承
村へ戻ると、家の前で数人の大人に慰められ、肩を落とす兄の姿があった。
どうやら叱られている真っ最中のようだ。父親からこってり絞られているらしく、顔が涙と鼻水で大変なことになっている。
それでも獣人に背負われた妹を見つけると、父親の説教を振り切って、一目散にこちらへ走り寄ってきた。
「ごめん! ごめんなカトレア! 俺が誘ったばっかりに……せめて角の壁飾りなんて持たずに、お前と手をつないでればよかったんだ! そうすればあんな怖い思いをさせずに済んだんだ……本当にごめん、ごめんよカトレア!」
兄はつらつらと思いつく限りの後悔を述べ、そして謝罪した。何度も何度も陳謝した。
歳は若干十四歳といったところか、自責の念に駆られるには早すぎる年齢だ。妹が「もう平気だよ」と言っているのに、なおも自分が許せないようであった。
むしろ背中から降ろしてもらった妹もその勢いにあてられ、たまらず泣き出してしまったほどである。
そんな抱き合う兄妹を見て幾分か怒りが削がれたのか、父親ももうそれ以上、兄を叱りつけるような真似はしなかった。
「あらーぁ? おかえんなさい猫ちゃーん、俺の鼻のが早いーとか息巻いてた割には遅かったんじゃなぁーい?」
どこからともなく声がした。いや、段々と近づいてくるその声は、最終的に獣人の肩の上から聴こえた。見れば、人とは思えないほど小さな女がそこに座っている。
その手のひらサイズの身体には蜻蛉のような翅があり、つまりそれで宙を飛んできたのだとわかった。要するに彼女は小人なのだ。
口ぶりからして、女騎士の言っていた森が得意な者というのは、言わずもがな彼女のことだろう。金髪がよく似合う美しい造形をした顔を、もったいないくらい意地悪に歪ませ、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
「ぐっ……。は、ハッ! バカ言ってんじゃねえや、こちとら迷子の嬢ちゃんへの心のケア込みだぜ? その点チビ嬢はどうだ、ちゃんと仕事したのかよ」
獣人は悔しげに呻いたあと、泣き濡れた兄を指差して、すぐさま言い返した。焦って取り繕っているようにしか見えないが、大方間違ってはいないので、女騎士は何も言わなかった。
「おかえりなさい、全員無事で何よりです。件の獣とは会えましたか?」
小人と獣人が「なんですって?」「なんだよ」と不毛な啀み合いを勃発させていると、村の奥から若い男が出てきた。長いサンディブロンドを風になびかせ悠然と微笑む、利発そうな優男だ。
育ちの良さが滲み出る所作のせいか、ただ歩いているだけなのに村の婦女子が頬を赤らめている。
「おお若旦那! それがビビッて出てこねえでやがんのよ。ダメだなありゃあ」
「でしょうね、罠をかけても無駄だと聞きましたし……。まあそれはいいとして、その若旦那ってのやめてもらえますかね、私はしがない行商人ですので」
「いいじゃねえか、若旦那は若旦那だ。それより、なんかいい作戦は思いついたのかよ若旦那」
「……それなりには。ただ、最後に確認したいこともありまして」
行商人は早々に訂正を諦め、「さすがはうちの参謀殿だぜ」などと笑う獣人を無視して、「ちょっといいですか」と滑らかな物腰で兄妹に問う。
「あなた方はなぜ森へ? 森には獣……ベートがいて危険だということは承知していたはずでしょう?」
聞かれて、兄妹はうつむいた。父親の手前、言いづらいこともあるのだろう。それを察して行商人は「これは失敬」と小声で謝り、父親に向き直る。
「立ち話もなんですね。ホーナーさん、この子たちをお借りしても?」
「ええもちろん。お礼もしたいですし、どうぞこちらへ。狭い家ですが」
「いえ、お構いなく。教会に仲間を待たせておりますので、そちらで話を伺います。確認が取れ次第、行動に移りますから」
「そうですか、では私も一緒に」
「ああ、申し訳ありませんが、村の方々で準備してほしいものがございまして、ご協力いただいても?」
「準備してほしいもの? ベート退治に役立つのなら、なんだって用意致しますが……いったい何をご所望で?」
「ご協力感謝します。実は、干し草に牛の糞を混ぜたものを数ヶ所、森の入り口に集めておいてほしいのです」
「干し草に牛の糞を……?」
指示を聞いた父親が、肥料を作るわけでもあるまいに、と小首を傾げる。だが、行商人が「鼻を利かなくするためです」と告げると、なるほどと手を打った。
「わかりました。村の者に声をかけ、すぐ準備に取り掛かりましょう」
「助かります。火はまだ点けないでおいてください。それでは、また後ほど」
そうして行商人が兄妹を連れ立って歩き出すと、黙って様子を見守っていた女騎士が口を開いた。
「いいのか? こちらの鼻も潰すことになるぞ?」
「構いません。私たちには獣人だけでなく、小人もついていることですし」
女騎士は後ろをついてくる獣人と小人を振り返った。二人は飽きもせずギャーギャーと言い争っている。
「しかし、森を上空から見るのでは視界も悪いと思うが」
女騎士が平然と続けた。別段、仲裁せずに放置しているところを見ると、こんなことは日常茶飯事であるらしい。行商人も後ろに関しては無視を決め込んでいる。気になってしまうのは、まだ慣れていない兄妹だけだ。
「問題ありません。というかもう、罠にかかってますから」
「……は?」
今しがた獣には罠が通用しないと確認できたばかりだというのに、そう言ってほくそ笑む行商人がほとほと理解できない女騎士なのであった。
教会に着くと、ほどなくして作戦会議が始まった。
小人と共に兄を助けたという二人の団員は、行商人と何やら話をすると馬車に乗って出ていった。一人はこげ茶色の髪をした、兄妹と同い年くらいの生意気そうな少年、もう一人は、生え際の禿げあがった壮年の男性だった。
残った面子は場所を変え、今は井戸の周りに適当にたむろして作戦会議を続けている。なぜ井戸のそばなのかというと、森に分け入ったときの汚れを落とすためだ。
「んで、若旦那、ベートの正体だけどよ、もうアタリはついてんだろ?」
「ええ、まあ。最初は竜類かとも疑ったんですけどね」
「竜類? 狼に似た獣だと聞いたが」
獣人の問いかけに行商人が答えると、女騎士が懐疑的な声で問い直した。少女の頬を湿らせた布で拭きながら、その返答を待つ。
「竜類学も日進月歩。今まで獣とされていた種が、新たに獣竜科として竜類に分類される動きがあるのをご存じありませんか?」
「……すまない」
「いや、気にしないで下さいよ。騎士なら知っていて当然なんて思ってませんから……」
女騎士が目に見えてしょぼくれると、行商人が気を遣って「公に発表があったわけでもありませんし」と付け加えた。そこに、まったく気遣う様子のない獣人が割り込む。
「そうだぜ騎士嬢。それに、竜類だろうがなんだろうがぶちのめしゃあいいってもんだ。なあ、若旦那」
「それはそうなんですが、うちとしては竜類のほうがよかったかもしれません。もし竜類だったなら、雪片旅団の名を広めるいい宣伝材料になったので」
「おお! よし、じゃあ竜類ってことにしとこうぜ!」
「駄目ですよ。大ぼら吹きだと後ろ指さされて、逆に信頼を失うだけです」
「……竜類なんかに勝てるもんか……」
獣人の提案を、行商人が即却下した。そんな会話にたまらず口を挟んだのは兄だ。自分らの村がただ一頭きりの獣に脅かされているというのに、あまりにも簡単に竜類を倒すなどとのたまっているのが、どうにも我慢ならなかった。
「竜類なんかに勝てるもんか! 皆さんがどれだけ強いのかは知らないけど、竜類になんか敵うわけないじゃないか! そんなに言うなら、早くベートを殺してよ!」
「お兄ちゃん……」
思いがけず、大きな声が出た。叱られてむしゃくしゃしていた。
大事な妹を巻き込んで、勝手に森に入り、そして命の危険に晒した。怒鳴られたことはすべて、自分でも自覚していることだった。
だが、それは兄なりに村を想い、父と母を想ってのことだった。
ここのところベートのせいで村の生産力が落ち、景気が芳しくない。だからどうしても、以前森で見つけたあれを手に入れる必要があった。それはちょうど今頃、価値が高騰しているはずのものだったからだ。
「ま、まぁまぁ、落ち着いてください。もちろん、ベートは私たちが討伐します」
「ああ、雪片旅団の名に懸けて、必ずや解決してみせよう」
「そうだぜ、言ってんだろ? 竜類だろうがなんだろうがぶちのめすだけだってな」
行商人が宥め、それに女騎士と獣人が続く。しかし兄には、作戦会議と言いつつ油を売っているようにしか思えなかった。
すると、井戸の中で直接水浴びをしていた小人が飛び出してきた。
「うるさいガキんちょね。あたしらは竜類にだって勝ったことあるっての」
「えっ!?」
兄妹が同時に、驚愕の声を揃えた。小人はそれを鬱陶しそうに流して言う。
「だから、竜類に勝ったことあるって言ってんの。ベートだかなんだか知らないけど楽勝よ」
「ほ……本当、ですか……?」
信じられないといった様子で兄が訊く。今度は獣人が答えた。
「おうよ! まあ、そんときゃまだ旅団結成前だったし、やったのは副団長だけどな」
「ふ、副団長さん……?」
「あー、わりい、今ここにはいねえんだわ。団長と副団長は別件でな、そっちに行ってる。でもま、さっき出ていったやつらと、このチビ嬢もそんときいた面子だ。心配しなさんな!」
「は、はぁ……」
獣人や女騎士ならまだしも、さっき出ていった二人組や、このやたらと態度のでかい小人が強そうには見えない。
だが父曰く、雪片旅団は領主が直々に派遣した討伐隊とのことだ。今まで派兵されてきた討伐隊はことごとく失敗に終わってきたが、今回は期待できるかもしれない。
そう思った兄が握る手を緩めると、行商人が場を仕切り直した。
「さて、それでは話を戻しましょうか。……あなた方は、いったい何を取りに森へ行ったのですか?」
それを受け、兄妹は素直に嘘偽りなく答えた。行商人の尋ね方からして、もうすでに感づかれていることを悟ったからだ。
「……バロメッツです。バロメッツを取ってくれば、村の助けになると思って」
途端、優男の面影はどこへやら、にんまりとだらしない笑みを浮かべる行商人に、女騎士と小人が呆れた眼差しを向け、ため息をついた。
【Tip*s】
『バロメッツ』
動物性植物というパワーワードが似合う生物です。
次回で詳細を書きますが、七志乃の独自解釈込みなので鵜呑みにしないで下さい。