和裕たちが行ったのはそちらではなく、校長室の付近にある理事会議室だった。校長室は職員室と打って変わって、適度に光が入るが直接は日差しの来ない、非常に立地条件のいい場所にある。
「リッチの条件だな」
と藤堂湊がよくわからないことを言った。
ここに来るまでに、香川和裕は江原希や芦田佳樹から、さらわれた女子生徒、沖野晴美に関する詳しいことを聞いた。最初は江原から彼女の優しいところや勇敢なところなどを聞かされたが、途中から話は芦田の独演となった。
それによると、沖野晴美というその上級生は、「グリーンアップル」という学生団体の一員だという。学生団体同士の熾烈な抗争はもはや常識と化しているが、それに実際にかかわっている人と出会うのはこれが初めてだった。
沖野晴美は「グリーンアップル」の一員として、かなり危ない橋を渡ってきたらしい。「グリーンアップル」は「プライバシーの維持」を掲げ、ナイルに対して攻撃的な行為を繰り返している。ナイルのダミーのような学生団体「大河」とも激烈な対立を続けている。沖野はその中で、発覚すれば法に触れるような、ハッキングなどの行為を繰り返していたそうだ。
理事会議室は校長室の隣にあり、会議室と名付けてあるだけに相当な広さを持つ。役割も名前通りで、数人いる理事が時々会議をする場所だ。
「普通の先生に言っても始まらないです。直接校長先生や理事に訴えます」
そう言ったが、今度はどう考えても不自然だろうと香川和裕は思った。
他の人も疑問の色を浮かべているが、荻野春樹はそれを無視して無理やり理事会議室の扉を開けようとする。その肩に、手がのせられた。
「ちょっと、なんで理事会議室に?」
先ほどの、倉田という教諭だった。
「先ほど、この学校の生徒が一人行方不明になりました。大変なことなので、直接校長や理事に報告しようと思います」
「そ、そうか。しかし、人ごみに紛れているだけじゃないのかね?」
「いいえ、彼らが見ている前で一瞬のうちに消えました」
「な、なるほど。ではそうしなさい」
そういって倉田はいそいそと背を向けて去っていった。
そして荻野春樹は扉を開ける。
中では、クラークが一人で書類にサインしていた。彼はこの学校の理事である。香川和裕はそのことを初めて知った。
「すみません。この学校の生徒が一人失踪しました」
クラークは、椅子から立ち上がる。
「何。どういうことですか。具体的に教えてください」
「……ここにこの学校の校長がいると聞きましたが?」
「ああ、校長先生は三分前に職員室へ顔を出しに行きました。それで、説明を」
「沖野晴美という高校の生徒が、保健室で、僕の後ろの彼らが目を離した一瞬で、忽然とベッドから姿を消しました」
クラークは手帳のようなものを取り出し、しきりにメモを取る。あたかもその事件に自分が全く関わっていないかのようだ。こういう「汚れ仕事」をする人はここまで演技する必要があるのか?
「なるほど、分かりました。すぐ校長へ連絡します」
クラークはぱたんと音を立てて手帳を閉じた。荻野はどう事態を打開するのか……と香川和裕が思っていると、案外そのままな展開だった。
「――本当は全部知ってるんでしょう?」
荻野は怒りを隠せない様子でクラークを睨んだ。この人間はどうやら芦田佳樹と似たような性格の持ち主らしい、と香川和裕は考える。善悪には過敏に反応し、相手へ徹底的に怒りをぶつける。荻野のほうが忍耐力はあるようだ。
人間としてはそれが正しい反応なのかもしれない。しかし、善悪とは何なのだろうか。良いとは? 悪いとは?
そういうことを考える自分はヒーローなどにはなれないだろう。物語の中のヒーローはたいてい勧善懲悪の人間だ。それがヒーローものの基本だし。香川和裕は目の前の事態も忘れて、そう考えていた。
荻野はクラークへ怒りの波動を音波に変換したような声で言葉をぶつける。
「あなた達が僕たち『グリーンアップル』を目の敵にしているのはもはや常識ですよ。そして『グリーンアップル』の実働部隊たる沖野晴美さんを排除しようと考えた。全部読めてるんです」
香川和裕は、その名詞を認識するのに数秒ほどかかった。確か、結構でかい学生団体の一つだったと思う。自分は学生団体には入らないだろうと決め込んでいたから、すっかり忘れていた。
藤堂湊が、補足の意味も込めてか、その語尾にかぶせて怒鳴った。
「そうだ! 俺たちは見たぞ。こいつが警備員を連れてその女子を囲んで、麻酔銃かなんかでその女子を撃つのをな! それでその女子は眠って、保健室で寝てたのを一瞬でさらわれた。全部分かってんぞ!」
「悪いが、君たちが何を言っているのかよく分かりません。私はあの時職員室にいましたし、周りにはこの学校の先生たちがいましたからアリバイも取れています。何を言い出すんです?」
クラークの嘘のつきようは、いっそ見事なほどだった。どこかの犯人のように「フフフ、どうしてわかった」などとは言わず、徹底的に嘘を通し続ける。あたかもそれが事実であるかのように。
「では、私は急いで校長先生に事を伝えに行かねばなりません。嘘に基づいて相手を非難するような人は、嫌われますよ。でも、もし信用ならないのなら私について行っても構いません」
引き続き意味不明。作者も展開が遅いことを自覚している。展開が進むように一気に投稿しますね。




