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徒花の少女  作者: 野良丸
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鉄壁 ーヤイバー 1


 今年初の雪が降った。大きくも小さくもない普通の雪で、数時間後にはすっかり溶けてなくなっていた。

 世界のどこかで徒花によるクーデターが起きて、徒花とカフカのみが暮らす国が誕生しようとしていても、この国は、この街は、私の世界は、何一つ変わることなく朝を迎える。

「もう昼だぞ」

 訂正。昼だった。

「殆ど毎日同じこと言って飽きない?」

「同じ事を言わせているのはどこの誰だろうな」

 食堂でのやりとり。部屋を出た時に出会した茅野さんはニコニコと笑っている。いつから苦笑じゃなくなったんだっけ。

「いっそのこと扇野支部の定番のやりとりにしちゃうとか」

「怠惰な生活を公にする気か。今以上に苦情や確認の電話、メールが殺到するだろうな」

 そう言って、隊長は少し疲れた様子で私から目を逸らした。

 半月ほど前。自称徒花通がネットに書き込んだことが、現在、扇野支部に批判の嵐を呼び寄せていた。

『戸舞流華、紋水寺莉乃。世界的に見てもトップクラスの徒花が二人いるにも関わらず、その二人と組んだ徒花は必ず殉職している』

 その書き込みが様々な推測を呼び、その中の一部がまるで事実であるかのようにネット上に広まった。あの二人が人体実験を行っているというもの、班内で苛めがあるというもの、二人を大切にするあまり一人に負担がかかりすぎているというなかなか的を射たようなものまで。

 まぁいつも通りそのうち消えるんだろうけど、人気の高い二人にそういう噂が流れた以上、扇野支部だけではなく徒花そのもののイメージダウンは避けられない。隊長も頭を抱えたくなるというものだ。

 現在寄せられているクレームの殆どは『戸舞流華と紋水寺莉乃を別々の班にするべき』というものか、あるいは『三人目をいれる必要はないのではないか』といったものらしい。そんな状況では逆井さんの代役の徒花(既に人選は終わっているらしい)を入隊させるわけにもいかず。かといってあの二人のみで任務をさせるわけにもいかず。主力が欠けたまま残りの隊員で現場を回している状態だ。

 年末はどういうわけか徒花部隊も忙しくなる。私達梅長班はここ一週間で五回。要請に応じてついさっき出ていった猪坂班は五日連続で出撃しているはず。

 カフカ同様、私達の核も疲弊すると腐化、硬化、再生の速度が遅くなるため、連日戦闘と言うのはかなり身体に悪い。あと、なんとなく、心にも悪そう。

「いや、すまない。少し八つ当たりのようになってしまったな」

 うん?

「全然そんな風には思ってなかったけど」

「それならよかった」隊長は微かに笑みを浮かべる。それから向かいの席に目を向けて、再び私達を見た。「座らないのか?」

「じゃあ遠慮なく」

「お邪魔します」

 テーブルにトレイを置いてから並んで座る。今日のメニューはパンケーキ。茅野さんは野菜炒め定食で、隊長はカツ丼定食だ。

「どこかの山の中だっけ。カフカが見付かったの」

崎鳥さきどり山だ」

「聞いたことない」

扇野支部わたしたちの管轄の端にあるからな」

「へぇ。ところで、大型カフカって言ってたけど他の班に準備を促さなかったっていうことは、そういうこと?」

「あぁ。目撃情報から、今回のカフカは寿命間近の個体だと予測されている。突然山中に現れたところを、麓を歩いていた一般人が発見したようだ。今のところ山を降りる様子もなければ、人を殺したわけでもない。行動と言えば、たまに空をあおいでは咆哮をあげるくらいらしい。出来ることなら、このまま最期を迎えてほしいものだ」

「そうですね……」と茅野さんも小さく頷く。

 殺人を犯したカフカは人に戻さない。殺人を犯していないのなら人に戻す。

 暗黙のルール。だけどそこにはいくつかの例外がある。そのうちの一つが今回のケース。

 殺人が確認されていなくても、カフカが『腐りきっている』場合に置いては人に戻さない。

 姿を戻したところで、寿命は戻らないから。

 カフカになった人間が赤ん坊でも老人でも、等しく死んでいく。

 当然、人の姿に戻れば残された数時間、数十時間は自由に使える。家族と会うことだって出来る。死んだ後も葬儀に遺体がないなんてこともないし、お墓も作ってあげられる。

 ただ、カフカだった人というレッテルを貼られることになるだけ。

 あのときのカフカはあの人だったんじゃないか。そう言われ続ける。

 夫を殺したのは、妻を殺したのは、子供を殺したのは、兄弟を殺したのは、恋人を殺したのは、親友を殺したのは。

 大切な人を殺したのは、あいつだったんじゃないかと。

 恨まれる。

 証拠はない。だが、同じように、否定する証拠もない。

 復讐が始まる。

 悲しみが生まれ、カフカが現れる。

 連鎖していくのだ。そして、膨れ上がった復讐心は、三大欲求をも凌駕するほど、全てにおいて優先される。

 復讐を止めようとする綺麗な言葉など、粉々に打ち砕いて前進を続けるのみ。

 だから、その心が生まれてしまう前に。

 この先を生きていく人達のために。

 死んでもらわなければならない。

 化物として。

 前方からスマートフォンの着信音。デフォルトのものだ。

 隊長は「失礼」と言って電話に出ながら立ち上がった。

「私だ。どうした?」

 そう言いながら食堂を出ていく。私はその背中を眺めながら一枚目のパンケーキを食べ終える。美味しいけどちょっと飽きを感じてきたため、口直しというわけではないけど、箸を伸ばしてカツを一切れ口に運ぶ。「あ」と茅野さんが声をあげたけど気にしない。

「猪坂班の人達かな」

 カツを咀嚼しながら言うと、茅野さんは首を傾げた。

「電話かけてきたの」

「そう、ですか? 言われてみればそんな気もしますけど……」

「まぁどうでもいいけどーーーーなんて言ってたら、大抵どうでもよくないことになるよね」

「隊長のスマホにかけてくるっていうことは、他のカフカが出現したとか、誰かが戦闘不能になったとか、そういう緊急事態じゃあないですよね」

「うん」

「でも、じゃあなんでしょうか」

「なんだろうね」

 ちょっと思案しながらパンケーキを口に運ぶ。食事中はなかなか頭が回らないものだけど、不意に、霧崎麗のことを思い出した。

 腐化が進んでいる。

 隊長の言葉。

 待機中、霧崎麗の腐化が突然始まって、猪坂さんか天地さんが手を下したのなら、支部にではなく隊長個人に連絡を取ろうとするのはおかしくない。あの二人が霧崎麗のことを知っているのなら尚更。

 まぁ、どうでもいいけど。

 なんて言ってたら、どうでもよくないことになるのは分かっていたのに。

 食堂に戻ってきた隊長は席に座ることなく「二人ともついてこい」と言った。

 その表情、口調からして何かあったことは明白。料理をそのままに後を追う。食堂のおばさんに一言謝る茅野さんの声が後ろから聞こえた。

 梅長さんを呼ばないということは出撃要請ではないのだろう。まさか本当に霧崎麗が? いや、それなら私一人を呼ぶ筈。私と茅野さんに関係すること? なんだろう。

 廊下を歩きながら考えたけど答えは出ないまま隊長室に到着した。中に入って、促されるままソファに座る。向かいに隊長が座って、先程までと同じかたちになった。

「まず、言っておく」

 隊長はコートのポケットからスマホを取り出して、私をーー私一人だけを凝視した。

「冷静さを失うなよ」

「そんなに取り乱した記憶ないけど。情熱的な性格でもないし」

「それを踏まえて言っている」

 隊長はスマホ画面を指で何度かタッチした後、私達が見易いように向きを変えてテーブルの上に置いた。

「猪坂班から送られてきたカフカの写真だ」その言葉通り、画面には空を見上げて大きく口を開くカフカが映っている。「猪坂は几帳面だからな。報告書の作成に使うつもりで撮影していたのだろう」

 長くて綺麗な指が伸びてきて画面を左方向へスワイプさせる。さっきの写真は山の麓から撮ったものだったけど、今度はちょっと近付いた。山中には入っている。高い木の天辺に、あるいは宙に作った足場に乗って撮影したのだろう。カフカは口を閉ざしたまま空を見上げている。

 一枚毎に近付いていく。そして、カフカの頭上から撮影した写真に、小さく、人のような影が映っていた。

 でも、人じゃない。小さくてよく分からないけど、それは確かだ。前半身だけ外に出た、まるでそこに埋め込まれたかのような状態でカフカの身体と繋がっている。黒いし、ヘドロで形成された人形の何か? でも嫌いな人間のかたちをした何かをわざわざ作ろうとするだろうか。

「次の写真は、これを間近で撮影したものだ」

 覚悟はいいか? そういうように隊長は私に力強い目を向けた。答える代わりに、スマホの画面をじっと見る。

 指が動いた。

 息を飲む音。それに反応したわけではないけど、気付くと私は隣に顔を向けていた。

「一応、確認したい」

 隊長が言う。

「これは、君の妹で間違いないか?」



 世界のどこで何があろうと、私の世界は何一つ変わることなく朝を迎えていた。

 だから私は忘れていた。

 世界なんて、容易く変わって、終わりを迎える。

 どれだけあがいても。手を伸ばしても。

 初雪みたいに。

 儚く。

 溶けて、消えてしまう。




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