最終章・幸せ-01
姫巫女・シドニアは、長太刀・滅鬼の刃を突き出すように、鍔の真下にある柄を両手でしっかりと握り、自身の下腹部近くで構えた。
それと共に、残り四刃となった偽りの名有り達が、一斉に駆ける。
まず襲いかかったのは、姫巫女・シドニアよりも三分の一以上も大きな巨躯を有する、斬鬼・偽である。
彼はいつの間にか有していた斬馬刀を握りしめると、そのまま彼女の体を両断するべく、真横へと勢いよく振り抜いた。
しかし、姫巫女・シドニアは刃の軌道を正確に認識すると、一瞬の内に飛び上がり、彼が振るった刃の面に、草履を履いた足で着地し、強く蹴り付ける事で、より高く舞い上がった。
飛び上がり、滞空し、やがて落ちる体。
しかし、その全てが自分のものでないような感覚。
男性であったはずの自分が女性の肉体へと変貌し、ましてこれまで存在しなかった虚力というエネルギーを戦闘能力へと変化させる存在へとなったのだから、当たり前かと笑いながら、彼女は別の名有りへと、滅鬼の刃を勢いよく叩きつけようと、上段から振り込んだ。
しかし、彼――豪鬼・偽が刃へ向けて勢いよく腕を振るうと、姫巫女・シドニアの体が突如勢いよく地面へと向けて引っ張られていく感覚に襲われた。
豪鬼・偽の能力……重力操作によって、勢いよく地面へ落ちた姫巫女・シドニア。だが、彼女は両足でしっかり着地することに成功すると、全身より溢れる虚力を、一斉に放出した。
「ハァ――ッ!」
叫びと共に放出させる虚力によって、豪鬼・偽が展開した重力操作はかき消され、効力を失う。
彼女は体が自由になったタイミングで、ギョッと驚きを表現している豪鬼・偽を再び斬る為、刃を横薙ぎで振り込んだ。
しかし、それを防いだのは、姫巫女・シドニアの手首、刃を振るう手首へいつの間にか近づいていた、暗鬼・偽である。
暗鬼・偽はシドニアの手首を持ち上げる事で、刃の軌道をズラし、豪鬼・偽への攻撃を空振りさせることに成功すると、そのまま彼女の顔面を殴りつける。
だが、姫巫女・シドニアは殴られた勢いによって足を滑らせながらも、傷一つない顔面を撫でるように触れた後、笑う。
「まさか、二度も貴様を斬ることになるとはな――暗鬼」
名を呼ばれただけで、暗鬼・偽の背筋に、冷たい殺気のようなものが伝播した。
暗鬼・偽の不安を予期したように、姫巫女・シドニアと暗鬼・偽の間へ立ち塞がる、豪鬼・偽と斬鬼・偽。
だが、彼らが認識する速度を――遥かに超える速度で、姫巫女・シドニアは、地面を強く蹴り付け、二人の男の間を抜け、暗鬼・偽の背後を取った。
「っ、――!」
餓鬼・偽と同様に。
暗鬼・偽は、言葉を漏らす事はなかった。
しかし、僅かに空気が漏れたような音が口から漏れた次の瞬間、暗鬼・偽の背中から刃が勢いよく差し込まれ、そのまま刃を横へ振り切った。
まさに音速のような突きと、横薙ぎ。それによって暗鬼・偽は黒い影を拡散させて消え去っていく。
瞬く間に、二体の名有りを屠った、姫巫女・シドニア。
彼女は暗鬼・偽を斬ったと同時に、今度はどちらを斬るべきかを思考する事なく動こうとした所で――足元に強大な虚力を感じ、地面を蹴り付けながらバック転。
先ほどまで姫巫女・シドニアがいた地面から、無数の布のようなものが飛び出した。
それを寸での所で避けることに成功した姫巫女・シドニアは、カルファス・エイトを守るように立ち塞がる母体……愚母・偽へと殺意の視線を送る。
「貴様の事はよく知らんし、貴様があの愚母ではないと理解もしている。――だが、多くの民が貴様の采配によって失われたのだ。その贖罪を、貴様にしてもらおうじゃないか」
彼女の怒りが込められた言葉と共に、愚母・偽が背部からおよそ三十本近い侵食布を稼働させ、全てを姫巫女・シドニアへ向けて襲わせた。
侵食布は、虚力が内包されているモノ以外で触れるものを切断し、切断面から神経や細胞を破壊していくと聞き及んでいる。
虚力操作と放出に長けたリンナであれば、襲いかかる侵食布の全てを虚力放出によって弾き飛ばしたのだろうが、姫巫女・シドニアではそこまで精密な虚力コントロールもできなければ、虚力も無尽蔵というわけでもないので、そうもいかない。
だから――彼女が選んだ選択は、全ての侵食布を一瞬の内に斬り落とす事。
斬鬼・偽と、暗鬼・偽、そして愚母・偽にも、姫巫女・シドニアの振るった刃は一振り、横一閃だと認識したかもしれない。
しかし、それは違う。
――彼女が刃を振るった回数は、三十五。
その動きがあまりにも素早く、一瞬の内に行われたが故に、一振りだけがゆっくりと彼女達に識別されたのだ。
その三十五振りの刃により、全ての侵食布が叩っ斬られ、愚母・偽だけでなく、斬鬼・偽も暗鬼・偽も、一斉に攻撃を開始した。
再生した侵食布十七本、斬鬼・偽の振るう斬馬刀、豪鬼・偽の繰り出す急所を狙った拳での攻撃。
だが、姫巫女・シドニアは、三者の攻撃を全て見切った上で、その両足を素早く動かし、全ての攻撃を避け切った。
「攻撃が当たらない事を、恥じる必要はないよ。なぜなら今の私は――最速の姫巫女と断言しても相違ない存在なのだからな」
一瞬の内に、姫巫女・シドニアが鞘へ滅鬼の刃を収め、腰を地面に接するのではないかと言わんばかりに、屈める。
しかしそれは、戦闘終了の合図ではない。
むしろ――これから彼女が終わらせるのだ。
居合。
素早く刀を抜き、振るう事によって、敵を斬る剣技。
姫巫女・シドニアが繰り出したのは、ただそれだけの技である。
しかし今の彼女が有する、虚力による身体能力強化、魔術師としての身体強化、加えてシドニアが普段より得意とする高速戦闘技術、この三つが合わさる事により――姫巫女・シドニアによる居合の最高速度は、およそマッハ1.7にも及んだ。
振り切った風切り音を、置き去りにした一閃。
それによって、三体の災いは自身が斬られた事に気付くこともないまま……追いついた風切り音と共に、その体を四散させ、消滅していくのであった。




