それは偽り
あたりは薄暗く、まわりの建物も照明を消していた。月の光だけがまわりを照らす。地面は石畳で出来ていて、足元はよく見えない。
禍々しく、邪悪で巨大な悪魔を、挟み打ちにするかのように二人の魔女がいる。二人の魔女のうち一人は座り込み、戦える状態ではなかった
。そしてもう一人の魔女は戦闘態勢に入っていた。
「じゃ、はじめましょうか」
戦う準備をしていた魔女、ライアは慣れた手付きで腰の鞄から小さい玉を何個か取り出す。
「私の本来の姿を見せたんだ。簡単に死なんでおくれよ」
山羊の頭をした悪魔、バフォメットの紅い瞳は月の光で輝き、ライアを睨み付けていた。
バフォメットはそのままライアに向かって突撃を仕掛ける。
バフォメットの鋭い爪がライアに振りかざす。
素早く鋭い動き。
だがライアはそれにすぐさま反応し、右に跳んで避ける。
バフォメットの攻撃は空振りとなり風を切る。
避けられたとはいえもしあれに当たっていたらひとたまりもないだろう。
「くらいなさいっ!!」
ライアは持っていた玉を、バフォメットに投げつける。
その玉はバフォメットに触れた瞬間、小さな爆発を起こす。
「あれは、魔石……!」
アイリスはその玉の正体を知っていた。魔石と呼ばれる錬金術によって作られた玉。魔力の念を込めることで、様々な魔術が発動する力を持っている。
それは、その魔術を使えない魔女であろうと魔力を流し込む事で発動することができる優れものであった。朝のあの光る水晶も似たような原理でできた代物だ。
「ふんっ、これくらいの魔術で私が倒せると思ったのか……馬鹿馬鹿しい」
その魔石をくらってもバフォメットの体には傷ひとつ付いてなかった。魔石は、確かに便利なものではあるが、その威力はあまりにも低い。普通に魔術を放った方が断然良かった。なので魔石を好んで使う魔女はごくわずかだ。
「もしかしてお前……攻撃魔術が使えないのか」
「あはは……どうだろね~」
バフォメットの問いにライアはしらを切る。だがライアの表情は焦ったような感じはせず、むしろすこし笑っているような感じさえした。
「攻撃魔術が使えないで挑もうと思ったのか……ほんとに哀れだな。自ら死にに来たようなものではないか」
バフォメットは見下ろすかのように、馬鹿にするかのように言う。その後右手を地面に付けた。
すると、石畳となっていた地面の一部が溶け始める。バフォメットはそのまま、左手を溶けた地面に突っ込み、泥のように熔けた物体を手に取る。すると左手に取った物体は球状に形を変え固まっていく。
「これが私の能力だ」
「触れたものを溶かして自由自在に形を変えられる……ってところかしらねぇ」
ライアはすぐさまその能力を推測する。バフォメットはその言葉に耳を貸さず球状のものをライアに投げつける。素早いはやさでそれは地面に叩き付けられた。
「……っ!」
ライアはそれを間一髪避ける。が、地面に叩き付けられた衝撃で壊れた石畳の破片がライアの右の頬をかすめる。深く傷は無さそうだが頬から血が流れていた。
ライアはその傷に目もくれず、いつの間にか出したナイフを三本バフォメットに投げつけた。
そのナイフはバフォメットの胸の位置に突き刺さり血が出る。
「だから、そんな攻撃はきかんと言っているだろう」
バフォメットにとってそんな攻撃はダメージにもならずすぐさまそのナイフを抜く。
「ちょっと、めんどうかな」
それも想定内だったのか否か、ライアはまったく険しい顔ひとつせずにいた。
バフォメットはその後すぐにまた、地面から球状の物体を作り出した
そしてライアはそれを避ける。
それが何度も何度も繰り返される。
まわりの地面はバフォメットの攻撃により、無惨な光景になっていく。
「ちょこまかちょこまか避けおってっ!!」
「にししっ、悔しければ当ててみなさい」
ライアは避けるだけで攻撃をいっさいしなかった。いや、いっさいできる状況ではなかった。
バフォメットは地面を溶かし球状に固め次から次へとライアに隙のない攻撃を繰り返していたからだ。
ただ避けていた。
バフォメットに背を向けないように正面を向きながら。
円を書くかのように周りを逃げ回っていた。
「っ……!!いい加減にしろ!!貴様!戦う気はあるのか!!」
ただ逃げるだけのライアにバフォメットは攻撃をやめ怒鳴る。
「あるよ、もう準備できたし」
それだけ言ってライアはまた魔石を手に取り、バフォメットの方へ投げる。だがその魔石はバフォメットには触れず、近くの地面に落ちた。それだけでなく、なにも起こらなかった。
「どこまでも馬鹿にする気なんだな貴様……」
「どうかなぁ……ちゃんと見てみなよ、まわりをさ」
ライアはニヤニヤと笑う。
「なにをいったい…………な!!これは!!」
「あ、あれは!!」
バフォメット、そしてアイリスも周りの様子に気が付き驚愕する。バフォメットのまわりには円上に光る魔術陣が描かれていた。
「貴様いつの間にっ!!」
「あんたに背を向けないで避けてたでしょ?そのとき脚で隠すようにこれで魔術陣を描いてたってわけ」
ライアは右手から杖を取り出した。杖の先端にはナイフがロープできつく縛られているのが見えた。石畳をナイフで削りながら描いていたのであろう。
「だが、こんな暗闇の中でどうやって書いたというのだ!見分けなんて付かないぞ!」
「それは単純に私の目がいいからだねぇ」
ライアは得意気に左手で左目辺りにピースをしにししと笑う。
「魔石はそれ単体で使うと確かに弱い。けど魔術を補助する魔術陣と組み合わせればその威力は絶大……あんたの負けよ」
「き、貴様ァ!!」
バフォメットは叫ぶ。
だがもう手遅れであった。
逃げて間に合う時間はなかった。
魔術陣の光は増し魔術は発動する。
そして魔術陣のまわりに強大な爆発と爆風が巻き起こった。
「やっ……た」
アイリスは呟く。
強い爆風によりよくは見えないがバフォメットらしき物体は見えない。少し経ち、爆風が少なくなっていくとまわりには跡形もなくなにも残ってないのを確認する。
倒したのだ。あの悪魔を。アイリスを騙し魔女狩りにかけたあの占い師を。
「終わったん……ですね」
「ええそうみた……っ!!」
ライアは突然、話すのをやめ顔つきを変える。予想もしなかったことが起きたように。
「どうしたんですか!ライアさん!?」
「あ、足がっ……!」
「あし?……って、これはっ!?」
アイリスはライアの足の見て驚いた。なんとライアの足は地面に埋まっていたのだ。それによりライアは身動きが取れないでいた。
「クククッ……」
「この声はっ!」
聞いたことのある声にライアは反応する。するとその姿が地面からゆっくりと現れてきた。
「バフォメット……っ!」
「馬鹿なやつめ……私の能力は確かに物を溶かし固めることだ。だがお前は、その能力を甘く見ていたようだな」
倒したと思われたバフォメットは現れ不気味に笑った。
「この能力を使えば、溶かした地面に私自身を潜り込ませ、貴様の魔術を避けることなんてたやすいのだよ……そして貴様の足元を溶かし埋めて固まらせる事で貴様の動きを封じることも可能だ!」
「くっ……!」
余裕そうな顔をしていたあのライアはもういなかった。
「もうそこから逃げることも出来まい……終わりだ」
バフォメットは地面から剣を作り出す。そしてそれをライアに振りかざした。
「ライアさんっ!!!!」
アイリスは叫けんだ。だがしかしそれがライアに聞こえるより先にバフォメットの剣はライアに到達していた。
ズシャッ!!
それは鋭く
皮膚が
肉が
骨が
首が
断ち切られた
「ライア……さんっ」
アイリスはその光景を信じたくはなかった。
ブシャァと血しぶきが舞う。
切断されたライアの首と右肩が飛ぶ。
ポタポタと、切断された場所から血が滝のように流れすぐにライアの服を紅く染め上げていく。
「少し見くびっていた……が、結局勝ったのは私だった。なぁ?」
ライアを殺したバフォメットはアイリスの方を振り向いた
「邪魔はもういない……これで気安く貴様も殺す事ができる」
アイリスは言葉が出なかった。
いつの間にか涙がこぼれ落ちていた。
たった一日の出来事であったが、アイリスにとってライアはすごく大事な存在のようだった。
彼女がいたから自分は助かり。
彼女のおかげで自分にはなかった考えを知ることが出来た。
だがもう。
その彼女はいない。
「安心しろ……貴様もすぐやつのところへといく」
バフォメットは近づいてくる。先ほどまで自分の死の危険だけがアイリスを襲っていた。
だがライアの死によりそれはどうでも良くなってきた。
ただ死ぬのを待つ。
「死ね」
バフォメットはそれだけ言い、右手で剣を握りアイリスに振りかざす。
終わった。
終わったのだ。
彼女の人生は本当に。
…………。
「あれ?」
痛みはしなかった。というより剣を振りかざす音もしなかった。そのかわりバフォメットの右腕がいつの間にか無くなっていた。
「……っ!?」
右腕は地面に落っこちていた。バフォメットはそれに気付いた瞬間顔色を変えた。
「ギャアァァァァァァッ!!な、なにが起きたんだ!!なんなんだっ!!」
その痛みと衝撃にバフォメットはもがき倒れ込む。
「誰が!誰がやったと言うのだ!!」
「うるさいねぇ……たかが右腕の一つや二つ、切断されたくらいで騒がないでよ。こっちは首を跳ねられてんのよ」
バフォメットの後ろに一人の声がした。それは、本来ならばもう聞こえないはずの声だ。
「ま、まさか……っ!」
バフォメットは振り向く。そしてアイリスもその方向にいる人物に気が付いた。
「ライアさん!!」
「ちょっと油断したけどもう大丈夫。バフォメット……あんたがものを溶かせるのは右腕だけ。その右腕がない今ならあんたの力も無力同然……でしょ」
ライアは……彼女は生きていたのだ。
ライアはニヤリと笑みを浮かべる。
「貴様ァ……いったい何者だ」
「あぁ……それ聞いちゃうの?まぁ知りたいなら教えてあげるけど」
彼女は一歩ずつバフォメットに近づく。
「わたしはライア・ヴァールハイト。でも、あんたたち悪魔にもっと分かりやすい名前があったねぇ……」
そして彼女は言った。
「『魔眼の魔女』ってね……」
「!?」
それはバフォメットだけでなくアイリスまでもがその言葉に衝撃を受けた。それは魔女なら、悪魔なら誰もが知っている。崇められ恐れられていたものであった。アイリスは口を開く。
「300年前の戦争で大悪魔サタンを倒した四人の大魔女、その一人にして最強と言われた……魔眼の魔女」
「その通り。視界の範囲を自分の想像通りに具現化させ、一瞬にして魔術を発動する事ができる。それがわたしの魔眼の能力」
「貴様ァ!今まで弱い振りをして騙してたというのか!!」
はじめはその事実に驚いていたバフォメットだが顔つきを変え怒鳴る。それに対しライアは鋭い目付きを見せた。
「騙した?人聞きの悪いこと言わないでよ。あんたが勝手にわたしが弱いと信じてただけよ」
「殺す……殺してやる!!」
バフォメットは逆上し、右手にあった剣を左手で持ちライアに振りかざした。しかしそれはライアには当たらない。いや、ライアは振りかざした方向にはいなかった。
「どこ当ててんのさ」
「なっ……!!」
ライアはバフォメットの背後にいた。それに気付いたバフォメットはすぐさま、またライアのいる場所を斬る。
「ここよ」
ライアはまた同じように、場所を移動していた。
「クッソォ!!」
バフォメットは無差別に剣を振り回した。だがライアにその剣が当たっても幻かのように消え別の場所に移動している。
「ゼェ……ゼェ……」
バフォメットは息を切らしていた。片手を失い左手だけで巨大な剣を振り回すことはかなりの体力が必要だった。
「もう終わり?まぁいいや。なら終わりにしましょう」
そう言ってはライアは持っていた杖を引き抜いた。
そう、引き抜いたのだ。
それは杖ではなかった。
杖に見せかけた剣だったのだ。
杖だと思ってた部分は柄と鞘だったのだ。
刃が月の光で輝く。
その刃は片刃であった。
「とどめよ」
その一言で、彼女は一瞬にして姿を消した。
「どこに行った……どこ、にっ……」
バフォメットはそれ以上なにも言わなかった。言えなかった。
すでにもうバフォメットの体はバラバラになっていた。血が爆発するかのように吹き出していた。
そしていつの間にかアイリスの近くにライアはいて剣を鞘にしまった。
「ま、こんなところ……かなっ……」
突然、ドサッ!とライアは倒れた。
「ライアさん!?」
アイリスはライアの元へいく。見てみると腹の部分が切り裂かれ血が出ていた。
「どうして……」
「にへへ……実はただ幻を見せてただけなんだよ。首を跳ねられたと見せかけたとき、完全には避けきれてなくてね。死ぬほどの傷じゃないけどちょっと休ませて……」
つまり、彼女は傷を負いながらも相手にバレないように幻を見せて戦っていたのだった。微笑みながらもガクリと彼女は気を失った。