鋪
「なるほど、やはりバロメッツでしたか。大穴でカーバンクルを狙っていたのですが……まあ、手堅いのが一番ですね」
行商人がにまにまと気色の悪い顔でつぶやいた。その笑顔といったら、今にも小躍りしだしそうなほどだ。
そんな彼を尻目に、女騎士、小人、獣人の呆れかえった言葉が飛び交う。
「そういうことか……」
「まったく、これだから守銭奴は嫌なのよね」
「あちゃあ、若旦那、また変なスイッチ入っちまいやがったな」
異音同義。まさに非難轟々である。
兄や妹は、この行商人のおよそ人柄というもの、もとい、本性を知らない。だから急に変わった旅団内の雰囲気についてゆけず、当惑するばかりであった。
「……あの、これってベート退治の作戦会議ですよね……?」
とりあえず、議題が脱線していることだけはわかった兄が、恐る恐る口にした。すると獣人が、「そうだぜ若旦那、今は依頼に集中してくれよ」とそれに追従する。当然、雪片旅団の女性陣も「うんうん」と頷いて、賛同の意を示してくれた。
しかしそんな満場一致な意見に対し、行商人は「ちっちっ」ともったいぶった身振りで言う。
「わかってないですねえ、そのバロメッツを利用するんですよ。あれに群がらない獣はいませんから」
「えっ? バロメッツを? どうやってですか?」
きょとんとする妹がそう質問した傍らで、女騎士の「商人も獣ということか……」とぼやく声が聴こえた気がした。
バロメッツとは、羊の生る木のことだ。
正式名称をプランタ・タルタリカ・バロメッツといい、別名リコポデウムとも呼ばれる。
その最大の特徴はやはり、花ではなく羊を実らせる、動物性植物だといった点にあろう。
というのも、成長したバロメッツは時期が来るとメロンのような実をつけ、それを採取して割れば、中から血と肉と骨を持つ仔羊が収穫できるのだ。
もちろん胎生動物のそれとは異なるため、まだこの時点では生きていないのだが、しかし、実が熟して自然に割れるまで放置しておくと、実物と変わらない鳴き声を発する羊が産まれてくる。
この羊はさながら臍の緒のように柔軟な茎で木と繋がっており、そのまま周囲の草を食んで生きてゆく。
そのためもし近くに畑などがあれば食い荒らされてしまうが、そのうち周りに草がなくなるとやがて飢え、羊は木と共に死んでしまう。これは羊が木に代わって養分を摂取し、供給しているためである。
従ってこの羊には高い栄養分が豊富に蓄えられており、実際には樹液と果肉なわけだが、その血肉は非常に美味とされる。故にこれが死んだときには、熟れて漂う香しい匂いにつられて、人や獣が集まってくるのだ。
また、蹄も角も縮れて硬化した綿繊維で出来ているため無駄なところがなく、淡い金色をした羊毛と併せて重宝される。
つまり身体まるごと捨てるところのないバロメッツは、商人にとって垂涎の代物なのである。
ただ、広く各地に分布するが、但し荒野に発芽することが多く、その場合充分に発育がなされないなどの欠点がある。
「あんたまさか、バロメッツでベートを誘きだそうとか言うんじゃないでしょうねー」
「そのまさかですが?」
小人の言葉に、行商人があっけらかんとした口調で切り返した。すると表情を曇らせる兄妹を見て、女騎士が食い下がる。
「ちょっと待ってほしい。バロメッツを見つけたのはこの子たちだろう? なら、この子たちの意見を尊重してやらねば」
律儀にも、バロメッツの所有権は兄妹にあるということらしい。しかし行商人は、これにも動じなかった。
「だから、私がバロメッツを買い取ると言っているのです。私は行商人ですよ? それにベート退治ができて、おまけに村の資金難も解決だなんて、一石二鳥のベストな選択じゃないですか」
言われて、兄妹は顔を見合わせた。
確かに行商人の言う通りだ。バロメッツを保有しておくのは現実的ではない。この村にはすでに何頭もの牛がいて、バロメッツまで管理しきれるほど餌を確保できないからだ。
いくら肥沃な環境と言えど、もしもバロメッツを栽培し、養殖しようとそこら辺の草を食わせていれば、そのうちここは禿げた土地になってしまうだろう。
「どうしますか? 無理にとは言いませんが」
「いえ、それでいいです。……よろしくお願いします」
欲をかけば自滅する。どうせ売るつもりだった兄は、別に足もとを見られているわけではないのだなと感じ、その提案に乗った。
「よっし、そんじゃあ決まりだな。で、結局のところ、ベートってのはなんなんだ?」
両手を後頭部で組んだ獣人が言う。態度はこの際置いといて、的を射た質問だ。正体が判明しているか否かでは対処法が大きく異なるため、策によっては命取りになり兼ねない。
「私の読みでは、十中八九クロコッタだと踏んでいます。村の人から聞いた特徴と合致していますしね」
「クロコッタ?」
兄妹に加え、獣人が復唱した。
「ええ。ここら辺では見かけませんが、狼とハイエナの合の子のような獣です。仔牛ほどの大きさで、赤褐色の身体をしていて、背中に縞模様があるんです。どうです? ベートと同じでしょう?」
「うん、村の者の証言と一緒だな……」
女騎士が顎に手をやり頷く。目を瞑って想像するに、同一のものと見てよさそうだ。
行商人は兄妹からも異論がないのを確認すると、話を続ける。
「まず厄介なのは、とにかく頑丈な牙と、優れた敏捷性です。特に牙は、一繋がりになっていると言われるほど、とにかく頑丈です」
大事なことなので、というくらいに念を押す行商人。しかし、獣人にとってその情報は些か肩透かしだったようで、それでは物足りないといったふうに顔をしかめる。
「それだけか? 奴さんの武器は、たったのそんだけ?」
「いえ、他にも単独繁殖が可能だとか色々ありますが、武器という観点で言うなら、あとは声真似をすることですかね。……我々、人の声真似を」
声帯模写をする動物はさほど珍しくない。けれどその大抵は弱い狩られる側の種で、捕食者から身を守るために身に着けた術であるはず。クロコッタはその法則の外にいる。
だから行商人が「人の声真似」と言ったのは、言外に「クロコッタの獲物になる対象が人間だから」という意味合いを指してのことだろう。
人ほど狩りやすく、弱い動物はいない。それを理解している賢い獣。それがベートの正体だった。
憶測の域を出ないが、とてつもない数の被害者が出ている経緯や、これまでの討伐隊が敗北に終わった原因が、クロコッタの声真似による油断と攪乱にあったとしても想像に難くない。
だが、それでも人は、さらにその上を行ってきた。それもまた事実である。
「それって脅威なわけ? 誘きだすんでしょ?」
「その通り。今回はその武器を逆手にとって、一泡吹かせてやりましょう」
小人が疑問を呈すると、行商人がにやりと笑った。頼もしい笑みだ。
「何よそれ、どうするつもり?」
「ちょっとした撒き餌みたいなものです。クロコッタにとってやりやすい状況を作り、まんまと出てきたところを叩く。シンプルでしょう?」
「いや、クロコッタだって馬鹿じゃないでしょ。下手したら何されるかわかんないし、ましてや逃げ出されでもしたら面倒よ?」
「ええ、わかってます。ですがご心配なく。それはこちらを狙う確率が高くなるよう仕向ければいいだけの話ですから」
「……どういうことよ」
「少数精鋭です。敢えて少人数でベートのテリトリーに入り、一人やってしまえばあとは簡単だ、と思わせるのですよ。なので村で待機する警護班と、森に入る討伐班の二手に別れてもらいます」
「構わないけど、そんなことで引っ掛かるかしらね」
「掛かると思いますよ。加えてそこにはバロメッツもありますからね、食いつかないわけがありません。もちろん村に危険が及ばないよう、煙幕を焚いて嗅覚遮断するのも織り込み済みです。そうすれば、リスクを冒してまで村に矛先を変えることもないでしょうし、万が一に備えて上空からも見張って牽制しますし」
当然のように言われた言葉に、小人がため息をついた。
「はいはいわかったわよ、私は警護班ってわけね。で、討伐班は誰なの?」
行商人はそんな小人に笑いかけると、次いで獣人、そして妹のほうを見やる。
「頼れる戦闘要員と、さっきまで観察対象だった獲物、それと、私です」
ぽかんとする一同を余所に、ただ一人「せいぜい手のひらで踊ってもらいますよ」と高笑いする行商人なのであった。
【Tip*s】
『カーバンクル』
額に赤い宝石を持つ謎の多い幻獣です。
『クロコッタ』
インドやエチオピアの伝承に散見される幻獣です。