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徒花の少女  作者: 野良丸
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女王 ーハハオヤー 2

 カフカが息絶えたのは六時間後。夕方だった。最後の三時間は暴れることも止めて、何をするでもなくーーもしかしたら身動きを取ることが出来なかっただけかもしれないけどーー住宅街の真ん中で最期の時を待っていた。

 死んだカフカは、生前より更にドロドロに崩れて、蒸発して、そこに残るのは飛び散ったヘドロの跡だけ。服に付いたヘドロも蒸発してくれればいいのに。

 予め近くに待機させていた後処理班と入れ替わる形で現場を後にする。避難命令によって周辺には人っ子一人おらず、昨日のように一般人に囲まれることもなかった。




 母親の顔は覚えていなかった。どうしてうちにはお母さんがいないんだろうという疑問を感じた記憶もない。まぁ忘れてるだけかもしれないけど。

 何せこの時、私はまだ四歳だった。

『今日はお母さんを連れてきたんだ』

 お父さんはそう言って、リビングのドアを開いた。そこに立っていたのは、見るからにお父さんより若い女の人だった。

『違うよ』と私は自然に口にしていた。

『お父さん、この人は、私のお母さんじゃないよ』

 突然訪れた日常の変化を恐れたことによる言葉。お父さんや紗友莉さんはそう受け取ったかもしれない。

 確かに私は母親のことを覚えていなかった。

 でも、違うっていうことは分かったんだ。



「起きなさい」

 苛立ったような呆れたような言葉と、何かが肩に触れた感触で目を覚ました。

 あんな昔の夢を見るなんて初めてだ。それらしい昔話をお父さんとお母さんに聞いたことがあったけど、それを元に構築された夢なのか、それとも私の頭の奥底に沈んでいる記憶なのか。

「まったく。任務を終えたとはいえ、報告が終わるまでは仕事なのよ」

 寝ぼけた頭で女王様のお小言を聞き流しながら周囲を見る。支部の前。外はすっかり暗い。

「ま、緊張の糸が切れる気持ちは分かるけどね」と車窓の向こうから梅長さんが笑いかけてくる。

 ドアを開けて地面を踏む。まだ少しふわふわしている感じ。

「さっさと行くわよ」

 その声に振り返ると、霧崎麗は既に支部の入り口をくぐったところだった。

 足を動かしながらその背中を眺める。



『お母さん』

 カフカの返り血を全身に浴びながら私は歩き続けた。

『お父さん』

 さっきまでは帰れないと考えていたのに、その足は自然と自宅へ向かっていた。

 麻痺していた恐怖が戻ってきて、私が欲したのは安心だった。家にお父さんとお母さんがいれば、何もかも元通りになるような。そんな期待が、私の足を動かしていた。

 家が見えてきた。

 同時、軒先に飛び出してきたのはお母さんだった。辺りを見回して、私を見つけると、驚いたように悲鳴をあげてから駆け寄ってきた。

 安心が欲しかった。

 抱き締めて欲しかった。

 お母さんの両手は私の肩を掴んだ。

『美希は? ねぇ沙良、美希はどうしたの? 一緒だったんでしょう?』

 ドロドロに溶けるミキが脳裏に蘇り、理解した。

 あぁ、もう、ミキもイズルも、帰ってこないんだ。

 涙が溢れた。

 お母さんは余計に取り乱して、乱暴に肩を揺すった。

『ミキは、ドロドロのお化けになっちゃった』

 それだけ伝えた。

 両肩から手が滑り落ちた。

 お母さんはその場で脱力して、地面に両膝をついた。

 痛い。きっと、血が出てる。

 そう考えて、しゃがんで、地面に接触している膝を覗き込んだ。

 傷口から、ヘドロが溢れ出していた。

 ビックリして尻餅をつき、お母さんを見上げる。目からドロドロの黒い涙が流れている。

 お母さんもお化けになる。でもそれなら、ミキと一緒にいられるかもしれないね。

 両手が伸びてきた。抱き締めてくれるのかと思ったけど、その手は私の首筋を掴んだ。強い力。握られたところが潰れてヘドロが溢れ出す。人間だったら、死んじゃってる。

 突然、何か、大きな影が降ってきた。

 それがお母さんの後ろに着地した瞬間、首を掴んでいた手の力が抜けた。代わりに、眼前に突き出された鋭利な刃先。それは、お母さんの胸を貫通して、私の前に顔を見せていた。

 お母さんが崩れ落ちる。胸と膝の傷口から溢れていたヘドロがじゅわっという音を立てて消えていく。

 代わりに立っていたのは、スーツ姿の女の人だった。普通の人じゃない。右腕は刀だし、全身の傷からはヘドロが滲み出ている。きっと私と同じだ。

『サラもこうなったのね』

 私の前にしゃがんだその人は、赤い瞳で私の目をじっと見る。

『家の中にいなさい。お父さんが帰ってくるまで、外に出ては駄目よ』

 私は素直に頷いて、玄関のドアを開けた。

 閉める前に振り返ると、その人と目が合った。


 私は母親の顔を覚えていなかった。

 でも、分かったんだ。



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