結
ガタガタと鳴く荷馬車の車輪。進行方向に背を向け、荷台から轍を眺める。
長閑な空気がまったりとした時間を運んで、あくびが出てしまいそうだ。
「……あのー、そろそろ離れてくれないですかね。虫じゃないんですから」
「なっ、なによ失礼ね! しょうがないでしょ! 女子はスイーツに目がないの!」
行商人の肩に座って、くんくんと匂いを嗅いでいた小人が憤慨した。
彼女はぷいっと頬を膨らませ、そのまま「だいたいあんたなんかに興味なんてないわよ」とどこかへ飛んでいく。
それを耳元で受けて、行商人も負けじと「女子って歳ですか……あなた十八でしょうに……」とぼやいた。
でも興味がないというのは確かに、今回の討伐依頼が舞い込んだときだって、彼女は別件に赴く団長と副団長について行きたがっていた。それでもこちらに来てくれたのは、彼女なりに仲間というものを重んじてのことだろう。
口を開けば生意気で高飛車な物言いだが、あの小さな身体にはありったけの思いやりが詰まっているのだ。
だからベート討伐の班分けに猛反対したのも、言い方はひとまず置いといて、張り裂けそうなほど膨らんだ心配を、ついついぶつけてしまっただけのこと。
そうでなければ、ベートの屍骸を担いだ血塗れの獣人と、相当怖かったのかわんわん泣く妹と、何かとろみのある汁でぐっしょりな行商人との三人組が、森から帰還したときにいち早く飛んでくるわけがない。
例えその第一声が「うわ何それなんか気持ち悪っ!」だったとしてもだ。
行商人が背中を丸めてため息をついていると、後ろのほうから揶揄する声が聴こえた。
「しかし贅沢ですね。バロメッツの蜜を頭から浴びるだなんて、世界広しと言えど他にいないのではないですかな?」
「贅沢? 馬鹿を言え、虫だらけだ。牛糞に群がっていた羽虫にまで集られていたんだぞ。災難の間違いだろう」
御者を務める禿げた壮年の男が笑うと、その隣でこげ茶髪の少年が顔をしかめた。
二人は作戦会議のとき早々に出ていった雪片旅団の団員で、バロメッツの回収班を担当した者たちである。
彼らは作戦実行時、行商人の指示により森の裏手で待機していたのだが、銃声が聴こえたので取り急ぎ現場へ駆けつけてみると、そこには茫然自失とする光景が広がっていた。
無理もない。蔓らしきものでレウクロコッタを絞め上げている獣人はいいとして、木陰でへたり込んで粗相してしまっている妹に、なぜかバロメッツを詰めるはずの樽に自分も入り込んでいる行商人がいたのだ。わけを聞くまで、なぜそうなったのかまったくもって意味不明だった。
「何をそんなにしょげることがある? もっと胸を張ったらどうだ、村の者たちもあんなに喜んでいたじゃないか」
女騎士が沈んだ行商人の背中を労う。その面持ちは晴々と、荷台の縁にもたれて座ったまま、弾んだ声で言葉を続けた。
「正直なところ見直したぞ。差し迫った状況下で策を練る機転。私にはない才能だ」
「……別に、大したことじゃないですよ。というか策とも呼べない下策中の下策ですし」
「それでも、武器を捨てたあの馬鹿はいいとして、あの子を守ったじゃないか」
「まあ、囮だったわけですから。……最後に商品を押し退けて樽の中に逃げ込んだんじゃ、格好もつかないですけれど」
そう、あのとき行商人は、自らを駒とした。戦闘力がないのなら、別の形で戦闘に組み込んで戦力とすればいい。それがあの状況で下した決断だった。
勝利に課した条件は大きく三点。一つにレウクロコッタを討伐し危険を排除すること。二つにバロメッツを諦めず村の財政難を救済すること。そして三つに、獣人のズボンに穴を開けないこと。
まず一つめをクリアしようとしたとき、レウクロコッタは迅すぎる。自分の射撃の腕前では絶対に捉えられない。だから自分に惹き付けることで足止めを試みた。
一か八かの賭けだったが、食肉目クロコッタ科の動物は背骨に柔軟性がなく、首だけで振り返ることができないという話を思い出したため、獣人に後ろを取らせれば勝機はあると考えたのだ。
次に二つめの条件は、これもバロメッツがあったからこその策だった。
もう買い取ることは決めていたし、まだ村人にその存在を知られてもいなかったので、なんの躊躇もなく蜜を無駄にすることができた。
今考えるとそれが惜しいのもあってこんなに落ち込んでいるわけだが、バロメッツの肉は手に入ったのでよしとしようと、必死に自分に言い聞かせているところだ。払った金額と見合っていないなんて考えても、後の祭りなのだから。
最後に三つめ。これは行商人が商人たる性だった。
何も諦めない。何もつかみ損ねない。仲間がそれを欲しがったのならば、価値があると言うのであれば、可能な限り入手する。そしてこれは可能だと判断した。
手に入るものは何でも手に入れる。業突く張りだが、それでこそ商人というものだ。だから自分を奮起させるために必要不可欠なくらいの勝利条件だった。
実はあの瞬間、行商人が銃口を向けたのはレウクロコッタではなく、バロメッツの木の幹側から伸びた茎の付け根であった。
そうして切り離してしまえば、バロメッツの茎は一本の頑丈な蔓となり、鶏爪鋭を重しにして、即席の鉤縄を作ったのだ。
問題は獣人にそれが伝わるかどうかだったのだが、さすがは狩人として名高い獣人族なだけあって、すんなりと理解してくれた。というか、ほとんど本能みたいなものだろう。
そんなわけで、行商人は妹を離れさせたあと、鉤縄を獣人のほうへ投げてバロメッツの茎に向かって発砲し、レウクロコッタが襲いかかってくると、これが想定以上に怖くて樽の中へ逃げ込んだ。
あとは知っての通り、危機一髪で獣人がレウクロコッタをバロメッツの茎で仕留め、御者台に座る二人の見た光景に繋がる。
かくして三人とも生還して、無事に依頼も達成、村にも笑顔が戻り大団円。行商人は見事賭けに勝ったのだった。
「しかし意外だったな」
「……何がです?」
女騎士がくすりと笑うものだから、行商人は心ともなく振り返った。
予想では、早速ズボンを作るのだと満面の笑みで息巻いていた獣人のことだと思ったのだが、どうも違うらしい。
彼は剥いだレウクロコッタの皮を鞣してズボンを仕立てるまでの間、ベートが一頭だけじゃなかったときの対策も兼ねて、村に残って用心棒をする運びとなった。このことについて、別段意外に思うところはないだろう。
「去り際、あの子に何か渡していたのを見てな。私の見立てでは金目のものだと思ったのだが、違うのか?」
意外と言ってしまったら、それは見立てではなく偏見なんじゃ、という言葉は呑み込んで、行商人が八重歯を見せながら答える。
「ああ、バロメッツの歯ですよ」
「……歯? 歯って、歯か?」
「はい。つまりバロメッツの種です。私のせいで危険に晒したお詫びと、お手伝いの報酬ですね」
すると驚天動地、荷馬車から驚愕の絶叫が轟いた。
「だ、大丈夫か? あ、頭でも打ったんじゃないか……?」
「そうよ! あんたがそんなお金になるものあげるなんて信じらんない! だってそれお金のなる木よ!?」
「な、なんということだ……何か薬草を……いや、早く医者に……!」
「違う! 教会だ! 村へ引き返せ! 祈りを捧げればきっとまだ間に合う!」
女騎士、小人、御者、少年と、例外なく皆が慌てふためくと、然しもの行商人もムッとした表情を作った。
「……心外ですね、私は正常です。皆さん先行投資というものをご存じないのですか?」
その言葉に、全員が疑問符つきで眉を歪ませると、行商人はまたも大きなため息をついた。
「皆さんお気付きですか? あの村に入ったとき滞在証もらいました? 私たちは依頼執行証を受け取りましたか?」
「いや、どちらももらってないが……」
戸惑う女騎士が代表して返事をすると、行商人が声を張り上げる。
「そうですもらってません! 今回の依頼はタダ働きなんです! 依頼執行証どころか滞在証も交付されず、記録にさえ残らない非公式な依頼、いわばお忍び依頼です! ならば! 今後の取引先を作っておくしかないでしょう!」
拳を震わせ一息に言い切った守銭奴へ、小人がジトっとした視線を送った。
「なんだ、いつも通りだったわ。だからあんたずっと暗かったわけ?」
「なんだとはなんです。それ以外にありますか? 無報酬でもバロメッツがあるから差し引きゼロだと思えていたのに……もう懇意にしてコネ作っとくしかないでしょうが……」
「結局タダ働きが嫌なだけか……」
呆れる女騎士が村の現状を思い出し、「でも命は金で買えないということはわかってるんだな」と微笑みかけると、小人がそれに「まあ最終的にお人好しだからね、こいつ」と便乗した。
「ていうか、よくあの毛むくじゃらのこと許せるわね」
「え? なんでですか?」
「いや、だってさー、最初っからあのバカが武器持って戦ってれば、あんたが体張んなくてもよかったわけでしょ? あたしだったらベート仕留めさせたあと一緒にとっちめてるわ」
目から鱗。言われてみて初めて、確かにと納得する。
劣勢だったが、獣人はレウクロコッタを殴れていた。やられながらも結構ボコボコ殴っていたのだ。
なら、もしかして鶏爪鋭があれば、毛皮は穴だらけになってしまったとしても、割りと楽に勝てたのではないか。もっと簡単に依頼完遂できたのではないか。
無報酬の件にしか頭が回っていなかったから、言われるまで気が付かなかった。
「……え、なにどしたの、急にそんな百点満点の笑顔しちゃって。……壊れた?」
「壊れてませんよ、採算が取れて嬉しいだけです。あのレウクロコッタの毛皮代を請求すればよかったんですね。さっ、早く我らが団長と副団長のもとへ急ぎましょう。町へ行って証書も作らないといけませんし。あ、どなたか公証人になっていただけます?」
俄然活き活きとしだした行商人を見て、一同が口々に感想を述べた。
「あんた……まあ、あたしは二人に会えるなら、あんなバカ知ったこっちゃないけど」
「鬼だな……命は金で買えないとは言ったが……」
「くわばらくわばら……いったいいくら請求するつもりなのやら」
「たまには灸を据えてやるのもいいんじゃないか? よし、僕が公証人になろう」
がたん、と荷馬車が跳ねた。彼らに似た道だ。
その行く末は、空とひとつの武蔵野に、ひつじ雲が浮かんでいた。
雪片旅団。誰も彼もが一筋縄ではいかない、一癖も二癖もあるでこぼこな仲間たち。
彼らはいったいどのような経緯で旅団を結成したのか。
また、そんな団員をまとめ上げる団長とは、副団長とは、いったいどのような人物なのだろうか。
あの村に吟遊詩人が訪れて、雪片旅団の唄だと聞きつけ瞳を輝かせる兄妹にそれを吟い聴かせてやるのは、もう少し先の話だ。
これにて『外伝 アネクドート』は終幕になります。よろしければ引き続き物語をお楽しみ下さい。
【登場した幻獣・亜人種まとめ】
幻獣部門
登場した:バロメッツ/レウクロコッタ
名前のみ:カーバンクル/クロコッタ
特別出演:ベート(ジェヴォーダンの獣より)
亜人種部門
小人/獣人
【Tip*s】
竜類、獣竜は分類なので別とします。