生きる意味-07
クアンタにもサーニスにも、アメリアが生きていると感じている等と言えずに心中でモヤモヤとした心を宿すリンナは、火所に再び灯り始める炎を見据えた。
餓鬼の気配は消えない。だが、その気配は既に、彼女がこれまで放ってきていた邪悪なものではなく――むしろ今は、悩んでいるようにも感じられた。
「……何なんだろ、コレ。相手の感情が、手に取る様に分かる」
一応、先ほどサーニスと相対した時に感じてみたが、男性が相手だと虚力総量が少ない為か、細やかな感情を読み取る事は難しかった。
小さな胸に手を当てて目を閉じ、周りの気配を探索するように気を張る。
すると、工房の隅――影に隠れて見えにくい場所で、一人の男がしかめ面を浮かべながら、申し訳なさそうに姿を出す光景が、脳裏に浮かんだ。
「何の用さ、親父」
「……わかっちまうか」
髪の毛を掻きながら、火所の炎に熱される二者は、しかし多くの汗をかかない。
二者はこの炎の前で、多くの鋼を溶解させ、それを一つの刃へと作り替えて来た、刀匠である。
男――刀匠・ガルラは、台の上に残されていた芯鉄となる鋼の塊を見据え、その洗礼されながらも、まだ如何に形を変貌させることが出来る可能性そのものというべきそれを見据え「吹っ切れたようだな」とだけ、言葉にした。
「……何か、言う事があんじゃねェの?」
「アメリア様の事なら、謝る気はねェ。……餓鬼ちゃんは、自分にできる事をちゃんとやったんだ。災いとしちゃ、あの子はあれで正しいんだ」
「その正しさの果てに、何があったのさ。ただあの子が心を壊しただけでしょ」
自分が今、何を口にしたか、リンナは口にしながら心に自問したが、しかし言葉は止まらず、彼女はガルラの胸倉を掴んだ。
「あの子は、生きる理由を、戦う理由を自分で見つけることが出来ない事に、心の底で苦しんでたんだっ! それを、アンタは分かってたはずだ! なのに……なのにどうして……それを導いてやらなかったの!?」
娘の嘆きを聞き、ガルラは彼女の肩を掴みながら引きはがすが、その瞳に涙が溜まっている事を察すると、ガルラも堪えることが出来ぬと言わんばかりに、細々とした言葉を呟き始める。
「やっぱり、オメェは……分かるンだな」
「何でか……わかんねェよ……わかんねェケド、相手の感情が、アタシの肌をピリピリと刺激すんだ。怖いくらい、分かっちまうんだ……っ」
「それは、姫巫女の一族が覚えるべき、災いを探知する機能の発展形だ。相手の虚力を感知する事に優れた直感が、優れ過ぎてしまった結果……相手の感情までを読み取れるようになっちまう」
元々、リンナの共感する力というのは、姫巫女の一族が有するそうした直感力から来るものであった。
相手の感情を読み、感情に込められた意味を悟り、共に笑う事も、共に泣く事も、共に怒る事も出来る。
戦いを経て、彼女は戦場でその直感力をより高めていった。
戦場に立つ者だけが分かる、戦いを経験する事で感じる事の出来る感情の動向、その一筋を瞬時に把握する力と、彼女の感情を読み取る能力が加われば――相手の虚力から感情を読み取る事など、容易い事だ。
「餓鬼ちゃんは……オメェに似てた。生きる理由を、他者に委ねる事でしか、生きる事の出来ない子供らしさ……その嘆きを、かつてオメェがオレへ叫んだように……あの子はオレに叫んだんだ。それを、オレが止める事なんか、出来る筈もねェ」
本当にガルラの言葉なのかを疑いたくなる程に――彼の言葉は、弱弱しかった。
「ルワンも……オメェの母ちゃんもそうだった。感情を有する名有りの災いと相対する度に、アイツは泣いた。『もっといい方法があったんじゃないか』と……『あの子達にも生きる理由があった』と、戦いを終えて、無念を遺して消えゆく者たちへ、涙を流し、怒りを叫んだ……オメェとシドニア様は、ホントに……ルワンとそっくりだ……その嘆き方が」
名有りの災いには、その膨大な虚力を有するが故に感情がある。
そしてその感情は、時として彼らの使命に関する感情さえも揺らめかせ――しかし、人の虚力を食らう事でしか生き永らえる事の出来ない災い達は、生きる為に人の感情を喰らうのだ。
「リンナ、オレがオメェに言った事を、覚えているか……『男だから、女を守る立場で居られなかった。ただ見ている事しか出来なかった。それが堪らなく辛い事だって思ったよ』……ってな」
リンナの幼い体をギュッと抱きしめたガルラは、その瞳に溜め込んだ涙を、ボロボロと流し始める。
漢泣き。
その大粒の涙を頬に受け――リンナは、父の表情にその時、初めて涙を流す。
「オレはただあの時、人間を守りたかっただけなんだ。災いなんつー存在が、どうしてあるのか。名有りなんて存在が、どうして感情なんて難儀なモンを得る様になっちまったのか……それを考える事もせず……いや、考える事を放棄して、ただルワンっていう女を守りたかったから、刀を打ち続けた」
後悔の懺悔、それはリンナに向けられたものではない。
恐らくそれは、リンナの中にある、ルワンの面影に向けての言葉。
――そうした言葉の節々から、どれだけガルラという男が、ルワンという一人の女性を愛していたかを感じせる、熱さがあった。
「オレはな、オメェに戦ってほしくなかったんだ……オメェには、ルワンのような辛さを味わってほしくなかった……そんな風に、他者の想いを感じ取れる……誰かの幸せだけじゃなく、誰かの苦痛でさえも理解できちまうような、そんな難儀な能力なんか芽生えて欲しくなんざ無かった……ッ! だから……お前を、戦いから遠ざけようとしたんだ……っ」
リンナが大きくなった頃から、ミクニ・バーンシュタインという男は聖堂教会の再編を行える力を得ていった。
この世に残り一人、姫巫女の一族であるリンナを手にし、彼女に、彼女の子に、彼女の孫にと、戦いを強制しようとするミクニという男の生存を知ったから、ガルラは聖堂教会を潰す為に、ガルラを恨むミクニに殺されたフリをして、多くの聖堂教会シンパを潰していった。
そうして彼女が戦いなど知らぬ、ただ一人の女の子としての幸せを歩めていけるのならばと、願った。
クアンタという、リンナの幸せを隣で願ってくれる、マリルリンデと同じ存在が現れてくれた事で、よりリンナは幸せに近付けた。
――けれど結局、リンナは姫巫女としての力を芽生えさせてしまった。
――戦う事を選んでしまった。
――かつてのルワンと同じく、感情を叫び、刀を振るい、敵と戦う事で、つぼみ程度の力しかなかった、感情を読み取る力の開花にまで、こうして至ってしまった。
「餓鬼ちゃんも、アメリア様も……オレが殺したようなもんだ」
けれど、それを決して――ガルラは後悔などしないと、リンナの小さな体を強く、強く抱きしめながら、想いを叫ぶ。
「だが、オレはもう止まらねェ。オメェの為に……大切な、本当に大切な、オレの娘が、幸せに暮らしていける、新しい世界を作る……その為に必要な犠牲は、全てオレが背負う……だから、オメェはもう……戦い、悩み、他者の辛さを感じる必要なんざねェ……ただ、刀を打ってろ……クアンタっつー娘っ子と、幸せに暮らせ……それが、オレが何よりも、……オメェに抱く、生きていて欲しい理由だ」
父の願いに、嘘偽りがない事は、感情を読み取る事も必要ない程に……言葉から読み取れた。
潤んだ瞳から流れる涙がガルラの小袖を濡らすけれど、しかし火所の熱によって、それはすぐに乾いていく。
「……親父……いや、父ちゃん」
幼い頃、彼女が父を呼ぶ時の言葉を。
リンナは口にする。
「アタシは……誰かが傷ついているって気付いた時に……そっぽ向いて、誰かに助けを求める事しか出来ないような……弱い女になりたかったワケじゃない」
「リンナ」
「アタシは、父ちゃんみたいに、誰かの幸せを、より大きくしてあげられる人になりたかったんだ。刀を愛してくれる人に、最高の一刀と出会って欲しいって願いを、その想いを槌に乗せ、振り下ろし、込める……そんな父ちゃんの、大きな背中に……アタシは憧れたんだ……っ」
「リンナ……っ!」
ガルラの大きな胸板を突き飛ばし、距離を取る。
その距離は――敵同士の取るべき、戦いの距離。
今、二者は刃を抜く気はないけれど。
それでも――今の二人は、敵同士なのだ。
人類を救う為に戦う者と。
たった一人の娘を助ける為にバカを仕出かした、愚かな父。
「クアンタは……この世界に来る事で、アタシたちと一緒にいる事で、優しい願いを……『皆の願いや感情を守る、魔法少女でありたい』と、願いを手にした……っ!」
彼女の叫びは、ガルラの心を揺らす。
「だからアタシは、そんなクアンタの為に刀を作る……そして、あの子の隣で、戦い続ける……皆を不幸にする災厄を取っ払って、皆の辛さを分かち合って半分にしてあげて、皆の笑顔を何倍にでも増やして、皆に幸せを届けられる……
そんな――【災滅の魔法少女・リンナ】になったんだッ!!」
たった四年。
数百の時を過ごすガルラにとっては短い月日を過ごしたリンナが、いつの間にか――ガルラの手が届かない場所に、辿り着いていた。
それを今この時――ガルラは実感した。
「……そうか」
だらりと、彼女へと伸ばし続けていた腕を下ろして、ガルラは涙を拭い、手の甲に残る雫は火所へ投げ放ち、蒸発させる。
「なら、次に会う時は……」
「アタシが……アンタを止める……っ」
言葉に出来る願いは叫んだ。
言葉に出来ない、心に宿す願いは――戦いを経て気付けばいい。
リンナとガルラはそう定め、互いに視線と視線を外し、リンナは槌を掴み、ガルラは消えた。
「お師匠? 誰かと話していただろうか?」
彼女の声を聴いたからか、クアンタが工房へと顔を出した。
「……ううん、何でもないよッ」
笑顔を浮かべるリンナの頬に、涙の痕があったけれど。
クアンタはその涙の理由を、特に聞く事は無かった。
(……火所が近くにあって、良かった)
涙を乾かすには、この場所が何より最適であるのだと、リンナは知っている。
彼女は幼い頃から――涙を流す時、ここで父の背中にもたれながら、涙を流していたのだから。




