第一章 序曲と出演者の登場 3 The Disappearance of One Girl
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そうして二人は再びぶらぶらを開始する。色々な部室を回り、部誌をもらい、旧友と歓談する。この学校は他行と比べてクラス展示に力を入れているようで、そちらの方も回った。よくできている展示もあれば、意味不明な展示もある。
そして、
「おい、文芸部ってすごい奥にあるんだな」
香川和裕は驚いた。藤堂湊もどうやら驚いているらしい。ということは、藤堂自身も文芸部の存在を知らなかったのか。
人が全く寄り付かないような「奥地」にそれはあった。
昔のホラー系アニメに出てきそうな、あちこちの塗装が剥げたドアに、殺風景な文字で「文芸部」と書いてある。一番近くの窓まで三メートルはあるため、その部屋の前には全く光が差さない。その部の弱小ぶりをそのまま空間に体現させたかのようだ。
部室のドアの左側には廊下が続き、窓がある三メートル先で左に折れている。
「ま、まあでもうちの文芸部は同好会扱いだから、古びても部として扱われているのはいいことなのかも」
お慰めを言ってみたが、その場所の暗さは変化しない。
「おい、文芸部員って何人いる?」
「知らねえよ」
その時、文芸部のさらに奥にある廊下に、磁器の割れたような甲高い音が響いた。
「行ってみようぜ」
二人の好奇心の共有には、その一言だけで済んだ。香川和裕と藤堂湊は、床を蹴ると音の方向へ走り出した。
「どうしました? まだ三人もいるのですよ?」
その声を聴いて、二人は走るのをやめ、壁の陰からそっと先を覗く。
そこで見た光景に、二人は愕然とした。
実際にあり得る光景ではある。だが、それは彼らが認識する「現実」――一般的には「日常」と呼ぶ――からあまりにもかけ離れていたからだ。
頑丈そうな警備員の男が、三人がかりで、先輩らしい女子を囲んでいる。のだが。
女子のほうがなぜか強そうに見える。よく見ると四人目がいて、割れた花瓶の破片を枕に気絶していた。
運動系の女子ではない。暴君タイプの不良でもない。どちらかというとお嬢様という形容が似合う容姿で、整った顔に艶麗な笑みを浮かべている。
その手には、花瓶の口の部分と、中に入っていた花が握られていた。香川和裕が、それを見て憧れより恐怖を感じたのは、無意識の範疇でのことである。
不意に風切り音。実際には音と感知できないほどの微小な振動だった。
それが起こした変化は劇的だった。女子の表情が消え、足から力が抜け、床に崩れ落ちる。香川和裕たちは唖然としてみているしかなかった。
よく見ると、彼女の首に縫い針のようなものが刺さっている。昔からSFで使われているニードル・ガンである。この時代には現実のものとなっていたが、それを使うのは大企業や軍関連のごく一部の人間だった。針自体が麻酔薬となっている設定の物語もあるが、この場合は金属製の針の先に強力な麻酔薬が塗ってある。それを首筋に放つことで効果的に眠らせることができるのだ。
男たちはやれやれと言わんばかりに彼女を持ち上げ、また、気絶している一人を起こしにかかる。だが、それらが完了する前に道の先から長身の男が歩いてきた。
クラークである。
「さっさと移送してください。それから――出てきなさい」
そう言って、廊下の壁の陰を見据えた。
香川和裕たちは、背筋を凍らせたが、それだけでひるむ彼らではない。逆に壁の陰から堂々と相手に姿を現した。
「ちょっとすみません、どういうことですか? 女性を誘拐しようとしているようにしか見えませんでしたが」
「なるほど。そう見たのですね」
「え、ええ」
「では、あなた方は見ただけなのですか?」
クラークが冷ややかな声で問う。本来の香川和裕たちの問いの答えではない、いわば脇道にそれた形だが、その脇道はきちんと舗装され、その上に戦車を載せていたのである。
「自分から出ていって何かを為そうと、具体的にそれを止めようとはしなかったのですね。ただ見ていただけと。そのような輩が一番、ええと、うざいのです。そういう人は単なるやじ馬、世界という盤上の虫、駒をかき乱すことしかしないのです。若いのだし、覚えておきなさい」
本来ならば追及すべき相手に説教をしてもらった形となった。香川和裕たちは出鼻をくじかれた。だが、香川和裕は追及を続ける。
「はい、確かに俺たちは何もできない、単なる傍観者でした。しかし、それにかかわらずあなたのしている行為は怪しかったです。事情を説明していただけるとありがたいのですが」
強引に本題へ戻す。
「フン、虫けらに教える事情など存在しません。あなた方は忘れればいいのです」
クラークも頑として教えようとしない。
「ぜひ教えていただきたいです。犯罪の可能性もありますし」
クラークの答えは無言だった。黙って踵を返し、この暗い廊下から出て文化祭の喧騒に紛れようとした。
だが、その前からまた生徒がやってきた。
「すいません、沖野晴美先輩を知りませんか?」
*
梶原涼子は、一人で校舎の廊下を歩いていた。制服を着ずにである。
開和学園の女子の制服は、赤を基調としたスカートに、白のブラウス、その胸元にリボンかネクタイをつける。正確に言うと、普段はリボンでもいいが、卒業式や入学式など正式な場ではネクタイを着用しなければならないことになっている。九月なので、その上にベストかセーターかブレザーを着用する。
文化祭の日に制服を着なかったのは彼女の自由意志……ではない。
彼女の加入した組織「大河」の意志である。
ビッグリバーとは、「行動を起こしたい」または「行動を起こした」青少年によって構成される団体である。十代や二十代の発明家、環境運動家、起業家、平和運動家などの多くが加入しており、世界的にも名の知られた存在でいる。その名称は、巨大文明と呼ばれる文明の多くが大河の下で育まれた、という歴史に由来する。
ただし、「大河」について語るべきより重要なことは別にある。
彼らが、四大企業の一つであるナイルに従属する形となっており、ナイルの意向に従って公にはできないような様々な仕事を行ってきたという事実である。
このような学生団体は「混乱期」に大量に作られ、だんだんと消滅、吸収、合併を繰り返して減少した。それらの中でも「大河」は大きな勢力となっている。
そのメンバーである梶原涼子は、今、ゆっくりと校舎を歩いている。
文化祭であるにもかかわらず、校舎には液化したかのような漫然とした空気が立ち込めていた。
梶原涼子にもむろん友達はいる。問題なのはその数であり、他と比べてあまり多くはなかった。「男子ども」には性格が悪いだのメギツネだのミーアキャットだのと、さんざん言われてきた。
その彼女に、声をかけてくる者がいる。女子で、名を江原希といった。梶原涼子の友人の中でも特に親しい相手で、さらに社交的な人物でもあったから、梶原涼子と、彼女と親しくない生徒たちとの、パイプのような役割にもなっている。
フワフワしていて、明るい色の髪――染めたわけではない――と、同じ色の目を持っている。髪は肩の上で切っており、オレンジ色のカチューシャをつけている。
二人は軽い挨拶を交わすと、吹き抜けの四階にある連絡通路を、そろって歩き始めた。手すりは真新しく、床は爽やかな空色に統一されている。吹き抜けの向こう側にあるガラスから昼下がりの陽光が差し込んできて、爽やかさが倍増していた。香川和裕が見れば「さすがカネモチ学校、うらやましい」とでも言っただろうか。
話題はいつしか、彼女らの部活のこととなった。
「先輩、まだ来ないねえ」
江原希が言ったのは、書道部の先輩、沖野晴美のことである。文化祭の午前の受付当番であるのに、部室にも全く顔を見せない。
教師に聞いても事情がよくわからないとしか伝えられず、沖野晴美の存在を忘却してしまったかのようにそっけない。江原希は、不安と疑惑の黒雲が心の地平線から湧き上がるのを感じた。
沖野晴美は、責任感と、責任を果たすだけの処理能力に富み、後輩たちからは慕われていた。時には先生たちと衝突することもあったが、その行動力は一定の評価を得ていた。
「沖野先輩ねえ……ほんと不思議。何があったんだろう」
「SF小説とかだと、人類を支配しようとする異星人の陰謀だったりするんだけどね。現実にはそんなこと、あるわけないじゃん」
校舎のかなり奥まで来てしまったらしく、大吹き抜けは視界から消えていた。周りも解放的な連絡通路より数段暗くなっている。
別にそこに秘密の地下室があるとかではなく、普通に書道部の部室がある。
書道部はそこそこ人気であり、部員も多く部屋も広い。なのに、部室の立地だけが悪いのだ。梶原涼子ら書道部員は常に不思議に思っている。
「ねー涼子、もう聞いた? 昨日くらいにこの辺にUFOが落ちたっていうあれ」
「ま、まさかあ。UFOなんて非現実的すぎるよ」
ネットで話題になってはいるのだ。しかしそういった話はたいてい噂だけというのが昔からのお決まりだ。いちいち反応するわけがない。
「でも、もしそれが本当だとしたらちょっと面白いなー。SF映画みたいじゃない」
「それはそうだね。……そうだといいな」
梶原涼子は窓の外を見た。
日常は平穏だ。それが、最善の状況でもある。五年前などは動乱期で、毎日が大変だったようだが、あまりよく覚えていない。
地球連合が成立して三年がたち、治安や経済もある程度回復していた。
でも、心のどこかに、乱世に生まれて思い切り活躍してみたいという気持ちが残っている。あるいはそれは、人類の皆が持つ、混沌への願望なのかもしれない。だが、同時に人間は秩序への願望も持ち合わせている。なぜならそれが、生活していくうえで一番楽で、安全な状態だからだ。
二人は、ゆっくりと部室の扉を開いた。
梶原涼子は伸びをした。彼女は午後の受け付け当番だ。部室にはあまり人が来ない。
「立地のせいか……」
そう言ってから軽く欠伸をする。
すると、部室のドアが開いた。内気そうな上級生の顔が現れる。
「あの、沖野晴美さん、いるかな」
「誰です?」
少々ぶしつけに江原希がたずねた。
「ああ、コンピュータ研究部の部長だ。名前は芦田佳樹。午後は彼女と回るつもりだったんだけど、待ち合わせ場所にいまだに見せないんだが……」
そういえば、沖野晴美はコンピュータ研にも所属していた。
「はい。こちらにも来ておりません。彼女のクラスにも確認を取りましたが、朝の点呼にもいなかったそうでございます」
今度は書道部の部長が答えた。常に敬語を使うのが特徴の先輩だ。コンピ研部長のクラスメートらしい。
「ううむ、任務、か?」
コンピ研部長が本当にぽつりとつぶやいた。だが、書道部部長はどんな音でも聞き逃さない特技を持っていた。
「な、何の、です?」
コンピ研部長は少し面食らったような表情をしたが、それでも話した。
「沖野晴美は学生団体『グリーンアップル』のメンバーなんだよ。世界最大の支配力を持ち、最近うちの学校のスポンサーになったナイルと、ことあるごとに対立しているところさ」
梶原涼子もそのようなことを聞いたことはある。そして、ナイルと対立している団体はもれなく「大河」とも対立している。
端末にあった「警告」が脳裏をよぎる。
ナイルは世界支配を進めている。それは秘密を超え、事実となり、常識と化した。
当然、それに反抗するものは叩かれる。そして今、沖野晴美が叩かれた可能性が浮き出した。
梶原涼子は、そうだったとしてもこの一件については傍観を決めようと思った。
自分はあくまでも「大河」に所属し、人類の発展に貢献しなければならない。犠牲が出たとしてもそれは自分の知るところではない。戦乱に倦み疲れた人類を、統一的で効率的な支配によって救済できればそれでいい。自分は。そのための部品だ。だったのだが。
「ええっ! そんなことが関わっていたんですか?」
暗めの気分になっていた梶原涼子の横で、ハスキーな声が上がった。ふわふわ女子・江原希だ。こんなところで大声を出さなくてもいいのに、と梶原涼子は内心思う。
「ああ、そうと決まったわけじゃないけどね。でも、俺はその団体が絡んでいると思ってる」
そのコンピ研部長は、容貌に似合わないややぎこちない笑みを浮かべた。
その時、部室にいた一人が発言した。
「あ、あのー、あたし、さっき先輩を見かけたんですが……」
「え?」
「見間違いではないのですか?」
「いえ、ついさっき、一時頃に、正面から、至近距離で見ました。あれは確かに先輩でした。声をかけようと思ったんですが、さっさと通り過ぎてしまいました」
「それはどの辺?」
梶原涼子が聞く。
「はい、この近くでしたが……部室にはいらっしゃってないんですか?」
「いいえ、私はずっとここにいましたが、一回もいらっしゃっておりません」
さすが部長、ずっとここにいたのか、と考えながらも、ほかの人たちの言うことを聞く。それによると、ほかにも二、三人彼女を目撃した部員がいた。
出た情報を脳内でまとめる。沖野晴美はクラスごとの朝の点呼には参加していない。それから当番であるにもかかわらず部室に顔を出さなかった。一方で九時、十時半、一時に目撃されている。場所はそれぞれテニスコート裏、応接室前の廊下、そして書道部室前の廊下である。
「なるほどね。晴美はいったい何をしたいんだろう……」
梶原涼子は怪訝そうな顔をした。
「今、先輩のこと下の名前で呼びませんでした?」
「うぐっ!」
芦田佳樹は一気に顔を紅潮させた。表情が幼くなる。目をうようよと泳がせながらしどろもどろに答えた。
「え、ええと、その、分かるだろ。お、おなじみの展開じゃないか。ほら、ええと、俺、は、晴美の、か、彼氏? み、みたいなもの? なんだよ、よ」
「へえー。先輩に彼氏がいたんですねー。驚きです」
「そ、そうすか。じゃあ、俺はまた探すことにする。見つかったら伝えに行くよ」
そう言って芦田佳樹は部室から出ていく。
ほんのりと橙色になりかけた陽光が、小さめの窓から入り込み、部室を徐々に満たしていった。
二秒ほど、静寂が続いた。
「――あああ……おい、こっちで晴美の付けてたストラップが見つかったぞ!」
というわけで三話まで一気に!
面白いかどうかはあなたの判断ですが。
どうか、面白くあってくれますように。




