神霊-09
数秒程、考えるように顎へ手を当てたイルメールだったが、彼女はアルハットへと近づき、彼女をパワーへと突き出した。
『さっきの様子を見る限りだと、アルハットが一番適任だろ』
『わ、私ですかイルメール姉さま!?』
『アァ。オメェは真面目だし、頭いいし、カルファスに劣るとはいえ、魔術もちゃんと勉強してる。力の使い方も、ウチの姉弟じゃ一番まともな使い方だよ』
至らぬ所は多いが、しかしそうした所も含めて、他人の弱さに寄り添え、そして魔術の素養もあるアルハットが適任だと推したイルメールの言葉に、パワーも〈うんっ〉と頷いた。
〈アルハットちゃんならボクも良いと思う。ちょっと自分に対して自信がない所はあるけれど、そうした謙遜もまた、君の力だ〉
『……私は、姉さま方やシドニア兄さまに助けてもらってばかりで、大した事なんて』
〈いいかい、アルハットちゃん。力というのは強いだけではなく、他者より劣っていても尚、その在り様を知っている事だって重要なんだ。君のように目的を叶える為に力を正しく使おうとする考え方は、ボクも前から好きだったんだよ?〉
アルハットの頭を撫でようと必死に手を伸ばしながらも、彼女は実体を持っているわけではない。だから決して触れる事は出来ないけれど――アルハットは、どこかそうして褒められた事が嬉しかったのか、頬を赤めて、コクンと頷く。
『……未熟者だけれど、私にできる事なら、するわ。何をすればいいの?』
〈泉の力を求める人間が訪れた時、与えても良いかどうかを選別するのが君のお仕事だよ。君が許可を出さない限り、泉は真の力を発揮する事は出来ないから〉
『……じゃあ、まずはカルファス姉さまは選別外にしておきましょう』
〈あー、ボクもそれが良いと思うよぉ。さっきは相当ヤバめだったしねぇ〉
アルハットに向けて指をチョンと付けるようにしたパワー。決して彼女に触れていない筈だが、その接触した部分……アルハットの下腹部近くに、小さな紋様にも似た痣が浮かび上がり、リンナはそれを見て(えっちだ……)と顔を赤くしながら頷いた。
〈じゃ、ここの管理は君に任せたよアルハット。ボクは普段別の泉も管理してるから、人間に任せる事が出来ると楽だ! あーあ。地球みたいに全部の泉を人間に任せたいんだけどなァ〉
『そういえば、先ほどカルファスが地球に四つの泉があると言っていたが』
〈あ、クアンタちゃんは元々地球行きのフォーリナーなんだっけ? 大変だね君も。こんな地球と異なる断層世界に送り込まれて〉
『地球と異なる、断層世界……?』
パワーが何を言っているのか、それが気になったクアンタ。だがそこでヤエがゴホンとわざとらしく咳を出し、パワーも〈あっ〉と口元を押さえる。
〈わ、忘れてくれたまえクアンタちゃん! 大丈夫、何でもないよー?〉
『嘘くさっ』
〈り、リンナちゃんなんて事を神さまに言うんだい? ボクは神さまなんだよ? 崇め奉れーっ〉
何はともあれ、ヤエと口裏を合わせようとしているという事は、パワーからこれ以上聞き出そうとしても、彼女は何も言わないだろうとしたクアンタは、そこで諦めて頷いた。
『……あの、所でヤエさん、一ついい?』
『? ああ。どうしたアルハット』
アルハットは、少し心配そうな表情で自身の背負う酸素ボンベを軽く叩く。
『その、そろそろ酸素量も少なくなってきたのだけれど……あの海底トンネルを泳いで戻るの? 流石にそれは持たないわ』
「あ」
忘れてた、と言わんばかりに表情を青ざめさせたヤエに、イルメールを除く一同も同様に表情を青くする。
『……まさかヤエさん』
『神さま、もしや帰りを想定していなかったというわけじゃないだろうな』
「ままままままさかそんな、か、神さまに限って、私がそんな、初歩て、的なミスをす、する筈がない、じゃまいか」
『神さまスッゲー動揺してるのはアタシでも分かる!』
『んー……でもなんか、さっきから涼しい風を感じるンだよなァ』
そんな動揺する面々を放り、イルメールだけが肌に触れる空気の感触を確かめるかのように、辺りを見渡している。
イルメールはそこで、人差し指の先端に唾液を付けて、ピンと伸ばす。
どこからか、空気の流れを感じる。指に当たる空気の角度を確認して、空気が流れてきている方向を見据えると、僅かに洞窟の壁に亀裂があり、そこから空気が流れてきている事を確認した。
『よし、これなら――!』
洞窟全体を破壊しないように、加減した力を込めて、右腕を壁に突きつける。
壁はそう大した厚さではなく、亀裂から僅かに音を立てて崩れていき、最後には人ひとりが通れる程の小さな穴を作り出した。
穴の奥までは流石に暗くて視認できないが、しかし空気の流れがある事から、外へと繋がっている事は確かであろう。
『おーい、こッから外出られるんじャねェの?』
「ほほほ、ほら、イルメールは私の試練をクリアして出口を見つけ出したんだゾ!? 私はそこまで見越してここに連れて来たんだゾ!?」
「絶対嘘ね。……まぁ、ただ外へと繋がる海以外の通路があるなら、そこから霊子を通せるから、霊子移動もできるわね」
イルメールが開けた穴のおかげで空気もしっかりと入ってくるようになった結果、マウスピースを口から外し、ようやく普通に喋る事の出来るようになった。
霊子端末を取り出して、霊子移動が出来るかどうか、そもそも現在いる場所がどこかを確認しようとしたアルハットは、現在位置を認識してギョッとする。
「……ここ、カルファス・ファルム魔術学院の真下ね」
「アルハットが管理者になって良かったな。アイツが自由に使える泉が真下にあったら、カルファスは穴開けて生徒たちを連れ込んでたぞ」
何にせよ問題無く霊子移動が出来るようになっている事を確認したアルハットが、パワーを除く全員を、一度アメリア領営病院にまで転移させようとした、その時。
〈あ、ヤエちゃん。帰る前に一ついいかい?〉
「どうした、パワー」
〈昨日、ガルラくんがここに来たんだ。なんの事かは分からないけれど……『そろそろ動かなきゃなるめぇ』って言ってたよ。一応伝えとこうと思って〉
パワーが何気ない世間話をするかのように言い放った言葉。
しかしその言葉は、リンナやクアンタ、アルハットだけでなく――ヤエですら、目を見開いて、パワーへと詰め寄った。
「……パワー、今何と言った!?」
〈え、だから昨日、ガルラくんがここに来たんだってば〉
なんでそれほどまでに慌てるのだと言わんばかりに首を傾げ、リンナやクアンタにも視線を向けるパワー。
彼女が言うガルラとは……リンナの義父であり、既に個人である筈の、ガルラでいいのだろうか。
「……想定外にも程がある……ッ!!」
口元を押さえ、表情を青くするヤエがアルハットの手を掴み、余裕がなさそうに叫ぶ。
「アルハット、今すぐアメリア領営病院に帰るぞ!」
「何が、何が起こってるのヤエさん……!?」
「私にも分からんのだっ! ただ分かっている事は……ガルラはこのままだと、何を仕出かすか分かったものじゃないという事だけだ……!」
落ち着く暇もないと、そう言わんばかりに叫ぶヤエに圧される形で、霊子転移の準備を始めるアルハット。
しかし、一人だけ呆然としたまま、ヤエの言葉を、パワーの言葉を、受け止めきれていない人物が、一人。
「親父……?」
既に死んでいるものと受け止め、四年の年月を生きてきたリンナの耳に届いた、ガルラという義父の名前。
その名が、今後どのように動くのか――その時の彼女たちには、誰も分からなかった。
**
アメリア領営病院の死体安置所は、死体の腐敗を抑える為に低温状態を保たれている。
既に二十分程の時間を安置所で過ごしていたシドニアは、随分と自分の身体が冷えている事を認識しつつも、もう少しだけ、もう少しだけ、と――目の前で安らかな表情で横たわる、一人の女性と共に居たいと、微笑んだ。
ルワン・トレーシー。シドニアの母であり、リンナの母でもある、特異で激動の人生を歩んだと言っても良い、美しい女性である。
「母さん、また来ます。……次は、リンナと一緒に来ようと思いますので、その時に色々とお話をしましょう」
まだ少し痛む胸元を押さえながらも立ち上がり、安置所から出ていこうとした所で、ドアをノックする音が。
「? ワネットか」
『吾輩じゃシドニア。入るぞい』
声は、シドニアの姉であり、アメリア領を統べる領主である、アメリアの声だった。
彼女は護衛であるサーニスを連れて入室し、冷える安置所でも尚メラメラと怒りの炎を燃やすように、頬をヒクヒクとさせている。
「シドニアぁ、リンナとクアンタが未だ戻っとらんのじゃが? じゃが??」
「いえ、それを私に言われましても……ワネット、君は知らないかい?」
「いいえ。わたくしもイルメール様のお見舞いに向かわれた後からは伺っておりません」
安置所の扉前で不審な人物が入って来ぬように見張りとしているワネットが、視線だけをシドニアへ向けながら返事をしたが、その答えを受けてアメリアがより発狂する。
「イルメールの病室に行ってもおらんかった! なんであればイルメールもおらんかったし看病をしておると報告を受けておったアルハットもおらんっ! あ奴らマジで何考えとるんじゃ――ィ!?」
死体安置所とは思えぬ騒々しさに、サーニスは随分とやつれている。病院に至るまでの道すがら、彼女の怒りに彼が付き合わされていたのだろうと察する事が出来、シドニアは申し訳ないと言わんばかりに頭を下げ、彼も首を横に振った。
――そんな時。
「あー……御戯れの中、申し訳ないんですが……少し、いいですかい? 皇族の方々」
声が聞こえた。
ワネットとサーニス、そしてシドニアも、声の聞こえた方向に疾く振り向くと、そこには紺色の羽織を着込んで帯で結んだ格好の男性が一人、腰に帯刀した状態で、いつの間にか安置所の中に入っていたのだ。
ワネットは常に出入口を警戒していたし、サーニスも警戒はしていた。
である筈なのに、二者の警戒に気付かれる事無く安置所へと入って、彼が声を発するその瞬間まで、彼の事に気付く事すらできなかったというのか――と。
アメリアは、いつの間にか隣に立ち、妙な存在感を放つ初老の男に向け、問う。
「……誰じゃ? 主、アメリア領の者ではないの」
「ええ、まぁ、シドニア領の者でさぁ」
「名は?」
「皇族の方に名乗るほどのモンじゃないんですがね……まぁ、名乗るとしたら【ブレイド】と名乗るべきなのでしょうかね」




