罪
「お前さ、マジ気持ち悪いんだよ!あっち行けよ!」
教室の中に怒声が響く。
身体の大きな飯田君と数人が身体の小さな八上さんに怒声を浴びせていた。
「なんだよ、その髪の毛。皆黒なのにお前だけ金色じゃん!お前だけ仲間外れでやんのー」
「お前の目の色、青とか気持ちわる?!普通は黒なんだぜ?」
八上さん。八上サーシャさんは小学5年生の2学期からこの学校にやってきた。
彼女はお母さんがロシア人らしくて髪や目の色が日本人のそれとは違っていた。
「八上って日本人の苗字なのに名前はサーシャって、変なのー!」
飯田君達は八上さんの容姿や名前の事で彼女をいじる。
彼女はじっと彼らの言葉に耐えるように俯いたままだった。
それを見ていた僕らクラスメイトは身体の大きな飯田君達に標的にされるのが怖くて、何事もないかのようにいつも通りの日常を送るふりをしていた。
数年後、僕らは16歳。高校生になった。
小学校卒業後同じ中学校、違う中学校に進む人も居た。八上さんはどこに行ったのかは誰も知らなかったが、誰とも違う中学校に進んだらしい。
今日は高校の入学式。高校からまた同じになる人も居るようで何だかソワソワする。
入学式のあと、クラス分けが発表され、新入生の僕らはそれぞれ教室に向かい、初めてのホームルームが行われた。
初めてのホームルームと言えばまずは自己紹介から。
担任の先生が端の席に座った人から順に当てて行く。
「次、飯田」
先生が当てると、細身で身長もあまり高くない男子が立ち上がる。
「飯田智希です。☆○中学校から来ました。よろしくお願いします」
飯田君だ。小学校の頃、身体も態度も大きかった彼。高校生の今はその影も見えない。どこか窶れ、暗いようにも見える。
だけど、間違いない。あの飯田俊樹君だ。
「次、真島」
次々と進んでゆき、僕の番になる。
「真島悠です。△△中学から来ました。顔見知りの人もそうじゃない人も仲良くしてください。よろしくお願いします」
出来るだけ明るく自己紹介を済ませる。
こういうのは第一印象が重要だとどこかで聞いたことがある。
その後他のクラスメイトも次々と自己紹介を済ませる。
「次、八上」
八上……?小学校の時に居た八上サーシャさん?そう思い、立ち上がった女子を見る。
「八上紗綾です。○○中学から来ました。よろしくお願いします」
黒い髪に黒い瞳。名前もサーシャじゃなくて紗綾。同じ苗字の別人のようだ……
僕の知る八上さんじゃない事が分かるとホッと安堵した。
高校入学から数週間が経ち、そこそこクラスメイト同士仲良くなり、遊びに行くことも増えた。
仲良くなったメンバーで今週末カラオケに行く事になった。
ふと、休み時間に教室を見渡すと八上さんが自分の席で読書をしていた。
僕は八上さんともカラオケに行って仲良くなりたいと思い、今週末のカラオケに誘う事にした。
「こんにちは、八上さん。何読んでるの?」
フランクに、差し障りのないことから話し始める。
「……芥川龍之介」
ポツリと微かに答えた。
読書をあまりしない僕は芥川龍之介の名前こそ聞いたことはあるが、まだ彼の作品は読んだことが無かったため、如何程の難しさであるか知らなかった。
「芥川龍之介かぁ?、難しそうな人の本を読むんだね」
僕は笑顔で彼女と話す。
「そんな事ないわ。それは貴方が本を読みなれてないからそう思うのよ」
彼女は一切こちらへ視線を向けることなく、冷たい無表情で応対する。
「そ、そっか。でさ、八上さん。突然で悪いんだけど、今週末空いてるかな?」
唐突では有るが、これ以上本の話をして機嫌を損ねるのは良くないと思った僕はカラオケの話をし始めた。
「今週末、クラスの人達とカラオケに行くんだけど、八上さんもどうかな?」
「行かない。そういうの興味ないから」
即答だった。
躊躇いもなく、悩むことも無く即答。
「え?い、いやぁ、そんなこと言わずにさ?ね?行こうよ、カラオケ。楽しいよ?」
彼女はそっと本を閉じ、こちらへ目を向ける。
その黒い瞳は明らかに怒りを孕んでいた。
八上さんと仲良くなりたいが為に少ししつこくしすぎただろうか……
「興味無いの。カラオケにも、貴方にも。だいたい私、貴方達みたいな人が嫌いなの」
幾らか怒気を孕んだ彼女の声はクラスの喧騒を切り裂くように鋭かった。
彼女の言葉によってクラスに一瞬の静寂が齎され、クラスメイトの視線がこちらへ向く。
彼女の怒気を孕んだ言葉が聞こえたのか、今週末一緒にカラオケに行くメンバーがつかつかとこちらへ向かってくる。
「アンタさ、何なの?真島君がせっかく誘ってくれてるのにその態度。断るにしてもそれは無いと思うんだけど」
メンバーの内の気の強い女子が八上さんに食って掛かる。
「興味ないから、ハッキリその旨を伝えただけ。何も悪いことはしてない」
八上さんはチラッとメンバーを見てそう言ってまた本を読み進める。
それが気に食わなかったのか、先程食って掛った女子以外のメンバーも彼女に文句を言い始めた。
「本ばっかり読んでてどうせ友達も居ないんだろう」
「頭のいい人は違いますね?」
「美人は何もしなくても男が寄ってくるもんね?」
言いたい放題だった。
「……貴方達に何がわかるのよ」
八上さんがボソッと呟いた。
しかし、その声は僕らの耳にはしっかり届いた。
「貴方達に何がわかるのよ。私が今までどれだけ苦しんだか!」
キッとこちらをこちらを睨むその目には涙が浮かんでいた。
僕らは喋ることも動くことも出来なかった。
「自由に、何も考えずにただ生きてるだけの貴方達に!私がどれだけ苦しんできたかなんてわからない!文句を言われても今までは耐えてきた。だけどもう限界!」
彼女は叫び、立ち上がる。
「お母さんと同じ色で大好きだったこの髪も、この目も!可愛くて好きだった名前も!貴方達みたいな人間が文句を付けたからこうした!それなのに……それなのにまた私から何かを奪うの!?いい加減にしてよ!うんざりなのよ!」
クラス中が固まり、教室の中には八上さんのすすり泣く声だけが聞こえる。
「元々はサーシャだった名前も、小学生の頃日本人らしくないっていじめられたわ。身体が大きな男の子に囲まれて指を差された!髪も目もお前だけ仲間はずれだと言われた!」
教室の片隅の席に小さく青い顔をして1人座っていた飯田君かビクリと跳ねる。
「……中学校に上がる前、髪を黒く染めて目を隠すためにカラーコンタクトを入れたわ。高校に入る前、名前も紗綾に変えた。お母さんもお父さんも悲しませた。貴方達にはこの例えようのない苦しみ、悲しみがわかる?何も考えず非難するだけの貴方達に。」
そう言うと八上さんはその場でコンタクトを外した。
その瞳はあの時と同じ青だった。
やっぱり八上さんは八上サーシャさんだった。
「私、貴方達みたいな人間が大嫌い」
そう言うと彼女は鞄をもって教室を出ていってしまった。
あれから10年。
僕は高校卒業後大学に進学。卒業後はそこそこ大きな会社に就職することになった。
八上さんはあの後数日学校に来ず、お父さんの仕事の関係でそのまま転校してしまった。
僕は「青」を見る度にあの青い瞳を、自らの犯した罪を思い起こすことだろう。
青空の広がる夏の日。コンクリートジャングルに建つオフィスの一角で、同僚の青い顔を見ながらブルーライトを浴びて仕事をする。納期が迫り僕自身も青息吐息を吐く。
僕はどこから間違ってしまったのだろうか。